手紙

 友人とこんな話をしたことがある。その友人は、アメリカに住むことを決意して、昨年日本を離れた。私は一年ほど前から、彼女と日本にいる間、文通で交流をしていた。勿論、今も遠いアメリカから手紙が届く。別にメールでもよかったのだが、成り行きでそうなった。手紙の中で、私が山梨へ家族と旅行に行った時の話をした時、私は旅行よりも、車の中から見える景色の方が楽しかった、そこに住む人たちがどんな生活をしているのか想像するのが好きだと書いた。友人も同じだったようで、旅行に行って、そこに住んでいる人たちの暮らしを想像するのが好きと言っていた。その話はそこで終わってしまったが、誰かがいる、ということをよく忘れてしまう。それは、慌ただしい日常のせいかもしれない。

 文通をしている間、私は彼女のことを認識していた。返事が来たら、こんなことを書こう、そう思えた。それは、彼女だけではなくて、他の友人のことも、前よりも認識する機会が多くなった気がする。これが好きだったな、あの子が住んでいる土地だ、とか。今も沢山のことを認識する。

 今思えば、それは愛だったのかもしれない。愛について、定義は沢山あるし、哲学も溢れているけれど、認識することは愛なのだと思う。そこにいることを知っている、存在を分かっている。現代社会で出来ている人は何人いるのだろうか、と疑問に思う。ずっと疑問だった、マザーテレサが「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」といった言葉の意味を手紙を通して、ようやく分かり始めた気がする。

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