第247話 輸送機〈母なる貝〉re


 白い軍服を着た女性のあとを追うように、我々は輸送船の通路を歩いていた。黒縁の眼鏡をした赤髪の女性は、〈母なる貝〉の管理者でもあるマーシーが拡張現実で投影していた女性だったが、私は今もなお、彼女がどういった存在なのかよく分かっていなかった。


 わからないとはつまり、ソレがマーシーの理想を形にしてつくられた人間の姿なのか、それとも粘液状の生物であるマーシーが身体からだの状態を変化させて、人の姿になったときに自然に形成される彼女自身の仮初めの姿なのか、と言う疑問だ。


 それが分かったところで何かが変わるわけではなかったのだけれど、もしもマーシーの種族が人の姿に変化、あるいは擬態が可能であるならば、人間に擬態したさいにウミがどんな容姿になるのか、とても気になっていた。女性の背中から視線を外すと、後方にいるハクとマシロに目を向けた。


 混沌に由来するカイコの変異体であるマシロも、はじめて輸送船の内部に入ったのだろう。船内の様子に圧倒されて、不安になっているようだった。彼女は、通路の天井に張り付いて逆さになって移動していたハクにピッタリと身体をくっ付けて、空中に浮かんだまま我々のあとに続いていた。


 面白いことにマシロはホバリングするように、空中で動きを止めることができた。しかも驚くことに、その間、マシロの翅はゆっくりと動いているだけでよかったのだ。空中で静止飛行する生き物を思い浮かべるとき、我々は昆虫やハチドリの姿を思い浮かべるが、ハチドリは高速で羽ばたいているからこそ、空中で静止することができるのだ。


 もちろん、ハチドリがホバリングする要因はそれだけではない。ハチドリはとても小さな鳥で、体重が軽く、翼の動かし方にも秘密がある。だからこそあんなことができるのだ。


 しかしマシロの場合、ゆっくりとした羽ばたきにもかかわらず、まるで魔法を使うように空中にふわりと浮き上がることができていた。物語で語られるような魔法が別の領域に存在していることは、異界を旅して実際に見て知っていた。


 だからマシロもひょっとしたら、魔法のような能力を使って空中に浮かんでいるのかもしれないと考えた。とても信じられないような現象だけれど、この世界にだって重力場を発生させて飛行できるわけの分からないドローンが存在するのだから、深く考えるだけ無駄なのかもしれない。


 ハクが天井の配管用のパネルや非常灯を器用に避けながら進んでいると、ハクのすぐ目の前に、両腕を前に突き出した女性のアニメーションがホログラムで表示される。その女性のそばには天井の通行を禁止していることを示す警告と、〈深淵の娘〉だと思われる大きな蜘蛛が天井から落下するアニメーションが同時に表示される。


 他の旧文明の施設同様、輸送船にも〈深淵の娘〉たちについての情報が登録されているようだった。私は立ち止まると、ホログラムを叩こうとしていたハクに言う。


「それは天井を移動しちゃダメだって教えているんだよ」

 ハクは空中でクルリと身体からだを回転させながら着地すると、トコトコとそばにやってくる。


『ハク、しってた』

「そうだな、ハクは物知りだからな」

『ん。ものしり』


 私はふと思いついて、ハクにたずねた。

「ハクは勉強したいか?」

『べんきょう?』


「あそこに浮かんでいる文字が見えるか?」

 そう言って、気密扉の上部に浮かび上がっていた警告表示の漢字とカタカナを指差した。


『みえる』

「あれを読んで、何が書いてあるか知りたくないか?」


『よむ?』

「そうだ。日本語を読むことができれば、ハクはもっと物知りになれる」


 ハクは少し興奮して思わず私に脚をぶつけてしまい、その衝撃で転びそうになる。しかしマシロがそっと背中を支えてくれたので、倒れずに済んだ。


「ありがとう、マシロ」

 彼女に感謝して、それからハクに言う。

「横浜の拠点に戻ったら、一緒に日本語の勉強をしよう。そうすれば、ハクもきっと文字が読めるようになる」


『べんきょう、する!』

 ハクはカサカサと腹部を振ると、さっそくペパーミントに勉強することを報告しに向かった。とにかく誰かに話さないと気が済まなくなったらしい。


 マーシーが我々を案内してくれた〈第二格納庫〉は、資材用エレベーターホールを挟んだ〈第一格納庫〉の反対側にあり、格納庫の造りは〈第一格納庫〉とほとんど同じだった。けれど天井にはカタパルトとしても使用可能な巨大アームが設置されていて、損傷していない完全な状態の〈輸送機〉が吊り下げられているのが確認できた。


