第135話 人擬き re


 ガスマスクの形状を変化させて頭部全体を覆うと、フェイスプレートから得られる視覚情報で、周囲の光景が補完され薄暗い建物が鮮明になる。それから天井に固定された金属製の棚の間を通って、人骨やら何やらが散らばる通路を通り過ぎる。私は先行するミスズたちとは別の場所を探索するために、前回の探索で調べていなかった廊下に入っていく。


 両開きの大きな扉が開いていて、そのすぐ側には太いくさりが落ちているのが確認できた。

「カグヤ、これを見てくれ」

 しゃがみ込んでびたくさりを拾い上げる。すると破壊されたくさりの断面図が青色の線で縁取ふちどられて拡大表示される。


『鎖が切断されてる?』

「ああ。切断されて間もないみたいだな」

『どうしてそんなことが分かるの?』

「足跡だ」


 カグヤが操作していた偵察ドローンが廊下の先から飛んでくると、地面すれすれまで浮遊して、スキャンを行うために地面に向かって扇状に広がるレーザーを照射する。

『本当だ。堆積たいせきしていたほこりに新しい足跡がある』

「俺たち以外にも、この工場に探索に来た人間がいたんだ……」


 くさりを地面にそっと戻すと、扉の先に進んでいった。

 荷物を運搬するための台車が廊下に放置されていて、通行の障害になっていた。

『この先に地下に行くための階段があるよ』と、カグヤの声が内耳に聞こえる。

 廊下の先に視線を向けると、カグヤが操作するドローンが台車の間を通りながら廊下の先に向かうのが見えた。


 太腿のホルスターからハンドガンを抜くと、複数の荷台が障害となっている廊下を進んでいく。それらの台車にはブラスチックの箱が乱雑に積まれていた。経年劣化によってひび割れた箱からは大量のネジやヴィードル用の小さな部品が飛び出していて、周囲はひどく散らかっていた。


 その台車のキャスターには特殊な技術が採用されているのか、移動の妨げになっていた台車を退かそうとして触れると、放置されてから数世紀経っているとは思えないほど簡単に、スルスルとすべるように動かすことができた。


『レイ。この先に人擬きがいるから気をつけてね』

 カグヤの声に反応して建物の外で待機している〈ワヒーラ〉から受信していた情報を確認すると、動体センサーに反応はなかったが、地図上には確かに人擬きの位置を示す赤い点が表示されていた。


「動かないのは眠っているからなのか?」

『派手に銃声を鳴らしても目が覚めなかったみたいだし、栄養失調で休眠状態なのかも』

 音を立てないように台車を退かして慎重に廊下を進む。カグヤのドローンが確認していた人擬きは、横倒しになった台車に倒れ掛かるようにしてうつぶせになっていて、動き出す気配はなかった。


 ハンドガンの銃口を人擬きに向けると、ホログラムで投影される照準器が浮かび上がる。するとホログラムの青白い光で薄暗い廊下がかすかに明るくなる。そのまま人擬きの青白い背中に照準を合わせる。ミイラのように干乾びた化け物は、衣類の類を身につけていない。しかしこの位置からでは人擬きの頭部は狙えない。


 人擬きに銃口を向けながら、ゆっくり距離を詰めていく。そのときだった。突然、廊下の奥で台車が引っ繰り返る騒がしい音が鳴り響いた。

『カグヤ、あれは何の音だ』と、私は声に出さずに質問した。


『おかしいな、さっきまで何もいなかったのに……。目を覚ました人擬きがいるもしれないから、ちょっと調べてくるよ。レイはここで待ってて』

 カグヤはそう言うと、ドローンを操作してさっさと通路の奥に飛んでいく。その間、私は目の前の人擬きに対処するために廊下を進む。


 人擬きの頭部が見えそうになったときだった。倒れしていた人擬きが何の予備動作もなく、足首の動きだけですっと身体からだを起こした。どれほど強靭な筋肉があれば、そんな不気味な動きができるのか私には見当もつかなかった。そしてそれはあまりにも突然で、それでいて不自然な動きだったので、私は困惑して一瞬だけ身体からだを硬直させてしまう。


 すぐに気を取り直して人擬きに向かって射撃を行った。しかし人擬きは最小の動きで銃弾を避けると、天井に飛びついて、天井に逆さに張り付きながら私に向かってきた。化け物じみた動きに戸惑いながらも射撃を行うが、人擬きはカサカサと天井をうようにして移動し、銃弾を避けていく。


 飛び掛かってきた人擬きを後方に飛び退いて避けると、ハンドガンを左手に持ち替えた。そして右腕を人擬きに向ける。戦闘服の袖とタクティカルグローブの間に刺青が見えた。それは縄文土器に見られるような荒々しく、それでいて美しい複雑な模様だった。その黒い刺青の中に一匹のヘビが見えた。ヘビは手首をくるりと一周するようにして、おのれの尾に噛みつくように描かれていた。


