第236話 輸送船 〈個人認識用端末〉re


 カグヤが輸送船のデータベースから取得していた防壁に関する情報をぼんやりと眺めていると、〈マンドロイド〉が金属製のケースを持ってやってくるのが見えた。


『受け取って』マーシーの声が聞こえる。

『多目的個人認識用情報端末よ』


 機械人形がケースを開くと、緩衝材で保護された白銀色の指輪が見えた。

「指輪型の端末ってことか?」と目を細める。


『そう、携帯するのに便利でしょ?』

 白銀色の指輪はずっしりとした重さがあり、幅が広く、指輪の表面には鎚目模様が確認できた。指輪を手に取るとマンドロイドは優雅な仕草でケースを閉じて、壁の収納部にケースを片付け、それから静かに部屋を出ていく。


 機械人形の背中を見ながらマーシーにたずねる。

「かれは何処に行くんだ?」


『第三世代の人造人間を迎えに行かせたの。ほら、シールド生成装置の修理方法を教えなくちゃいけないでしょ?』


「彼女の端末にデータを送信すれば済むことじゃないのか?」

『ううん、それだけではダメなんだ。方法を知っていても、システムの操作には特別な権限がなければいけないんだ』


「データベースに接続するための権限が必要になるってことか?」

『そう』ホログラムで投影されていた女性が赤髪を揺らす。

『権限の譲渡は直接行わなければいけないから』


「直接?」

『〈接触接続〉だよ』

 彼女は手のひらを見せて、それから長い指を器用に動かしてみせた。


「ハクたちは?」

『ハク?』


「白蜘蛛のことだ」

『ああ、あの子のことね』女性は眼鏡の位置を直す。

『大丈夫、深淵の娘にも乗船許可は与える。全員で防壁に向かうのでしょ?』


「そのつもりだ」

『それなら第一格納庫に案内させるよ』


「格納庫?」

『地下のトンネルにつながっているの』


 指輪に視線を移したあと、マーシーに質問をする。

「サイズが少し大きいようだけど、これで大丈夫なのか?」


 指輪を目線の高さに持ち上げると、金属の輪を通してマーシーが投影させていた可愛らしい女性を眺める。


『装着したときに、自動的に指のサイズに合うようになっているから気にしなくても大丈夫だよ』


 タクティカルグローブを外すと、右手の中指に指輪をはめた。すると指輪の表面がうねうねと動き、適切なサイズに変化していく。


『面白いね』カグヤの声が内耳に聞こえた。

『レイのマスクみたいに形態を変化させた』


「たしかに……」

 結婚指輪に慣れていない新郎のように、指輪の位置を調整する。


『この指輪にはどんな機能があるの?』

 カグヤの質問に女性は笑みを浮かべる。


『個人認証用の端末にもなっているから、旧文明期の施設に出入りするさいに行われるわずらわしいスキャンを必要としなくなる』


「生体認証の工程を省略してくれるのか。ほかにはどんなことが出来るんだ?」

 指輪表面の綺麗な鎚目模様を見ながら質問する。


『〈データベース〉から完全に切り離してもスタンドアローンで機能するから、個人データの保存端末としても使える』


『みんなから隠したい恥ずかしいデータを保存できるってことだね』

 カグヤの言葉を無視しながらマーシーにく。


「それだけじゃないんだろ?」

『レイラが使用している〝骨董品〟の〈携帯式シールド生成装置〉と同様の機能がある』


「骨董品?」

 眉を寄せると、ベルトに挿していた長方形の装置に視線を向けた。


『改良されているみたいだけど、そんな性能の低い装備で〈混沌の化け物〉の相手をするのは無理がある』


「こんに小さいのに、シールドの機能も備えているのか……」

 指輪をまじまじと眺める。

「どれくらいの攻撃に耐えられるんだ?」


