第352話 奪還作戦〈誘拐〉re
建物上階から飛び降りると、〈環境追従型迷彩〉を使い周囲の色相と質感を装甲の表層に再現しながら廃墟の通りを移動する。動いている間は完全に姿を隠すことはできないが、止まってじっとしていれば敵対者に発見されることはないだろう。
そこに短い通知音が鳴って、カグヤの声が内耳に聞こえた。
『レイ、ワスダから、またテキストメッセージが届いたよ』
「彼は何て?」
そう言うと、
『リリーの逃走を手助けしていることを組織に疑われないため、彼の指示で無人機を空に飛ばすみたい』
「無人機? それは攻撃用の機体か?」
『その無人機を確認しないと索敵用なのか、それとも攻撃に特化した機体なのかは分からないけど、あの鳥籠には兵器を専門に販売する旧文明の販売所がある。だから私たちの脅威になるのは確実だよ』
「厄介だな……」
『ねぇ、レイ。本当にリリーを確保しに行くの?』
「行くよ。たとえどんな結果になろうと、始めたことの始末をつけなければいけない」
『そうだね……分かった』
広場を離れると、多くの建物が倒壊した区画に向かう。
『レイラさん』とノイの声が聞こえる。
『鳥籠から複数の無人機が射出されるのを確認しました』
ノイから受信した映像を確認すると、大型多脚車両の荷台に載せられていた無数の発射筒から、ミサイルにも似た黒い物体が発射されるのが見えた。その物体は空中で形状を変化させると、人工筋肉の詰まった黒いラテックスに包まれた翼を大きく広げた。それは鳥に似た奇妙な姿を持つ人工的な生物にも見えた。
『精密爆撃の能力を持った無人機だ!』
カグヤの驚く声が聞こえる。
『あれに見つかったら、大変なことになるよ』
『大切な娘の命を危険に晒してまでやることなんですかね……』と、ノイの溜息が聞こえてきた。
『さすがに娘の頭上に爆弾を降らせるような真似はしないと思うけど……ワスダは本気で私たちを攻撃する意思があるのかもしれない』
『無人機に見つかって殺されるような連中に、そもそも娘を預ける気はない。ってやつですかね?』
『私たちをテストしているんだと思う』
『それでもカグヤさんは、あいつが裏切っていないと思うんですか?』
『それはまだ分からない。だから警戒しよう』
『……了解、引き続き監視を行います』
ノイとの通信が切れると、瓦礫のそばにしゃがみ込んでいた私の頭上を真っ黒な無人機が飛んでいくのが見えた。
「ずいぶんと大きな機体だな」と率直な感想を口にした。
拡張現実で表示された無人機の画像を確認していると、カグヤの声が聞こえる。
『長距離を滑空できる大きな翼に姿勢制御用のスラスター、それに無数の爆弾を積んでいて機銃も搭載されているみたい』
「翼に人工筋肉を使った兵器だったな」
『うん。旧文明の貴重な遺物だね』
「インテリレイダーに貴重な遺物か……最悪な組み合わせだな」
『そうだね……無人機に発見されないように、建物の陰を移動しよう。さすがに周辺一帯をカバーできるだけの索敵能力があるとは思えないけど、用心するに越したことはないから』
隊商が利用する大通りを避けて人影のない薄暗い通路を移動する。
「そろそろ目標地点に到着するけど、リリーはどうしている?」
『まだ娼婦の子たちと一緒にいるよ。周囲の人間に怪しまれている様子もない』
「彼女を監視している人間は?」
『リリーを監視していそうな怪しい人間の目星もつけた。すでにタグを貼り付けてあるから確認して』
カラスの眼を使って、カグヤが印をつけた人間を確認する。たしかに怪しい風体をした人間だった。彼らは目立たない色のポンチョを羽織っていて、フードで顔を完全に隠していた。
あからさまに怪しい人間の動きを見ながら
「リリーを監視しているのは、組織の人間だって言っていたよな?」
『うん。普段はワスダが直接指揮する部下も、リリーのそばについて警護しているみたいだけど』
「その部下の姿は確認できないな……」
『それがワスダの指示なら、私たちが警戒するのは組織の監視員だけになる』
入場ゲート付近にいるカラスから受信する映像を注意深く確認すると、人波をかき分けるようにして行商人の一行が接近してくるのが見えた。
