第234話 母なる貝 re


 白い息を吐き出しながら、素通しのガラスにおおわれた細長い筒から手を離す。すると液体に満たされた筒の内部に浮かんでいた不定形の物体が、モゾモゾと動き出すのが見えた。その粘液状の生物は、まるで寝起きに伸びをする猫のように、不定形の触手を筒の四方に伸ばしていく。しだいにソレは膨張し、筒の中は粘液状の生物で埋め尽くされる。


 その様子を観察しながら筒のそばから離れ、ゆっくり後方に下がる。

「カグヤ、どうなっているんだ?」


 偵察ドローンが飛んでくると、レーザーを照射してスキャンを行う。

『大丈夫、問題ないはず』


「問題ないって……」

 得体の知れない生命体は徐々に収縮して瑠璃色に変色すると、拳大の球体に変わっていく。やがて鼓動するように瑠璃色の綺麗な光を放ち始めると、筒の周囲にホログラムの警告表示が多数浮かび上がる。


「今度は何なんだ!?」

 ライフルを構えて後退ると、天井に収納されていた自動攻撃タレットが起動して、砲口が回転しながらこちらに向けられるのが見えた。困惑しながらもセントリーガンに照準を合わせる。


『寝起きは機嫌が悪いみたいだね』

 カグヤの呑気な言葉に思わず溜息をつく。


 すると冷却水で満たされた溝の中から、武装した機械人形が二体あらわれる。その人型の機体は、この部屋まで案内してくれた銀色の〈マンドロイド〉に似ていたが、つるりとした金色に輝く体表を持ち、赤色のラインが三本入った白色の装甲板で強化された戦闘用の機体だった。


 ちなみに二体の機械人形は、私が所持していたのと同様の歩兵用ライフル〈M14-MP2〉を装備しているようだった。


 タール状のアメーバにも見える不定形の生物が入った筒の左右に出現した二体の機械人形は、滑らかな動きでライフルを構えると、こちらに照準を合わせる。銃口を向けられるのとほぼ同時に、網膜に投射されていたインターフェースに回避を促す警告が表示される。が、機械人形が引き金を引くことはなかった。


 震えるほど寒い部屋の何処からか女性の声が聞こえてくる。

『軍人……? それも、特殊作戦群に所属するような兵士が、どうして私の寝室にいるのですか?』


 女性の言葉に困惑していたが、敵意がないことを率直に伝える。

「あんたが何を言っているのか分からないけど、敵対の意思はない」


『白々しい、貴方がシステムに侵入したことは分かっています』

「システム……?」

 眉を寄せていぶかしむが、すぐに声の正体に気がつく。

「待ってくれ、俺たちはあんたを起こすために来たんだ。ここで敵対するためじゃない」


『そんな言い訳が私に通用すると思っているのですか?』

 機械人形がライフルを背中に引っかけると同時に、足元の薄暗い溝から円柱が伸びてきて、左右にスライドするように開くと内部に収納されていた兵器が姿を見せる。機械人形はその兵器を手に取ると肩に担いでみせた。


