第33話 衛士ガド

〈ガド、百層の真下で〉


 頭上でセトの悲鳴が響くと、エルはすぐさま梯子を上り、百層へ飛び込んでいった。そして叫び声が聞こえ、暴れるような物音を最後に何も聞こえなくなった。俺がどうしようかと逡巡したのは、臆病風に吹かれたわけじゃなく、誰が誰を守るか考えたからだ。


「まだ下にいるな、さっさとでてこい!」


 頭上から怒号が響き渡る。こちらに近づいてくる足音が、俺達に迷っている時間はないのだと教えてくれる。飛び出るなら今しかない。


「俺とレビで助けに行く。エラム、お前はトゥイと共に逃げろ」

「僕も行くよ。だって仲間だろう?」

「仲間の役割分担ってやつさ。お前とトゥイの役割は観測で、俺とレビが荒事担当だ」

「そうよ、あたいら頭は悪いけど、腕はちょっとしたもんよ」


 一方的に頭が悪いと決めつけられた俺と、逃げろと言われたエラム。共に不満な表情で睨んでいたが、やがてトゥイの身を案じたエラムが肩を落として了承する。だがその瞬間、事態は急変した。


「エラム、私のことはいいの。それよりも新しい仲間と一緒にこの一年を過ごすんでしょう?」


 おとなしかったトゥイが梯子を使って上層に這いあがる。彼女を危険に晒すまいとエラムが続き、最後に戦闘要員であるはずの俺とレビが慌ててついていく。

 初めて見る百層は満月の光を受けて、大廊下は雪が降っているかのように白く見えた。そしてそこには黒ずくめの四人の集団がいて、セトとエルが捕縛されている。その服装からして兵ではない、神官でもない。もしやここで何か悪い取引でもしていたのだろうか。だとすれば事態は最悪だ。口封じに殺されることもあるだろう。


「ごめんね、捕まってしまった。えーと、こいつら盗賊だよ!」


 なぜかたどたどしい口調でセトが説明をする。そしてエルが身をよじらせて、こちらはやや大げさに叫ぶ。


「エラムとトゥイを連れて逃げて!」

「馬鹿野郎、お前らをおいて逃げるとでも思うのか!」


 怒った俺の返事に、セトとエルは嬉しそうな顔をする。

 よかった、まだ余裕はあるらしい。


「そいつらを離せ、俺が相手だ、盗賊!」

「良い覚悟だ、小僧。その覚悟に免じてこのガキ共を解放する機会をくれてやろう」


 黒ずくめの盗賊の中から二人、それぞれ剣と槍を構えて俺たちに近づいてきた。剣に月明りが反射し、背筋が凍り付く。

 勝てばいいのか。だが、勝てるか?

 こちらは駆け出しの兵学校の生徒が二人。しかもその一人は訓練では負け続けときているのだ。勇気から臆病に傾く自分の心を必死に抑えつけ、弱みを見せないように声だけは張り上げる。


「やってやるさ! レビはあっちの槍使いを頼む。エラム、梯子をばらして俺たちに槍をくれ」


 不思議なことに、エラム達が槍を渡してくれるまで盗賊達は待っていてくれた。間抜けなのか、それとも舐められているのか。どちらでもいい、付け入る隙があるのなら……。

 でもそんな淡い期待は長剣を抜いた男の足取りを見て消え去った。それは兵学校の教官が見せるような、あるいはそれ以上の技量と経験をもつ戦士のものだったのだ。


「仲間を救う勇気に力が釣り合うかどうか、試してやろう」


 くぐもった声が響き、男が俺に斬りかかる。息を飲む間に距離を詰められ、槍の間合いを外された。穂先での一撃を捨て、石突きを跳ね上げるようにして男の剣を受け止める。そしてそのまま体を捻り、返す手で無理やりにでも穂先を叩きつけようとした瞬間、甘い、と呟いた男が体ごと突っ込んできた。槍が頭を撃ち砕くよりも前に懐に潜り込まれ、そのまま吹っ飛ばされる。


