11~16 Side 秋斗 02話

 高速道路を下り一般道を二十分ほど走ると、仰々しいゲートが見えてくる。

 以前来たのは三年前。栞ちゃんの結婚式が最後だった。

 式場がメインのパレスなど、俺が出向く用は皆無と言える。

 翠葉ちゃんが森林浴を所望しなければ、当分赴く予定のなかった場所だ。

 ゲートを過ぎて数分走ると、山中にひっそりと佇む施設に到着。

 彼女はずっと窓の外を見ている。

 都会の喧騒から離れ、自然のさざめきしか聞こえない山の中。

 ここは本当に緑がきれいなところだから、森林浴にはぴったりだと思った。

「ここ、どこなんですか?」

「藤宮が所有するホテルのひとつ、ウィステリアパレスだよ」

 ウィステリアパレスとは、藤宮財閥傘下にあるホテル事業である。

 ホテル事業は、シティホテルのウィステリアホテルと、会員制の高級リゾートホテルのウィステリアパレスに区分される。中でもこのブライトネスパレスは、とりわけチャペルが美しいと人気のパレスで、宿泊施設も併設しているため、式場としてだけではなく、のんびり過ごしたい会員が贔屓にしている評判のパレスだ。

「はい、到着!」

 サイドブレーキを引いて隣を見ると、彼女は真っ白な建物に目を奪われていた。

「きれい……」

「ここはウィステリアパレスの中で、一番人気のチャペルがあるんだよ」

「そうなんですね……」

 途端に目を輝かせ始めた彼女を見て思う。

 やっぱり、チャペルって女の子の憧れだったりするのかな?

 とりあえず、掴みはOK?