 それは見慣れない種類の兵器だったが、形状からして歩兵が携帯できる超小型電磁砲の類だと思われた。


『いえ、違う……』

 困惑する女性の声が聞こえる。

『貴方は何者なの?』


 瑠璃色に発光する生命体にライフルの照準を合わせて、引き金に指をかけた。

「もう一度だけ言う。俺たちはあんたの敵じゃない」


『そのようね……』

 彼女がつぶやいたあと、機械人形が武器を収めるのが見えた。すると周囲に浮かび上がっていたホログラムの警告が消え、セントリーガンは再び天井に収納される。


『ごめんなさい』謝罪する女性の声が聞こえた。

『人間に会うのが久しぶりだったから、ナーバスになっていたみたい』


 ホッと息をついたあと、ライフルを胸元に吊るして周囲を見渡しながら言った。

「無理もない。あんたは長いこと休眠状態にさせられていたみたいだからな」


 機械人形が起立の姿勢で動きを止めると、再び冷却水で満たされた溝の中に沈み込んでいくのが見えた。安全が確認できると、細長い筒に近づいてく。


「あんたが〈母なる貝〉の本体なんだな?」

 私の問いかけに粘液状の生命体はもぞもぞと形態を変化させながら答えた。


『たしかに〝森の子供たち〟は私のことをそう呼称しますが、正式名は〈1886-S型AI〉、個体ナンバー933――』


「名前はないのか?」と、彼女の声を遮る。

「君が何であれ、数字で呼ぶつもりはないんだ」


『それなら〈マーシー〉って呼んで、キャプテンはその名前を好んで使っていたの』


「わかった。よろしく、マーシー」

『よろしく、レイラ』


「……どうして俺の名前を?」

『レイラの生体情報をスキャンしたときに〈データベース〉に接続して、個人ファイルを読ませてもらったからだよ』


「個人ファイルとやらの存在も気になるが、その前に、この森で何が起きているのか教えてくれるか?」


『それについて話し合う前に、まずはここから移動しましょう。レイラが使用する義体ぎたいの状態が安定していないみたい。その義体の詳細は分からないけれど、私の寝室に留まるには寒すぎると思う』


「義体?」

 白い息を吐き出しながらたずねる。きっと間抜けな顔をしていたのだろう。


『もしかして気がついていないの?』

「何を言っているんだ?」


『軍に支給されたその義体は正常な状態じゃない。早急なメンテナンスが必要よ。その状態だと、レイラは新兵以下の能力しか引き出すことができないはずよ』


「新兵?」

『インターフェースにも異常が出ているのかしら?』


「待ってくれ」さらに混乱しながら訊ねる。

「メンテナンスってなんだ? 俺は人間じゃないのか?」


『レイラこそ何を言っているの? 人間に決まっているでしょ』

「わけが分からない」


『えっと……義体は軍用規格の〈十二式サキモリ・シリーズ〉かしら……でも、それにしては異常なほど潜在能力が高い……』


 ぶつぶつと小声でつぶやくマーシーに質問する。

「君が何を言っているのか分からない、俺にも分かるように説明してくれるか?」


『ごめんなさい、かれに案内させる。航路作成室で会いましょう』

 マーシーは慌ただしくそう言うと、本体である粘液状の身体を瞬時に変化させ、瑠璃色の輝きを残しながら泳ぐように筒の底に消えていった。


『エンゼルフィッシュみたいだ』

 カグヤの言葉にうなずく。

「不定形の生物なだけあって、自由に姿を変えられるのかもしれない」


『ウミも自在に姿を変えられるのかな?』

「できるのかもしれないな……」


 背後で大扉が開くと、この部屋まで案内してくれた銀色の〈マンドロイド〉が立っているのが見えた。どうやら彼が引き続き案内してくれるようだ。


「それで――」

 表情のないのっぺりとした機械人形の頭部を見ながら言う。

「マーシーのことを信じても大丈夫だと思うか?」


『私たちを攻撃するつもりなら、そのチャンスはすでにあったと思うよ』

 カグヤはそう言うと、通路の先にドローンを飛ばした。


「なるようになるか……」

 マンドロイドのあとを追うように歩き出すと、マーシーが寝室と呼んでいた部屋をあとにする。


 迷路のように複雑な通路を歩いて、〈航路作成室〉と呼ばれる部屋に向かう。

「さっきの話、どう思う?」カグヤに訊ねた。

『レイの身体についてのこと?』


「そうだ。防人シリーズがどうとか」

『正直、私にも分からないかな』

 カグヤのドローンは首をかしげるように機体を傾ける。

『でも、レイの身体が普通じゃなかったのは、今に始まったことじゃないし』


「俺はインプラントの所為せいだと思っていた」

『それはどうだろう? 見た目で分かるような、すごく高価な〈サイバネティクス〉を使ってるわけでもないのに、変異体を殴り飛ばせる時点でまともじゃないと思うよ』


「たしかに……それはそうだな」

 機械人形の背中を見ながら溜息をついた。実際のところ、自分自身の能力について何も知らない状態だった。たとえ生体部品で構成された〈サイバネティクス〉を埋め込まれていたとしても、それを知る術すらなかった。


