第218話 一触即発 re
森の民の鳥籠〈スィダチ〉には、武器を所持して入場することはできない。入場のさいに武器の所持が発覚すれば、守備隊の人間にすべて取り上げられてしまう。正直、見知らぬ地で武装できないことは不安だったが、今は森の民のやり方に従うしかなかった。
もっとも、以前は武器を所持して鳥籠に入場するのが普通のことで、誰かに
それも当然のことで、危険な森の中で暮らしているのだ。武器を所持していないほうが不自然だった。しかし〈不死の導き手〉の宣教師が鳥籠にやってきてから、その方針が変わったようだった。理由は分からないが、教団の意見を通すために政治工作が行われたのだろう。いずれにしろ、我々は武器を持たない状態で鳥籠に入らなければいけなくなった。
私が所持する
それに守備隊の人間にハンドガンを取り上げられてしまっても、生体情報が登録されていない人間には使用することはできないし、取り返すチャンスはあるはずだ。だから気にせず武器を持ち込むことにした。
ベルトにハンドガンを挿すと、ユーティリティポーチとボディアーマーで隠す。アルファ小隊と共にウェンディゴに戻ってきていたヌゥモ・ヴェイに声をかけ、引き続き部隊の指揮を頼むことにした。ミスズがすでに部隊の引継ぎに関する話をしていたみたいだったが、ヌゥモは嫌な顔をせずに私の話を聞いてくれた。
「ハク様はどうしましょうか?」と、彼は困ったように言う。
ハクは相変わらずシオンとシュナを背に乗せて遊んでいた。どうやら飛跳ねたときの子どもたちの反応が楽しいみたいだ。シオンたちの無邪気な笑い声を聞きながらヌゥモに言った。
「守備隊が警戒しているから、ハクも鳥籠に連れて行くことはできないんだ。でもウェンディゴを離れないように、ちゃんと言い聞かせておくから心配しないでくれ」
「わかりました……ですが一応、ハク様のことも見張っておきます」
「そうだな」と私は苦笑する。
「ウミも残るから、何かあったらウミにハクを探してもらってくれ。彼女ならハクのリボンが発している信号を追えるから」
「わかりました」
「頼んだよ」
ウェンディゴの搭乗員用ハッチが開くと、修道士のようなローブを身につけたハカセが姿を見せる。
「不死の子よ、私もハク様の側についていますので安心してください」
かれはそう言うと、旧文明の強力なライフルを杖代わりにしながら歩いてくる。
「助かるよ、ハカセ。けど、今日は森に行かなくてもいいのか?」
ハカセは植物と昆虫の学術的な調査をすると言って、ペパーミントと共に森に出かけていたので、かれの仕事の邪魔をしないか心配だった。
「それなら大丈夫です」
ハカセは金属製の頭蓋骨で微笑んでみせる。
「今日はハク様と子供たちの世話を優先しますので」
「そうか。ありがとう、ハカセ」
シオンとシュナは〈守護者〉を見るのが初めてだったが、人造人間に対する偏見もなく普通に接していた。それにシオンは、ハカセの金属の
『レイ』
カグヤの声が聞こえると、偵察ドローンが飛んでくる。
『みんなの出発の用意ができたって』
「ああ、ありがとう。カグヤはそのドローンを操作したまま鳥籠に入るのか?」
『うん。ステルス型の偵察ドローンだからね。光学迷彩で姿を隠せば見つかることはない』
「そうだったな」
『カラスも鳥籠の上空にいるから、ちゃんと映像を確認してね』
「カラスは鳥籠に入ることができたのか?」
『守備隊とつながりのある昆虫たちが、上空から鳥籠に侵入する危険生物を監視しているみたいだけど、この辺りにもカラスはいるからね』
「本物の鳥だと勘違いしてくれたのか」
『うん』
「鳥籠の上空をカバーする警戒センサーの類は使っていないのか?」
