第172話 攻撃開始 re


 拠点を囲むようにして建つ高い防壁の外に出ると、白銀に輝く糸が張り巡らされた廃墟が見えてくる。糸はそこかしこに縦横無尽じゅうおうむじんに張り巡らされていて、まるで糸の森に迷い込んだような気分になった。


 我々にとっては、もはや見慣れたいつもの光景になっていたが、我々以外の人間には近づくことすら躊躇ちゅうちょさせる恐ろしい場所になっている。廃墟の街で暮らす大多数の人間は、その糸を見ただけで引き返すことを選択する。彼らは知っているのだ。その糸の奥に潜む脅威を、日の光を反射して白銀に輝く糸が死を呼び込むことを。


 廃墟の街には〈深淵の娘〉と呼ばれる蜘蛛に似た姿の生物が存在する。

 文明が崩壊した世界に生息する昆虫同様、その生物も大きな身体からだを持っていた。環境の変化や放射性物質にさらされたことにより変異、そして進化した可能性もあったが、多くの昆虫が巨大化した本当の理由は誰にも分からない。


 文明を崩壊させるキッカケになった紛争では、我々が考えもしない様々な兵器が使われた。だから環境を変化させ、昆虫を変異させる化学兵器が存在していたのかもしれない。

 あるいは、我々の知らない何処どこか遠い世界から地球にやって来たのかもしれない。


 深淵の娘は自動車ほどの体長があり、全身が黒い体毛に覆われている。大きな腹部には特徴的な赤いまだら模様もようがある。基本的に蜘蛛は単体で巣を作り、そして単体で狩りをする。


 しかし深淵の娘はことなる。彼女たちは集団で生活することを好み、集団で狩りを行う。それだけでも恐ろしいことなのだが、真の恐ろしさは彼女たちの残虐性にある。深淵の娘は獲物を甚振いたぶることを好み、獲物が苦しむ姿を楽しむ猟奇性りょうきせいを持ち合わせている。


 深淵の娘たちの特殊性はそれだけにとどまらない。彼女たちの体表はライフルの弾丸をはじくほど強固であり、また隠密性が極めて高く、ひとたび廃墟の街でその姿を見失ってしまうと、専用の機器を使用しても発見することはほぼ不可能とされている。全身を覆う特殊な体毛が、レーダー波に何かしらの影響を与えていると思われるが、正確な理由は不明だ。


 注目すべきことは、深淵の娘たちが糸を口から吐き出す能力を持っていることだろう。通常蜘蛛は腹部から糸を出すが、口から糸を吐き出す蜘蛛がいることはすでに知られている。どこかの国のジャングルには、スリングショットのように糸を操り、獲物が近づくと糸を飛ばして、獲物を捕らえてしまう蜘蛛も発見されていた。


 それを知っているのなら口から糸を吐き出す蜘蛛なんて、たいしてめずらしい存在ではないように思える。自動車ほどの大きさの蜘蛛がいるのだから、糸を吐き出す蜘蛛がいても全然不思議ではないのだと。


 しかし深淵の娘たちは糸の性質を変化させることができた。

 生物に反応してあみのように広がる帯電した糸の塊を吐き出したかと思えば、強酸性の糸の塊を吐き出して獲物を生きたまま溶かすことも可能だった。


 そして恐ろしいことに、それらの糸は強靭なワイヤロープのような強度があり、糸に捕らわれてしまうと、人の力では抜け出すことが不可能だった。粘着性のある糸に捕らえられたら終わりなのだ。数時間にわたってなぶられ、生きたまま捕食されるのを待つことしかできない。


 空をあおぎ見ると、建物の間に張り巡らされた糸を眺める。

 それらの糸には、巣の主が何処どこからか拾ってきたガラクタが大量に吊るされているのが見えた。ガラクタの並びに規則性はなく、そこら中の建物に無造作に張り付けられていた。その多くが空き缶や穴の開いた鍋で、日の光を反射するキラキラしたモノならなんでもいいのかもしれない。


 それらのガラクタを見ながらベルトポーチに手を入れ、球体型の偵察ドローンを取り出し宙に放った。落下していたドローンは空中にピタリと静止すると、こちらに向かって飛んできた。


『どうしたの、レイ?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

「ハクを探してきてくれるか?」

『ハク? ハクならそこにいるよ』


 カグヤの言葉のあと、ドローンの視点映像が網膜に表示される。市街地戦闘用の灰色の迷彩服に身を包み、強い日差しの中、暑苦しい外套がいとう羽織はおってたたずむ私の姿が見えた。そしてそのすぐ背後には、ゆっくり忍び寄ってくる白蜘蛛の姿が映し出されていた。映像で確認するまで、私は白蜘蛛の接近にまったく気づいていなかった。


