第七部 大樹の森 re
第206話 森の民 re
何度か台風がやってきては〈廃墟の街〉に
そしてそれらの
廃墟の街を徘徊する不死の化け物――〈旧文明期以前〉の人間が作り出した不死の薬〈
たとえ銃弾を撃ち込んだところで、変異を繰り返す肉体は数日で傷を癒してしまう。だから廃墟の街で繰り広げられる変異体と昆虫の生存をかけた闘いは
廃墟の街に林立する高層建築群の間に吹く風が
見知らぬ〈鳥籠〉の、見知らぬ酒場だ。
その客は、これまでの人生で一度も
旧文明期の施設を中心にして築かれた〈鳥籠〉と呼ばれる集落は、危険な廃墟の街で人々が安全に暮らし、安らぎを得られる数少ない場所だった。それらの〈鳥籠〉に残されている施設は多種多様で、たとえば〈ジャンクタウン〉と呼ばれる〈鳥籠〉には、かつて〈横浜第十二核防護施設〉の名で知られた地下シェルターと、軍の物資を備蓄し販売していた施設が存在する。
それらの施設は旧文明期の高度な科学技術で建造され、旧文明の人々がいなくなった世界でも稼働し、人々の生活を支え続けていた。鳥籠の規模は様々で、数千人が生活する大規模な鳥籠もあれば、この
退屈を
私は溜息をつくと、目のまえのグラスに視線を落とす。半透明のグラスは
グラスの底についたゴキブリの糞のような何かを見つめていると、カウンターで飲んでいた男が声を上げた。
「ウィスキーだ! 今すぐ
飲んだくれは顔も上げずにしゃがれ声でそう言った。
「飲み過ぎだな」
思わず小声でつぶやくと、飲んだくれは勢いよく振り向いた。
「何か言ったか!」
私が肩をすくめると、飲んだくれは小言を言いながら店主がグラスに
「あんたは飲まないのか?」
店主は油でベタつく髪に手を置きながら言った。
「気が変わったんだ」
私はそう言うと、人差し指でグラスを押し返した。
「飲まなくても代金は払ってもらうぞ」
飲んだくれにちらりと視線を向けると、店主は舌打ちした。
「もちろん
「あいつが金を持っているようには見えないけど」
「……
じっと店主を見つめたあと、頬杖を突きながら言う。
「なんだっていいさ。この場所はあんたの店で、気安く文句が言えるほど常連でもない。それに俺はすぐにこの〈鳥籠〉を出ていく。そんな人間に言い訳をする必要なんてない」
すると店主は今はじめて気がついたようなフリをする。
「たしかにお前さん、見慣れない顔だな」
「これから森に向かうんだ。この場所には物資の調達に寄っただけだ」
「あの貨物用コンテナの
「そうだ」
「ならあんたは腕利きの傭兵なのか?」
「いや、廃墟の街でジャンク品やら〈遺物〉を回収している〈スカベンジャー〉だ」
店主は顔をしかめて耳の裏を
「嘘だな。あれは廃品回収を
私は肩をすくめると、店主の言葉を無視した。
店主が口にした多脚車両は、〈ウェンディゴ〉と呼ばれる大型軍用車両のことだ。〈ヴィードル〉は文明の崩壊した世界では一般的な乗り物で、旧文明期に建設現場や森林作業などの難所で建設用の機械人形と一緒に運用されていた車両だ。昆虫にも似たその姿から、甲虫類のビートルを
一般的な車両は自動車とそれほど変わらないサイズの車体を持ち、球体状のコクピットを中心に左右合わせて六本の脚を持っている。〈ウェンディゴ〉は大型軍用車両で他の多脚車両と異なり、装甲に覆われた太い脚が四本ついている。
軍用規格の車両なので複合装甲には、強度があり驚くほど軽い旧文明期の〈鋼材〉が使用されている。その装甲は製造された当時と同様の輝きを放ち
その〈ウェンディゴ〉が店主の興味を引く理由は分かる。廃墟の街では、状態のいい多脚車両は滅多に見られるモノじゃない。
「それで、あんたは
店主はそう言うと
「話を聞いてなかったのか、これから森に向かうんだ」
足元にゴキブリがいないか確認しながら言うと、店主は鼻を鳴らす。
「森だと? あんな場所に
「死ぬつもりはないが……森はそんなに危険な場所なのか?」
「危険だな。とくに今の時期、森は昆虫どもの楽園になっている。悪いことは言わない、諦めて帰るんだな。せっかく立派なヴィードルを持ってるんだ。あれを森の中で腐らすのは