『広範囲をカバーする動体センサーを壁の至るところに設置しているみたいだけど、守備隊の人数も少ないみたいだから、鳥籠全体を警備するには手が足りていないのかも』
「忙しくて、いちいち鳥に構っている余裕がないのか……」
子どもたちと遊んでいるハクの側に行くと、今日は森に遊びに行かないでシオンたちとウェンディゴの側にいてくれるようにハクにお願いした。
『ハク、おるすばん?』
白蜘蛛はそう言うと、触肢で地面をベシベシと叩く。
「そうだ」と、ハクの大きな眼を見ながら言う。
「ヌゥモやハカセが一緒に残ってくれるから心配していないけど、何かあったらハクが子どもたちを守ってくれ」
『まもる!』
そう言って低く跳ぶと、ハクの背に乗っていた子どもたちがケラケラ笑う。何が楽しいのかは分からなかったが、子どもはそういった遊びが好きなのだ。
「頼んだよ、ハク。シオンとシュナもいい子にしていてくれ」
「だいじょうぶ」とシュナが言う。「いいこにする」
「ふたりが暮らしていた集落の人間がいるか、鳥籠でちゃんと探しておくからな」
「うん!」
■
集合場所に行くと、ナミの声が聞こえてくる。
「
「ダメ」とペパーミントが頭を振る。
「武器を持ってたら鳥籠に入れないって、何度も説明したでしょ。だからみんなのライフルもカバンに入れたの」
そう言ってペパーミントはカーキ色のショルダーバッグをナミに見せた。
「ライフルは分かるけど……これはただの鉈だ」
「でも人は殺せる。それにただの鉈じゃない、高周波ブレードを備えた特別な鉈よ」
ナミはペパーミントに反論しようとしたけれど、分が悪いと理解しているのか、黒革の鞘に収まった鉈を慎重にショルダーバッグに入れた。
ペパーミントの持つショルダーバッグは、ウェンディゴのコンテナでも使用されている技術を応用して製作されたバッグで、超小型の重力場発生装置による〈空間拡張〉を実現している貴重な遺物だった。そのバッグの内側には五メートル四方の空間が広がっているだけでなく、生体認証によって利用できる人間が制限されている。
そのショルダーバッグには、鳥籠に向かうイーサンとエレノア、それにミスズとナミの武器が入っている。武器を所持して鳥籠に入ることはできないが、隠し持っていることを守備隊に知られなければ問題ないはずだ。
それにショルダーバッグは生体情報が登録されていない人間が開いて中身を確かめても、普通のバッグとしてしか認識できない。だから守備隊に怪しまれることもないだろう。
ペパーミントは肩に提げていた自身のライフルもショルダーバッグに入れる。
「ペパーミントも行くのか?」と、彼女に手を貸しながら言う。
「昆虫と一緒に生活する〈森の民〉の生活が気になるの」
『人数が増えても大丈夫?』と、カグヤがイーサンに質問する。
「大丈夫だろ」イーサンが適当に言う。
「武装してない人間がひとり増えたところで、彼らは何も言わないはずだ」
「そう言えば」と、エレノアが思い出したように言う。
「入場のさいに端末で生体情報のスキャンが行われると思います」
「それなら問題ないわ」ペパーミントが答える。
「軍の基地に設置されているような高度なセンサーでもなければ、私たちに対して異常な反応を示すことはない」
「なら問題ないな」
イーサンが伸びをした。
「そろそろ行くか」
『そうだね』カグヤはそう言うとドローンの光学迷彩を起動した。
サクラとカブトムシの変異体が先頭になって鳥籠の入場ゲートに向かう。守備隊の人間が多く配置されているゲートの側には、紺色の低い円柱が設置されていた。
それは旧文明期の施設でよく見かけるタイプのもので、円柱に備え付けられている端末にIDカードを認識させることで、薄い膜状のシールドが展開されているゲートを通れるようになる仕組みになっていた。