「ヤト」と、かすかに聞き取れる程度の声でつぶやく。

 その瞬間、ヘビの刺青はスルスルと手の平に移動して皮膚の表面から染み出していく。それはやがて黒い液体となって空中に浮かび上がると、またたく間に刀を形作っていった。


 その刀を握りしめると、力任せに刀身を振り抜いた。かすかな光を反射してあやしく輝く刀身は、しかし人擬きの腕を切り落とすことができなかった。間合いを見誤みあやまったのだ。刀はスパッと骨を切断したが、腕を完全に断ち切ることはできなかった。


 かろうじて皮膚一枚でつながっている腕をぶら下げながら、ミイラのように干乾びた細身の人擬きは飛び掛かってきた勢いのまま台車に衝突して、小さな部品を廊下に撒き散らしていった。


 倒れた人擬きに向かってすぐに銃口を向ける。人擬きは苛立いらだっているのか、まるで駄々をこねる小さな子どものように倒れたまま暴れていたが、急に甲高い悲鳴を上げた。それからゆらりと立ち上がると、力任せに自身の腕を引き千切って、噴き出す赤黒い血液で壁を染めていった。


『レイ、撃って!』

 カグヤの声が聞こえると、ハッとしてすぐに引き金を引いた。しかし人擬きはまたしても銃弾を避けると、大きくほほを膨らませ、私に向かって何かを吐き出した。腕を交差させ、意識せずに前腕の皮膚を石のように硬化させた。


 その腕の間からガスマスクに突き刺さったのは無数の金属片だった。人擬きは倒れたさいに、周囲にある鉄屑を噛砕いて凄まじい勢いで吐き出していたのだ。


 私は腕を交差させたまま人擬きに向かって駆けた。続けて吐き出される金属片が身体からだのあちこちに突き刺さっていたが、気にすることなく人擬きの懐に飛び込む。そして目にもとまらない速さで振り抜いた刀で、人擬きの身体を切断し、返す刀で首をねた。

 しかしそこで攻撃は終わらない。油断することなく人擬きの頭部と、血液を噴き出していた胴体に銃弾を撃ち込んだ。


『終わった?』と、カグヤがポツリと言う。

 先ほどまでの騒ぎが嘘のように、廊下は静まり返っていた。

「終わったよ……あれは何だったんだ?」

『普通の人擬きじゃなかったね』

「そうだな」


 人擬きが吐き出した金属片は、戦闘服の防刃繊維のおかげで貫通しなかったので、怪我をせずに済んだ。マスクに突き刺さっていた金属片も、すでにガスマスクの自己修復のための素材にされていて損傷はなかった。


『レイラ』と、ミスズから通信が入る。

『すごい悲鳴が聞こえました。そちらは大丈夫ですか?』

「ああ、大丈夫だ。建物内に残っていた人擬きと戦闘になったんだ」と、私は周囲に警戒の目を向けながら言う。「今まで出会ったことのないタイプの人擬きだった」


『新種ですか?』

「人擬きの状態から見ても、最近感染した個体じゃなかった。映像を送信するから確認してくれ。ミイラみたいに干乾びた身体からだを持つ奇妙な個体だ」

『確認します』

「もしそいつに似た人擬きに遭遇したら注意してくれ」

『了解です』


 〈ヤトの刀〉が真っ黒な墨のような液体に変化して右手首に戻るのを確認すると、私はミスズと一緒に行動していたナミにたずねた。

「ナミ、そっちの状況は?」


『不死の化け物が数体、隠れて私たちを襲おうとしたけど相手にならなかった。私が倒して、ミスズが止めを刺してくれた』

「その調子で引き続き頼むよ」

『任せてくれ。それで、その奇妙な化け物はどれくらい危険なんだ?』


 基本的に戦闘行動中の通信は個別の回線で行われるのではなく、〈戦術ネットワーク〉を介して部隊全員が聞こえるようになっていたので、先ほどのミスズとの会話をナミも聞いていたのだろう。


「映像は部隊全員に送信してある。ナミたちも映像を確認してくれ。とにかく奇妙な化け物だ」

『確認か……それはどうやってやるんだ?』

「そう言えば、ナミは機械が苦手だったな」

 私はそう言いながら、奇妙な人擬きの死骸に近付く。


「ナミの端末と無線接続してあるガスマスクには、すでにナミの生体情報が登録されているはずだから、何か知りたいことがあれば、マスクに話しかければいいんだ。そうすればマスクが要求に答えてくれる。本来はナミの思考電位……つまり脳波を読み取ってくれるから、思考するだけで知りたい情報が表示されるはずなんだけど」


『そうなのか? よく分からないけど、とにかくやってみるよ』

 ナミとの通信が切れると、人擬きの死体の側にしゃがみ込む。考えたくもないことだが、あの人擬きは刀から染み出した毒に気がついていた。だからこそ全身にヤトの毒が回る前に、自分で腕を引き千切ったのだ。


