第29話 薬師とエラムの生き方

〈トゥイ、エラムと共に〉


水力計算機クレシドラをつくりたいんだ。トゥイも協力してくれないか?」


 祝福の日の夜遅く、エラムは私にそういった。

 エラムは何かを創りたい、何かを残したいといつも考えている。彼は魔獣の瘴気で肺をやられていつも部屋にいた。外の世界に出たい気持ちが人一番強いのに、両親から家にいなさい、といわれて不承不承で、寝台の上で本を読むのだった。

 エラムの家は比較的裕福で、最新の出版技術で作られた本がたくさんあった。家が近かった私は体の弱いエラムの見舞いを口実に、よく遊びに行っていた。エラムが色々な本を読んでくれるのだ。王子様とお姫様の恋物語、騎士の魔物退治。神様が世界をどうやって作ったのか、クルケアン周辺の町の話、魔女が子供をさらうような怖い話も。窓だけが明るい部屋の中、落ち着いた声で本を読んでくれるエラムと過ごす時間が好きだった。

 私は彼が将来、本屋さんになるものと思っていた。そうなれば私も今から向かっているように、百層へ侵入しようとするような無茶をしない人生だっただろう。


「五歳の時だったよ。天気が良くて、風も吹いていない日でね。珍しく外に出ることができたんだ。すると小神殿の外で泣いている神官様がいた。こんな天気の好い日に何で泣くのだろう?そう思って声をかけた」

「まるで、エラムがいつも読んでくれるお話みたい。失恋をしたのかしら、それとも大事な人との別れからしら」


 私は気軽な感じで聞いた。


「別れだったらしい。大事な人、とは少し違うといっていた。守るべきだった人、といっていたな」

「可哀そうな神官様」

「病気の子供を助けられなかったんだって。その人は薬師でもあったので、色々な薬をその子のために処方したのだけど、その子の魔力が原因だったらしく結局役に立たなかったといって、泣いていた」


 エラムは少し遠い目をする。きっと自分とその子を重ね合わせているのだろう。


「神様はいないのか、と呻いていた」

「神官様が神様を疑うなんて!」

「でもその人は逆だったんだ。神を信じたい。だからこそ、神の御許へ行きたい。直接会いたいとね。クルケアンの最上層に行けばそれがかなうんじゃないか、っていっていた」


 話を聴いたとき、その神官を優しい人だと思った。でも、辛いのを無理して天に向かって歩き続けるのだと思うと、可哀そうにも思った。これは同情ではない。共感だ。だってエラムも無理をしているのだから。


「神官様はね、僕が本を抱えているのを見て、肩を掴んでこういってくれたんだ、君は知識を蓄えなさい、神は私達を試しているのかもしれない。私はその試練を受け止めていくが、何人かは違う道を歩くのもいい。水道橋が人々の生活を良くしたように、地上の人々からの救いも必要なのだ、とね」


 天からの救いと地上からの救い。神官は偶然そこで出会ったエラムにその本心を吐露したのだろう。彼にも神様以外に縋るものが、その時は必要だったのだ。


「その時から、みんなの生活を良くするための技術を身につけようと思った。水道橋のこともある。この階段都市は大塔の水を利用して、上層から下層に水が流れている。これを動力としてみんなを幸せにしたいんだ。その動力を使って大きな時計台もも作りたいな。それに小麦を製粉する水車も、それとやっぱり水力計算機クレシドラかな」

「なら、それは計算機でもなくてもいいんじゃない?」

「……確かにね。でも水力計算機の機構を使って他の動力にもできる。それに、観測もできるんだ。もし神様がいるのなら、地上から観測と計算でその存在を知ることができるのかも、と思ってね」

