09話

 高校生活二日目。

 今日は午前中にオリエンテーションがあり、午後は部活の体験入学という時間割。部活動が強制なだけに、入学して一ヶ月で決めなくてはいけないのだとか……。

 一ヶ月間は仮入部扱いで、どの部に顔を出してもいいことになっている。

 午後も学校ということで、本日より栞さんのお手製弁当を持参。

 あまり分量を食べられない私のお弁当箱は、とても小さい。よくある二段の細長いお弁当箱ではなく、幼稚園児が使うような小さなお弁当箱。

 お母さんにはお弁当箱が小さすぎておかずが詰められない、とよく嘆かれた。その小さなお弁当箱に、今日は散らし寿司が入っている。

 栞さんの散らし寿司は、酢飯が酸っぱすぎなくてとてもおいしい。


 昨日と同じように蒼兄の車で登校する。でも今日は、駐車場からはひとり。

 途中、コンパクトデジタルカメラで桜の写真を撮ったり、木の根元に咲いているタンポポを撮ったりしながら歩いた。

 時間には余裕をもってきているので、少しくらい道草しても遅刻はしない。

 教室に入り席に着くと、隣の席から声をかけられた。

「御園生さん、おはよっ!」

 昨日の女の子、立花飛鳥さんだ。

「立花さん、おはよう」

 立花さんはくりっとした大きな目をさらに大きく開けて、抱きついてくる。

「うーれーしーっっっ!」

「え……?」

 な、何……?

