第二章 彷徨う者たち

(1)ゴミの不法投棄

「頼まれてたやつ。これでいいのか?」

「悪いな、伊戸」

 俺は、向かいに座る垂れ目の男、伊戸慎介から筒状に丸められたそれを受け取った。サイズはA2。輪ゴムを外し、砂糖類の小瓶を倒さぬよう慎重に中身を開いていく。

「おお、これこれ。多分これだ。手間かけさせたな伊戸。助かるわ」

「別にいいけどよ。神杉、そんなもん何に使うんだ?」

 テーブル一杯に広げられたそれは、犯罪の起こりやすい場所を示した地図、防犯マップだった。市内の全域を収めた地図に赤色のポイントが複数落とされている。俺は「ちょっとな」と言葉を濁し、再び地図を円筒形に戻す。説明するつもりではいるが、注文が運ばれてきてからでいいだろう。そう考えていた矢先、見計らったようにウェイトレスがやって来た。

「コーヒーと、えと、白米単品……でございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

 あざっすと頭を下げてコーヒカップを引き寄せた。続けて伊戸の前に湯気の立つお椀が配られる。オーダーミスを危惧したのだろう。ウェイトレスは困惑の色を隠さなかったが、伊戸の顔を見た途端、頬に赤い花を咲かせた。

 俺は、白米の前で手を合わせる伊達男の前でカップにクリームを垂らす。

「いい加減、妙な注文で店の人を困らせるのはやめろ。なんだ白米単品って。せめてたくあんをつけろ」

「黙れ神杉。俺の勝手だ。口から垂らすのは糞だけにしとけ」

 伊戸はお椀を白米の香りを堪能する。

「……この香り、佐賀県産だな」

「知らんけどよ。伊戸、お前今日、道場は」

「土曜は午後から。知ってんだろ」

 そう言やそうだったかなとカップの中身を掻き混ぜる。最後に顔を見せたのは卒業前。稽古に出たのはさらに半年以上前だ。反吐が出るほどしんどかった記憶しか残っていない。

 カップを一口すする。胸にじわりと熱が広がっていく。磨かれた窓から空を眺めると飛行機が白線を引いていた。あの頃の空もこんなだったろうか。もううまく思い出すことはできなかった。


 部屋を出た俺と柚木崎は警察署に足を運び殺された猫のことを相談した。時刻は七時過ぎ。窓口で欠伸を掻いていたのは五十代くらいの警察官で、今日はもう遅いから帰りなさいとうるさげにあしらわれた。警察が横柄なのはイメージの中だけの話だと思っていたが、現実もそう変わりはないらしい。悪態を吐きながら柚木崎を家まで送り、その日はそれで解散した。

 翌日は金曜日で、俺は担任の針尾に同じことを相談した。針尾は腕を組んで一応は考え込む素振りを見せてくれたが、回答は次のようなものだった。

「だが神杉。学校にできることなんてそうはないぞ。警察には相談するんだろう? とりあえず対応を待つしかないんじゃないか?」

 誤りのない回答だった。しかし期待した答えとは違っていた。具体的に欲しい回答があったわけではないが、それでも俺は落胆を覚えていた。

「注意喚起がせいぜいだろう。仕方ないさ」

 昼休みの教室で柊はそう言った。組まれた脚の上ではハードカバーが開いている。小説の類ではなく美術の解説書のようだった。俺は理解の及ばない厚塗りの西洋画を横目に握り飯を頬張った。鮭の身を舌で感じながら、ぼやく。

「そんなもんかよ」

「校外のことだ。学校には関係がない」

 確かになと、包装フィルムをくしゃりと潰す。

 関係ない。だから関わらない。学校に限らず世の中の仕組みはすべてそうだし、そのために管轄という言葉がある。俺はきっと馬鹿なことをしているのだろう。でも、目の前で消えた命を無関係の一言で切り捨てたくはなかった。それは、とても恐ろしいことのように思えた。

「それで、今日はどうするつもりだ。また柚木崎と警察に行くのか」

 柊はページをめくりながら問いかけてくる。

「ああ、行くつもりだ」

 俺は柚木崎の席に視線をやる。どこか離れた場所で昼食を取っているらしい。小柄な制服姿は見当たらなかった。

 本来なら柚木崎も無関係なことに首を突っ込んでくるやつではないはずだ。他人とは距離を置き、己の領域には踏み込ませない。改めて柚木崎を観察しても内向きな性格は充分に見て取れた。そんな人嫌いが俺の馬鹿に協力してくれると言う。ただの興味本位か、気紛れか。戸惑いを覚えなくはないが、ありがたくもあった。行動を共にしてくれる人間というのは、それだけで心強いものなのだから。

 ぼんやりと考えていると、柊が横顔のままぼそりと言った。

「すまないな神杉。何も手伝ってやれなくて」

 俺は意外な言葉に目を丸くした。ははと笑い柊の腕を小突いた。

「何言ってんだよ柊。当たり前だろお前部長なんだからよ。それより早く部員増やせよ」

 柊は「叩くなバカ」と拳の触れた箇所を指で押さえる。その唇が何かを堪えるような、可笑しな形で結ばれていた。妙に面白くなってまた肩を突いてやった。柊は本をふりかぶった。


 放課後、俺と柚木崎は教室を出てそのまま警察署へ向かった。二日目に対応してくれたのは二十代後半ぐらいの女性警官で名を扇沢といった。ぶっきらぼうな人だったが俺たちの話一つ一つペンを動かし現場にも車を走らせてくれた。俺は生まれて初めて乗ったパトカーのシートに下腹が縮むのを感じながら、結局どんな組織も人によるのだということを学んだ。

「期待はしないで。一応上には報告しとくけど」

 一通り現場を確認した扇沢さんは苦笑交じりにそう言った。上の人間が事件をどう捉えるかにもよるが、恐らくはパトロールの強化という形で落ち着くだろうとのことだった。小動物の虐待は決して珍しい事件ではないと言う。

「猫が数匹殺されるくらいじゃ動けませんか」

 扇沢さんは額にボールペンを当てた。

「その話だけど君たち以外に通報を受けた記録がないの。野良だからかな。もしかしたら市役所のほうで処理されてるかも知れない」

「私有地でも?」

「私有地ならその土地の所有者。でも普通は役所に処分を頼むと思う。あと川原に動物の死骸を埋めるのは違法だから。ゴミの不法投棄って見なされるよ」

「ゴミって……。猫ですよ。そんな言い方」

「法的にって意味だよ、神杉くん」

 柚木崎のフォローに扇沢さんが頷く。

「そっちの彼女の言う通り。廃棄物処理法だと動物の死骸は生ごみと同じで一般廃棄物扱いなの。愛玩動物なら廃棄物として扱われないという解釈はあるけど河川への埋葬が認められるわけじゃない。軽犯罪法にも抵触する」

「逮捕されるんですか、俺ら」

「悪気はなかったんでしょう。苦情があったわけでもないし今回は目をつぶるよ。厳重注意ってことで」

「すみません」

 すっきりしない面をしていたのだろう。扇沢さんの表情が労わるようなそれになった。

「骸を物として扱いたくないという君の気持ちも理解できる。至極当たり前の感情よ。でも、それを路上で死んだ猫にまで向けられる人間はそう多くない。得がたい君の行動、私は敬意を表するわ」

 でも次からはちゃんと大人に相談なさい。

 扇沢さんはそう結んで車に戻るよう俺たちに促した。

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