第七部 大樹の森 re

第206話 森の民 re


 何度か台風がやってきては〈廃墟の街〉に甚大じんだいな被害をもたらし、そして何事もなかったかのように通り過ぎていった。洪水によって被害が及ぶのはなにも人間たちだけではなかった。廃墟の街では、この時期に大量発生する昆虫の変異体が水害によって死に、その昆虫の死骸を求めて川や海から危険な生物が廃墟の街にやってくる。


 そしてそれらの水棲生物すいせいせいぶつと〈人擬ひともどき〉の争いが、街の至るところで繰り広げられることになる。


 廃墟の街を徘徊する不死の化け物――〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈仙丹せんたん〉を服用していた人間が未知のウィルスに感染して誕生した化け物で、その細胞は絶えず破壊と修復を繰り返しているため、動くしかばねのようなひどくみにくい姿をしているが、その状態で数世紀放置したところで死ぬことはないとされている。


 たとえ銃弾を撃ち込んだところで、変異を繰り返す肉体は数日で傷を癒してしまう。だから廃墟の街で繰り広げられる変異体と昆虫の生存をかけた闘いは苛烈かれつを極める。


 廃墟の街に林立する高層建築群の間に吹く風が砂塵さじんを巻き上げ、店内に細かい砂が侵入してくる。私は思考を打ち切ると、薄暗い店内に視線を向ける。木の板で閉じられた窓の隙間からは日の光が斜めに差し込み、空気中に漂うほこりちりが光を反射して輝き、かすかな空気の流れと共に動いているのが見えた。


 見知らぬ〈鳥籠〉の、見知らぬ酒場だ。びの浮いた釘が飛び出ているカウンターの隅に座り、さりげなく店内を見回す。私の他に店内にいる客は、こちらに背を向け、カウンターに腰掛けている男だけだった。


 その客は、これまでの人生で一度も身体からだから酒を抜いたことがないような男で、くさった内臓と砂糖を混ぜたような息を吐き出しながら店に入ると、カウンター内のウィスキーボトルを手に取り、持参した自分自身のグラスに勝手に液体をそそいでいた。その間、店主はそこに存在しない透明人間のように男のことを無視し続けていた。


 旧文明期の施設を中心にして築かれた〈鳥籠〉と呼ばれる集落は、危険な廃墟の街で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所だった。それらの〈鳥籠〉に残されている施設は多種多様で、たとえば〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉には、かつて〈横浜第十二核防護施設〉の名で知られた地下シェルターと、軍の物資を備蓄し販売していた施設が存在する。


 それらの施設は旧文明期の高度な科学技術で建造され、旧文明の人々がいなくなった世界でも稼働し、人々の生活を支え続けていた。鳥籠の規模は様々で、数千人が生活する大規模な鳥籠もあれば、この草臥くたびれた〈鳥籠〉のように、数十人が暮らす集落のような場所も存在していた。


 退屈をまぎらわせようとして、壁に飾られた人擬きの頭部をじっと見つめる。おそらく傭兵に討伐され、首だけ戦利品として酒場に持ち込まれたモノなのだろう。頭部だけになっても生き続けられる理由は分からなかったが、その人擬きは何度かまばたきをしていた。


 私は溜息をつくと、目のまえのグラスに視線を落とす。半透明のグラスは水垢みずあかや黒ずみでひどく汚れていて、グラスにそそがれたウィスキーを飲む気にはとてもなれなかった。