「名前覚えてくれたっ! ふふふ……これで海斗に勝ったも同然ねっ!」

 呆気にとられていると、前から人懐っこい顔をした大きな人が現れる。

 藤宮くんだ。彼はきっと一八〇センチ以上あると思う。だって、蒼兄よりも高いから。

 人の身長を考えるとき、蒼兄の身長を引き合いに出すのは私の癖。……というよりも、すべてにおいて、蒼兄が基準になってしまっているというのが正しい。

 そんな蒼兄の身長はジャスト一八〇センチ。

 私の身長は一五八センチだけれど、日常生活でさほど困ることもないので、高い低いと気にしたことはない。

「飛鳥、何朝っぱらから女同士でくっついてんだよ。……ってか御園生さん、直立不動で固まってるし」

「えっ!? あっ、ごめんね? 昨日午後練のとき、名前を覚えてもらうのは絶対に自分が先だって海斗が言い張るもんだから、悔しくてつい……」

 あぁ、なるほど……。

「ちゃんと覚えてるよ。立花飛鳥さんと藤宮海斗くん。……ほかはちょっとまだ……」

「ってか、俺のことも覚えてるから引き分けだな!」

 藤宮くんが言うと、立花さんはそれに対抗する。

「でも、先に呼んでもらったもんっ!」

 ふたりは言い合いを始めた。一頻り聞いたものの、それが終わる気配はない。放っておいたら延々と続けていそうだ。

 これは止めたほうがいいのかな。それとも、止めなくてもいいのかな。

 困っていると、背後から声をかけられた。

「それ、放っておいて大丈夫だから座っちゃいなさい」

 振り返ると、髪を肩口できれいに切り揃えた女の子が頬杖を突いていた。うるさいと言わんばかりの顔をして。

「私、簾条桃華(れんじょうももか)。みんな『ももか』って呼ぶから御園生さんもそう呼んで?」

「ありがとう、簾条さ……桃華さん。あの、このふたりっていつもこうなの?」

「そうね、付き合っていたら日が暮れる以前に耳がおかしくなるわ。だからこうするのよ」

 日本人形みたいに整った顔でにっこり笑うと、右手にペンケース、左手に皮の手帳を持ち、音もなく立ち上がるとふたりのもとへ歩み寄り、バシバシと頭をはたいた。

「私、両利きなの」

 涼しい顔をした桃華さんが振り返ると、

「いってーよっ! 俺の脳細胞返せっ」

「いったーいっっっ! 桃華のバカ力っ」

 ふたりとも、頭を押さえて蹲るほどには痛かったのだろう。

 口元を押さえてポカンとしていると、桃華さんが戻ってきた。

「ところで、御園生さんはなんて呼ばれてたの?」

「え?」

「名前。あだ名とかなかった? 苗字はきれいな響きだけど長いし」

「あだ名」と言われて悩んでしまう。とくにこれと言ったあだ名で呼ばれたことがない。

「翠ちゃん、翠葉ちゃん……『ちゃん』って感じでもないわね」

 桃華さんは何度も呼び方を変えて口にしてくれる。

 そこに頭をはたかれたふたりが加わった。

「『すいは』ってそのままが良くない?」

 立花さんの意見に、

「そうだな、名前の呼び捨てが一番呼びやすくね?」

 と、藤宮くんが乗じる。

「じゃあ、『すいは』に決定ね」

 桃華さんがその場を仕切り、私の呼び名は「すいは」になった。

 立花さんと藤宮くんも名前のまま「あすか」「かいと」と呼ばれているそうで、名前で呼んでほしいと言われる。

「名前覚えるの苦手……」

 不安を小さく口にすると、

「大丈夫っ!」

 飛鳥さんと海斗くんに頭や腕を軽く叩かれ、桃華さんには静かに諭された。

「四十人編成の学校と比べたら人数少ないほうだし、そのうち覚えられるわよ」と。

 飛鳥さんと海斗くんは朝から異様に元気でハイテンションだし、桃華さんは年に見合わずとても落ち着いた人。

 みんな、本当に一歳しか違わないよね……?

 なんと形容したらいいのかわからない不安が頭をよぎる。


 午前中のオリエンテーションは、学校内の特別教室等の案内がほとんどだった。

 何にびっくりしたかと言うのなら、体育館や図書館のほかに音楽ホールがあること。

 ちゃんと音響のことを考えられたつくりになっていて、ステージ上のピアノを見たときには腰を抜かすかと思った。

 音楽学校でもないのに、べーゼンドルファーがあるって何……?

 お金のかかっている学校だなぁとは思っていたけれど、予想外のところにも贅が尽くされていた。

 べーゼンドルファーは私の大好きなピアノメーカー。

 スタインウェイ、ベヒシュタインと並んでピアノ製造御三家に数えられるピアノが置いてあるのだから、驚かないわけがない。

 この音楽ホールは県のコンクール会場にもなったりするそう。


 桜林館の外周、二階テラスから伸びている四つの階段のひとつは桜香苑(おうかえん)と称される中庭へと続いていた。桜香苑を抜けると梅香苑(ばいかえん)と称される中庭に出る。

 桜香苑では、今が盛りの桜がこれでもかというくらいに咲き誇っている。その先の梅香苑では、新緑が芽吹き始めていた。

 小さいとは言えない池の向こう側には弓道場があり、その手前には茶室がある。近くを通っただけだから、外観しかわからないけれど、とても趣のある建物だった。

 この学園は藤山と呼ばれる山の一角を切り開いた場所に存在する。学園内に流れる小川は、きっと藤山から引かれているものなのだろう。

 あたりを見渡して思う。お花が咲く季節や新緑の季節には、ここでお弁当を食べたいな、と。

 ふたつ目の階段は部室棟へ続いていた。

 部室棟は図書棟の隣に位置しており、一階の一部屋が体育教官室となっている。そこは、これから私が体育の時間にレポートを書く場所となる。

 三つ目の階段は、ふたつのグラウンドに抜ける道。

 四つ目は屋内プール、テニスコート、野球場へ続く通路につながる。

 ……広い。とにかく広い。

 高校の敷地内を歩くだけで、ずいぶんな運動量である。

 梅林館(ばいりんかん)こと図書館は、桜香苑を抜け、その先の梅香苑を抜けたところにある。ところどころにベンチがあり、足元には緑がきれいな手入れの行き届いた芝生が敷き詰められていた。