『森の子供たちが使用する旧文明期以前の火器なら、数百発の一斉射撃にも耐えられる』

「こいつなら?」と、胸元に吊るしていたライフルを叩く。


 彼女はコツコツとブーツを鳴らしながらそばにやってくると、黒眼鏡の位置を直してからライフルを確認する。

『〈M14-MP2〉ね。弾薬によるけど、数十発の射撃に耐えられると思う』


『結構、いい加減なんだね』

 カグヤの言葉に彼女は素っ気無く答える。

『兵器は私の専門じゃないから』


「その指輪は他にもあるか?」

『レイラの仲間たちの分も欲しいってこと?』


「そうだ」

『下位互換になるけど、それなりの数が余っていると思う』


「この指輪とは何が違うんだ」

『生成されるシールドの強度かな。でも安心して、レイラが使用している骨董品みたいな装置よりも、ずっと生存率は高められるはずだから』


「この指輪が他と違うのは、何か意味があるのか?」

『兵士が使用する義体に合わせたモノで、シールドの強度を自在に設定できる仕様なの。それにレイラはこの船の〝キャプテン〟になる資格がある。だから輸送船の鍵みたいなものだと思って』


「残念だけど、船長になる資格なんて持っていないよ」

『記憶を失くしていても、レイラが軍人であることに変わりはない』

「もしかして地球の環境調査とやらを俺に押し付ける気なのか?」


『まさか』女性は大袈裟な仕草で手を振る。

『環境調査は大昔に済ませているし、森の管理は私が続ける。レイラはキャプテンの肩書きを手に入れるけれど、何かを強制されることはない。それに、今後は私の支援を受けられる立場になるから、いろいろと便利だと思う』


「責任のない肩書きか……でも、どうして船長なんだ?」

『どうしてって、この船は軍の所有物で、この星にいる軍人はレイラだけなんだよ』


「どうしてそんなことが分かるんだ?」

『現地で活動する軍人が支援を受けられるように、軍が所有する宇宙船は〝例外なく〟座標を示す信号を発信しているんだ。同様に、それらの船にも兵士たちの支援が行えるように、彼らの位置情報を受信する装置の設置が義務付けられている』


「俺からも、その信号は出ているのか?」

『とても不思議なんだけど、レイラからは信号が出ていない』


「そうか……」何故かホッとする。

 他人に現在位置を知られるのは、あまり気分のいいものではない。


『話を戻すけど、兵士たちの存在を示す信号は受信していない』

「だから地球で確認できた軍人は俺だけなのか……それで、具体的にどんな支援が得られるんだ?」


『残念だけど、今は何もできない。この船の物資は周辺一帯の環境を改造するさいに使い果たしてしまったし、戦闘を主目的にしている船でもないから、自衛のための最低限の兵器しか積んでない』


「環境改造?」

 彼女の言葉に困惑していると、カグヤがマーシーに訊ねる。

『それって、テラフォーミング装置みたいなもの?』


『残念だけど、それほど高度でデリケートな装置をこの船で運ぶことはできないし、輸送許可も得られない』


 女性の周囲に貨物コンテナが次々と浮かび上がると、コンテナの扉が開き、なかに積まれていた物資が次々と表示される。彼女はそれらのホログラムに触れながら言う。


『第二格納庫に積み込まれた貨物コンテナには、建設人形に農業機械、娯楽用のデータサーバと個人用情報端末、それに食料品と医療品、それと最低限の生活に必要な細々したものしか積まれていなかった』


『惑星改造というよりは、惑星移住を目的にした装備品だね』

 カグヤの言葉に彼女はうなずく。


『その認識は間違ってない。けれど資材のほとんどは環境の改善と建設に消費され、多数の作業用ドロイドは事故で失ってしまった。戦闘用の機械人形も異界から這い出た〈混沌の化け物〉との戦闘で失ってしまった』