 白蜘蛛は軽自動車ほどの体長を持っていて、全身が白い体毛に覆われている。長い脚にくらべて頭胸部と腹部は小さく、背中から腹部にかけて赤いまだら模様もようが見える。八つの眼がある頭胸部には太く鋭い牙が見えたが、パッチリした大きな丸い眼は幼さを残していて、恐ろしさと可愛らしさが混在するチグハグな印象を与えていた。


 その白蜘蛛は、深淵の娘たちと同種の生き物だったが〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊な個体でもあった。


 白蜘蛛のフサフサとした長い脚の先に鋭い鉤爪かぎづめが見えた。白蜘蛛は鉤爪のついた脚をのっそりと動かし、足音を立てることなく近づいて来ていた。


 白蜘蛛が脚を大きく広げて、私をくように脚を閉じようとした瞬間、私は外套がいとうに備わる〈環境追従型迷彩〉を起動し、横に飛び退いて白蜘蛛の脚をかわした。白蜘蛛は一瞬にして目の前から消えた私の動きに驚き、万歳ばんざいするように長い脚を空に向けた。


 しかしそれでも白蜘蛛のほうが一枚上手だった。ペッと吐き出された糸に足を取られると、私はその場に倒れ込みそうになる。白蜘蛛はその隙に接近すると、私を抱き上げた。


『レイ、つかまえた』と、ハクは機嫌のいいコロコロとした声で言う。

「ハクは素早いからな」と私は言う。

「けど、次は捕まらない」

『ほんと?』

「ああ、本当だ」


『ねぇ、レイ』とカグヤが言う。

『負けず嫌いなのは知ってるけど、子ども相手に本気にならないで』

「冗談に決まっているだろ」

『だといいけど』とカグヤは呆れる。

『それより、遊んでる時間はないよ。分かってるでしょ、敵はすぐそこまで来てる』


「分かってる」

 カグヤの言葉にうなずくと、足に絡みついたハクの糸をハンドガンで取り込んで、使用可能な弾薬として再構築する。

「ハク、敵が俺たちの拠点を襲いにきた。撃退するのを手伝ってくれるか?」


『てき?』

 ハクの黒い眼が日の光を反射して不思議な色合いの輝きを放つ。

「そうだ。大きな昆虫もいっぱい来ている」

『んっ。ハク、たおす』


 ハクは腹部を震わせたあと、私を抱いたまま糸が張り巡らされている建物に近づく。そして触肢しょくしを伸ばして糸に触れる。


『てき、ない』と、糸に触れたことで敵の存在を感じ取ったハクが言う。

「まだハクの巣の外にいるんだ」

『むっ、それ、ずるい』


 ハクは建物に向かって跳躍ちょうやくすると、橋のように張り巡らされた糸を使って建物の間を移動していく。

「カグヤ、案内を頼む」

 すると偵察ドローンが何処どこからともなく飛んできて、ハクを先導するように我々の前方を飛行した。


「ハク、あのドローンを……ボールを追ってくれるか?」

『んっ、ぼぉる、つかまえる』


 拠点の周囲は、ひと区画全体にわたってハクの糸が張り巡らされている。ハクの巣は迷路のような構造をもってつくられているので、許可なく侵入した場合、簡単に抜け出すことはできない。それも深淵の娘たちの習性だった。獲物が迷うように、彼女たちは複雑に巣をつくるのだ。


 ハクしか知らない近道を通って巣を出ると視界が開ける。目に飛び込んできたのは猥雑わいざつとした廃墟の建築群だ。

「状況は?」と、カグヤにたずねる。

『ヌゥモの部隊が最前線で傭兵たちと会敵して、今は睨み合ってる状況だね』

「睨み合い? 傭兵たちは攻撃してきてないのか?」


『たぶん、予想よりもずっと早く私たちに発見されて混乱しているんだと思う。戦力が集結する前に行動するか迷ってるのかもしれない』

「ミスズは?」

『アルファ小隊を率いて廃墟の街を移動してる。敵の側面から叩くつもりだよ』


「他の隊は?」

『地図に表示するよ』

 拡張現実で目の前に大きく表示された周辺地図で、敵の位置と味方部隊の位置情報を素早く確認する。


「カグヤは引き続き各部隊の支援を頼む」

『レイはどうするの?』

「俺たちは遊撃だ。神出鬼没しんしゅつきぼつに攻撃して連中をもっと混乱させる」


 我々の上空を飛んでいた〈カラス型偵察ドローン〉から受信する俯瞰映像ふかんえいぞうを確認すると、横一列に広がるようにして進んでくる武装集団が見えた。それに〈蟲使い〉だと思われる傭兵と行動する多くの甲虫や、建物の屋上ギリギリを飛行するトンボに似た一メートルほどの昆虫も数体確認できた。


 その数は決して多くないが、頭部にアンテナのような装置が埋め込まれているのが見えた。おそらく〈蟲使い〉たちが昆虫を使役するために使用する装置なのだろう。とすれば、あの昆虫は偵察ドローンの役割を持っているのかもしれない。


