第220話 モザイク画 re


 カスクアラ内部の空気はひんやりとしていて、想像していたよりもずっと明るかった。光源になっていたのは、たんぽぽの綿毛のような体毛を持った小さな昆虫だった。その不思議な昆虫は建物内の至るところに浮遊していて、昆虫の体毛が周囲にぼんやりとした青白い光を発していた。


 吹き抜けになった広々とした空間には、つやのない黒い壁を支えるように生物の骨格をそのまま利用して作られた連絡通路や、曲がりくねった砂色の管があちこちにつながっているのが見えた。


 閑散とした建物の入り口付近には、槍で武装した守備隊の人間がふたり立っていて、我々の姿を確認すると素早く姿勢を正した。かれらは我々が通り過ぎるまで姿勢を維持し、何も言わず前方に身体からだを向けていた。


『ここの人たちはみんな背が高くて屈強だね』

 カグヤの声が内耳に聞こえると、建物内を見回しながら言う。

「痩せ細った避難民とは大違いだな」


 床には大理石調の大きなタイルが敷かれていて、鏡面のように周囲の景色が映り込んでいた。


『鳥籠の外で暮らしている人々にとって、この森はとても過酷で、生きていくだけでも大変な場所なんだろうね』

「だからこそ部族間の争いが絶えないのかもしれない」


『相手の土地を奪うための戦争か……』

「貧困に喘ぐ生活を続けて死んでいくか、生活を改善するための戦争に参加して死ぬか……森の民には、そのどちらかを選ぶことしかできないのかもしれない」


『森から出ようとは考えないのかな?』

「誰も彼もがサクラのように、巨大なカブトムシの変異体を従えていれば、あるいは考え方を変えられるかもしれない。でも現実はそうじゃない。だから故郷を離れるなんてことは、想像もしないんじゃないのか」


 半球形の天井を支える黒い支柱は徐々に半透明に変わり、丸天井の中心は素通しのガラスのように透けていた。吹き抜けになっている広い空間には、その丸天井から外の光が射し込んでいて、建物の上階につながる螺旋状の通路がまるで光に向かって伸びるように設置されていた。我々はその通路を使って上階に向かうことになった。


 螺旋通路の壁には色彩豊かなモザイクタイルで、〈森の民〉の歴史が描かれていた。


「綺麗なモザイク画ですね」

 ミスズが花びらをかたどった模様を見ながら感動していると、彼女のとなりに立っていたナミが言う。

「通路の先まで続いているみたいだ」


 そのモザイク画には黒いタイルで人間の姿が描かれていた。それは墓石のようにも見える建築物が林立する廃墟の街を離れ、森に向かう場面で始まっていた。かれらが森で狩りや採取をしている様子、そして巨大な昆虫たちに襲われ血を流す人々の姿が通路の先に向かって、まるで絵巻のように連続した物語として描かれていた。


「森の民のご先祖さまたちでしょうか?」

 ミスズが首をかしげると、カグヤの声が聞こえる。

『そうだね、どれくらい昔のことなのかは分からないけど』


「廃墟の街から森に移り住んだみたいですね」

『文明崩壊を生き延びて地下の施設で暮らしていた人々の子孫だと思っていたけど、どうやら違うみたいだね』


 モザイク画を眺めながら通路を進む。その間、我々の先頭を歩くゲンイチロウは壁画を見ようともしなかった。見慣れているからなのか、あるいは自分たちの歴史に無関心なのか、それは分からない。しかしこれだけの芸術作品を無視できる恵まれた環境で暮らしている森の民を見て、彼らに対する考えを改めなければいけないような気がした。


 廃墟の街で暮らす人々は、芸術作品に触れる機会なんてほとんどないし、おそらく興味もないだろう。かれらの関心事はどのようにして日々のかてを得るのかであって、金にならない壁画を眺める時間なんてない。蛮族だったのは森の民ではなく、廃墟の街で生きる我々なのかもしれない。


 やがてモザイク画は地面に横たわる人々が血を流し、赤い髪を持つ人間が森に祈りを捧げている場面に移り変わり、巨大な貝にも似た物体の前でひざまずく人々の場面へと続いていた。その巨大な物体が、おそらく〈母なる貝〉なのだろう。ソレは金粉をまぶした綺麗な白いタイルをつなぎ合わせて描かれていた。


 母なる貝との遭遇をキッカケにして人々の生活は劇的に変化していく。銀色のツノを持った人々があらわれるようになり、昆虫たちと共に狩りをしている場面が描かれるようになった。ツノのように見えるモノは、蟲使いたちが使用する〈感覚共有装置〉なのだろう。この時代に蟲使いたちが誕生したのかもしれない。