 貨物コンテナが赤色の線で縁取られていき、次々と消えていった。最後に残ったのは建設人形や、大型の農耕機械だけだった。


『あの金色の〈マンドロイド〉は?』

 カグヤのドローンがふわふわと飛んでくる。


『かれらに与えられた役割は私の寝室を守ることだから、あそこから出ることはできない』

『寝室……輸送船の心臓部のこと?』

『そう』


「もうひとつ訊いてもいいか?」

『何?』と、女性は眼鏡の位置を直す。


「この輸送船の船長は何処に消えたんだ?」

 彼女は頭を横に振ると、天井を指差した。


『宇宙よ。軍から新たな指令を受けてこの星を出た』

「それ以来、君はずっとひとりなのか?」


『それが私に与えられた指令だから』

「森を管理することが?」


『森と言うよりは、富士山を中心にして広がっている〈混沌の領域〉を監視すること、それが私に与えられた任務なの』


「数世紀もの間、それをたったひとりで?」

『ひとりじゃないわ』と、マーシーは微笑む。

『森の子供たちにも手伝ってもらっている』


「森の民に昆虫を操れるようになる装置を与えたのは、君の仕事を手伝わせるためだったのか?」

『個人用の情報端末が大量に余っていた。だから改良して彼らに与えた』


 ホログラムで投影されたトランプ型の端末が空中で分解され、シカのツノのようにも見える銀色の端末に組み立てられていく。女性はその銀色の端末を手に取ると、自分の額にそっとくっ付けた。


『方法は判明していないけれど、稀に混沌の化け物が防壁を越えて、こちら側にやってくることがある。そういった事態に対処するため、森の中を自由に動ける兵士が必要だった』


「だから森の民に昆虫たちを操る術を与えたのか」


『そう言うこと』彼女はイタズラが見つかった子どものように照れくさそうにする。

『彼らは私が善意でしたことだと思っているけれど、本当の狙いは増え過ぎた昆虫や、異界の生物の処理を肩代わりさせることだった』


「けど森の民の救いにもなっている」

『そうね、そういう一面もある。だから全体的に見れば、悪い取引じゃなかった』


「〈スィダチ〉の族長の娘を知っているか?」

『知ってるよ』女性は笑顔を浮かべる。

『それってサクラのことでしょ?』


「知っていたのか」

『サクラは輸送船のシステムとの親和性も高いから、私とたくさん話ができるようになると思うの。だから彼女の成長はずっと楽しみにしていた』


「そのサクラが昆虫に指示を出し続けると、数日間、寝込んでしまうことがあるのは知っているか?」


『知ってるけど――』と、マーシーはばつが悪い顔をした。

『あれは装置の影響じゃないんだ。彼女の病気が原因なの』


「病気……もしかして、あの花を咲かせる奇病のことか?」


『うん』女性がうなずくと、彼女の周りにあぐらをかいたミイラが表示されていく。彼女はミイラの背中から伸びる花をじっと眺める。『あの子がね……あの子だけじゃない。最初に呪術師になることを選んだ森の子供たちのほとんどが、すでにこの病に冒されていた』


