11~16 Side 秋斗 03話

 少し歩くと小道は途切れ、道のない高木林の中を行く。

 適度に手の入った林は草が鬱蒼とすることもなく、視界は良好。ただ、木の根がゴツゴツとしていて、歩くには注意が必要。

 樹齢もそこそこ。太くも細くもない高い木が立ち並ぶここは、彼女にとって格好の場所じゃないだろうか。

 林を抜けると、空が見える少し広けた場所に出た。

 この林はパレスの敷地内にあるものの、この奥地まで客が来ることはないという。

 彼女を振り返り、

「ここでどうかな?」

「はい!」

 弾んだ調子で答えた彼女は近くの木に手を伸ばし、空へ向かって伸びる木を眩しそうに見上げた。

 その目には、この景色がどんなふうに映っているのか……。

 彼女に見えている世界を見たいと思うし、写真に撮って見せてほしいと思う。

「本当に森林浴が好きなんだね」

 声をかけると、春の陽射しのごとく柔らかな笑みで振り返るから、この子は本当に天使なのかもしれない、とかおかしなことを考える。

「少し早いけどお昼にしようか」

 彼女は元気よく頷き、俺が持っていた荷物のひとつへ手を伸ばした。

 彼女が手に取ったのはボルドーを基調とした、タータンチェックがお洒落なラグ。それを慣れた手つきで広げると、

「どうぞ」

「ありがとう」

 荷物を下ろしラグに座ると、先ほど渡されたばかりの手提げ袋の中身を取り出した。

 サンドイッチにサラダマリネ、彼女の飲み物にはハーブティーをお願いしてある。

「これ、秋斗さんのセレクトですか?」

「そう。おいしいよ?」

 ランチボックスを差し出すと、彼女は端の一切れを目がけて手を伸ばし、指先にパンが触れた途端、びっくりしたように手を引いた。

 たぶん、パンの柔らかさに驚いたのだろう。

 彼女はサンドイッチをじっと見つめ、今度は慎重にサンドイッチを摘んだ。

 揚げ立ての衣にサクリと歯を立て、次の瞬間には「おいしい」の顔になる。

 俺は胸からスマホを取り出しカメラアプリを起動。

「すごくおいしいで――」

 天使がこちらを向いた瞬間にシャッターを切ると、彼女は自己申告どおりに固まった。

「本当だ。レンズ向けると固まるね?」

「……だからだめですって言ったのにっ」

 すぐに表情を変え、ムキになるところがかわいくて、

「わかったわかった。とりあえずはこれをおいしくいただこう?」

「……はい」

 再度食べ始めた彼女は、にこにこしながらサンドイッチにかぶりつく。

 なんだかなぁ……。

 まだパレスに着いてから一時間ちょっとしか経ってないし、彼女の顔を見れば答えはわかるんだけど――

「楽しい?」

 どうしても訊きたくて声をかける。と、彼女は口に入っているものを飲み込んでから、

「楽しいです!」

 警戒心を微塵も含まない笑顔を向けられて、すごい勢いで心臓が駆け足を始める。

 すぐに「よかった」と答えられたのは、瞬発力のなせる業。

 普段感じることのない動悸に、思わず胸を押さえてしまう。

 なんだ、これ……?

 落ち着くためにコーヒーを手に取り、苦い液体であれこれ戒める。

 それでもなお、彼女の笑顔が脳裏に染み付いて離れなかった。


 食後、ハーブティーを飲み終わった彼女は写真を撮りに行くことにしたらしい。

「私、熱中してしまうと時間を忘れてしまうので……。いい加減にしろ、と思ったら声をかけてくださいね?」

「了解。僕はここで寝てるから、好きなだけ撮ってくるといい」

「はい!」

 自分の状態を分析すべく、もう少し彼女を眺めていたい気もしたけれど、今日はまだ始まったばかりだ。

 俺は仮眠でもとるかな。

 ラグに横になると、彼女はバッグをガサゴソと漁り始めた。

 何をしているのかと見てみれば、彼女が取り出したのは白い小さなボトル。

「すみません。これを塗ったらすぐにいなくなるので、ゆっくり休んでくださいね」

「日焼け止め?」

「はい。さすがに赤くなって痛い思いはしたくないので……」

「あぁ、赤くなっちゃうタイプなんだね」

 予想はできなくもない。彼女はえらく色白だから。

 髪の毛も瞳の色も墨汁を水に溶いたような色だ。

 その長い髪を左にまとめ始めた彼女を見て、少しいたずら心が芽生える。

「持ってるよ」

 彼女の髪の毛を引き受け手櫛を通すと、髪はするりと指の間を滑っていく。

 この長さで手櫛が通ることがすごいと思った。

「きれいな髪の毛だね」

 わざと耳元で囁き、髪の毛を梳く振りをしてうなじに触れる。

 彼女は無言だったけれど、日焼け止めを早々に塗り終えようとしているのがうかがえた。

 顔から耳、ついには首筋まで赤く染まっていくのだから、なんて素直に反応してくれることか。

「相変わらずだね」

 そんなふうに声をかけると、恐る恐る、といったふうにこちらを向いた。

「顔も耳も、首筋まで真っ赤だよ」

 クスリと笑うと、

「……秋斗さん、意地悪ですっ」

 彼女はむくれたまま林へと逃げていってしまった。

「からかいすぎたかな?」

 少しずつ小さくなる華奢な後ろ姿を見て思う。

「仕草や表情ひとつとってもまだ幼いと思うのに……」

 その子の笑顔に魅了された自覚がある。

 こんなこと今まで――

「あったかも……」

 あれは確か、彼女の持病の話を聞いたとき。

 あまりにも屈託なく笑う彼女を見て、俺はフリーズしたんだ。

「あのときは抱きしめたいって思ったけど――」

 それってどういう意味……?

