第9話 倭王 再会 ついに五人 

 一方、大和の斑鳩(いかるが)の里から攫われて来た、安曇(あずみ)達のいる蝦夷(えみし)の集落では、長老のオンガと、安曇を中心に会議が行われていた。大和朝廷の大船団が北に向かったという情報は、直ぐさまオンガの元に入って来たのである。誤報も勘違い情報もかなりあるので、皆で、よくよく情報を吟味ぎんみする必要があった。

 安曇は、大和との戦闘反対派である。

 村の皆からは、

「自分が倭人であり、大和の人間であるからであろう⁉」

と罵られている。

 安曇は、村の人々に言う。

「みなさ~ん!聞いてくださ~い」

 安曇は皆の注意をひいてから、

「皆は、あいつら、倭人は、弱っちいと思っているようですが、大和の国、倭の国の中央政府の軍隊は武器が違いますよ。腰向かすほど、強力な武器を持ってますよ。ワシらの何処かの村が襲われたからといって、助けに行ってはダメ。助けに行ったなら、奴らは、ワシらが倭人を襲って来たのだと、こっちに責任を押し付け、攻め込んでくる悪い奴らもおるんです。何されるか分かりませんよ。こっちで皆さんが知ってるような拷問・尋問どころではないんです。彼らの挑発にのって、彼らと戦って、彼らに絶対こちらを襲う理由を与えてはなりません!」

と、安曇は不戦・無抵抗を主張するのだった。しかし、村の若い者は、倭人が攻めて来たら、海から現れれば弓と銛、山にいたってはわなを活用して、倭人を簡単に撃退出来るという声が強いのである。

 安曇は、必死に村の皆に、不戦の説得を試みるのであった。

「あかんねん!」

「一曰。以和為貴。(いちにいわく。わをもって、とうとしとなす。)やねん。わかる?」

そして尚も強く言う。

「絶対あかんねん!」

 安曇は、皆の顔色を一人一人丁寧に見ながら、

「大和の人間は、普段弱いくせに、大将が強いとなると、みんな、頑張るんや。大将が手強いと、兵隊も手強いですから。今、大和には、非情で怖い大将がおるんです。数も多い!いくら戦っても、限りなく次から次に敵はやって来るんです」

 安曇は一呼吸おいて、

「酒のましてさっさと、帰したらええんよ!相手にしては、ダメ」

 安曇は、とにかく主戦派の説得に必死です。

(この村人を大和朝廷軍と戦わせたらいかん)

