第54話 武の祝福

〈バルアダン、魔獣工房にて〉


 私はレビを百九十層の兵舎に送り、フェルネス隊長に救援の伝言を頼むと、再び飛竜タニンを工房に急がせた。ダレトは私をかばうつもりで逃したのだろうが、それでは友人として情けないというものだ。


「友人……か」


 そうだ、戦場であの御節介で不器用なあいつの横に立てるのは私しかいない。それにここまで来たら軍を巻き込む覚悟はできている。フェルネス隊長なら事情を分かって味方をしてくれるに違いない。

 雨足はさらに強まり、壁の隙間から漏れ出る明かりを頼りにタニンを向かわせる。目指すものを見つけた時、壁の割れ目からダレトが苦戦している様子が視界に入る。


「ダレト!」


 壁に当たる直前、タニンの手綱を引いて上体をそらさせ、その四つ足を持って城壁にぶつける。魔獣石でできた壁を破壊するのは困難だが、竜の重さと速さをもってそのつなぎ目の漆喰に衝撃を与え、壁を抜くことは可能だ。

 そこで目にしたものは、倒れているダレトと、黒い甲冑を着た戦士、それに散らばった人の遺骸と魔獣の首だった。


「逃げろ……」


 ダレトが呻き声をあげる。私の名前を出さないあたり彼らしい。だが、ここに至れば私の立場より、友の命だ。


「私は飛竜騎士団のバルアダン、巡回中騒ぎを聞きつけたので参った。剣を引いてもらおう」


 ダレトの顔が歪んだのは苦痛のためだろうか、それとも名乗った私に呆れたためだろうか。男の方は返事の代わりに懐から筒を取り出し、床や壁に何かを垂らし始めた。


「気をつけろ、油だ……!」


 ダレトの言葉を受けて私は男に剣を振りかざす。だが男の剣は私の斬撃を払いのけ、そのまま魔獣石に刃を叩きつけ石を切断したのだ。その技と力に衝撃を受け、また、発した火花を見て一連の動きが男の狙い通りであったことに愕然とする。

 火花が壁に沿って走り、男が垂れ流した油に燃え移ったのだ。やがてそれは人と魔獣に被さり、その脂肪を燃やすことで炎の壁が私達を取り囲む。雨と炎と風の音が耳を支配し、男の気配もダレトの声も聞こえなくなった瞬間、炎の中から男が大剣と共に踏み込んできた。

 重い刃を何とか受け止めると、男が息を呑んだような気配を見せた。必殺の一撃を受け止めたことに驚いているのだろうが、フェルネス隊長に稽古をつけられている身としては何とか耐えられる。


 ……耐えられる? 大事なのはそのことではない。

 フェルネス隊長に匹敵する力を持った男がここにいるのだ。


「黒騎士よ、お前は誰だ?」


 男は何も語らない。

 ただ、兜の隙間から見える目は憎しみを浮かべていた。

 私はこの男に恨みを持たれているのだろうか。

 それとも飛竜騎士団にだろうか?


 男が踏み込みざま、半身をひねって斜め下からの斬撃を放つ。彼我の力量を考え、そのまま受け止めることはせず、身をよじって避ける。男の大剣は私の兜を跳ね飛ばし、私の剣は男の喉を狙う。しかし剣先が喉笛を斬り裂く寸前、男は素早く手首を返し、腕だけの一撃で私の剣を払い落したのだ。


「……フェルネス隊長より強い、か」


 時間稼ぎに短剣を投げつけ、床に転がった剣を拾う。体勢を整えたのはいいが、炎の勢いが強まってきた。不本意だが、黒騎士に殺されるのが先か、炎で焼け死ぬのが先かを選ばなくてはいけない。一番の関心事であるダレトの姿を確認すると、タニンが私の意を受けてダレトを咥え、私が空けた穴のところへ引きずっているところだった。

 ダレトだけは逃がすことができそうだと気を抜いた瞬間、重い斬撃が襲い掛かってきた。三合を受けて手首が痺れ、五合目を受けて腕だけでなく肩や足までその衝撃が突き抜けて膝をつく。


