第172話 攻撃開始 re
拠点を囲むようにして建つ高い防壁の外に出ると、白銀に輝く糸が張り巡らされた廃墟が見えてくる。糸はそこかしこに
我々にとっては、もはや見慣れたいつもの光景になっていたが、我々以外の人間には近づくことすら
廃墟の街には〈深淵の娘〉と呼ばれる蜘蛛に似た姿の生物が存在する。
文明が崩壊した世界に生息する昆虫同様、その生物も大きな
文明を崩壊させるキッカケになった紛争では、我々が考えもしない様々な兵器が使われた。だから環境を変化させ、昆虫を変異させる化学兵器が存在していたのかもしれない。
あるいは、我々の知らない
深淵の娘は自動車ほどの体長があり、全身が黒い体毛に覆われている。大きな腹部には特徴的な赤い
しかし深淵の娘は
深淵の娘たちの特殊性はそれだけに
注目すべきことは、深淵の娘たちが糸を口から吐き出す能力を持っていることだろう。通常蜘蛛は腹部から糸を出すが、口から糸を吐き出す蜘蛛がいることはすでに知られている。どこかの国のジャングルには、スリングショットのように糸を操り、獲物が近づくと糸を飛ばして、獲物を捕らえてしまう蜘蛛も発見されていた。
それを知っているのなら口から糸を吐き出す蜘蛛なんて、たいして
しかし深淵の娘たちは糸の性質を変化させることができた。
生物に反応して
そして恐ろしいことに、それらの糸は強靭なワイヤロープのような強度があり、糸に捕らわれてしまうと、人の力では抜け出すことが不可能だった。粘着性のある糸に捕らえられたら終わりなのだ。数時間にわたって
空を
それらの糸には、巣の主が
それらのガラクタを見ながらベルトポーチに手を入れ、球体型の偵察ドローンを取り出し宙に放った。落下していたドローンは空中にピタリと静止すると、こちらに向かって飛んできた。
『どうしたの、レイ?』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。
「ハクを探してきてくれるか?」
『ハク? ハクならそこにいるよ』
カグヤの言葉のあと、ドローンの視点映像が網膜に表示される。市街地戦闘用の灰色の迷彩服に身を包み、強い日差しの中、暑苦しい
白蜘蛛は軽自動車ほどの体長を持っていて、全身が白い体毛に覆われている。長い脚に
その白蜘蛛は、深淵の娘たちと同種の生き物だったが〈深淵の姫〉と呼ばれる特殊な個体でもあった。
白蜘蛛のフサフサとした長い脚の先に鋭い
白蜘蛛が脚を大きく広げて、私を
しかしそれでも白蜘蛛のほうが一枚上手だった。ペッと吐き出された糸に足を取られると、私はその場に倒れ込みそうになる。白蜘蛛はその隙に接近すると、私を抱き上げた。
『レイ、つかまえた』と、ハクは機嫌のいいコロコロとした声で言う。
「ハクは素早いからな」と私は言う。
「けど、次は捕まらない」
『ほんと?』
「ああ、本当だ」
『ねぇ、レイ』とカグヤが言う。
『負けず嫌いなのは知ってるけど、子ども相手に本気にならないで』
「冗談に決まっているだろ」
『だといいけど』とカグヤは呆れる。
『それより、遊んでる時間はないよ。分かってるでしょ、敵はすぐそこまで来てる』
「分かってる」
カグヤの言葉にうなずくと、足に絡みついたハクの糸をハンドガンで取り込んで、使用可能な弾薬として再構築する。
「ハク、敵が俺たちの拠点を襲いにきた。撃退するのを手伝ってくれるか?」
『てき?』
ハクの黒い眼が日の光を反射して不思議な色合いの輝きを放つ。
「そうだ。大きな昆虫もいっぱい来ている」
『んっ。ハク、たおす』
ハクは腹部を震わせたあと、私を抱いたまま糸が張り巡らされている建物に近づく。そして
『てき、ない』と、糸に触れたことで敵の存在を感じ取ったハクが言う。
「まだハクの巣の外にいるんだ」
『むっ、それ、ずるい』
ハクは建物に向かって
「カグヤ、案内を頼む」
すると偵察ドローンが
「ハク、あのドローンを……ボールを追ってくれるか?」
『んっ、ぼぉる、つかまえる』
拠点の周囲は、ひと区画全体に
ハクしか知らない近道を通って巣を出ると視界が開ける。目に飛び込んできたのは
「状況は?」と、カグヤに
『ヌゥモの部隊が最前線で傭兵たちと会敵して、今は睨み合ってる状況だね』
「睨み合い? 傭兵たちは攻撃してきてないのか?」