「……あんた、刃が怖くないのか」

「刃も牙も怖いさ。だから君を倒す」

「へっ、魔獣とも戦ったことがあるのかい。そんな奴が相手とはついてねーな」


 情けないが、体当たりをされたおかげで距離は稼げた。次は間合いの内に入れさせはしないと、決意と気合を込めるように頬を叩く。


「気負うより早く槍を構えろ。まだ力を全て見せたわけではないだろう?」

「……見下しやがって」


 舐められている悔しさに唇を噛みしめ、相手を睨む。しかし男が静かに呼吸を整えている様子につられて、こちらも少し落ち着くことができた。無策に突撃しても負けるだけだ。隙を見せ、相手が距離を詰めたところを突くしかない。俺は槍を中段に構え、合突きを誘う。


「隙は見せんし、引っかかりもせんよ」


 ちくしょう、見透かしてやがる。

 臆病風に吹かれた俺は救いを求めてレビの姿を求めた。彼女は槍を持った盗賊と対峙しており、何かに怒っているようだった。月の光を受けて相手の柄が銀色に輝く。魔力で表面を加工した上級の槍だ。構える姿に隙はなく、否応にも自分達より格上なのだと思い知らされる。俺の相手との違いといえば、やや声が上ずっている点だろうか。槍の男は奇妙な声でレビに向かって挑発をしていた。


「さぁ、貴様の腕前を見せてみろ。気を抜くと殺してしまうぞ」

「……嘘つき男」


 レビと盗賊との打ち合いが始まると、剣の男も距離を詰めてきた。


「どこを見ている、お前の相手は私だろう?」


 わざと槍を高く掲げ、相手の意識や剣筋を誘おうとするも、相手はそれを受けずに剣先を静かに向けてくる。その態勢と眼が示すものは、先ほど俺が引き込もうとしていた合突きそのものだった。相手の気迫に乗せられるままに槍を構え、叫び声と共に突き出す。正面からの合突きならもちろん槍が有利のはずだ。しかし男は首をわずかに傾げただけで穂先を躱し、剣先を俺の首筋に向かって突き出した。

 ……死を覚悟し、目を瞑るが衝撃や痛みはこなかった。恐る恐る目を開けると、瞳に怒気を宿した男が見下ろしており、剣の柄で俺の腹を殴りつけた。よろめいた隙に槍を跳ね上げられ、床に落ちる前に両断された。


「戦いの最中に目を瞑るとは、それで仲間を救えると思うのか!」


 まいった、手も足も出ないどころか説教までされた。

 こんな体たらくじゃ相打ち狙いでも俺が死ぬだけだろう。……そうだ、どうせ死ぬならしがみついてでも時間を稼いでやろう。それならみんな逃げられる。父さんや母さんが俺とタファト叔母さんを逃がしたように。


 俺は過去の光景に取り憑かれたかのようによろめきながら立ち上がり、男に向かって歩いていく。死を覚悟した今、想うのはただ一人残った家族である叔母さんのことだ。


 俺が家族を失った時の記憶を、すっかり忘れたものだと思い続けて、ずっと優しい嘘で隠してくれた、大好きな叔母さん。


「叔母さん、ごめんな。あの時の記憶、とっくの昔に思い出してたんだ」

「……何を言っている?」


 叔母さんに心配してほしくなかったから、そのまま忘れているふりをしてた。だって叔母さん泣き虫だから、俺がめそめそしていちゃいけないんだ。

 

「あれ、俺が死んでしまったら、また叔母さんは泣いて暮らすのかな。泣き顔を見るのはもう嫌なんだけど」

「……いたずらに死を選ぶのは、弱い者がすることだ。お前はそれでいいのか」


 弱いだって? 少なくとも父さんは強かった。恐ろしい魔獣に短剣一本で挑んだんだから。それに母さんは何も持たずに魔獣へ向かっていった。家族のために、俺と叔母さんを逃がすために死を選んだ家族が弱いはずないじゃないか。弱いのは魔獣に怯えて門を閉めた、あの西門の衛士の奴らだ。