 格納庫に積まれていた輸送コンテナの横を通って輸送機に近づく。それらのコンテナには日本の企業だと思われる〈葦火建設あしびけんせつ〉の文字と、林立する高層建築物を思わせるロゴが刻印されているのが見えた。


 紺藍色の装甲を持つ機体を見上げながら訊ねる。

「あれがマーシーの言っていた輸送機か?」


『そうだよ』赤髪の女性は笑顔を見せる。

『カッコいいでしょ?』


 ペパーミントは床に設置されたテーブル型の昇降ハッチに近づくと、手すりのそばに設置されていたコンソールを操作しながらマーシーに訊ねた

「この機体は動くの?」


『最後に整備をしたのは、もう覚えてもいないくらいずっと昔のことだけど、森の子供たちの鳥籠に行って戻ってくるだけなら、その状態の機体でも大丈夫だと思うよ』


 マーシーのいい加減な返答を聞きながら、ペパーミントのとなりに立った。コンソールディスプレイには機体の自己診断プログラムが起動していることと、機体整備のための資材が不足していることを知らせる警告が表示されていた。


「動きそうか?」

 私の問いにペパーミントは頭を振る。

「分からないけど、挑戦してみる価値はある」


『墜落しなければいいけど……』と、心配するカグヤの声が内耳に聞こえる。

 彼女のドローンは吊るされていた輸送機のそばに飛んで行くと、スキャンのためのレーザーを機体に照射する。


 ドローンが飛んでいくのを見ていたハクとマシロも、輸送機に興味が湧いたのか、吊り下げられていた機体に向かって飛びあがった。


「とりあえず」ペパーミントが言う。

「輸送機を降ろしてみる。ハクとマシロもすぐにそこから降りなさい」


 ハクは腹部をカサカサと振って抗議するが、ペパーミントが否定するように頭を横に振ると、ハクは諦めて近くの輸送コンテナに向かって飛んだ。そして着地した先でホログラムの警告を受けると、ハクの関心は輸送機からホログラムの警告表示に移った。


 ハクたちが輸送機のそばを離れ、周囲が安全になったことを確認したペパーミントがコンソールを操作すると、輸送機を吊り下げていた巨大なアームが上下に動いて、機体を昇降ハッチに静かに下ろした。


 その輸送機は全長二十メートルほどで、紺藍色の機体の先端から突き出したコクピット部分には、窓らしきものが一切なく、代わりに五センチほどの厚みのある白い装甲で機体が補強されているのが確認できた。


 また機体は特殊な形態をしていて、水平尾翼と垂直尾翼が二つの胴体の後端に取り付けられている双ブーム形式の機体になっていた。機体の中央には、胴体に挟まれるようにして設置された切り離し可能な専用コンテナが見えた。搭乗員や物資の輸送が可能になっているのだろう。


 主翼は全体的に短く、エンジンを回転させて垂直離着陸が可能なティルトウィングが採用されているようだった。


「近くで見てきてもいいか?」

 ペパーミントに訊ねると、彼女は困ったように眉を寄せる。

「まだ機体は動かさないから大丈夫だけど、勝手に操作しないでね」


 機体の近くまで歩いて行くと、滑らかな手触りを持つ装甲を撫でた。その装甲はひんやりとしていて、軽く叩いてみると、シールドの青い波紋が広がるのが見えた。コクピットに搭乗するための扉の位置は分からなかったが、ホログラムで表示されていた。


 近づいて確認すると、機体の表面に境目がないことが分かった。ホログラムで表示されていなければ、何処に扉があるのかも分からない不思議な造りになっていた。


 紺藍色の機体には所属を示す標章のようなものは何処にもなく、尾翼に機体番号がホログラム表示されているだけだった。輸送機の状態を確認しながら、ぐるりと機体の周囲を歩く。機体に近づくと、装甲の至るところから注意書きのホログラムが浮かび上がるのが確認できた。


 黄色と黒の縞模様が目立つ看板には、日本語と英語で注意書きが記されていた。救助マークや空気取入口、それにシールド開口部や気密扉の開閉に関する注意書きなどが確認できた。


 輸送機だから当然なのかもしれないが、火器の類は一切確認できなかった。ウェンディゴのように、装甲の一部に兵器が収納されている可能性はあったが、今は確認できなかった。


 搭乗員用の気密扉に近づくと、扉を開閉するための操作方法がホログラムで表示される。そのホログラムに手をかざすと、装甲の一部に小さな四角いつなぎ目があらわれて、そのつなぎ目に沿って装甲がスライドして開くのが見えた。


