三月二十六日 Side 蒼樹 04話

 梅林館の一角、人気の少ない場所で設計図を描いていると、

「蒼樹?」

 声をかけてきたのは秋斗先輩だった。

「秋斗先輩がここに顔を出すなんて珍しいですね」

「誰かさんがめっきり顔を出さなくなったから、自分で来るしかなくてね」

 にこやかに話しているが、その「誰かさん」が自分を指していることは明白だった。

 先輩は設計図を覗き込み、

「気が早いっていうか、早速取り掛かってくれてるんだ?」

「は?」

「それ、仕事部屋の設計じゃないの?」

 そこまで言われて思い出す。

 確か数日前に、「蒼樹のデザインを起用してあげる」とかなんとか言っていた気がする。

 あれ、本気だったのか?

 すでに五年以上の付き合いになるが、いまいち冗談と本気の違いがわからない。

「けど、いくらなんでも床から天井までの大きな窓は無理じゃない?」

 あぁ、と思う。

 あの部屋の窓は腰から上であって、腰より下は壁というつくりだ。

「窓はあの大きさでいいから、UVカットガラス使ってよ。それと、資料が多いから床から天井までの本棚が欲しい。これが自分の家ならベッドのあたりにシェルターとか完備させるのに」

 ……床から天井までの本棚? それは翠葉も喜ぶんじゃないだろうか。

 翠葉は具合が悪いときは写真集を見たり本を読んだりして過ごすことが多い。ゆえに、その分量は半端ない。

 備え付けの本棚にすれば部屋を狭めることなく、また、倒れた際にぶつかる家具が減っていいのでは……?

 そうだ、家具は備え付けられるものはすべて備え付けてしまおう。

 ベッドからリビングまでは障害物が一切ない状態にして――

 ベッド……あれ? 先輩、今なんて言った? ベッドのあたりにシェルターって……。

 それ、いいかもしれない。壁の強度も増すし……。

 そんなことを考えていると、少し楽しくなってきて自然と笑みが漏れる。

「先輩、あの部屋のデザインやります。無料ただで」

「え?」

「この間のお礼です」

「じゃ、お言葉に甘えて。でも、今さら返事? こんなの描き始めておいて」

 笑われたけど、先輩は設計に関しては詳しくないからこの図を見ただけではわからないのだろう。

 広さ的には仕事部屋の方が少し広い。

 メインは翠葉の部屋だけど、それに手を加え直したものを提案してみよう。

 全力で翠葉の部屋を作るのだから、却下されるつもりはない。

「先輩、カフェに行きませんか?」


 場所をカフェに移し、先輩の意向を聞きつつ昼ご飯を食べていた。

 食後のコーヒーを飲んでいると、覚えのある甘い香水の香りが漂ってきた。

 そちらを振り向くと、俺の彼女、という人間が立っていた。

「この五日間連絡なしってどういうことっ?」

 同席している人間がいるにも関わらず、前置きなしに切り出される。

「あぁ、ちょっとバタバタしてて連絡する余裕がなかったんだ」

 正直に話すと、険しい顔が一層険しくなり、眉が釣り上がる。

 その顔を見て思う。かわいくないな、と。

 だいたいにして、怒鳴られている理由がわからない。とくに連絡をする約束をしていたわけでもないし……。

「また妹さん!?」

 それはそれは棘のある声音で言われた。

「確かに、バタバタしていた理由のひとつは妹だけど……」

 この設計図に取り掛かったらほかのことに意識がいかなかっただけ。

 それでも、秋斗先輩にお礼を言いに行くのは忘れなかったし、必要最低限の心配りはしているつもり。

「妹と彼女どっちが大切なのよっ」

 またか……。

 俺が高校のときから歴代の彼女と続かないひとつの理由。毎回同じことを訊かれてきた。そして、毎回同じ答えを口にしてきた。

「それは妹じゃない?」

 妹より彼女を大切だと思ったことなど一度もないし、そんなことを口にした覚えもない。

「何よそれっ。私に失礼じゃないっ」

 何がどうして失礼なのか。……というより君、俺に付き合ってほしいって言ったときに言った言葉を忘れてない?