『たぶん、予想よりもずっと早く私たちに発見されて混乱しているんだと思う。戦力が集結する前に行動するか迷ってるのかもしれない』
「ミスズは?」
『アルファ小隊を率いて廃墟の街を移動してる。敵の側面から叩くつもりだよ』
「他の隊は?」
『地図に表示するよ』
拡張現実で目の前に大きく表示された周辺地図で、敵の位置と味方部隊の位置情報を素早く確認する。
「カグヤは引き続き各部隊の支援を頼む」
『レイはどうするの?』
「俺たちは遊撃だ。
我々の上空を飛んでいた〈カラス型偵察ドローン〉から受信する
その数は決して多くないが、頭部にアンテナのような装置が埋め込まれているのが見えた。おそらく〈蟲使い〉たちが昆虫を使役するために使用する装置なのだろう。とすれば、あの昆虫は偵察ドローンの役割を持っているのかもしれない。
『レイラさま』と、ウミの声が聞こえる。
ウミは海岸を探索中に見つけた特殊な人工知能のコアに
戦闘時には専用の戦闘用機械人形を操作することもあるが、ウミの本体であるコアが直接接続されているのは軍用大型車両の〈ウェンディゴ〉だった。
「ウミ、どうしたんだ?」とウミからの通信に答える。
『攻撃位置につきました。襲撃者に対して、いつでも攻撃可能です』
「ウェンディゴで攻撃するのか?」
『そのつもりです』ウミは
『敵の数は増え続けています。昆虫を合わせればその数は優に百を超えます。これほどの大規模な襲撃は今までになかったことです。大量の火器を用いて
「そうだな……分かった。カラスを使って敵に標的用のタグを貼り付ける。ウミはカグヤの合図を待って、それから攻撃を始めてくれ」
『レイラさま、交戦規定はどのように?』
「自由射撃だよ」と、
『よかったです』とウミが
『これで遠慮なく皆殺しにすることができます』
ウミの綺麗な声で
ハクが建築物の屋上に上がったときだった。金属を互いに打ち付けるような、小気味のいい音が四方から断続的に聞こえてくる。
『レイ、銃声だ』
「カグヤ、攻撃開始の合図を頼む」
『了解。各部隊に告ぐ。攻撃開始、襲撃者に対して直ちに攻撃を開始せよ。私たちの生活を
拠点の上空に〈ウェンディゴ〉から発射された数百発の〈超小型追尾ミサイル〉が出現したかと思うと、それらは廃墟の街に向かって放射状に広がるようにして飛んでいく。そのうちの数発が我々のすぐ近くを通過して騒がしい音を立てながら建物に着弾した。
しかし敵に損傷を与えられたように見えなかった。その証拠に、建物に潜んでいた傭兵たちが窓から顔を出して小銃を構えているのが見えた。
そこに耳をつんざく風切り音が聞こえて建物が爆発し、瞬時に粉砕されるのが見えた。
街の至るところから銃声や破裂音が聞こえてくるようになった。襲撃者である傭兵たちは、小銃を連射できるのなら、その弾が
敵部隊でまともに機能していたのは、蟲使いたちに率いられていた昆虫の
私はカラスの映像と、周辺一帯に張り巡らされた動体センサーの情報を確認しながら最適な攻撃位置を確認した。するとハクは私を抱いたまま急に動き出した。ハクに振り落とされないように、しっかりと体毛に掴まりながら
「ハク、どうしたんだ?」
『てき、みつけた』
ハクが向かっている
『あれは……デカいカブトムシだね』
カグヤが率直な感想に私は同意する。
「自動車ほどの巨体を持つ変異体を、カブトムシと呼んでいいのか疑問だけど、たしかにあれはカブトムシの姿をしている」
『でも、カブトムシにしては脚が太いね』
カグヤが映像を拡大すると、
「わざわざ拡大して見せなくていいよ」と、素早く映像を切り替える。
『
「面倒だな」と顔をしかめる。
「部隊が使用する小銃で対処できない場合、撤退も視野に入れて作戦を考えないと――」
そのときだった。ハクを狙った数発のロケット弾が飛んできて、我々のすぐ側をかすめて建物屋上に設置されていた室外機に次々と着弾する。すぐにロケット弾が残した煙の尾を目で追う。
「ハク、まずはあいつらの相手をする」
太腿のホルスターからハンドガンを抜くと、倒壊した横断歩道橋の側に隠れていた男たちに照準を合わせた。
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