「武の祝福者よ、死ね」


 炎のうねりで男の声がはっきりとは聞こえないが、そう言ったように思えた。それは歓喜を伴った暗い感情だった。止めの一撃を与えるべく、大剣が私の頭の上に振りかざされた。無念の思いでそれを眺めていると、私に飛び込んでくるもう一人の影を見てしまった。


「馬鹿な、さっさと逃げろ、ダレト!」

「バルアダン!」


 ダレトが短剣を持って私と男の間に割って入る。私の頭蓋を撃ち砕く大剣は、ダレトの肩から腹を裂いたのだ。ダレトとその血しぶきが炎の影となって私を覆い、その影がゆっくりと床に移動していった。タニンが叫び声をあげ、私の中で何かの力が蠢く。心臓が強く鼓動し、炎がつられるように揺さぶられていく。


「……貴様、私の友を手にかけたな?」


 頭が真っ白になり、何も考えることができない。

 もはや技でもない、力でもない。

 相手を叩き潰すべく、全身全霊をこの一振りに込めるのだ。


 剣が激突し、男が受け止めきれずにわずかに後退する。

 私は構うことなく、さらに力を込めて剣を振り下ろす。

 相手の剣を両断し、その勢いで男の鎧に大きな亀裂をつくる。

 男は膝をつき、苦悶の声を上げた。


「黒騎士よ、覚悟!」

 

 私は悪鬼のごとく叫びながら再度斬撃を加えようとした時、もう一人の騎士が通路に突入してきたのだ。


「バルアダン、何事か!」

「……フェルネス隊長」

「レビと言う少女から助けを求められたが、いったい何が起きている?」

「ダレトが、ダレトが――」


 隊長の到着で気が抜けた私は、友の体を掻き抱いてただ助けを求めることしかできない。黒騎士が炎の壁を潜り抜けていくことは、もはや気にも留めなかった。


「この男、神官のダレトか。傷が深いな……これでは助からん」

「そんな、できるだけの治療を!」

「騎士団の医官には無理だ。だがサラ導師の月の祝福なら治るのではないか?」

「サラ導師が?」

「あぁ、変化を司る導師の祝福なら傷口を塞ぎ、血を造ることがことができると聞いたことがある。急ぎ彼を連れて行け!」

「隊長はどうなさるのです?」

「奥に消えていった奴を追うさ。直に俺の隊が集結するだろう。ここが悪の巣窟なら力で叩き潰すのみだ」

 