「一番じゃなくてもいいから、って優先順位のことじゃなかったの?」

 そんなふうに訊き返してみる。と、

「っ……それは付き合ってる人の中で一番じゃなくてもいいって意味よっ。誰がそこに妹を入れてくると思うのっ!?」

 どうしたことか、彼女はどんどん逆上していく。

 でも、それは今思いついたことじゃないのかな。本当は、俺の一番になりたかった、もしくは彼女になった時点でそう確信していたんじゃないの?

「申し訳ないけど、俺は彼女を何人も作るような非道なことはしない主義」

 何気なく秋斗先輩に視線を向けると、「え? 俺?」という顔をされた。

 いや先輩、こんなところに居合わせて災難ですね。ここのカフェは自分が持ちます。

 そんな意味をこめ笑いかけてみる。すると、「はいはい」という顔をして傍観することにしたらしい。

「だったら私が一番じゃないっ」

 あれ? まだそんなこと言うのかな。

 今までの話の流れで、俺の中で彼女イコール一番じゃないことはわかると思うんだけど――

 おかしいな。うちの大学、偏差値はそれなりに高いはずなんだけど。君、確か文学部だったよね? 今の会話で内容も汲み取れないようだと色んな意味で危ないんじゃない?

「申し訳ないんだけど、俺の中では彼女が一番ってわけじゃないんだよね。それに、君は別に俺が好きなわけじゃないでしょう?」

「何言って……」

「君が好きなのは俺の外見とか成績とかそういう部分じゃない? デートのとき、毎回誰かしらに紹介されるの、まるで自分の持ち物を見せびらかしているような感じですごく気分悪かった。普通はさ、好きな人と過ごす時間はふたりで過ごしたいと思ったり、共有する時間を大切に過ごしたいと思うものじゃない? でも、君からはそれを一切感じなかった。そのうえで、自分が一番じゃないって? 冗談だろ? 君の中での一番は俺じゃない。君自身だろ? そんな人になんで自分が一番じゃないのかなんて言われても、筋なんてどこにも通ってないよね?」

「蒼樹くんひどいよっ」

 その場で泣きだした彼女に、自分がさらに引くのを感じていた。

「……君の友達っていう人が教えてくれたんだけど、付き合ってる男は俺だけじゃないでしょ? そもそも、付き合ってるって言っても俺は君にキスすらしてないよ。いわば友達の延長っていうか、知り合いの延長に過ぎないでしょ? 現に、君は俺のことをよく知らないし、俺は君の考えていることが理解できない。それと……俺は、君の親がやっている会社に目が眩むような人間でもない。就職難の今、そういったプロフィールに惹かれる人間はいると思う。でも、自分の力で築いたわけでもないものを使って、人を釣る行為は自分を下げるよ」

 そこまで言うと、彼女はテーブル上にあったコップを手に取り、勢いよく俺にかけた。

 ある程度は想定済み。コーヒーカップが自分の手にあって良かったとすら思う。

「あんた最低っ」

 吐き捨てると、彼女は走り去った。

「……あーあ、ギャラリー満載」

 秋斗先輩の言葉に苦笑を返す。

 お昼時ということもあり、カフェにはそれなりに人がいる。にも関わらず、その場が水を打ったようにしんとしていた。

「お騒がせしてすみません」

 席を立ち、方々に頭を下げてまた座る。

 かばんからタオルを取り出し、拭き取れるものだけは拭く努力。幸い、水はすべて自分にかかっており、床には水滴が落ちる程度だった。

「修羅場をこの距離で見たのは初めてだよ」

 秋斗先輩の言葉に苦笑い。

「もうちょっと場所を選ぶなりなんなりしてくれればありがたかったんですけど」

「それなら蒼樹が場所を移せば良かったって話じゃない?」

「確かに……。なんていうか、それすら面倒だったもので」

「くっ……こんな蒼樹初めて見たよ」

 先輩はおかしそうにくつくつと笑った。

「すみませんでした、こんな場にお付き合いいただいて」

「いや、珍しいものが見られたってことにしておく」

「付き合い始めてから知ったんですけど、彼女、大手建築会社の社長令嬢らしくて……。どうやらそれを振りかざして色んな男と付き合ってたらしいんですよね。つい先日まで知らなかったんです。ま、知ったところでどう思うでもなかったんですけど」