「カグヤ、あの集団の流れを利用しよう。隊商の流れに溶け込むように、リリーに姿を隠してもらおう」
『了解。これからリリーの奪還作戦を開始する。ノイ、準備はできてる?』
『奪還って言うより、誘拐作戦じゃないんすか?』
『ノイ、準備は?』
『バッチリできてますよ』
カグヤが送信したテキストメッセージがリリーに届くと、彼女は一緒にいる娼婦たちに何かを耳打ちした。すると娼婦の子たちは商人の一団のそばに向かう。そこで娼婦たちは客引きをするつもりなのだろう。
リリーは彼女たちが客を物色するのに夢中になっている間に、商人や買い物客の流れに乗って姿を消す。娼婦の子たちはまだリリーがいなくなったことに気がついていない、しかし監視員の何人かは異変に気がついて動き始めた。
カグヤが目星をつけていた怪しい人間全員が動いたわけではなかった。それはつまり、我々が考えていた以上に監視員の数が少ないと言うことでもあった。あるいは、我々の目からも巧妙に隠れることのできる優秀な監視員が、リリーのそばについている可能性があるということだった。
「カグヤ、昆虫型ドローンを使って監視員の動向を探ってくれ。まだどこかに監視員が潜んでいるかもしれない」
『リリーにはカラスをつけているから、レイは彼女の安全を優先して行動して』
「了解」
リリーは商人や買い物客の流れに逆らうように、出店や天幕が連なる通りを進んでいた。彼女と一緒に行動していた娼婦たちは、リリーがいなくなったことに気がついてちょっとした騒ぎを起こし、それが引き金になって監視員たちも本格的にリリーを探し始めた。
私はリリーが脱出に使用する経路を確認しながら、カラスの眼を使って警備隊の動きを確かめる。しかし警備隊に目立った動きは見られない。
「ワスダの裏切りを心配する必要はなさそうだな……」
『まだ断定するのは早いよ。それよりリリーが来る。すぐに彼女を確保して』
〈環境追従型迷彩〉を起動した状態でじっとしていると、リリーが路地に飛び込んでくるのが見えた。彼女の華奢な身体を後ろから捕まえるようにして抱えると、倒壊した建物の瓦礫に身を隠す。
「俺だ、ベン・ハーパーだ」
リリーが驚かないようにマスクを外して素顔を見せた。
彼女は灰色の瞳を大きくして、じっと私の顔を見つめたあと、ゆっくり唇を動かした。
「でも、本当の名前はレイラ。そうでしょ?」
「ああ、そうだ。ワスダに聞いたのか?」
「うん」
「他にも何か言っていたか?」
「うん。レイラは気狂いだから、気をつけろって」
「そうか……」
荷物の中から外套を取り出すと、彼女に手渡した。
「リリーの姿を隠してくれる外套だ。安全が確認できるまで羽織っていてくれ」
「ん、分かった」
彼女は無表情でそう言うと、すぐに外套を羽織る。少し大きいが問題ないだろう。遠隔操作で外套の〈環境追従型迷彩〉を起動して彼女の姿を隠す。
「私物は何も持ってきていないのか?」
そう訊ねると、リリーは栗色の髪を揺らす。
「怪しまれるから、何も持って行くなって言われた」
「そうだな……今回のことは急に決まったんだ。だから、すまない」
「お父さんが……ワスダがあとで届けるって言ってた。だから気にしてない」
「そうか……」
顔を隠すように外套のフードを被せたあと、彼女の手を取って廃墟の街に向かって歩き出す。〈ハガネ〉を操作してマスクを装着すると、すぐに我々を追跡している監視員たちの現在位置を確認する。
数人の追跡者が路地に入ってくると、彼らはフードを上げて禿げ上がった頭部に埋め込まれた大きな装置を起動させる。すると彼らが顔に装着していた埋め込み型のスマートグラスが点滅を繰り返すのが見えた。
「連中は何をしているんだ?」と、歩きながらカグヤに訊ねる。
『索敵と追跡に特化した装置を使うつもりだね』
「その装置を使うと、どうなるんだ?」
『標的が姿を消したとしても、僅かな痕跡をたどって標的を見つけ出すことができる』
「痕跡? 例えば?」
『体温や匂い、それに足跡はもちろん、空間に生じた空気の揺らぎすら追跡のために使用できる』
「空気の揺らぎか……出鱈目な装置だな」
『うん。それに〈環境追従型迷彩〉は周囲の環境を再現してくれるけど、匂いや足跡は消せないから、すぐに追いつかれるかも』