 車を降りて助手席側へ回り、ドアを開けてあげる。

 今日は妹になってもらおうと思ったけど、予定変更。とことんお姫様扱いをしてあげよう。

「チャペルはステンドグラスがきれいなことで有名なんだけど――さて、お姫様。どこから回る?」

 彼女の前に手を差し出すと、彼女は遠慮気味にちょこんと手を重ね、

「チャペルが、見たいです……」

 それはそれは恥ずかしそうに、小さな声で口にした。その表情がかわいすぎて、俺は快諾する。

 差し出した手はそのままに、もう片方の手に彼女の荷物を引き受ける。最後にハープを手に取ろうとしたら、「それは私が」と断られた。

 楽器を人に任せられない奏者は多いという。だから、それだけは彼女の手に残す。

「それ、ハープでしょう? あとで聴かせてもらえるのかな?」

「……私の演奏でよろしければ」

「楽しみにしてるね」


 車を離れて数歩、

「秋斗様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 総支配人の木田さんに出迎えられる。

 木田さんは彼女に向き直り、上品な笑みを浮かべた。

「ようこそお越しくださいました。私、総支配人の木田と申します。本日はごゆるりとご滞在ください」

 控え目にお辞儀する彼女を見ながら、

「木田さん、お久しぶりです」

「はい。栞お嬢様のご結婚式以来ですから――もう三年になりますでしょうか」

 さすがはホテルマン。前回来たのがいつなのかまで把握している。きっと、その際に述べた食の好みも覚えているのだろう。だが、この人はそれだけではない。

 うちのじーさんと静さんの絶大なる信頼を得ている人間。

「静さん」とは、栞ちゃんの腹違いのお兄さん。今年で四十五になるというのに、外見だけを見れば三十台半ばで通ってしまいそうな容貌の持ち主。

 藤宮の中で、じーさんの次に恐ろしい手腕の持ち主と言われている。

 うちのホテル事業がここまで大きくなったのは、この人の力だといっても過言ではない。

 俺はセキュリティシステムで関わることがあるが、妥協も何もあったものではなく、交渉における話術には特筆すべきものがある。

 何を隠そう、静さんは藤宮財閥の次期会長――次期総帥だ。

「翠葉ちゃん、お昼はどうしたい? 本館で食べることもできるし、裏の林にお弁当を持っていくこともできるよ」

 彼女は少し悩んでから、

「……外、がいいです」

 と、どこか恥ずかしげに答えた。

「了解。じゃ、木田さん、そのようにお願いします」

「かしこまりました」

 木田さんが下がると、彼女は建物のあちこちに視線をめぐらせ始める。

 この建物もチャペルも「光」がキーワードになっている。

 いち早くそれを察知したのか、彼女は光の差込口に目をやったり照明の位置を確認していた。

 そのあとは、空間を満たす光の飽和状態を楽しんでいるよう。

 その場の空気をすぐに取り込もうとするんだな……。

 初めて図書室に入ったときもこんな感じだった。

 彼女の挙動が落ち着くと、

「じゃ、チャペルに行こうか」

 彼女は笑顔で頷いた。


 中庭には円形三段の立派な噴水がある。

 周りには、グリーンが鮮やかなイングリッシュガーデン。

「きれい……」

 彼女は外へ出るとさらに目を輝かせた。

 植わっている花を愛でたり、噴水を眩しそうに見上げたり。

 俺からしてみたら、手入れの行き届いた中庭に噴水があるだけなんだけど、彼女にはいったいどんなふうに見えているのか――

「翠葉ちゃんの目には何が映ってるの?」

 気づけばそんな質問をしていた。

 彼女は不思議そうな顔で俺を見上げ、「え……?」と首を傾げる。

「すごく気に入ってもらえたであろうことはわかるんだけど、何がどう見えてるのかな、と思って」

「……噴水の噴き上げる水が、あれが光に透けてキラキラガラス玉みたいだな、って……」

 彼女が指差すそれを見る。と、噴水の水が空へと上がるその頂点。はじけた水は、変幻自在の柔らかな球体となる。

 きっとそれを「ガラス玉」と言っているのだろう。

 その球体は光を受けてはキラリと光り、時に周りの緑や空の色を映し出す。

「あ、本当だ……。水に周りの景色が映りこむんだね――こんなにきれいだったんだ」

 感想を述べるも、今まで気づかなかったものに目を奪われていた。

 蒼樹、おまえが言っていた「翠葉フィルター」ってこれのことか……?