「そういうわけにはいかないんだ」と私は頭を振る。
「一緒に来ている友人が〈森の民〉から仕事の依頼を受けていてね」
店主は人擬きの巣に迷い込んだ探索者のような顔をした。
「あんた〈森の民〉に知り合いがいるのか!?」
「いなければ依頼は受けられない」
「もしかして教団の関係者だったのか?」
「いや」と、頭を横に振る。
「ただのスカベンジャーだ」
「やっぱり傭兵だったんだな」店主は私の言葉を無視する。「それでも、森に行くのは止めておいたほうがいい。教団の護衛を引き受けた連中もほとんど死んだからな。でもまぁ、死にたいなら話は別だ」
「ところで、その教団っていうのは?」
店主は腕を組むと、赤茶色に腐食したトタン屋根に視線を向ける。
「ほら、あれだ。いま
「〈不死の導き手〉だな」
「それだ!」店主はゴキブリを潰したときのような晴れやかな表情で言った。
「その教団は森で何をしていたんだ?」
「知らないな。〈森の民〉を勧誘するつもりだったんじゃないのか?」と店主は適当に言う。「連中は数か月前にひょっこりあらわれて、それ以来、音沙汰なしだ」
「それで――」と私は
「森で何があったみたいだな、連中は昆虫にでも
「いや」店主は
「野蛮人ね……」
「ほら」と店主は臭い息を吐きながら顔を近づけてきた。
「そこで酒を飲んでいる男がいるだろ?」
「いるな」と私はうなずく。
「
「ずいぶんと怖い思いをしたみたいだな。
「だろうな、生き残ったのはあいつだけだったみたいだしな。おかげで立派なアル中だ」
「そうか」と、私は飲んだくれに視線を向ける。
眼球を
『装備の状態は
カグヤの柔らかな声が内耳に直接響いた。
「そうだな」
「なにか言ったか?」と、壁を這うゴキブリを叩き潰そうとしていた店主が言う。
「何でもない」と私は頭を振る。
カグヤは静止軌道上の軍事衛星から、地上の至るところに設置されている旧文明期の〈遺物〉でもある特殊な電波塔を介して直接私に語りかけていた。もっとも、軍事衛星に搭載された〈
でもとにかく、記憶を失い文明の崩壊した世界で目が覚めてから今日まで、一緒に生きてきた唯一無二の相棒だった。正直、カグヤが人工知能だろうと何だろうと、彼女に対して
「さっきの話だけど」と、鉄パイプを手に握った店主に言う。
「〈森の民〉はこの〈鳥籠〉にも来るのか?」
店主はゴキブリを潰すために振り上げた鉄パイプをゆっくりと下ろしてから、顔をしかめながら言う。
「来ない。以前は森で手に入る果実や毛皮を売りに来ていたが、もう何年も見ていないな」
「目的は電子貨幣か……森の民は金を何に使っていたんだ?」
「物資の販売所がすぐそこにあるだろ?」店主は開きっぱなしだった扉に視線を向ける。「そこで連中は弾薬を購入していたんだ」
物資を購入していた旧文明の施設について思い出す。
「確認していなかったけど、販売所では弾薬まで売っているのか?」
「ああ、売ってる。そのおかげでこの鳥籠は何とかやっていけてるんだ」
「そうか」適当に
「この鳥籠に来ていた〈森の民〉は、〈蟲使い〉だったのか?」
「蟲使い?」と店主は眉間に
「昆虫を操るような恐ろしい連中を鳥籠に入れると思うか」
「なら、あんたが言う〈森の民〉とはどんな連中だったんだ?」
「虫を連れていない連中のことだ」
「どんな
「どんなって言われてもな……普通の〈森の民〉だ」
『その普通が分からないんだけどな』とカグヤが言う。
飲んだくれが嫌な音を立てて
物資を調達していた仲間と合流するために歩いていると、カグヤの声が聞こえる。
『〈森の民〉か……どんな人たちなんだろうね』
「友好的な人間だといいんだけどな」
私はそう言うと、高層建築群の間に見えている深い森に視線を向けた。そこには百メートルを優に超える
『あれが〈
「ああ、昆虫の変異体が支配する危険な森だ」
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