しかし守備隊はサクラとカブトムシをさっさとゲートの先に通すと、我々を守備隊の詰所に連行した。
「どうなってる」イーサンが言う。
「すでに話が付いていたはずだ」
「黙って俺たちについてこい」と、甲虫の殻を身につける男が言う。
「お前たちの入場を許可したのは〈スィダチ〉の人間だけだ。俺たち守備隊はまだ許可してない、そうだろ?」
男がそう言うと、我々を囲んでいた隊員が一斉に笑う。
『嫌な感じ』とカグヤが言う。
『
「そうだな、あの時は大変だった」
私がそう言うと、男が振り向く。
「何か言ったか?」
「いや」
男の頭部を保護する甲虫の殻を見ながら頭を振る。
「こっちの話だ」
「異邦人め」男は地面に唾を吐いた。
守備隊の詰め所は何の変哲もない四角い建物だったが、鳥籠を囲う壁と同様の建材で建てられているのか、しっかりした作りになっていた。しかし室内はひどく散らかり、何週間も身体を洗っていない人間の鼻に刺す臭いがした。その酸っぱい臭いにミスズとペパーミントは鼻をつまむ。
部屋の奥にはテーブルと幾つかのパイプイスがあって、守備隊に所属する偉そうな男はイスにドカリと座りテーブルに足を乱暴にのせる。壁のあちこちには、四十センチほどの黒蟻がいて、カサカサと壁伝いに移動していた。
「それで」イーサンが苛立ちながら言う。
「何が知りたいんだ」
「落ち着けよ」と男は頭部を覆っていた兜を外す。
「まずはそうだな……身体検査をするか」
浅黒い肌を持つ男がそう言うと、我々を取り囲んでいた隊員が近づいてくる。
「冗談でしょ?」とペパーミントが言う。
「こんな陳腐な嫌がらせをするために、私たちの貴重な時間を奪うつもりなの?」
ペパーミントの言葉を聞いた男は口笛を吹いた。
「威勢がいいな、姉ちゃん。そう言うのは嫌いじゃねぇぜ」
イーサンはエレノアを背中に隠したあと、守備隊の男に言った。
「俺たちに指一本でも触れてみろ、後悔することになるぞ」
「怖いおっさんだな」と彼は言う。
「わかったよ。楽しみはあとに取っておくことにするよ。身体検査は直接手で触れながらしないと気が済まないんだが、今回は大目に見てやる」
守備隊が所持する無骨な端末にIDカードを差し込み、レーザースキャンで生体認証を行うようだった。隊員たちは次々と我々にスキャンを行っていった。その間、偉そうな男は、ジメっとした嫌な視線を女性たちに向けていた。検査をする順番がミスズになると、偉そうな男がゆっくりパイプイスから立ち上がる。
「そいつは俺が直接確かめる」
かれは仲間から端末を引っ手繰ると、困り顔のミスズにレーザーを照射した。すると何故か端末が音を立てた。
「おかしいな」と、男はワザらしくと言う。
「何か隠し持っているみたいだな」
「武器は持っていません」
ミスズが黒髪を揺らしながら反論する。
「けど端末が反応してるんだよな。これは身体検査しないとマズいな……うん、ちゃんと検査しないとマズいことになる」
男の伸ばし手がミスズに触れる寸前、私は男の手首を素早く掴んだ。
「どうしても身体検査がしたいのなら」私は努めて平静を装う。
「あんたじゃなくて女性の隊員にやらせてくれ」
男はニヤリと笑う。
「あいにく今は出払っていて、ここには俺たちしかいない」
「レイ」イーサンが小声で言う。
「サクラはすでに送り届けたんだ。俺たちの仕事は無事に済んだ」
『つまり、この嫌な男を殺しちゃっても構わない?』
カグヤの物騒な言葉にイーサンは肩をすくめる。
「俺たちが誰かに遠慮する理由なんてないだろ」
『それもそうだね』とカグヤは笑う。
「身体検査がどうしても嫌だって言うなら」
男は大袈裟な仕草でミスズの首元を指した。