 そして人々が巨大な生物の死骸の周りに集まり、地面を掘っている様子や、昆虫と共に大樹を切り倒している場面が大きく描かれていた。


「これはスィダチを建設している様子ですね」

 ミスズの言葉に反応して、ナミが鳥籠の隅に描かれた怪物を指差す。

「この頃から、森には〝悪魔〟がいたんだな」


 羽毛をまとう人間に酷似した身体を持つ生物は、鳥籠の壁の外にいて、豹人を襲うおぞましい怪物の姿で描かれていた。


 ミスズが見つめる場所には小鬼と呼ばれるサルに似た生物や巨大な猪の他に、蟻の行列、それにミイラのような姿をした人々も描かれていた。そのミイラの背中からは巨大な植物が生えていた。


『ミスズ』とカグヤが言う。

『みんなに置いて行かれちゃうよ』


 ミスズは慌てて歩き出した。螺旋通路の先は枝分かれした複雑な通路になっていて、そこには建物の入り口で別れたはずのサクラが立っていた。どうやら他の通路からもこの場所にはたどり着けるらしい。


『ゲンイチロウは私たちにモザイク画を見せたかったから、この螺旋状の通路を選んだのかもしれないね』


「かもしれないな」

 そう答えたあと、となりに並んだサクラに目を向ける。


「母親には会えたのか?」

「ううん。でも、もうすぐスィダチに帰ってくるみたい。帰ってきたらすぐに会いに行くつもりだよ」


『怒られるかもしれないけど、サクラはそれだけ母親に心配を掛けたんだから、素直に反省しないとダメだよ』

 カグヤの言葉を聞いて、サクラは天色あまいろの瞳をらした。

「わかってます……」


 ガランとした部屋には木製の長机が置かれていて、五名ほどの壮年の男が座っていた。皆が歴戦の傭兵であり、蟲使いであることは戦闘服や頭部のツノで分かった。彼らは難しい顔をして我々を迎え入れる。なにが気に食わないのかは分からないが、我々を睨んでいる人間もいた。ゲンイチロウに促されるようにして我々は木製のイスに座る。


「挨拶の前に、まずは無事に〝お嬢さま〟を連れ帰って来てくれたことに感謝を」

 ゲンイチロウはそう言うと、甲虫の殻でつくられた兜を外し長机に載せ、我々に対して頭を下げて感謝を口にした。


 かれは白髪交じりの長髪の男で、頭部の両側面は髪が剃られていて、複雑な模様の刺青が彫られてあった。そして綺麗に撫でつけられた髪は後頭部でひとつに編み込まれていて、額から眉にかけて裂かれたような大きな傷痕があった。がっしりとした濃い顔立ちに、適当に伸ばした長い髭が印象的だった。


 ゲンイチロウが感謝の言葉を口にしたあと、他の者たちも立ち上がり、我々に丁寧なお辞儀をして感謝の言葉を口にする。


「報酬に関しての話はあとにして、とりあえず自己紹介から始めよう」と、ゲンイチロウは言う。「イーサン殿のことはこの場にいる皆が知っていると思うが、見慣れぬ顔もあるからな」


 我々と向かい合うように座る男たちは、鳥籠での地位や役職、それに名前を口にしていくが、彼らに対して余り興味がなかったので適当に聞き流した。悪意を持って接してくる人間の言葉など、信用することはできなかったし、受け入れる気もなかった。


 すでにカグヤの偵察ドローンが部屋に侵入していて会話を記録してくれていたので、彼らの名前を思い出す必要があるさいには、その記録を確認すればいい。


 かれらが自己紹介を進めている間、長机に置かれていたランタンをぼうっと眺めていた。木製の枠に薄い板ガラス、その中には青白い輝きを放つテントウムシにも似た小さな昆虫が閉じ込められていた。


 青白い光はその昆虫の鞘翅しょうしの間から発せられていた。その部屋の中にも光源になる昆虫が浮遊していたので、このランタンは光源としてではなく、鑑賞物としての役割を持っているのかもしれない。


 ゴトンと鈍い音がして視線を上げると、義手を装着している男が私を睨んでいた。赤髪のやつれた顔をした男で隻眼だった。その男の義眼は常に赤く発光していた。髪型はゲンイチロウと同じだったが、彼の側頭部の髪は短く切り揃えられているだけで、刺青は彫られていなかった。


「おい」と男は低い声で言う。

「異邦人、貴様の順番だ。自己紹介をしろ」


「レイラだ」と私は素っ気無く言う。


「あのスカベンジャーのレイラか!」

 ゲンイチロウが大きな声で言う。


「レイラ殿の噂はこの森にも届いているぞ」

「噂? それはどんな噂だ?」思わず困惑する。


「白蜘蛛を意のままに操り、野蛮な略奪者だけでなく、数多の怪物を容易く倒してみせるとか」


 誰がそんな噂を流したのかは知らないが、間違いを正す必要は感じなかった。白蜘蛛を意のままに操る男だと、勝手に勘違いしてくれるのなら都合がいい。他人に弱みを見せる必要なんてないのだから。