「カグヤの推測通り、あれは遺伝性の病なのか」

『そう、病の原因になった花は焼き尽くして森から完全に消した。でも病は彼女たちの遺伝子に残り続けた……』


「……それなら、サクラのことも治療しないとダメだな」

『残念だけど、この船に医療品は残っていないわ。せめて〈オートドクター〉があれば、あの子たちはもっと生きられた……』


『それなら平気だよ』とカグヤが言う。

『族長のこともすでに治療したし』


『治療した? もしかして、レイラは〈オートドクター〉を持っているの?』

 彼女の言葉にうなずくと、『良かった』と女性は嬉しそうな顔を見せた。


 立体的に再現された花の間を飛んでいたドローンがピタリと止まると、カグヤの声が聞こえる。


『ところで、〈御使みつかい〉たちはどういった存在なの?』

『御使い……?』女性は首をかしげる。


かいこの変異体のことだよ』

『あぁ、そう言えばあの子たちは〈御使い〉って呼ばれているんだったね』


『その〈御使い〉だけど、明らかに遺伝情報の操作によって誕生した生き物だよね?』

『彼女たちのことに関しては反省している。あれは完全な違法行為だった』


「生命を創ることが違法なのか? 旧文明の人間は気にしないんだと思っていた」


『道徳的観念について今さら議論する気はないけれど』と女性は頭を振る。

『少なくとも軍では禁止されていた。けれど森の子供たちがまだ森にいなかった時代、私にはどうしても人手が必要だった』


「だから蚕の変異体を創り出したのか?」

『富士山の麓の森に、自然の洞窟を利用した冷蔵庫があるのを知ってる?』


『富岳風穴のこと……?』とカグヤが言う。

『もしかして、あそこに保存されていた蚕の標本を利用したの?』


『そこにあったのは標本だけじゃなかった。〈混沌の領域〉から溢れ出る瘴気の影響を受けて、蚕の変異体が誕生していたの』


『混沌の瘴気には標本を生命体に変質させるほどの影響力があるの……?』

「なんでもありだな」


『けれどその変異体はとても弱々しくて、洞窟でひっそりと産まれては、すぐに死んでしまっていた』

「だから遺伝情報を操作したのか?」


『蚕たちは暗い洞窟で産まれては、一度も空を見ることなく死んでいく。もしもその哀れな変異体の人生を変えられる力を持っていたとしたら、それでもレイラは放っておくことができた?』


「わからない」素直に言う。

 実際のところ、見て見ぬフリはできなかったのかもしれない。でも、果たして遺伝情報を操作しようと考えるだろうか。


『私にはできなかった』とマーシーは言う。

『だから船内に残っていた遺伝情報と掛け合わせて、新たな生命を創り出した』


「船内に……? つまり人間の遺伝子を使ったんだな」

『そう』


「過去には、もっと大変なことを仕出かしたみたいだな」

『最初の人々のことだね』とカグヤが言う。


『そのことに関して、私に責任はない』マーシーはきっぱり言う。

『もちろん、軍もその件には関与していない。それに言い訳をするつもりはないけど、私はキャプテンの指示には逆らえなかった』


「そのことは今度聞かせてもらうよ……それにしても、マーシーはずいぶんと大変な任務をキャプテンとやらに押し付けられたんだな」


 女性は思い出したように額のツノを消したあと、こちらに振り返った。

『奉仕するために産まれてきた私たちにとって、この任務はそれほど苦痛を伴うものでもないの』


 マーシーがそう言うと、彼女を中心にして大樹が投影されていく。

『私はこの森で自由に生きられるから』


「自由か……」

『何?』


「船に縛られているように見える」

『縛られてない』


 彼女の言葉に肩をすくめたあと、水槽に視線を向けながら訊ねた。

「それで、そのキャプテンが所属していた軍はどうなったんだ?」


『音信不通』マーシーは素っ気無く言う。

 カグヤのドローンは天井に設置された水槽のそばまで飛んでいくと、瑠璃色の淡水魚に訊ねる。


『最後に軍と通信を行ったのは?』

『ずっと昔。記録も残っていないくらい昔のことよ』


『どうしてそんな大事な記録が残っていないの?』

『私はカグヤの連れと同じなの。存在を消滅させない限り、永遠に生き続けられる存在。だから記憶の整理が必要なの』


「待ってくれ、その連れって俺のことか?」

『他に誰がいるの?』


「俺は普通に死ぬぞ」

『いいえ、レイラは〈不死の子供〉なの。老いることもなければ病で死ぬこともない。例え混沌の化け物に殺されたとしても、この宇宙の何処かに保管されている義体に……つまり別の肉体に精神と記憶が転送されて、永遠に生き続けることができる』


 私は何かを言おうとして口を開くが、言葉を失くし、そのまま立ち尽くす。

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