「ガド、逃げて!」

「母さん……いや、エル?」

「もう、何をしているのよ。無理をして怪我でもしたら私は嫌だからね! だから早く逃げなさいっ!」


 エルの叱咤のおかげで朦朧としていた意識が形を取り戻す。そうか、あいつも誰かが傷つくのは嫌か。

 ……結局、どっちもどっちなんだ。死ぬのが大事な人でも自分でも、生き残った方が悲しむんだから。あの男が弱いと断じたのは覚悟のことではなく、悲しむのが嫌で命を捨てようとしたことか。


 なら、俺のやることはたった一つだ。


 覚悟が決まり、少しだけ冷静になって戦況を観察する。レビが思ったより打ち合えているのは相手が本気を出していないからだろう。だが、追い込まれて外縁部まで後退しているのは都合がいい。そしてセトとエルの側にいた盗賊は、今は二人から距離を置いている。俺は立ち上がり、折れた槍を拾い上げた。


「最後まで戦うか。いいのだな?」


 返事とばかり男に槍の穂先を投げつける。ただ一つの武器を放棄したことが意外なのか、剣で撃ち落とした瞬間、男にわずかな隙と戸惑いが生まれた。ためらうように振り下ろす剣を潜り抜け、ただの棒となった槍を足に絡めて膝をつかせることに成功する。そのままセトとエルの元に向かい、縛られた二人を抱えて大廊下の外縁へと走り出した。筋肉が悲鳴を上げるが、力の祝福の加護とやらを信じて二十アスクを走りきろうとする。そうだ、負けを認めて逃げればいい。生きていれば次の機会は来るはずだから。それより大事なのはみんなが悲しまないことだ。

 

「エラム、トゥイ、レビ、そのまま小塔へ落ちろ! 怪我をするが、死ぬよりかはましだ!」


 小塔の付近には衛兵の詰め所があるはずだ。落ちてくるのが魔獣ならともかく子供なら保護をしてくれるだろう。あと十アスクでエラムとトゥイと合流できる。レビも戦いを切り上げてこっちへ向かってきている。逃げ切れたと確信した時、武器を持たない三人目の盗賊が俺の前に立ちふさがった。


「下層へ飛び込むつもりか? 危険な真似はやめるんだ」

「……セト、エル、少し体重を借りるぞ」


 二人を抱えた勢いのまま相手にぶつかっていく。意外なことに相手は戦闘に不慣れなのか悲鳴を上げて倒れ込んだ。ただその悲鳴には脇に抱えた二人の声も含まれていたような気がする。あと五アスクとなった時、背後に気配を感じて振り返ると、そこには短剣を持った盗賊の女が立っていた。


「若い兵士さん、逃げられると思っていて?」

「逃げるさ、死んだら悲しむ家族がいるからな」

「……その選択はいいでしょう。でも兵士である以上、力がなければいつかは死んでしまうのよ。飛竜騎士団でも、強い神官でも」

「そんな大層な人達と一緒にしないでくれ。俺が目指すのはもっと地味な、それでいて重要な兵士だ」


 そして俺は盗賊に向かって、いつかもう一度挑めるように名乗りを上げた。

 やっぱり負けっぱなしは悔しいもんな。


「俺の名はガド。いつかクルケアンの西門で一番強い衛士になる男だ」


 そしてまだ逃げていないエラム達を巻き込んで飛び降りようとした時、光り輝く縄のようなものに縛られていることに気付く。


「しまった、お前、祝福者だったのか!」


 呪縛から逃れようと必死であがくが、疲れ切った体にもう力は残っていない。途切れようとする意識を必死につなぎとめていた時、風が吹いて盗賊の顔を覆っていた頭巾がめくれた。彼女は月明りに顔を照らしながら俺の背中に両腕を回して泣きながら耳もとで囁く。


「あなたは馬鹿よ、ガド。……でも勇敢になったわね」

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