「そのネックレスを頂こうか」
「ネックレス?」と、ペパーミントが鼻で笑う。
「森で暮らす野蛮人が宝石を持っていても何の意味もないでしょ」
「姉ちゃん」と男はペパーミントを睨む。
「俺の我慢の限界を試す気なら、止めておいたほうがいいぜ」
「あんたのことを試す? なんのために? 私はてっきり、あんたがレイのことを試しているのかと思ってた」
男が腕を動かしたときだった。ナミが男の顔面に見事な回し蹴りを叩きこむ。男はもんどり打ってテーブルに倒れ込む。その瞬間、我々を取り囲んでいた守備隊が一斉に動いて、こちらに銃口を向けた。
「脆弱な男」ナミは吐き捨てるように言う。
「なんでこんな男に守備隊の人間は従ってるんだ」
「人間の社会は複雑なんだ」とイーサンが苦笑する。
戦闘に備えてマスクを装着すると、守備隊の所持するライフルの情報が表示される。彼らが装備しているライフルは、私の知る限り世界中の戦場で最も多く使用されてきたアサルトライフルの模造品で、それなりの数が出回っていて今も簡単に入手できる代物だった。
守備隊を制圧するためハンドガンを抜こうとしたとき、突然詰め所の扉が大きな音を立てて開き、武装した守備隊が大勢駆け込んでくる。
すると、ゴテゴテした鎧を身につけた背の高い男が詰め所に入ってきて、隊員たちの前に出る。堂々と立つ背の高い男は、金色の鈍い輝きを放つ槍を持っていたが、銃器の類は所持していなかった。暗い茜色の殻を身につけていたのは彼だけだった。
「銃口を下げなさい」
背の高い男がそう言うと、我々にライフルを向けていた者たちが渋々銃口を下げた。しかし全員が従ったわけではなかった。
それに反応して、背の高い男の周囲にいた隊員たちもライフルを構える。我々は対立し合う守備隊に前後を挟まれる形になってしまう。
『一触即発ってやつだね』カグヤが呑気に言う。
「俺たちは何に巻き込まれているんだ」
ナミに蹴られ、少しのあいだ意識を失っていた偉そうな男が目を覚ます。
「なんだ」男は顎を押さえながら起き上がる。
「これは何事だ?」
「その者たちは〝お嬢様〟の恩人だ。すぐに我々に引き渡してもらおうか」
背の高い男はそう言うと、槍の石突で地面を叩いた。甲高い金属音が室内に響き、しばらく耳に残った。
「そういうわけにはいかない」
偉そうな男は顎を押さえながら言う。
「俺はこいつらに面子を潰されたんだ!」
「それなら、この場で死ぬことを望むのか?」
「いいのか、俺たちにそんなことを言って」と男は嫌な笑みを浮かべる。
「貴様も誰と話をしているのか、ちゃんと理解しているのか?」
甲虫の殻で顔を覆っているので背の高い男の表情は見えなかったが、声だけで彼の怒りを感じることができた。男は舌打ちすると、顎を押さえていないもう一方の手を振った。
「どこにでも行きやがれ、けど忘れるなよ。この屈辱は――」
偉そうな男の言葉はそこで途切れることになった。かれは自身の喉に突き刺さった槍を見つめ、それから柄をゆっくり掴んだ。
「見苦しい」背の高い男は槍を引き抜きながら言う。
男の喉からは、ゴボゴボと血の噴き出す音が聞こえた。
「イーサン殿、こちらに」
背の高い男はまるで何もなかったかのように、平然とした態度で言う。
喉から大量の血を噴き出しながら崩れ落ちる男を横目に、我々は背の高い男の後を追って詰め所を出ることになった。外には笑顔で手を振るサクラが立っていたが、我々の表情を見て彼女は首をかしげた。
「どうしたの? 何か問題が起きたの」
『むしろ、問題しかなかったよ』とカグヤがつぶやいた。
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