〃        (4)

                * * *



『目標の街に入りましたよ、マイケル』

「……センサーは?感度あるのか」

『このまま1km直進。右手の小学校を過ぎたら左へ』


 走りながら【SAI】は背中の“ブーム”を前にまわした。


「おいちょっと待て!なんの――つもりだ?」

『フフッ……まぁ見ててくださいよ』

「フツーに撥ねろよ!フツーに!ヘンな演出なんか要らないんだって!!」


 このAI人工知能は恐ろしいことに、観たばかりの演出をすぐマネをしたがるのだ


 ペキンパーのシネマをダウンロードした時は、スローモーションでひき殺した。

 カーペンターの時は、相手に(助かった……)と思わせておいてからの出会いがしらドン。


 オレは【SAI】こいつに最近ナイトラ〇ダー以外で何をダウンロードしてやったか、運転しながら記憶をひっくり返すが、明瞭ハッキリとしない

 

 そういえば、今回の出庫の時、整備部長の『M』が運転台のコチラにむかってニヤニヤしてやがった、ような。


 ――ヤバイ……気になる。大丈夫だろうな?


 フロントグラスにヘッドアップディスプレイの表示がよみがえる。

 目標が、近い。



                * * *



「なーんだ、ダレかとおもったら“13点”じゃないの!」


 くらがりから声が降ってきた。


「心配してソンこいちゃった」


 少年が気がつけば、月を背後に誰かがのぞき込んでいた。

 片方の目があかない。血が流れ込んでいるのか。


 彼がフラフラ立ち上がると、自転車の乗り手ひしゃげたは前かごを懸命に直そうとしている。


「ちょっと……コレ弁償モンだからね!」


 塾か、部活の帰りだろうか。

 ひとりの少女が目を吊り上げて、ふりむいた。

 悪徳令嬢。女邪術師。少年にとっての、悪の総本山。

 

「あしたパパに言って、アンタんトコの年金ジジィ、しめ上げてやるわ!」


 ふだんなら、言葉を失い、口の中でモゴモゴするだけだったろう。

 しかし、この夜の少年は、違っていた。

 月の光をあび、まるで何かに操られているように、


「痛ってェなぁ……人にぶつかっといてゴメンも無しかよ」

「ハァ?一丁前に血なんかながしてンじゃないわよ!13点風情が!」

「ん……だと?」

「どうしてくれんのよ、この前カゴ!きっとチャリも歪んでるわ!買いなおしてもらうからね!?」


 “天才ダンサー”の残滓は、片目で得物をさがす。


 あった。


 5mほど先に、破れかけたコンビニ袋。

 月光に照らされて闇のなか、ほの白くうかんでいる。

 片手スコップは、見当たらない。

 もし手もとにあれば、有無をいわさず目の前の魔女に投げつけていたところだ。


 相手に気取られないように、少年はコンビニ袋を取り上げた。

 ウサギの死骸とアリバイの小品数点、それにウンコの入った袋を。


 相手の雰囲気にただならぬものを感じたらしい。

 カゴに入っていたカバンの具合を気にしていた少女は、無灯火の自転車にまたがり現場を去ろうとする。


 少年は、その前に悠然と立ちふさがった。


「……まてよ」

「ドきなさいよ、このブタ!」

「そうアセるなって」


 このとき、なにが少年をそうさせたのか。

 ウィトゲンシュタインや、後期ハイデッガー。フッサール。ラカンやデリダ。フーコーその他名だたる哲学者が額を寄せ集めても、この時の少年の行動を解析することは不可能だったであろう。


 ただ一点、言えるのは……。



 この晩、月が軌道をはずれたように大きく見えたこと。



 それだけ。


 おもむろに少年はコンビニ袋の中に手を入れる。

 そして血まみれの顔でニッコリとほほ笑み、掴んだモノを少女の顔になすりつけた。


「キャッ!」


 相手が一瞬ふらつき、自転車を倒すとブロック塀までよろけ背をつけた。

 そのすきを見逃さず、コンビニ袋からさらに一握り。


 壁

  ド

   ン

     ならぬ

         クソ

          ド

           ン

             の姿勢。


 ベチャリ!!相手に叩きつけたあとは、ぬりぬりと美容パックのように塗りひろげた。


 少女は呆然とした声で


「……これはなァに?」


「ウンコ」


「うんこ?」


「そう、ウンコ」


「だれの?」


「ボクの」


「あなたのうんこ?」


「ボクのウンコ」


「……」


「……」


 月下のもと。研ぎ澄ましたような沈黙。


 やがて、少女のからだがプルプルとふるえはじめたかと思うと、


「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”……ア”……ア”」


 よだれを垂らし、白目を剥いた少女は身体をのけぞらせ、肺活量の続くかぎり月に向かって絶叫する。


 それはあたかも、いいスーツを着てスカしたサラリーマンが大事な商談に向かう最中、飛び込み自殺により停車中の東海道線車内で極限まで便意を我慢したあげく、駆けこんだ駅の男性用トイレにならぶ“大”は満員で、仕方なく女性用トイレに入ろうとしたところ、50がらみの夫をATMとしか思っていない専業主婦二人組に阻止されたすえ通報され、警察官二人から逃げ出したはいいが、大混雑のコンコースでとうとう肛門が「もうムリっス」とばかり決壊して不覚のビチ糞を漏らしてしまい、ふいに開けた空間の中心で、動きを止めた満座の通行人が注目する中、彼を追って来た警官たちが事情を悟り生温かい笑みをうかべて、うなだれる彼の肩をポムポムとやさしく叩いた時に叫ぶ人生の悲哀のような。