 もしも自意識を持つ人擬きだったら、我々は恐ろしい化け物を相手にすることになる。


「カグヤ、通路の先で音を立てていたモノの正体は分かったのか?」

『わからなかったけど、人間の死体を見つけたよ。さっき映像を送信したけど……人擬きとの戦闘でまだ確認できてない?』

「ああ、忙しかったんだ。その死体は近くにあるのか?」

『うん。すぐそこだから見にきて』


 カグヤの言葉にうなずくと、廊下の先に向かって歩いて行く。障害物になっていた台車と格闘しながら廊下を進むと、地面に横たわる人間の死体が見えてきた。天井付近の小窓から差し込む日の光を浴びる死体は、自分自身が流した血溜まりに顔をつけるようにして地面に横たわっていた。動体センサーで周囲の動きを確認しながら死体に近づく。


 遺体は全部で三人分あった。損傷がひどく、腕や足が引き千切られている者もいた。腹から腸を引っ張り出された遺体の側にしゃがみ込む。

われているな」

『うん。傷跡の歯形から見ても、それをやった犯人が人擬きだって分かる』


 カグヤが操作するドローンは、死体の真上で静止すると、機体の中央から光を照射して死体をスキャンする。

「気になっていたんだけど、そのドローンは詳細なスキャンもできるのか?」

『うん、普通にできるみたいだよ』

 カグヤはそう言うと、死体に残る歯形を赤色の線で縁取ふちどって、拡大表示して私に見せてくれた。けれど傷跡を確認しても私に分かることは何もなかった。


「こいつら全員、人擬きにやられたのか?」

『たぶん、そうだと思う』

 カグヤは次々と死体をスキャンしていった。

「ずいぶんとしっかりした装備だな……」


 死体が使用していた深緑色のボディーアーマーを見ながら私は言う。

「こいつらは傭兵か?」

『そうだね。でも、どうして傭兵が工場なんかにいるんだろ?』

 鳥籠間の紛争で忙しいはずの傭兵が、基本的に実入りの少ない工場にいるのは奇妙なことだった。


『それにさっき建物を確認したときには、こんな死体はどこにもなかったんだ』

「新鮮な死体ってやつか……」

 ガスマスクの機能を使い、サーモグラフィーで死体を確認していた。傭兵たちの遺体からは、かすかだが体温が残っていることが確認できた。


『待って、なにかいるみたい』

 カグヤの操作するドローンが、急に〈熱光学迷彩〉を起動して姿を隠した。


 死体が横たわる廊下の少し先に、黒いワンピースを着た女の子が立っているのが見えた。そこは日の光が届かない薄闇の中だったが、マスクを通して暗闇に青白く浮かび上がる女の子の姿がハッキリと確認できた。私は立ち上がると、すぐにハンドガンを構えた。


 その女の子は私の半分の身長しかなく、肌は青白く傷ひとつなかった。彼女は裸足で不自然な印象を与えていたが、問題は彼女が裸足だったからじゃない。彼女の口の周りには大量の血液が付着していて、さらに言うなら、彼女は黒いワンピースなんて着ていなかった。私がワンピースだと思っていたモノは、彼女の異様に伸びた黒髪だった。


『レイ! 人擬きだ!』

 カグヤが言い終わる前に私は引き金を引いていた。

 けれど人擬きは信じられない速度で弾丸をけてみせると、そのまま四足歩行で向かってきた。私は立て続けに射撃を行ったが全てかわされてしまう。


「動きが速すぎる。カグヤ、掩護えんごしてくれ!」

 私に噛みつこうとして大きな口を開き、眼前に迫ってきていた人擬きに向かって咄嗟とっさに前転して攻撃を避けると、振り向いて射撃を行う。が、またしても攻撃をけられてしまう。すると視線の先に拡張現実でターゲットマークが表示される。

 その目印めじるしに合わせて偏差射撃を行う。銃弾は人擬きに命中したが、それでも化け物は執拗しつような攻撃は止めようとしなかった。


『嘘!』とカグヤが困惑する。

『どうして銃弾を受けてるのに死なないの?』

 その答えは私が知りたかった。


 人擬きが出鱈目でたらめに振り回した腕の一撃を避けると、ハンドガンの弾薬を炸裂さくれつ弾頭だんとうに切り替える。それから何も身に着けていない人擬きの太腿に弾丸を撃ち込んだ。弾丸は化け物の太腿内部で炸裂し、骨を砕いて筋繊維をズタズタに破壊した。


 人擬きが倒れると、その頭部に向かって容赦ようしゃなく銃弾を撃ち込む。それから火炎放射に切り替えて人擬きの身体からだを焼却する。燃える人擬きは殺虫剤を吹き付けられた昆虫のように、手足を天井に向けてバタつかせ、そして動かなくなった。


『死んだのかな?』

 カグヤの操作するドローンが迷彩を解いて姿を見せた。

「わからない。でも少なくとも、動くことはもうないだろう」

 人擬きから立ち昇る黒煙が、ガラスのない窓の向こうに流れていった。

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