 航路作成室と呼ばれる部屋の壁や天井は無機質な白い鋼材で覆われていて、三十人ほどの人間を同時に収容できるほどの広さがあった。航路作成室と呼ばれている割には、部屋の中には椅子や机がなく、ガランとした空間に調度品の類は一切置かれていなかった。


 これといって特徴のない質素な部屋だったが、床だけは他の場所と違い、半透明の強化ガラスが一面に敷かれていて、その床の四方には無重力時に使用される手すりや、消火装置が収納されていることを示すホログラムが浮かんでいた。


 銀色のマンドロイドは私を部屋に通すと、綺麗な姿勢で壁ぎわに立ったまま動かなくなる。その規律のある動きを見届けると、部屋の中央まで歩いて行き、天井に設置された半球状の水槽に目を向けた。水槽の中では瑠璃色に輝くエンゼルフィッシュが優雅に泳いでいた。


「〈母なる貝〉にはきたいことが山ほどある」と彼女に言う。

「けど今は森の異変に対処しなければいけない。何が起きたのか教えてくれるか」


『もちろん』

 マーシーの声が聞こえると、ガラスでつくられた半透明の床が青白く発光し、白い軍服に身を包んだ若い女性があらわれる。


「床全体が立体スクリーンになっているのか……」

『そういうこと』と女性が笑みを浮かべる。

『だからレイラが目にしているのは、映像で再現された私の姿だよ。でも本体はあくまでも水槽の中にいる、あの綺麗な魚よ』


 水槽で泳いでいる淡水魚の姿をした生命体にちらりと目を向けたあと、ホログラムで投影されていた女性に目を向ける。


「その姿は?」

 赤髪に天色あまいろの瞳を持つ女性は、中指で黒縁の眼鏡の位置を直した。


『人間の姿をしていほうが話しやすいでしょ?』

「俺たちと敵対しない限り、例え化け物の姿をしていたとしても普通に話をするよ」


『そうね。レイラは〈深淵の娘〉と一緒に行動しているものね』

 彼女がそう言うと、湖で遊んでいたハクのホログラムが浮かび上がる。


「〈深淵の娘〉たちについて、何か知っているのか?」

『もちろん。人類が遭遇した数多くの敵性生物の中でも、〈深淵の娘〉たちは群を抜いて凶悪な生物よ。知らない訳がないでしょ』


「人類が遭遇……どこで〈深淵の娘〉たちと遭遇したんだ?」

『〈混沌の領域〉に決まっているでしょ?』

 彼女はそう言ってから、まるで何かに気がついたように首をかしげた。

『でも、なんだか様子が変ね……』


 女性はコツコツとブーツを鳴らしながら近づいてきた。

『レイラは何者なの?』

 彼女は背伸びして、そばかすのある顔を私に近づけた。


「マーシーがそれを教えてくれるんだと思っていたよ」

『レイラのファイルは読ませてもらった。それは本当よ、でもほとんど黒く塗りつぶされていて、知ることができたのは名前くらいだった』


「塗り潰されていた……何のためにそんなことを?」

 思わず顔をしかめた。


『機密情報だからでしょ?』女性は背中で手を組むと、背筋を伸ばして胸を張る。

『レイラの何を隠したがっていたのかは分からないけれど、宇宙で漂流していた貴方を民間船が保護して、〈タイタン〉の軌道上にある基地まで搬送した。そこまでは記録が追える』