 私はゲンイチロウの言葉にうなずいて、それから気になっていたことを訊ねた。

「噂は傭兵たちから聞いたのか?」


「いいや」ゲンイチロウは顎髭を撫でる。

「以前、スィダチに来ていた宣教師に聞いた話だ」


『サクラが話していたのと同じ人だね』

 カグヤの言葉にうなずくと、赤髪のやつれた男が言う。

「それで、〝空からの声〟とやらを聞くことができる人間というのは、貴様のことなのか?」


「それがどんものなのかは正確には分からないが、たしかに聞こえる」

「ハッキリしない男だ……」


「落ち着け、マツバラ殿。レイラ殿が我々の探していた人間で間違いない」

 マツバラと呼ばれた赤髪の男は義手の指先で机を弾いた。


「どうしてゲンイチロウはそう考える?」

「イーサン殿が我々に嘘をつく必要がないからだ」


「どうなんだ」と、マツバラはイーサンに視線を向ける。

「この男が〝例の声〟を聞くことのできる者なのか?」


「そうだ」イーサンがうなずく。

「旧文明の施設に関する高い権限も持っている。レイなら〈母なる貝〉と話ができるかもしれない」


「レイね……」

 マツバラは不満そうに机の表面を撫でる。


「俺が受けた依頼は――」

 イーサンはマツバラを睨みながら言う。

「〈データベース〉に接続できる人間をこの集落に連れてくることだった。俺が受けた依頼を必ずやり遂げる人間だってことを、あんたは知ってる。そうだろ?」


「ふむ」マツバラはうなずく。

「だが信用できるのか?」


「俺の傭兵団をレイに預けられるくらいには、信用しているつもりだ」


「家族の命を委ねることのできる男か……」

 マツバラはそう言うと、発光する義眼で私を見つめる

「わかった。イーサン殿を信じよう」


 マツバラの言葉に他の男たちが動揺する。

「たしかにイーサン殿のことは信用している。しかし――」と、ムカデが首に巻き付いているような刺青をした男がイスから立ちあがる。「異邦人を〈母なる貝〉に合わせるとなると話は別だ!」


「どうしてだ?」マツバラが落ち着いた声で言う。

「どうしてだと? そんなことは言わなくても分かっているはずだ。我々の聖地に異邦人を招き入れるなど――」


「イーサン殿は我々の恩人だ。その恩人の言葉を疑うのか?」

「もしも!」と男は声を荒げる。

「もしも〈母なる貝〉に何か起きたら、貴様は責任を取れるのか!」


「そもそも」とマツバラが言う。

「俺の記憶が正しければ、貴様たちが無断で宣教師を〈母なる貝〉の聖域に連れて行った時期を境に、森で異変が起きるようになったと思っていたが、なにか間違っているか?」


「それは言いがかりだ!」

 男が机を叩くと、その音にミスズがビクリと驚く。


「しかし、貴様たちが無断で宣教師を〈母なる貝〉の聖域に連れて行ったことは真実だ」

 そうだろ? とマツバラは落ち着いた声で言う。


 首にムカデの刺青を彫っていた男はしかめ面をして、それからイスにドカリと座り込み、腕を組んで黙り込んだ。


「さて……」マツバラが言う。

「青年よ、貴様には〈データベース〉とやらに接続してもらい、此度の森の異変について〈母なる貝〉にお伺いを立てて貰うことになる」


 私は口をへの字にして肩をすくめる。

「そのために来たんだ」


「やってくれるのか?」

「やるよ」


「それなら、ハッキリと言葉を口にしろ」

「まぁまぁ」とゲンイチロウが言う。

「マツバラ殿、落ち着きなさい。我々はレイラ殿にお願いをする立場の人間なのだ」


「そうだったな」

 マツバラは思い出したように言ったあと、頭を下げた。

「すまなかった」


「いいか」と、それまで黙っていたムカデの刺青をした男が言う。

「どうしても聖域に行くというのなら、俺の部下をそいつに同行させる」


「なぜだ?」ゲンイチロウが顎髭を撫でながらく。

「そんなの決まっている。異邦人を信用できないからだ」


「ふむ……仕方ないな。もともと、聖域に赴くさいには案内人をつけるつもりだったからな、構わないだろう」


『なんだか急にキナ臭くなったね』

 カグヤの声が聞こえる。

『絶対に私たちを襲う気だよ』


『かもしれない』

 声に出さずにそう答えると、ムカデの刺青をした男に視線を向ける。


「何だ、異邦人?」

「何でもないよ、野蛮人」


「貴様!」

 甲高い金属音が室内に響くと、ムカデの刺青をした男はビクリと驚く。


「落ち着け」と、槍を手にしたゲンイチロウが頭を振る。

「レイラ殿は我々の客人で、お嬢さまの恩人でもある」


「わかっているさ」ムカデの刺青をした男が小声で言う。

『やれやれ』カグヤが言う。『前途多難だね』

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