『レイラさま』と、ウミの声が聞こえる。


  ウミは海岸を探索中に見つけた特殊な人工知能のコアに宿やどる〈生命体〉で、旧文明期に活躍した兵器として知られていた。普段は拠点にいて、〈家政婦ドロイド〉に意識を転送して拠点の管理をしてくれていた。


 戦闘時には専用の戦闘用機械人形を操作することもあるが、ウミの本体であるコアが直接接続されているのは軍用大型車両の〈ウェンディゴ〉だった。


「ウミ、どうしたんだ?」とウミからの通信に答える。

『攻撃位置につきました。襲撃者に対して、いつでも攻撃可能です』

「ウェンディゴで攻撃するのか?」


『そのつもりです』ウミはりんとした声で答えた。

『敵の数は増え続けています。昆虫を合わせればその数は優に百を超えます。これほどの大規模な襲撃は今までになかったことです。大量の火器を用いて一斉いっせいに、そして迅速に攻撃を行ったほうがいいでしょう』


「そうだな……分かった。カラスを使って敵に標的用のタグを貼り付ける。ウミはカグヤの合図を待って、それから攻撃を始めてくれ」

『レイラさま、交戦規定はどのように?』


「自由射撃だよ」と、律儀りちぎなウミに思わず苦笑する。

『よかったです』とウミがささやくように言う。

『これで遠慮なく皆殺しにすることができます』


 ウミの綺麗な声でささやかれる物騒な言葉に戸惑う。どうしてなのかは分からないが、その言葉のなかにウミが持つ残酷な本性を垣間かいま見るからなのかもしれない。


 ハクが建築物の屋上に上がったときだった。金属を互いに打ち付けるような、小気味のいい音が四方から断続的に聞こえてくる。

『レイ、銃声だ』

「カグヤ、攻撃開始の合図を頼む」


『了解。各部隊に告ぐ。攻撃開始、襲撃者に対して直ちに攻撃を開始せよ。私たちの生活をおびやかす襲撃者を絶対に許しちゃダメ。徹底的に攻撃せよ』


 拠点の上空に〈ウェンディゴ〉から発射された数百発の〈超小型追尾ミサイル〉が出現したかと思うと、それらは廃墟の街に向かって放射状に広がるようにして飛んでいく。そのうちの数発が我々のすぐ近くを通過して騒がしい音を立てながら建物に着弾した。


 しかし敵に損傷を与えられたように見えなかった。その証拠に、建物に潜んでいた傭兵たちが窓から顔を出して小銃を構えているのが見えた。

 そこに耳をつんざく風切り音が聞こえて建物が爆発し、瞬時に粉砕されるのが見えた。瓦礫がれきじって人間の手足や臓器、それに昆虫の死骸も確認できた。


 街の至るところから銃声や破裂音が聞こえてくるようになった。襲撃者である傭兵たちは、小銃を連射できるのなら、その弾が何処どこに飛ぼうが気にしていない様子だった。機関銃は建物の壁に出鱈目でたらめに撃ち込まれ、ロケット弾は飛んでいく方向が滅茶苦茶で空中で炸裂するモノもあった。


 敵部隊でまともに機能していたのは、蟲使いたちに率いられていた昆虫のれだったが、その群れもウェンディゴから撃ち込まれる砲撃によって肉片に変えられていた。


 私はカラスの映像と、周辺一帯に張り巡らされた動体センサーの情報を確認しながら最適な攻撃位置を確認した。するとハクは私を抱いたまま急に動き出した。ハクに振り落とされないように、しっかりと体毛に掴まりながらたずねた。


「ハク、どうしたんだ?」

『てき、みつけた』

 ハクが向かっている大凡おおよその場所を地図に表示すると、カラスから受信する映像と照らし合わせて付近の状況を確認する。


『あれは……デカいカブトムシだね』

 カグヤが率直な感想に私は同意する。

「自動車ほどの巨体を持つ変異体を、カブトムシと呼んでいいのか疑問だけど、たしかにあれはカブトムシの姿をしている」


『でも、カブトムシにしては脚が太いね』

 カグヤが映像を拡大すると、とげのような突起物に覆われた昆虫の脚が見えた。

「わざわざ拡大して見せなくていいよ」と、素早く映像を切り替える。


身体からだを支えるために強靭な脚が必要なのかも。それに見て、すごく頑丈そうな外骨格がある』

「面倒だな」と顔をしかめる。

「部隊が使用する小銃で対処できない場合、撤退も視野に入れて作戦を考えないと――」


 そのときだった。ハクを狙った数発のロケット弾が飛んできて、我々のすぐ側をかすめて建物屋上に設置されていた室外機に次々と着弾する。すぐにロケット弾が残した煙の尾を目で追う。


「ハク、まずはあいつらの相手をする」

 太腿のホルスターからハンドガンを抜くと、倒壊した横断歩道橋の側に隠れていた男たちに照準を合わせた。

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