「タイタン?」

『土星の衛星よ』


 立体スクリーンによってタイタンが表示される。

 衛星タイタンの周囲には、多くの戦艦の姿が映し出されていた。


「これは現在の姿か?」

『まさか』彼女は赤髪を振った。『これは私が最後にタイタンを見たときに記録した光景。今はどうなっているのか見当もつかない』


 ホログラムで忠実に再現された惑星を見ながら訊ねる。

「それ以前のことなら……つまり、タイタンで保護されるまでの情報は分かるんだな?」


『どうして〈データベース〉に存在する個人記録に固執するの?』

「白状するけど、俺に記憶がないからだよ」


 彼女は黙って私を睨んでいたが、やがて小さくうなずいた。

『心拍数に変化は見られない……嘘は言っていないみたいね』


「そんな嘘をついても意味ないからな」

『思っていたよりも話が長くなりそうだから、そのことはあとで話しましょう』


「そうだな」と、溜息をつく。

「それなら教えてくれ。ここで何が起きたんだ」


 女性は軍服の袖口を直すと、私に天色の瞳を向ける。

『森の子供たちが見知らぬ者を聖域に連れてきてから、すべておかしくなった』


 彼女の言葉のあと、首にムカデの刺青が彫られた男と数人の蟲使い、それに紺色のローブを身にまとう人間の姿がホログラムで浮かび上がる。


「教団の関係者だな」

『〈不死の導き手〉と呼ばれる宗教団体の宣教師だと説明されました』


 ホログラムはそのときの様子を再現する。刺青の男が声を上げて宣教師の紹介を始める。ほとんど内容のない紹介だったが、その無駄に長い話が終わると、フードを深く被った教団員が前に進み出る。その誰かがフードを上げると、顔を黒く塗りつぶされた女性の姿が見えた。そして彼女が何かを口にすると、ホログラムが動きを止める。


 赤髪の女性に視線を向けると、彼女は肩をすくめた。

『私が知っているのはそこまで、つぎに目が覚めたときにはレイラが目の前にいた』


「このときに、システムに侵入されたんだな」

『ありえないことだけどね』


「ありえない?」

 目を細める。

「どうしてだ?」


『旧式の〈輸送船〉だけれど、それでも軍が所有する船よ。軍のシステムに侵入する何て不可能よ』

「権限があれば、それも可能なんじゃないのか?」


『あり得ない。それだけの権限を持っている人間は地球上に存在しないことになっている』

 そう言ってから、彼女の顔には少し大き過ぎる眼鏡の位置を直した。


『でも……レイラならできるかもしれない』

「かもしれないけど、俺はその場にいなかった」


 部屋の中をふわふわと飛んでいたカグヤが言う。

『イーサンたちがやったみたいに、一時的に〈データベース〉を騙すことのできる高度なプログラムを作製したのかな?』


 カグヤの言葉のあと、女性は目を大きく見開いて私を見た。

『それって人工知能を搭載したドローンじゃないの?』


「違うよ」

『あり得ない』

 彼女は芝居がかった大袈裟な仕草で頭を抱える。

『貴方は一体何者なの?』


「だから、俺には記憶が――」


『レイラじゃない!』マーシーがぴしゃりと言う。

『ドローンの接続先がまったく分からないの。それどころか、今までソレが船内に侵入していたことにも気がつけなかった。貴方は何者なの?』


 何も言わないカグヤの代りに私が言う。

「カグヤは、地球の静止軌道上にある軍事衛星に搭載された〈自律式対話型支援コンピュータ〉だよ」


 彼女は綺麗に切り揃えられた赤髪を揺らす。

『レイラは本当に記憶を失くしているんだね。地球を守る軍事衛星の多くは、文明崩壊の混乱期にほとんど破壊されてしまった。現在、軌道上に残っているモノは、森の子供たちが旧文明と呼ぶ時代よりもずっと以前に打ち上げられたガラクタだけ。そしてそのガラクタに、こんなにも高度な人工知能は搭載できない』


「マーシーが知らない人工衛星が残っている可能性はないのか?」

『あるけど……でも、それでもおかしい』

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