(3)怪しい人影
伊戸が席を外したあと、俺たちは地図を開き、示されたポイントを確認した。ひと気のない路地。格子状の商業地域。倉庫は立ち並ぶ一帯。無人の神社。農道。河川敷。高架下。
「4キロの範囲だけでもまだまだあるな」
霧代市はこんなにも危険な場所だったのかと当惑する。俺たちはその中から犯行地点の目星をつけなければならない。何か法則めいたものがあると助かるのだが。
「ABC殺人事件みたいなやつはないと思うよ」
「だよな」
たとえば世間を騒がせることが目的の劇場型犯罪ならばゲームめいた法則が存在していてもおかしくはない。でも、猫殺しの犯人は、人知れず猫を殺し、人知れず放置している。たまたま俺たちが死骸を発見しただけで、誰かに犯行を誇示する意志はない。つまり犯行地点として選択する場所も純粋に『犯行に及びやすいところ』という理屈になる。それが一体どこなのか。
「はっきりとしたことはわからない。でも、ある程度、当たりを付けることはできるかも知れない」
「それは?」
「単純な話よ。連続犯は犯行の位置と角度を事件毎に変える。これもデビット・カンターが提唱した地理的プロファイリングの手法」
位置と角度?
聞き返す俺に柚木崎は小さく頷く。
「犯人の拠点と最初の犯行現場を地図にプロットしたカンターは、犯人は次の犯行を最初の犯行地点の反対側で行うんじゃないかって考えたの。その次の犯行は第1、第2の犯行地点とはまた異なる方角で行う。実際に起きた窃盗や性犯罪で検証したらこの予測はある程度的中していたそうよ」
成程、一度犯行を行えば周囲の監視は厳しくなる。目立ちたくないと考える犯人なら同じ場所での犯行を避けるのは当然の心理だ。
「だったら、最初の犯行がここ、直近がこの路地だから」
位置と角度が重ならないのは、と地図をなぞる。
「剣川の周辺、それに南針野公園あたりか?」
剣川は市内を流れる二級河川で、俺が三馬鹿と殴り合ったのもこの川の河川敷だ。川幅が広く延長は数十キロに及ぶ。だが絞り込んだエリアと重なる範囲はさほどでもない。水量がなく、剥き出しの川原には雑草と樹木が繁茂している。下りれば犯行はどこでも可能かも知れない。
もう一方の南針野公園は全周数キロの市立公園だ。内部はいくつかのエリアに分かれていて、中には見通しの利かない場所もある。木々で覆われた遊歩道などは監視性の低い場所と言えるだろう。
入りやすく見えにくい。どちらも犯行の条件を満たしている。
「でも私は剣川のほうが怪しいと思う」
「理由は?」
柚木崎はストローに唇をつけアイスティーをしゅるると吸った。
「犯行地点を予測するための材料がもう一つ」
「またデビット・カンターか」
柚木崎は黙ったまま否定する。
「神杉くん、猫を殺すために必要なものは何?」
俺ははてと首を捻る。
「刃物だろ?」
「もっと根本的な話よ。猫を殺すためには猫が要る」
柚木崎は南針野公園に指を触れた。
「南針野公園は霧代市の管理。当然猫の餌やりも禁止されている。餌がなければ猫は住み着かない。仮に住み着いても駆除される。だから肝心の猫がいない」
確かに、河川敷ならそこまで管理は厳しくないだろう。虫に鳥にと食べる物も豊富にある。堤防があるのだから拠点となる民家もあるはずだ。猫の遊び場としては悪くない。
「地図に示された場所で近くに猫がいそうなところ。私たちはこの線で探していくべきだと思う」
「探してからどうする。張り込みか?」
「基本的には。あとは可能な範囲で聞き込みかな。自動撮影のカメラでも使えればいいけど、どこにでも設置できるものじゃないし」
お金だってないでしょ、と柚木崎。スマホに指を滑らせてみた。確かに、手軽に買える価格ではなかった。一台ぐらいなら何とかなるかも知れないが、柚木崎の言う通り設置場所に困りそうだ。判断は保留にしておこう。
「まずは剣川だな」
二杯目のコーヒーを一気に煽った。
俺たちは一緒に昼食を食べたあと剣川の河川敷へ向かった。チャリを走らせ見通しの悪い場所を確認する。うち、大通りから半キロほど離れた一帯が最も怪しいという結論に落ち着いた。市街地からは遠くないが喧騒が届くほど近くもない。街の空気がぷっつり途切れたような寂しげな場所で、川原に茂る草木が無言で視界を遮っている。堤防の内側では田畑の間にぽつぽつと民家が屋根を寄せていて猫もいないわけではなさそうだった。条件は合致している。ただ、身の置き場所がなかったため、そこから百メートルほど大通りに近い場所にある屋根付きの休憩所で犯人が現れるのを待つことにした。
しかし、結果から言えば狙いは当たらなかった。待てども待てども怪しい人影は姿を見せず、散歩に興じる年寄りと犬ばかりが目の前を横切った。あとは汗を振り撒くランナーがせいぜいだ。猫も頻繁に姿を見せたが、それを気に留める人間は一人もいなかった。
俺は何でもないのどかな景色を観察し、柚木崎は黙々と文庫のページをめくっていた。たまに他愛のない会話を交わした。好きな食べ物のこと。好きな本のこと。勉強のこと。進路のこと。俺が話を振ると、柚木崎は静かにうなずいていた。眠たくなるほどうらうらとした土曜日だった。俺たちは五時半過ぎまで休憩所で過ごし、夕空を眺めながら解散した。
翌日の日曜日も剣川のほとりで座っていたが不審者は一向に現れず猫の死骸なども落ちてはいなかった。柚木崎は土日を合わせ五冊の文庫を読破し、俺は野鳥を観察して時間を潰した。
ただ、堤防の上で一度だけ知った顔を見かけた。伊戸だ。
「あれ? お前ら何やってんだ?」
サドルにまたがった伊戸が間抜けに口を開いていた。柚木崎は文庫で顔を隠した。
「あれか。例の変態探しか。でも、お前のほうが変態っぽいな神杉」
「うるせえよ。お前こそいつからツーリングが趣味になったんだ」
「買いもんだよ。こっち通った方が早いんだ」
伊戸とは道場の外でも何度か遊んだことはあった。でも家がどこかは知らなかった。取るに足らないやり取りを二、三交わし、チャリに乗る背を見送った。
週明けの放課後も俺たちは河川敷で過ごした。成果と言えば犬を連れたおばさんと顔見知りになったくらいで「毎日彼女さんと一緒でうらやましいわねえ」と温かな目を向けられた。へらりと笑みを返しておいた。世間話の体で、近頃若い人間がうろついてるのを見たことがないかと尋ねてみたが、要領を得ない返事しか返ってこなかった。
「今日は別の場所に行ってみる?」
柚木崎がそう提案してきたのは火曜の放課後だった。猫殺しを捕まえるまで何日待ち続けても構わなかったが、さりとて犯人が現れる保証があるわけでもない。別の場所を確認しておくことも有益だろうと俺はその提案を受け入れた。以降三日間、地図に示された場所をいくつか巡ってみたが、やはり成果らしい成果は得られなかった。
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