 ただ単にかわいいマスコットを抱きしめたい的な……? それとも――

 考えてみるものの、自分が納得できそうな答えは出てこない。

「いや、そんな深く考えることでもないか……」

 俺は簡単に考えて、再度ラグに転がった。


 こんなにのんびりとした時間を過ごすのはいつぶりだろう。

 最近は休みという休みも何かしら仕事をしていたし、見合いをねじ込まれることも多く、ろくな休みはなかった。

 見合いをするたびに笑顔でかわすのも疲れてきた。

 そう思えば、湊ちゃんがどうやってそれらを振り切って、今自由の身でいられるのかが不思議でならない。

「今度、ご教授願いたいものだ……」

 結婚なんてするつもりはない。ただ、仲のいい両親を見ては、いつも不思議に思っていた。

 相手の何をそんなに好きになるのか、と。

 母さんは父さんの職場についていくことも多いが、朝から晩まで一緒にいて、よく飽きないものだと思う。

 俺には常時誰かと一緒にいる、という想像をすることができない。でも――

「あの子の笑顔なら、ずっと見ていても飽きないかも……?」

 新緑の合間から、穏やかな光が差し込む。

 ジャケットの内ポケットに入れたスマホは、一定のテンポで振動を伝えてくる。

 バイタルを見ていないときは、脈拍と連動して震えるようにプログラミングした。それは、自分のスマホのみに追加した機能。

 彼女の鼓動を感じていると、不思議と穏やかな気分になれた。

「心拍って、心地よいものだな」

 そんな感想を抱きつつ、俺はいつしか眠りに落ちていた。

 

 ふと意識が浮上したとき、彼女の気配を感じた。

 俺を起こさないよう、音を立てないようにしているのがわかる。

 しかし、痛いくらいの視線は注がれたまま。

 ……これは、気づかないふり、かな。

 目を閉じたまま、聴覚だけに神経を集中させる。と、パシャとシャッターを切る音がした。

 また撮られたな……。

 カメラを置く音がしたものの、視線は張り付いたまま。

 それはすぐに外され、ファスナーを開ける音が聞こえると、しばらくしてハープの音が聞こえだした。

 何度か音を合わせると、俺が聞いたことのない曲を奏でだす。

 弾いては止まり、弾いては止まり――けれど、間違えて弾くのをやめているわけではなさそうだ。

 ちらり、と彼女をうかがい見ると、メモ帳に楽譜を書いているようだった。

 弾いては書く、を繰り返しているところを見ると、今弾いているものは即興演奏なのかもしれない。

 澄んだ音が風の音と重なり、現実離れした空間をさらに幻想的なものにする。

 ねぇ、君は今何を感じてる? 何を思って曲を奏でるのかな。

 訊いたら君は答えてくれる?

 小一時間ハープの音を聞いていた。

 演奏が途切れてしばらくすると、隣から小さな寝息が聞こえてくる。

 ……お嬢さん、もしかして俺の隣で寝てたりしますか?

 柄にもなく恐る恐る目を開けて確認する。と、無防備に寝転がる彼女がいた。

 サンダルを脱いだ足には少し土がついていて、林を素足で歩いてきたことがうかがえる。

 彼女は、ついさっきまで弾いていた小型ハープを抱えるようにして眠っていた。

 警戒を解いてくれたのは嬉しいけれど、気分的には据え膳……。

 さすがに手は出さないけど……。

 ロングスカートの裾が膝の辺りまでめくれ上がっていて、白魚のごとく細くきれいな足が露になっていた。

 全体的に細いのに、腰はきちんとくびれていて、意外と胸が豊かなのには驚いた。

 長い髪の合間から、見えるうなじはそそるものがある。

 華奢ではあるが幼児体型ではないし、反応がやや素直すぎて幼くも見えるが、決して頭が足りないわけでもない。

 どちらかと言えば、頭はいいほうだろう。

 自分のことには少々疎いようではあるが、人のことを気遣える優しさは多分に持っている。

 取り立てて何が、というものを明確にはできない。でも――

「この感情って、『欲しい』だよなぁ……」

 今まで感じてきた「欲しい」とは少し種類が違う。モノに対する「欲しい」じゃない。

「対人で『欲しい』って思ったのは二度目か……」

 ひとりめは蒼樹だ。部下にほしいと思ったし、今でも思ってる。でも、その「欲しい」とも異なる感情。

「……俺、ロリコン? この子まだ十六歳だろ……?」

 先日まで、司と翠葉ちゃんがうまくいけばいいと思っていたにも関わらず、今はその相手に自分が、と思っている。

 どうしてだろう……。

 何がそんなに気になる? どこに惹かれた……?

 なんとなくわかってる。俺はたぶん、この陽射しのように柔くあたたかな笑顔に惹かれたんだ。

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