と思っている。

 今回は良くても、その後、何回も何回も戦いは続いていくのが分かっている。

最初から、

「両者は戦わない」

と決めた方が良いに決まっているのだ。安曇は、そう強く思っている。

 安曇は大和の国で、人と人の戦いの根深さをイヤというほど知っているのである。

 そこで、村長のオンガが、言った。

「みんな、聞いてくれ!」

そして、オンガは集まっている皆の顔を一通り眺め、

「一曰。以和為貴。(いちにいわく。わをもって とうとしとなす。)」

オンガは、合言葉のように安曇と同じ言葉から始める。オンガも口癖になってしまったのだ。

「今回は、この安曇の言う通り、倭軍とは戦わず、良き交易相手として、迎えてはどうだろうか?」

 村長オンガの言葉である。村のみんなはシブシブ納得したようだ。

 安曇の口癖、一曰。以和為貴。(一にいわく。わをもって とうとしとなす。)は、村の皆は、知っている。しかし、その言葉の意味は詳しくは知らない。

 ただ、(いい言葉なのであろう)、とは感じている。

 もしかして、それは何かの合図なのであろうか?と皆は思っていたのだった。

 ここにつどう兵士の役目をになっている若い年代は、ヌカタの学校には行ってないので、この言葉の意味を、よく理解はしていない。

 幼い子供や幼子を、ヌカタの学校に行かせている村の上層部の大人は、ヌカタから教え聞いて意味を知っているのであった。

 一同、みんな、オンガのことばに頷いた。

 そして安曇は安堵した。

 それ以上にオンガも安堵した。

 安曇(あずみ)の不戦の強い思いは、蝦夷(えみし)の村の人々に届いたのだ。

 安曇は、オンガに一礼をして、村の皆に向かって指示を出す。

「イノシシ、3頭!」

「ウサギ 十羽、鮭 百匹、海魚 百匹、これを献上します。そして宴席用に、酒十|瓶(かめ)を用意します。宴席の料理は、これら献上品で造ります。いいですか~?」

そう言い終わると、ヌカタと村の女たちを眺め、宜しく、というように頷いた。

 そして、もう一度、オンガの方を向き、深く頭を下げ、皆に向かって、

「それでは、皆さま、ご用意お願いします」

 蝦夷(えみし)の会議会場では、所々でため息が漏れる。舌打ちも出る。それでも安曇は、気にしない。

 次に、安曇は、数名の偵察を出すことにしたことを、皆に告げた。

 大和の朝廷軍が海から来ることが分かったので、大体の上陸箇所を探るためである。その上陸場所付近で、降伏の儀式が行われるであろう、と、安曇は、予測している。

 宴会場もそこに設営をして、蝦夷(えみし)達には大和朝廷の海軍が来る前から降伏の準備をさせ、士気を上げないようにするのだ。

 刻々と入ってくる偵察の情報を分析すると、大和の朝廷軍が上陸して来る場所は、雄物川(おものがわ)河口の齶田(あぎた;後の秋田市)と米代(よねしろ)川河口の渟代(ぬしろ;後の秋田県能代市)あたりではないかと推測できた。

 情報が入ってくるたびに、安曇はオンガと相談する。

 二人で分析し、そして、大和朝廷軍の上陸箇所を分析した。

 そして分析の結果から、上陸箇所はここ齶田と予想をたてたのだ。結論を出して二人は同時に驚いた。

「ここやん⁉」

 安曇は、早速、準備に取りかかった。海岸の後ろの森には、三百の蝦夷に弓矢、銛、投石の準備をさせる。戦うつもりはなくても、相手が村を襲うようなことがあれば、という防衛の意味を持ってである。そして、森の中の広場に、貢物を準備させ、宴席の会場も準備させる。そちらは、妹のヌカタに任せた。

 数日が過ぎ、まだ陽が傾く前に、齶田(あぎた)の沖に、次々と大和朝廷軍の巨大戦艦が現れ始めたのだ。

 百八十艘が、沖に並ぶ。齶田(あぎた)の湾も、河口も、封鎖されたかたちになる。

 蝦夷たちの顔は青ざめている。

 沖に並ぶ軍艦は、半端な数ではない。それに、今まで見てきた軍艦とは、けた違いに大きいのである。

 蝦夷たちの中には、腰を抜かした者までいた。

 大和朝廷軍の戦艦の大船団は、その夜、篝火(かがりび)をき、一晩、沖で停泊した。篝火の数が多く、周囲の海の風景は夜の中、こうこうと照らされ昼間のようでもあった。また船団は、揺れを最小限に抑えるために、大型船は、太い縄で連結されている。


 余談ではありますが、中国の三国志、赤壁(せきへき)の戦いでは、諸葛孔明(しょかつこうめい)が、強い風が吹くと予測して、風上側かざかみがわの戦艦に火を放って、全て横繋よこつながりの船を焼き尽くした話があります。西暦二〇八年の話であり、孫氏の兵法(そんしのへいほう)での言い伝えでありますから、我が国に伝わるのは、かなり後の八世紀以降の話です。この時は、日本では、まだ誰も知らない中華の史実しじつです。ちなみに、この、赤壁の戦いにより、中国は、天下三分し、魏・呉・蜀の三国時代が始まったのでした。


 蝦夷(えみし)側は、火をたかず森の中で静かに夜が明けるのを待っておりました。朝日が昇り、海から陸への風が徐々に吹き始める。と同時に、それを待っていたかのように巨大木造戦艦の横から、一人乗りの帆船、数十隻が現れ、海からの風に乗って岸に向かって来たのです。

 早速、安曇(あずみ)とオンガは、彼らを迎え、交渉に行こうと森を出たのであるが、それより先に恐怖にかられた蝦夷の村の数名が、弓や、銛を持って海に向かって行ったのである。