 グラスの底についたゴキブリの糞のような何かを見つめていると、カウンターで飲んでいた男が声を上げた。

「ウィスキーだ! 今すぐそそげ!」

 飲んだくれは顔も上げずにしゃがれ声でそう言った。


「飲み過ぎだな」

 思わず小声でつぶやくと、飲んだくれは勢いよく振り向いた。

「何か言ったか!」

 私が肩をすくめると、飲んだくれは小言を言いながら店主がグラスにそそいだウィスキーをちびちびと飲み始めた。


「あんたは飲まないのか?」

 店主は油でベタつく髪に手を置きながら言った。


「気が変わったんだ」

 私はそう言うと、人差し指でグラスを押し返した。

「飲まなくても代金は払ってもらうぞ」


 飲んだくれにちらりと視線を向けると、店主は舌打ちした。

「もちろんやつにもキッチリ代金を払ってもらう」

「あいつが金を持っているようには見えないけど」

「……やつはツケ払いなんだ」


 じっと店主を見つめたあと、頬杖を突きながら言う。

「なんだっていいさ。この場所はあんたの店で、気安く文句が言えるほど常連でもない。それに俺はすぐにこの〈鳥籠〉を出ていく。そんな人間に言い訳をする必要なんてない」


 すると店主は今はじめて気がついたようなフリをする。

「たしかにお前さん、見慣れない顔だな」


「これから森に向かうんだ。この場所には物資の調達に寄っただけだ」

「あの貨物用コンテナのそばに止まっている多脚車両ヴィードルは、あんたのモノなのか?」


「そうだ」

「ならあんたは腕利きの傭兵なのか?」

「いや、廃墟の街でジャンク品やら〈遺物〉を回収している〈スカベンジャー〉だ」


 店主は顔をしかめて耳の裏をいて、それからその指の臭いを嗅いだ。

「嘘だな。あれは廃品回収を生業なりわいにしているようないやしい人間が所有できるヴィードルじゃない」

 私は肩をすくめると、店主の言葉を無視した。


 店主が口にした多脚車両は、〈ウェンディゴ〉と呼ばれる大型軍用車両のことだ。〈ヴィードル〉は文明の崩壊した世界では一般的な乗り物で、旧文明期に建設現場や森林作業などの難所で建設用の機械人形と一緒に運用されていた車両だ。昆虫にも似たその姿から、甲虫類のビートルをもじった〈ヴィードル〉の名で呼ばれている。


 一般的な車両は自動車とそれほど変わらないサイズの車体を持ち、球体状のコクピットを中心に左右合わせて六本の脚を持っている。〈ウェンディゴ〉は大型軍用車両で他の多脚車両と異なり、装甲に覆われた太い脚が四本ついている。


 軍用規格の車両なので複合装甲には、強度があり驚くほど軽い旧文明期の〈鋼材〉が使用されている。その装甲は製造された当時と同様の輝きを放ちさびひとつない。長い脚は高い可動域を持っていて、関節の隙間に見える内部を構成する〈人工筋肉〉は、特殊なラテックスに包まれ保護されている。


 その〈ウェンディゴ〉が店主の興味を引く理由は分かる。廃墟の街では、状態のいい多脚車両は滅多に見られるモノじゃない。


「それで、あんたはなにしにこんなさびれた鳥籠に来たんだ?」

 店主はそう言うとぎだらけのカウンターを思いきり叩いた。それから腰に引っかけていた黒ずんだ布で、手についたゴキブリの死骸を拭き落とした。


「話を聞いてなかったのか、これから森に向かうんだ」

 足元にゴキブリがいないか確認しながら言うと、店主は鼻を鳴らす。


「森だと? あんな場所になにをしに行くんだ。あんた自殺志願者なのか」

「死ぬつもりはないが……森はそんなに危険な場所なのか?」


「危険だな。とくに今の時期、森は昆虫どもの楽園になっている。悪いことは言わない、諦めて帰るんだな。せっかく立派なヴィードルを持ってるんだ。あれを森の中で腐らすのはしい」


「そういうわけにはいかないんだ」と私は頭を振る。

「一緒に来ている友人が〈森の民〉から仕事の依頼を受けていてね」


 店主は人擬きの巣に迷い込んだ探索者のような顔をした。

「あんた〈森の民〉に知り合いがいるのか!?」


「いなければ依頼は受けられない」

「もしかして教団の関係者だったのか?」


「いや」と、頭を横に振る。

「ただのスカベンジャーだ」


「やっぱり傭兵だったんだな」店主は私の言葉を無視する。「それでも、森に行くのは止めておいたほうがいい。教団の護衛を引き受けた連中もほとんど死んだからな。でもまぁ、死にたいなら話は別だ」


「ところで、その教団っていうのは?」

 店主は腕を組むと、赤茶色に腐食したトタン屋根に視線を向ける。

「ほら、あれだ。いま流行はやりの……なんとかの導き手ってやつらだ」


「〈不死の導き手〉だな」

「それだ!」店主はゴキブリを潰したときのような晴れやかな表情で言った。


「その教団は森で何をしていたんだ?」

「知らないな。〈森の民〉を勧誘するつもりだったんじゃないのか?」と店主は適当に言う。「連中は数か月前にひょっこりあらわれて、それ以来、音沙汰なしだ」


「それで――」と私はたずねる。

「森で何があったみたいだな、連中は昆虫にでもわれたのか?」


「いや」店主はけわしい表情で頭を横に振る。「〈森の民〉に襲撃されたのさ。やつらは俺たちのことを〈異邦人〉と呼んで毛嫌いしているからな……部族以外の人間が森に近づくことを許さないのさ。野蛮人のくせに」