 装甲の奥に収納されていた開閉レバーを操作すると、気密扉の位置を示すホログラムの線に沿って、跳ね上げ式の扉が開閉し、扉の下部からタラップが出現する。覗き込むようにして外から機体内部の様子を確認して、それからマーシーに訊ねた。


「輸送機に入ってもいいか?」

『もちろん』

 彼女はそう言うと、拡張現実で投影していた女性を機体に乗り込ませる。

『この輸送機はすでにキャプテンのものだから、遠慮はいらないよ』


 コクピット内部は全天周囲モニターが採用されていて、操縦のためのコンソールとコクピットシート、そして床面の一部を除いて素通しのガラスのように外の景色が確認できるようになっていた。


 操縦士のためのシートの後方には補助員のための簡易シートが壁側に収納されていた。コクピットコンソールの計器盤をざっと確認したあと、後部ハッチからコンテナに向かう。


 兵員輸送用コンテナは至って普通の造りになっていた。重力場を利用した〈空間拡張〉になっているわけでもなく、向かい合うように二十名分ほどの座席が用意されていて、壁には装備を収納するガンラックやコンテナボックスが設置されているだけだった。


『民間でも使用されていた輸送機だからね』マーシーが言う。

『さすがにウェンディゴほどの機体設備はないよ』


 コンテナの内装を確認しながらく。

「旧文明では、民間でもこのレベルの輸送機が使用できたのか?」

『そうだったと思うよ。この輸送機はキャプテンのウェンディゴと違って、大量生産されていたみたいだし』


 廃墟の街のどこかに墜落した機体があるのかもしれない。コクピットに戻るとシートに座り、身体からだに合わせてシートの形状が変化していくのを背中で感じながら訊ねた。


「この輸送機はどうやって飛ばすんだ?」

『重力場を利用して飛ぶんだよ』マーシーは言う。

『両側の翼にそれぞれエンジンがついてるでしょ』


「燃料は?」

『コクピットの真上に核融合ジェネレーターが設置されてる』


 装甲を透かして格納庫が見えているコクピットの天井モニターに視線を向けた。

「危険性は?」


『ジェネレーターの安全性は確保されているし、コクピットの装甲もその箇所だけ特別に頑丈に造られているから問題ない』


「問題しかないように見えるけど……」

『敵の攻撃で装甲が抜かれて、ジェネレーターが破壊されるような事態になったら、それは操縦士もすでに死んじゃっているってことだよ。死んでいるんだったら、ジェネレーターの暴走で死ぬことを心配する必要はないんじゃない?』


「ずいぶん薄情なんだな」

『私が乗るんじゃないからね。機体が破壊されるときにはコンテナも切り離されるから、被害は最低限で済むはずだよ』


「最低限ね……」

 前方モニターにハクの白い毛で覆われたフサフサのお腹が映ると、ハクはコクピットをトントンと叩いて、そのまま機体の天井に向かってトコトコと移動する。


「ウェンディゴの輸送も可能だって言っていたけど?」ハクを視線で追いながら訊ねる。

『コンテナ下部にウェンディゴの車体との互換性のある固定装置がついているから、とりあえず今はそれを使えばいいと思う』


「他にも何かあるのか?」

『接続部に専用の装置を使えば、機体から降りずに車両との間を行き来ができるようになるんだよ』


「そいつは便利な装置だな」

 ハクは私の真似をしているのか、装甲のあちこちを点検するように叩いたあと、マシロに触肢しょくしを向けて何かを指示していた。けれどお気に入りのボールを抱いたマシロは理解していないのか、首をかしげるだけでとくに何もしなかった。


『ちなみに』と、マーシーが言う。

『ショゴスの制御装置はついていないから、キャプテンのショゴスに操縦してもらうのなら、遠隔操作が必要になる』


「軍用機じゃないから、制御装置がないのか?」

『それもあるけど……ほら、前にも言ったでしょ。私たちの種族は過去にとんでもないことをやらかした所為せいで、使用が全面的に禁止されている。この輸送機はその事件以降の機体だから、接続装置はついてないんだ』


「事件って言うのは、人間に対する反乱のことか?」

『そうだよ。私たちにも色々と複雑な事情があったんだよ、きっと』


「レイ」

 ペパーミントがコクピットに乗り込んできた。

「準備ができた。すぐに出発できる」


「ありがとう、ペパーミント」

 感謝したあと、コンソールを見ながら訊ねる。

「それで、機体の状態は?」


「断言はできないけど、大丈夫だと思う」

「それなら、さっそくエンジンが動くか試してみるか」

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