 安曇もオンガも慌てて制止しようとしたが、彼らは恐怖に駆られている。

 安曇もオンガの制止の声も、何も聞こえないのだ。夢中で、向かってくる帆船に、弓や銛を放つ。その一本の弓矢が、先頭の帆船の帆に当たった。

 先頭の帆船を操る者が、帆の舵をとる棒を胸に縛り付け、両手を自由にしたところで、弓と矢を構えた。それに続き、他の帆船の兵士も戦闘態勢に入ったように見える。

 安曇とオンガは、二人して浜に出て、村人に攻撃を止めさせて、波打際(なみうちぎわ)まで出てきて、大和朝廷の軍を出迎えようとしている。

 その後ろの森から、安曇とオンガを心配して、続々と蝦夷が現れた。全ての者が毛皮姿、顔は、ほほあごすべてがひげでおおわれている。身体には、腕と言わず、顔にも入れ墨(いれずみ)をいれている者もある。そして、弓を持ち、短刀を帯刀している。彼らは、倭人にとっては、かなりの迫力であり、戦闘態勢にも見えた。

 一人乗り帆船が、隊列を組んで岸に近づいて来る。

 安曇は、手をげて朝廷の軍に挨拶しながら合図あいずする。

「お~い、降参(こうさん)、降参!」

「戦わないよ~」

しかし、相手の大将にはこの声は届いていないようだ。もしかして、朝廷軍の先遣隊(せんけんたい)であり、それで、大将は、居ないのかもしれない。

ただ、岸に向かってくる単騎の帆船軍団の中央、先頭がリーダであろうことは、分かる。

 沖からくる倭人には、安曇(あずみ)の声が聞こえない、届かないようだ。

 岸に向かう帆船の軍団には、安曇達は戦闘態勢をととのえていて、倭人たちの軍勢に対して「こちらに来るな!」と忠告しているとしか思えていない。帆船団の中央にいるのは、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)だ。帆を胸に固定して、風に乗って、ぐんぐん、岸に近づきながら、弓を安曇達に向って射た。先ほどのお返しとでもいうようにである。

 岸辺にいる安曇とオンガの二人には、帆船の軍団の先頭である中大兄皇子とは、まだ少し距離があり、その矢は届かなかった。

 中大兄皇子は、最初の矢は、最初(はな)から威嚇のつもりである。次の矢を用意しながらドンドン風に乗って、安曇達のいる岸に向かって来たのだ。

 爽快(そうかい)というふうな顔をして、大海人皇子(おおあまのおうじ)も兄に、しっかり付いてきて来ている。

 中大兄皇子に続く兵の矢は、安曇達には届かないものの、中大兄皇子の放った一本は安曇のそばまで、来た。

 安曇は、

「あぶな!なにすんねん。待てってゆうてるやろ? 戦いません!って」

と、また倭軍の兵達に手を大きく振った。それでも、中大兄皇子は次の矢を射てきた。今度は安曇に当たりそうだった。

「危ないゆうてるやろ?止めなさい!」

 今度は、安曇の声が届いたようだ。先頭の中大兄皇子の帆船は、安曇の前で、またその他の帆船は皇子の少し後ろで、全員が止まった。そして、帆を片手で抑えながら、浅瀬あさせに足を付けた。

 中大兄皇子は、安曇に向かって、そしてそれに続いた大海人皇子は、オンガに向かって、弓矢を射る体制を解いていない。矢を向けている。

 中大兄皇子は、安曇に向かって、

「戦わないと言いながら、なぜ、弓をもっている?」

 安曇は、

「これは、狩猟用です。生活のためで、何時(いつ)も離したことないんです。つねに心情(こころね)は、一曰。以和為貴。(いちにいわく。わをもって、とうとしとなす)ですねん」

と言いながら、後ろをむいて、弓と、短刀を放り投げ、また唱える。

「一曰。以和為貴。 (いちにいわく。わをもって とうとしとなす)」

(なんでもこれが号令のようだな?でも、どこかで聞いたような気がする?)