「野蛮人ね……」

「ほら」と店主は臭い息を吐きながら顔を近づけてきた。

「そこで酒を飲んでいる男がいるだろ?」


「いるな」と私はうなずく。

やつも教団に雇われた傭兵だったが、襲撃されたときに森から逃げ出してきて、それ以来ここに住み着いたのさ」


「ずいぶんと怖い思いをしたみたいだな。酒浸さけびたりなのは恐怖を忘れるためか?」

「だろうな、生き残ったのはあいつだけだったみたいだしな。おかげで立派なアル中だ」

「そうか」と、私は飲んだくれに視線を向ける。


 眼球をおおうナノレイヤーの働きで、深紅色の虹彩を持つ瞳が光を放ったのかもしれない。店主はジメッとした嫌な目で私を見つめた。眼球を覆う薄膜にはインターフェースが常時投射されていて、バイオモニターを介して各種情報がすぐに確認できるようになっていた。それ以外にもシステムに対応している武器の残弾数や偵察ドローンが取得した周辺映像、それに環境情報などが得られるようになっていた。


『装備の状態はひどいけど、たしかに傭兵に見えるね』

 カグヤの柔らかな声が内耳に直接響いた。

「そうだな」


「なにか言ったか?」と、壁を這うゴキブリを叩き潰そうとしていた店主が言う。

「何でもない」と私は頭を振る。


 カグヤは静止軌道上の軍事衛星から、地上の至るところに設置されている旧文明期の〈遺物〉でもある特殊な電波塔を介して直接私に語りかけていた。もっとも、軍事衛星に搭載された〈自律式対話型支援じりつしきたいわがたしえんコンピュータ〉だと思っていたが、彼女は自身が人工知能の一種であることをかたくなに否定している。その理由は分からない。


 でもとにかく、記憶を失い文明の崩壊した世界で目が覚めてから今日まで、一緒に生きてきた唯一無二の相棒だった。正直、カグヤが人工知能だろうと何だろうと、彼女に対していだく気持ちは変わらない。私はカグヤを信頼しているし、同様に彼女からも信頼されていると信じている。そしてそれが何よりも重要なことだった。


「さっきの話だけど」と、鉄パイプを手に握った店主に言う。

「〈森の民〉はこの〈鳥籠〉にも来るのか?」


 店主はゴキブリを潰すために振り上げた鉄パイプをゆっくりと下ろしてから、顔をしかめながら言う。

「来ない。以前は森で手に入る果実や毛皮を売りに来ていたが、もう何年も見ていないな」


「目的は電子貨幣か……森の民は金を何に使っていたんだ?」

「物資の販売所がすぐそこにあるだろ?」店主は開きっぱなしだった扉に視線を向ける。「そこで連中は弾薬を購入していたんだ」


 物資を購入していた旧文明の施設について思い出す。

「確認していなかったけど、販売所では弾薬まで売っているのか?」

「ああ、売ってる。そのおかげでこの鳥籠は何とかやっていけてるんだ」


「そうか」適当に相槌あいづちを打って、それから店主にたずねる。

「この鳥籠に来ていた〈森の民〉は、〈蟲使い〉だったのか?」


「蟲使い?」と店主は眉間にしわを寄せる。

「昆虫を操るような恐ろしい連中を鳥籠に入れると思うか」


「なら、あんたが言う〈森の民〉とはどんな連中だったんだ?」

「虫を連れていない連中のことだ」

「どんなやつらなんだ?」

「どんなって言われてもな……普通の〈森の民〉だ」


『その普通が分からないんだけどな』とカグヤが言う。

 飲んだくれが嫌な音を立てて嘔吐おうとすると、その吐瀉物に向かって無数のゴキブリが集まるのが見えた。私は店主に適当に礼を言ってウィスキーの代金を支払うと、ゴキブリが徘徊する店からそそくさと出ていった。


 物資を調達していた仲間と合流するために歩いていると、カグヤの声が聞こえる。

『〈森の民〉か……どんな人たちなんだろうね』

「友好的な人間だといいんだけどな」

 私はそう言うと、高層建築群の間に見えている深い森に視線を向けた。そこには百メートルを優に超える樹木じゅもくが立ち並ぶ異様な光景が広がっていた。


『あれが〈大樹たいじゅもり〉だね』

「ああ、昆虫の変異体が支配する危険な森だ」

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