それでも焦らず、あらかじめ決めていた脱出経路に沿って移動する。
「ノイ、俺たちの姿が見えているか?」
『ええ、しっかり見えてますよ』
ノイがライフルに取り付けているスコープには、私とリリーの輪郭線が青色に縁取られて表示されているはずだった。それはカグヤによってタグ付けされた追跡者も同様で、彼らの輪郭線は赤色で表示されている。
「追跡者がすぐにあらわれる。そろそろ始めてくれ」
『了解』
そして銃声が廃墟に響き渡る。銃声は廃墟の街の日常で、とくに珍しいものではない。だから普段は廃墟の街で銃声を気にする必要がなかった。でも無人機が上空を旋回していて、追跡者がいる今日はいつもと様子が違っていた。
『すぐに移動します』
ノイが慌てながらそう言うと、彼が狙撃に使っていた建物に向かって真っ黒な無人機が高度を下げながら真直ぐ飛んでいくのが見えた。そして建物の上方で急に機体を上昇させる。すると連続した炸裂音と共に地を揺らす轟音が聞こえ、建物から砂煙が立ち昇るのが見えた。
「ノイ!」思わず声を上げる。
『大丈夫ですよ』とノイがいつもの調子で言う。
『こうなることは想定していたんで、逃げ道は確保してました』
「そうか……」
『次の狙撃地点に向かいます。レイラさんも追手がいることを忘れないでくださいよ』
「了解」
リリーの背中と太腿に腕をまわして彼女を抱えると、瓦礫が散らばる通りを駆けた。
「無人機はどうやってノイの位置を特定したんだ?」と、廃車を飛び越えながらカグヤに訊ねる。
『わからない、銃声とマズルフラッシュかな?』カグヤが適当に言う。
『それより、監視員の通信装置に侵入して彼らの通信を妨害できたよ』
「通信の相手は警備隊か?」
『うん。しばらくは増援がやってくる心配はない。でもいつまでも通信の妨害ができるわけじゃない』
「それまでに監視員を始末しないと、俺たちの存在が知られる……そういうことだな?」
『うん』
リリーに建物の陰に隠れていてもらうと、通りに転がる瓦礫のそばにしゃがみ込んでライフルを構える。
すると通りの向こうに我々を追ってきた数人の監視員が姿を見せる。周囲の環境に溶け込んでいるからなのか、彼らはまだ私の姿を見つけられずにいた。完全に油断していた監視員に向かって〈自動追尾弾〉を撃ち込んで射殺すると、またリリーを抱えてその場所から移動する。
銃声が建物に反響して聞こえてくると、無人機の爆撃が起こす轟音が聞こえてきた。
「ノイ、そっちは無事か?」
『ええ、問題ありませんよ』
「無人機を撃墜することはできないか?」
『無理ですね。機体の周囲に強力なシールドを展開しているんで、ライフルで撃ち落とすことは難しいですね』
「歩兵用ライフルでも無理か?」
『アサルトライフルで無人機を狙撃するのは至難の業ですよ』
『レイ』カグヤが言う。
『昆虫型ドローンを使って追手の現在位置を確認した』
地図上に表示された赤色の点を確認しながら言う。
「あと四人だけか?」
『うん。相手はあくまでも監視員で、戦闘慣れした兵士じゃない。警備隊に増援の要請もできないし、こんなものだよ』
すると銃声が聞こえて、地図上の反応がまたひとつ消えた。ノイの狙撃で倒れたのだろう。私は上空の無人機に警戒して建物の陰に入る。高層建築群の間を凄まじい速度で飛行する無人機が通り過ぎていくと、秋の冷たい雨が地面を濡らし始めた。
「寒くないか、リリー」
訊ねると、彼女は白い息を吐き出しながら答えた。
「寒くない。けど――」
「けど?」
「すこし寂しい」
「そうか……でも――」
私は口を開いて、そしてすぐに口を噤んだ。
それが例え最悪な環境であったとしても、あの鳥籠にはリリーの生活があった。その生活をリリーから取り上げてしまったのではないのか?
また間違いを犯してしまったのだろうか?
リリーの灰色の瞳を見つめながら、ワスダの言葉を思い出す。
「自己完結した正義感か……」
ポツリとつぶやくと、廃墟の街に反響する銃声に耳を澄ました。
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