と、中大兄皇子は、安曇達を眺めた。

 蝦夷(えみし)達みんなは安曇(あずみ)に続いて、弓や、銛を放り投げて、

「一曰。以和為貴。 (いちにいわく。わをもってとうとしとなす)」

と叫んだ。そして、他の蝦夷達も皆、武器らしきものを海に捨てた。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、首をかしげて、大海人皇子(おおあまのおうじ)の方を見た。二人は同時に呟く。

「どこかで、会ったような?聞いたような?」

「このしゃべり方といい・・・」

 安曇(あずみ)の顔は髭だらけなので、誰なのか?よく判別できない。

 中大兄皇子は、後ろの小舟に合図した。後ろから、一艘の小舟がこちらに向かって来ている。こぎ手二人、矢手二人、先頭に大将らしきが仁王立ちしている。この大将は大柄で、いかつい顔をしている。

 それを見た安曇は、

「ありゃ、怖いお顔……、どっかで見たような?山猿とかイノシシやったかな?」

と、思案した。

 そこへ、安曇とオンガの後ろに、蝦夷の女たちが五、六人現れた。

 ヌカタに導かれ、進物(しんもつ)をたずさえてきたのであった。

 皆、ヌカタの作った、獣の皮の裏地、バックスキンを衣にみたて、大和宮中(やまとのきゅうちゅう)の女官にょかん装束しょうぞくをマネて作ってあるものをまとっていた。女官の服装とは、 袍(ほう)には内衣を襲(かさ)ねて、裳(も)の下には襞飾(ひだかざり)が付けられていているものである。

 あでやかで、美しい。

 沖から来た倭軍の者たちは、皆、彼女たちに見とれてしまっていた。

「ヌカタ?」

大海人皇子は呟く。

 中大兄皇子は、安曇とオンガ、後ろの蝦夷の女たちを眺め、また首を横にひねった。

「何処かで会っているような?」

 その様子を浜に近づくまで、小舟の舳先に立ってみていた阿倍比羅夫(あべのひらふ)は、

「あ~、あ~⁉」

と叫び連呼した。

 安曇もその厳(いか)つい大男をみつめた。こちらも、

「あ~、あ~、一曰。以和為貴。 (いちにいわく。わをもってとうとしとなす)」

 そして阿倍臣(あべおみ)は、

「あずみ⁉」

と叫んだ。

 安曇(あずみ)も気が付いた。

「あべ~?」

 敵味方とかいうものではない。

 互いに、長い年月のうちに、容姿形も変わった。だが旧友の魂の再会である。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と、弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)も、そして阿倍(あべ)も、大和朝廷軍として、北の民、蝦夷(えみし)たちの制圧と、いままでに準備した海軍力を試すために、ここ、蝦夷の村の河口付近、齶田(あぎた)の海岸に来た。

 そこでは、たいした戦闘もないまま中大兄皇子たちは、今や蝦夷の代表補佐官となった安曇と妹のヌカタに再会したのである。

 阿倍に続き大海人皇子も気が付いた。

 そして大海人皇子は安曇に近づき、飛びついた。

 中大兄皇子も、阿倍将軍も、ヌカタも安曇も、この北の地、齶田(あぎた)、蝦夷の村の海岸で再会したのである。

 安曇も大海人皇子が分かった。

「ほーか、おおあまさんか?おおきゅうなったね?」

 中大兄皇子も、友の安曇だと気が付いた。

「安曇か?」

安曇が、頷く。 

 二人の目には、止めどなく涙があふれ、頬に流れた。その様子を後ろで眺めていたヌカタも驚きを隠せない。手にたずさえていた進物を浜に落としてしまったのだ。

 その瞬間、中大兄皇子は、ヌカタにも気が付いた。

「ヌカタか?」

 ヌカタは、強く頷(うなづ)いた。

 大海人皇子は、安曇から離れ、素早くそちらに飛びついていったのだった。

 安曇は、村のリーダーであるオンガに、中大兄皇子達は、昔の友人である旨を説明している。

 安曇は、彼らが皇子(みこ・おうじ)であることは、せておいた。皇子たちの身分を明かせば、利用して人質に取られないとも限らない。

 そして、安曇は、こちら蝦夷側には戦闘の意思はないことを中大兄皇子に告げ、降伏した証としての進物も用意してあり、宴席も用意してあることを、阿倍と中大兄皇子に説明した。

 中大兄皇子も戦闘などしない旨、阿倍とともに誓ったのだった。

 しかし、中大兄皇子は、弟の大海人皇子が、真っ先にヌカタに抱きついていったのが気に入らない。自分は、ヌカタと再会したその時のことを、大事に考えていた。やさしく彼女と見つめ合いたかったのである。ロマンチックに、ヌカタと優美な時間を分かち合いたかった。お互いを見つめ合う時間が、もっと欲しかったのである。