「それってさ、蒼樹があの子に全然関心がなかったってことじゃないの?」

 呆れた顔で言われた。

「そうかもしれませんね。でも、俺のことを本当に好きな子なら、俺も彼女のことを好きになる可能性はあるかもしれない、とは思ってましたよ?」

 にこりと笑って返すと、

「っていうか、そもそも複数の彼女を作るような非道なことはしないってさ、彼女に対するあてつけもあったんだろうけど、単に蒼樹が面倒だからでしょ?」

「……そうですね。バイトは秋斗先輩のところで間に合ってますし、課題をこなしながら資格を取ろうとすると、勉強時間の確保は必須ですから。彼女に費やす時間があるなら勉学に勤しみます」

「それって健全な成人男子としてどうなの?」

「俺、意外と淡白なんですかね? 少し前まではそれなりの付き合いもしてきましたけど……。今はそんなに性欲に溺れることもないです。っていうか……自分がきちんと好きと思える相手以外に食指が向かないだけかもしれませんけど」

 性欲がないわけじゃない。ただ気づいたんだ。どうでもいい相手とする行為じゃないって。

 高校の性教育を受けて、それはわかっているつもりだった。それでも、その考えに従えないこともあった。

 そんなある日、ふと手に取った本がきっかけで気持ちに踏ん切りがついた。

 どんな本かというと、自分の妹が本気で好きになった人に遊ばれてしまうというもの。

 明るかった妹は自殺行為を繰り返すほどに精神を病んでしまい、最後には自ら命を絶ってしまうという内容の本だった。

 なんとも後味の悪い本だったけれど、考えさせられることは多分にあった。

 一度として遊び半分で付き合ってきたつもりはない。でも、相手を本気で好きだったか、と問われるとそれは何か違う気がした。

 俺の中での一番は常に翠葉であって、それ以上に想える相手はただのひとりもいなかった。

 だから決めたんだ。

 翠葉以上に、というのは想像できないから、翠葉と同じくらいに大切に想える子が現れるまで、そういう行為はしない、と。 

 それは俺の考えであって、秋斗先輩のことをどうこう言うつもりはない。ただ、俺とは違う恋愛観だと思うだけ。

「蒼樹は翠葉ちゃんを超える人が現れないと難しいか」

 何を思ったのか、秋斗先輩がふっと笑いながら言った。

「……かもしれませんね」

 さっきまで修羅場だったのが嘘のように穏やかな昼下がりのカフェ。

 珍しく、仕事をするでもなくふたりコーヒーを飲みながら過ごした。

 甘いものが苦手な先輩が、

「ケーキも食べようかな」

 なんて、メニューを眺める。

「じゃぁ、俺も」

 ふたり揃ってチーズケーキをオーダーする。

 男ふたりでケーキっていうのもどうなんだか、とクスクス笑いながら。

 翠葉にはこうやってケーキを食べるような友達はいるだろうか……。

 いたらいいな、と思う。もしいなければ、ここに招待したい。

「先輩」

「ん?」

「翠葉に会いたいって言ってましたよね?」

「そりゃね。あれだけ蒼樹が絶賛するんだからお目にかかりたいとは思うよ」

「じゃ、いつか。いつか一緒にケーキを食べましょう」

「ふーん……いつか、ね」

「はい。いつか、です」

 そこに司くんもいてくれるだろうか……。

 そんなことを考えながらチーズケーキを口に運んだ。

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