 後で説明はしろよ、と言い残して隊長は炎の壁の向こうに消えていった。私はダレトをタニンの鞍に乗せ、一瞬が永遠とも思う時間の中、サラ導師の家に向かう。


「しっかりしろ、ダレト!」


 せめて血だけでも止めようとダレトの上着を脱がした時、赤い光が彼を包んでいることに気付く。


「赤光……」


 私がダレトに預けたフクロウのお守りが光を放っていた。

 光が彼を包み込むと傷口がふさがっていった。赤光は魔獣の力の象徴のはずだが、治療もできるのかと驚いていると、ダレトが薄目を開けた。


「……バ…ル」

「しゃべるな、すぐにサラ導師の許へ運んでやるからな」


 三十三層の学び舎の露台バルコニーに飛竜を降ろすと、騒ぎを聞きつけたのか、サラ導師とサリーヌ神官が待っていた。急ぎダレトを自室の寝台に横たわらせる。


「導師、お願いします。ダレトを助けてください!」

「当然だ。弟子を見捨てる師匠がおるものか。サリーヌ、お主は私の手伝いだ、上から私の薬箱を持ってこい!」


 サリーヌは青い顔をして狼狽していたが、すぐに気を取り直して指示に従う。


「子供達は?」

「私の自室で預かっておる。上でイグアルとタファトに治療させているところだ。しかし、ダレトのこの傷を無理やり直したような跡はなんだ?」

「……セトからもらったお守りが赤光を放った後、傷はふさがりました」

「あるべき姿に戻す力……まだまだ分からぬことが多いの」

「サラ導師、ダレトは助かるのでしょうか?」

「臓器も含めて傷はふさがっておるが、それでも流出した血と魔力が足りぬ。このままでは死ぬ」

「サラ導師の祝福で何とかなりませんか!」


 サラ導師程の者であれば血液も魔力も造り、ダレトの体内に送り込めるのではないか。私は一縷の望みをもって問うた。


「だめだ、魔力には血液と一緒で適合する者とそうでない者がある。私の魔力では無理なのだ。だが……サリーヌ!」


 サラ導師は意を決した様子でサリーヌを近くに呼びつける。そして震える彼女の手を取ってある決断を促した。


「お主の魔力をダレトに注ぐ。いいな?」

「しかしサラ導師、私の魔力はダレトに適合できるのでしょうか」

「確認はしよう。……だが恐らく大丈夫なはずだ」


 そしてサラ導師はサリーヌの腕に小刀を滑らせ、一滴の血を掬い上げると、ダレトの血をそれと混ぜ合わせ魔力を注ぎ込んでいく。やがてサラ導師は大きく頷き、サリーヌの血が適合することを保証した。


「やはり問題ない。では私の月の祝福により、お主の魔力を血に変えダレトに輸血する」

「は、はい」


 サラ導師はサリーヌの手を取って、横たわるダレトの手に重ねた。


「じゃが、ここには手術の道具がないため、外からではなく内部で魔力を血に変化させる。まずはお主の魔力をダレトの内部に流し込めるのだ」

「私の魔力は暴発しやすいのです。流し込んでよろしいので?」

「ダレトの魔力を感じ、自分の魔力と波長を合わせ注ぎ込めばよい。適合するという事はその波長も近いということだ。あとは波の大きさの調整をすればいい」


 サリーヌがダレトの手を握りしめ、魔力を流し始めた。死なないで、と聞こえたのは私の気のせいだろうか。数日前に会ったばかりであるのに、まるで家族ようにサリーヌはダレトを心配しているのだ。


「体内に入った魔力の半分は私が血液に変換する。これを一刻も続ければ助かろう。その間、集中を乱すことも、疲れて眠ることも許さん。覚悟はあるか?」

「はい、導師。命に代えても彼を救います」


 祈るようにサリーヌが目を閉じる。私はそのサリーヌの横顔を見ていたが、やがてその後ろに貼られた肖像画も目に入った。二つの顔が重なり私の中で一つの解を得る。


「サラ導師、もしかして――」

「……後にしてくれ、バルアダン。何よりも本人のためだ」


 サラ導師の沈痛な顔は、ダレトを心配してのものか、それともサリーヌへ向けてだろうか


「導師! ダレトの波長、やはり私に近いです。これならきっと合わせることができる!」

「油断はするな、自分から合わせるだけでなく、奴の魔力に干渉してあちらからも自分に合わさせるのだ。失敗すれば、わずかなぶれが波の振動を誘発し暴走してしまう」


 サリーヌはその美しい横顔を涙で濡らしながらダレトの手を握り続ける。そしてついに目を見開いて叫ぶのだ。


「あぁ、繋がった、重なった! 導師、魔力を注ぎ込みます!」

「よし、気を抜かずそのまま続けよ。魔力の血液変換は任せるがよい」

「ダレト……」


 雨音が遠ざかり、朝日が昇るころに治療は終わった。

 サリーヌはダレトの魔力が安定するまで様子を見るといい、部屋に籠っている。

 サラ導師は子供達の様子を見に自室に戻っていた。


 その時、タニンが唸り声をあげる。声の先には露台があり、フェルネス隊長がレビを連れて降り立っていた。取り乱すレビに、ダレトは無事だと伝えて安堵させる。喜んでダレトの部屋に入った彼女だったが、力尽きてダレトの胸元に眠るサリーヌを見て立ち尽くしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る