 弟、大海人皇子(おおあまのおうじ)は、藪から棒(やぶからぼう)に、ヌカタに飛びついていったのである。それに、ヌカタに、いい子、いい子と、頭を撫でられていた。

 中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、朝廷の皇子、男子として、そのような態度はひかえられた。

(皇子たるもの、女性にそんなことをされて、良いものではないだろう。母であればまだしも・・・)と、イライラをつのらせていたのであった。

 その夜、森の中に少し入った広場で、朝廷軍と、蝦夷(えみし)の村人たちで宴会が設けられた。広場の周りには、等間隔で篝火(かがりび)がともされた。

 海の幸、山の幸、酒と、大盤振る舞いおおばんぶるまいである。

 蝦夷側の挨拶、歓迎の踊りなど大歓迎の趣だ。

 倭人兵士も、蝦夷の女達のあでやかな踊りに酔いしれた。特に、革を細工して都の女官服のように仕立てて舞う、ヌカタと、蝦夷の若い女性には、皆が、酔いしれた。

 この宴席には、皇子たちや、阿倍(あべ)将軍と、朝廷の中枢にいるものが同席しているので、倭人兵士達に羽目をはずすものは、まったく一人もいない。

酔(よ)えないし、自分は酒癖(さけぐせ)が悪いと認識あるものは、酒を呑まなかった。呑むわけにはいかなかったのだ。また、それをよく知っている周りの者は、 その者へは酒を勧)めもしなかったのだ。もし、誰かが酔っ払って、他の者に絡(から)むような醜態でも見せようものなら、阿倍将軍の怒り方は、自分達の想像を絶する位、過酷なものだということを、兵士たちは、皆、承知していたのだ。首を刎ねられるだけでは済まない。

 しかしながら、一番、我慢して、自粛しているのは、大将の阿倍将軍なのではある・・・・・・

警護役の兵以外の酔えない兵士たちは、早々に船に引き上げた。

 蝦夷たちとの戦いが無く、粗相(そそう)もなく、皆、命ある事を祝い、えらい人達のいない船内で、思いっきり騒いだ。沖の船での、叫び声が、この森の宴席まで響いてくる。

 重鎮(じゅうちん)達の警備に残った兵士たちは、そちらが気になって仕方ない。しかし、皇子、将軍の警護を解いて、引き上げるわけにはいかないのだ。

 兵士たちは、互いに見合い、ソワソワしている。

 そんな皆の雰囲気を感じ取った阿倍将軍は、明日の朝の儀式の件を、中大兄皇子、オンガ、安曇(あずみ)に伝えてから、宴のお開き、を宣言した。

「また、明日、だ」

 阿部は、安曇をみつめ、頷いた。

 安曇もそれに応えた。 友情を確かめるように。


 そして、翌日の朝、砂浜に木の机をおいて、「降伏の儀式」が行われた。ここで、大和朝廷は、齶田(あぎた)の蝦夷、オンガに小乙上(しょうおつのじょう)の位(くらい)を授けている。その冠の位は、以前の冠位十三階を改訂した大化五年(六四九)施行の冠位十九階のものであり、十九のうちの十七番目に当たるものである。

 また、渟代(ぬしろ)と津軽(つかる)に2評(こおり・郡)を設置して、降伏してきた蝦夷(えみし)の首長を評造(こおりのみやつこ)に任じ、その地域の支配を任せた。

「降伏の儀式」が行われた後に、小宴席でもないが、歓談の場が設けられた。何となく今後の話をしたい、と願っていたのである。

 評造(こおりのみやつこ)の朝廷での地位について、その特権について、仕事について、阿倍(あべ)は、安曇(あずみ)に説明し、通訳させた。そして、安曇に、

「大和(やまと)の都に戻らんか?オヌシたち」

と、問うた。中大兄皇子(なかのおおえのみこ)も、

「妹御と都に戻って来たら良い。都での手配は私がしておくぞ」

と、誘う。しかし安曇は、下を向きがちに答え始めたのである。

「ここでの生活、もう長いねん」

と静かに語り、

「いい仲間ばっかりで、今回もな、ワシが、絶対に大和の国と戦こうたらイカン!言うたら、皆がワシを信じて、それに従って、不戦の約束を守ってくれたんや」

と、感慨深げに吐いた。そして安曇は少し間をおいて、

「ところで、オタクラこれから、どないすんの?」

と問うたのだった。


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