 ここは生徒の憩いの場であり、学校の売りなのだろう。確か、学校案内のパンフレットにも写真が載っていた。

 三時間はあっという間に過ぎ、午前残りの一時間はホームルームだった。


 川岸先生仕切りのもと、まずはクラス委員を男女一名ずつ決めることになる。

 女子は思わぬところから立候補があった。

「私やります」

 それは、日本人形のような女の子、桃華さん。

「お! いいノリだなぁっ! 志望動機は? 内申書のためとかつまんないこと言うなよー?」

 誰よりもノリノリの川岸先生が桃華さんにたずねる。

「志望動機ですか? それはもちろん、このクラスを牛耳ること。さらには学年全体を牛耳ってみせますわ――というのは表向きで、実際のところ、生徒会からの打診を一蹴するためです」

 桃華さんは麗しいお顔に満面の笑みを湛えて口にした。

 先生は引きつり笑いしながら、

「大した志望動機だ。簾条に異議のある勇者はいるかー?」

 先生がクラスを見渡すも反対者はなし。

 桃華さんは席を立ち上がると教壇まで行き、軽く挨拶を済ませた。

「動機は不純ですが、このクラスに有益なものはすべて勝ち取ってくる予定ですので、ご助力お願いいたします」

 クラスからは拍手が沸き起こる。

「それでは、簾条桃華、早速仕事させていただきます」

 桃華さんはこういう役に慣れているのかもしれない。教壇に立つ様が、堂々としていてとても格好いい。容姿で言うなら絶対的にきれい、美人さん。そして、どうしてか高校生というよりも大学生やOLさん、そんな風格がある。

 私よりもひとつ年下のはずだけど、自分よりも年上という錯覚を起こしてしまうほどに落ち着きがあり、しっかりして見える。

 黒い真っ直ぐな髪に白い肌がそう思わせるのか、洋服よりも和服が似合う気がした。一見して大人しそうに見えるけど、言動には潔さが垣間見える。

 身長は一六五センチくらいかなぁ……?

 飛鳥さんは桃華さんよりさらに背が高く、ショートカットでボーイッシュな女の子という感じ。身長は一七〇センチ近いように見える。

 彼女は女子高生らしいノリとかわいらしさを持っている女の子。ぱっと見は気が強そうにも見えるけど、それは目が猫目でキリリとしているからそう見えるだけ。口を開けばきつさなど微塵も感じない。

 対照的なふたりだけど、小中高とずっと一緒でとても仲が良いのだという。ふたりともサバサバしている、という意味なら同じ系統なのかもしれない。

 話をしていて、女の子特有の粘着っぽさをまったく感じなかった。

「じゃ、男子。立候補がいないなら推薦は?」

 桃華さんはてきぱきと話を進める。

「んー……海斗は?」

 飛鳥さんが藤宮くんに振る。と、周りのクラスメイトたちも同じような反応を見せた。

 確かに、藤宮くんなら適任な気がしなくもない。まだ入学してから二日目だけど、彼の周りには人が集まる。そんな気がした。

 クラス中の視線が藤宮くんに集まると、

「悪ぃっ、毎度のことながら生徒会から打診きてて、現段階で委員会入れないんだよね」

 藤宮くんは顔の前で手を合わせ、「申し訳ない」と頭を下げた。

 桃華さんは生徒会に入りたくないがためにクラス委員をやると言ったけど、目の前の藤宮くんは打診に素直に従うようだ。

「そういえばそうだったな。俺んとこにも話はきてる。確か藤宮と簾条、それから――御園生もだよな?」

 川岸先生に同意を求められるも、反応することができなかった。

 昨日のあれが「打診」であるのか、私はきちんと理解していなかったから。

 返事に困っていると、クラスのところどころから声があがり始める。

「すっげーっ! さすが外部生!」

「外部生は頭いいって聞いてたけど、マジかっ」

「御園生さん、勉強教えてー」

 一気に注目を浴び、身体に力が入る。

 こういうのは苦手……。できれば、地味に目立たず、平穏な高校生活を送りたい。

「すーいーはっ、眉間にシワ寄ってる」

 飛鳥さんに眉間を指された。

「本当だ。かわいいのに台無し」

 藤宮くんにも笑われ、気づけばクラスの人みんなに笑われていた。

 嘲笑ではない。わかっていても、身体が強張るのをどうすることもできなかった――

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