「ふふっ、その神官様にだいぶ影響を受けたのね」

「そうかも。しかも実は今日、祝福の日にいたんだ!その人が」


 私はびっくりしたが、あり得るかもしれない。十年もたてばそこそこの役職にもついて中央神殿にいることだろう。


「体調が悪くて少し遅れて会場入りしたら、なんかすごくいい加減に祝福の儀式をされたんだ。何か問題が起きていたらしいよ。で、拍子抜けして帰ろうとしたら、突然その人に呼び止められたんだ。問題が少し落ち着いたらしくて、別室で話してくれた。僕が水力時計を創るんだ、といったら困った顔をして応援してくれたんだ。なんでそんな顔をするんですか? といったら、神殿はあまりそういうのは好きではないのでこういった場所ではいわないように、とも忠告してくれた」


 世の中には色々な神官がいるらしい。ここではいわないように、とその場所で忠告してくれる神官がいるのか。俗世を離れた厳しい人たちかと思っていたので、私の驚きは大きかった。


「その人が薬をくれたんだ。あの子を救えなかったことを今でも悔やんでいたらしく、僕の病気のことを話したら、あの子の代わりですまないが、といって、持っていた薬草をくれたよ。ザハの葉とリドの実さ」

「最高級の薬じゃない!」


 家が購入できるほどの貴重な薬だ。神の二つの杯イル=クシールともいわれる薬で、その二つの薬草を用いれば一年近くは効果が持続し、病気に耐性がついたり、炎症しにくくなるという。まさに万能薬だ。


「もう、薬師としての仕事が出来ないんだって、だからせめて僕に薬師としての最後の仕事を、とのことだった。結局、名前は教えてくれなかった。でもその人に出会えたおかげでこの一年、色々なことができそうだよ、トゥイ。この一年で何ができるか、何が残せるか、人生で最大の機会がやってきたんだ」


 あぁ、神様、エラムに機会をくれてありがとうございます。私は神を信じる。だって、こんなに頑張ってきたエラムが外の世界に出られるんだもの。


「だからね、トゥイ、僕を手伝ってくれないか。……人と話すのは苦手だし、紙や石板に計算している方が楽だし、君がいないと僕はダメなんだ」


 私にもちろん否やはない。私はエラムを手伝う。そしてエラムがこれからしていくことをお話として本にするのだ。エラムは神官様によって生き方が決まった。私はエラムのお話を聴いて、生き方が決まっていたのだ。このクルレアンの様々なお話を、新しい本で残していく、と。

 もしかしたら、一年後には、彼の病状はもとに戻っているかもしれない。でもその時には彼が外の世界に成したものを、私が読み聞かせよう。彼は恥ずかしがるかもしれないが。


 エラムは、あの窓だけが明るい暗い部屋で、私に様々な世界を見せてくれた。彼が外に出ればもっと色々な世界を私に見せてくれるに違いない。私はそれがとても楽しみだ。


 ふと気が付くと、タファト先生の学び舎には夕日が差していた。今日は観測の日だ。私たちがこの三日間、外の世界に出ただけで、もう友人が増えた。それにきれいで優しい先生も。一日一日世界が広がることを実感して、身震いする。


 学び舎を辞そうとすると、タファト先生がガドに渡してくれ、と古いランプを持ってきた。炭鉱夫のランプといわれるそれは、ガドのなくなった父のものだという。古いものを整理していたら出てきたのだそうだ。私より、あの子に持っていて欲しい、灯し油は入れてあるし、火打石も一緒だからすぐに使えるはずだ、と先生はそういって私にランプを渡した。もうじき日が暮れるので使ってもいいよ、ともいってくれた。


 タファト先生の美しい顔が夕日に映える。優しくも物憂げなこの人に私は憧れる。そんな先生をだまして百層に行くのだと思うと、胸がつぶれるように痛い。


「先生、ごめんなさい」


 私はそう心で謝って、三十三層のレビの部屋に向かった。そこで皆と合流するのだ。今日の夜は雲一つない空になる。きっと観測だけでなく、素晴らしい夜空をエラムは友人と共有できるのだ。


 道中暗くなったので、停まってランプに火を灯す。魔力に拠らない、純粋なランプの光が私の周囲を照らしていた。その灯りを頼りに、みんなが待っている場所へ私は再び歩きだした。

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