 以前訪れたときとは異なる感覚でその場の光景を見つめていると、彼女が早くもチャペルに意識を移した。

 建物の全部をフルスキャンするかのように、じっと見入っている。

 ここのステンドグラスは、静さんがヨーロッパで仕入れてきたものを使っている。

 希少価値の高いものを使っているらしく、チャペル内はそれを生かした演出になっていた。

 栞ちゃんの結婚式のときには俺も感動したくらいだ。

 それをこの子が見たら、何を思うだろう……。

「さ、お姫様。中へどうぞ」

 ドアを開けたけれど、彼女は入り口に佇んだまま。

「翠葉ちゃん?」

 声をかけると、眉をハの字型にして俺を見る。

「きれいすぎて――もったいなくて入れないです。踏んじゃうのがもったいなくて……」

 本当に感受性が豊かな子なんだな。

 思わず笑みが漏れる。

 ……それなら、俺がエスコートしましょう。

「お手をどうぞ」

 荷物を持っていない左手を差し出すと、躊躇いなく右手を預けてくれた。

 俺はその手を軽く握り、誘うように歩きだす。

 彼女は光の中へと足を踏み入れた。

「虹色の――光のシャワーみたい……」

「……そうだね。この時間帯が一番きれいに光が差し込むらしいよ」

 教えれば、彼女はステンドガラスから差し込む光を見上げる。

 もしかしたら、チャペルの建つ方角や陽の入り方を考えているのかもしれない。

「写真撮る?」

「いいですか?」

「お好きなだけどうぞ」

 彼女からハープを受け取り、自分が持っていたバッグを彼女に渡す。と、彼女はデジタル一眼レフを取り出し何やら設定を始めた。

 ふーん……意外と本格的なんだな。

 彼女はチャペル内をぐるっと見回す。

 ステンドグラス、白い壁、参列席、外へつながるドア、パイプオルガン――最後に見たのはバージンロード。

 それを見ながら、彼女は入ってきたドアぎりぎりまで下がった。

 どうやら撮るものが決まったらしい。

 そのままカメラを構えるのかと思いきや、カメラを大理石の床に置いた。

 そして、自分もしゃがみこんで床すれすれのディスプレイを覗き込む。

 髪が床につこうが何も気にせずに。

 あのアングルからバージンロードがどう見えるのかなんて、考えたこともない。

 彼女は一度シャッターを切ると、確認のためかプレビュー画面を表示させているようだった。

 納得がいったのか、もう一度同じ場所にカメラを置いて、設定を変えて次々と写真を撮っていく。

 それはもう、これでもか……というくらいに何枚も何枚も。

 彼女を見ていていつも感心するのは集中力のすごさ。

 ひとつのことに集中すると、ほかのものがまったく目に入らなくなるのだろう。

 きっと今、彼女の目にはバージンロードしか映っていない。

 レンズの向く先を見ると、きれいな虹色の光が差し込んでいた。

 もしかして、撮っているのは床ではなくて光なのか……?

 想像するだけでも楽しい。撮り終わったらぜひ見せてほしいと思う。

 一通り撮り終わったのか、彼女はペタンと床に座りこみ、カメラについているモニターを見始めた。

 手元の操作が止まっているところを見ると、納得のいくものが撮れたのかもしれない。

 側に近寄り、

「撮れたみたいだね?」

「はい。すごくきれいな虹色の道……」

 彼女に手を差し伸べ、ゆっくりと立たせる。と、彼女がクスリと笑った。

「何を笑ってるの?」

「手を差し出してくれるタイミングが蒼兄と一緒だなと思って……」

 蒼樹と一緒、ねぇ……。それはちょっと面白くないかな。

「僕はお兄さんじゃないからね?」

 蒼樹とは違うことを主張しつつ、

「写真、見せてもらえる?」

「はい」

 見せられた画像に唖然とした。

「チャペルじゃないみたいだ……。この写真を見せられても、誰もここだとは思わないだろうね」

 いや、もしかしたら静さんあたりは気づくのかもしれない。

 それにしても、見事に白い世界に虹色の光が差し込むそれを収めたものだ。

 まるで白い空間に虹がかかったように見える。

 感心していると、

「風景写真や人の写真を撮るのは苦手なんです……」

 彼女は自信なさげに口にする。

「あ、悪い意味じゃないよ? ただ、僕にはこんなふうには見えなかったから……。なんて言うのかな? ……こんな見方もあるんだって新鮮に思った」

 正に、新鮮だったんだ……。

「蒼樹がさ、よく言ってたんだよね。いつもはなんとも思わない景色やものを、翠葉ちゃんのフィルターを借りると全然違うものに見える、って。今、正にそれを体感中」

「翠葉フィルターですか?」

「そうそう」

 この子が笑うと自分も自然と笑顔になるのがわかる。

 笑おうと思う前に、表情が動いている感じ。

 こんな感覚、どのくらいぶりだろう……。


 チャペルを出ると、木田さんに迎えられた。

「秋斗様、お弁当のご用意が整いました」

「ありがとうございます」

 藤色の手提げ袋を受け取ると、パンのいい香りがした。

 今日、自分がオーダーしたのはサンドイッチ。

 ここは焼きたてのパンで作ってくれるため、ほかでは味わえない柔らかなパンの感触と、新鮮なサラダを楽しむことができる。

 きっと彼女も喜んでくれるだろう。

「じゃ、次は森林浴かな?」

 噴水を嬉しそうに眺めている彼女に手を差し出せば、戸惑うことなく手を預けてくれた。

 蒼樹と似ているから手を預けてもらえるのか――そう思うと、やっぱり少し面白くなかった。

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