 あるいは――。


 お局さまと社内でやっかいものにされていた喪女が、いかなる運命の歯車が崩壊したか、高身長のイケメン金持ち青年と挙式をあげることになり、いざケーキ入刀の際、眠れない前夜、辛子明太子とストロング・ゼ〇をしこたまむさぼり飲み食いし、今さらやって来たその便意の反動に苦しみながら、彼氏に添えられたナイフを握る手をふるわせていると、「そんなに緊張しなくてイイんだよ(歯・キラーン)」と言われ、じゃぁ屁ぐらい出してみるかと肛門をゆるめたところ、お約束のガスまじり下痢便ブッパとなって、純白のウェディング・ドレスがナイスなサウンドとスメルと共に得も言われぬツートン・カラーに変貌した時に叫ぶ、運命に対する怨嗟のような。


 ちょっと「死霊のは〇わた」を思い出すなと少年はビビる。

 対して茶色い顔をした彼女は、少年の手からコンビニ袋を取り上げると、邪悪な笑みを見せ、じぶんもまだ温かみの残るひと握りとりだした。


 そしてガクガクと、まるで何かに操られたような動きで、


「顔、出しなさいよォ……」

「え……」


《brown》《xbig》「出せっッッッてンのよォォォォォォォォォォォォォおおおおお!!!11111」《/xbig》《/brown》


 どうした!何があった!と近くの家の玄関があいて、中年の男が寝巻の上にガウンを羽織った姿で3番アイアンを手に飛び出してきた。


「さっきから見ていたぞ!その小僧になにかされたのか!?」


 少女はツカツカと中年男に歩みよると、


「オヤジ――ウルサい」


 そういうや、手に持ったものをビタァッ!と叩きつける。

 一瞬、中年男の思考はフリーズしたようだった。


「なんだコレは!うわっ、臭いッ!も、もしかして……うn」


 そこまで言って、腰が抜けたかのようにペタリと尻もちをついてしまう。

 ジョロロロロ……と寝巻の股間に黒いシミがひろがって。


 肩から怒気をオーラのようにゆらめかせながら、ニィッ、と少女は振り向いた。


「顔ォ……出しなさいよ……」


 そして相変わらずガクガクとした動きで少年に詰め寄ってゆく。

 コンビニ袋をさらに手探り。しかしウンコはもう品切れらしい。


 少女の顔が一瞬曇るが、新聞紙の包みを探りあて、また邪悪な笑みを復活させた。


「ナニよ――まだあるじゃないの、ウンコ」


 茶色い手で包みを取り出し、それをひきむしる。


 中から出てきたのは、死後硬直した白兎の亡骸なきがら……。


 少女がフッと真顔にもどる。

 硬くなった毛の塊を月光にかざして、確認。


《brown》《xbig》「ピョン吉……ピョンきちヰィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」《/xbig》《/brown》


 ガクッと少女の頭が垂れた。

 やがて全身をマラリアのふるえめいてブルブルと怒気を放出しながら、


「ゆる……せ……な、ゐ……」


 白目を剥いたまま憎悪をたぎらせ、ウサギの死骸を手にして、少年に近づく。

 少年はといえば、どうしてこんな展開になったものか、まったく理解が出来ないまま、ジリジリと相手の気迫に押され、後退してゆく。



 ふたりの動きが止まった。

 ニラみ合ったままの、微妙なひととき。

 それは互いが瞬発行動を前に、筋肉のネジを極限まで巻いているに等しかった。


 最初に動いたのは少女だった。

 鬼のような形相で、死骸片手な姿のまま少年に襲いかかる。


 少年も負けてはいない。

 弦を放れた矢のごとく、これもすばらしいスタートダッシュを切った。


 追いすがる少女の初撃を回避するや“脱兎”のごとく逃げはじめる。

 その彼の背後では、ふたたび人間のものとは思えないような、


《brown》《xbig》「キィィィィィィィィゑェェェエェェェェエ!!!!!!111」《/xbig》《/brown》


 という、もはや人間を放棄したような、ケモノじみた咆哮。

 そしてときおり、


《brown》《xbig》「うんこォ"ォ"ァァァァァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!11」《/xbig》《/brown》


 という奇怪な絶叫を、夜の住宅エリアに響き渡らせて。


 酸欠気味な少年の頭に、


(“庵珍清姫”に出てくる庵珍さんは、大ヘビと化した清姫に追いかけられた時、こんな気分を味わったんじゃないかナー)


 ……などという、しょ~もない連想が浮かんだのを、精妙な読み手である諸兄には知らせておきたいと思う。


            * * * *


……お夜食中の皆様スミマセン。


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