小鳥な鑑定士の起死回生 ~カビから作る下克上~

伊坂 枕(いざか まくら)

第1話 実験奴隷、逃亡を企てる。

 体の中で何かが壊れる音が響いた。


 気づいたら、見慣れない天井。

 えーと、メガネ、メガネ……


 僕は条件反射で枕元をごそごそとまさぐる。


 あれ? 無いなぁ……いつも、寝るときは枕元に……


 って、なんじゃぁぁぁ!? こりゃぁ!?


 僕の近眼乱視の瞳に、もんやりと自分の腕の惨状が飛び込んでくる。

 いくら視力が悪いとは言え、近距離は問題ないはずだ。


 それなのに、どう見ても、子供にしか見えない細く小さく頼りない腕。

 さらに、それに刻まれる無数の痣や傷。


 えぇ!?


 思わず、何度も目を擦り、まじまじと変わり果てた己のかいなを見つめる。

 だが、変わってしまったのは、それだけではない。


 身にまとっているのは、雑巾が残念な方向にクラスチェンジを遂げたようなボロワンピース一枚。

 いや、『ワンピース』と呼ぶのはおこがましい。『貫頭衣』ですら表現として上等すぎる。

 ……使い古しの土嚢袋に頭と腕を出す穴を開けましたよ~、が、より現実に近いかな。


 ちなみに、下半身は肌触り的にも、であることは明らか。


 そのうえ、傷、と言うならば足の方が酷い。

 だって、左足に至っては、「そこに関節無いよね!?」 って所が、こう、おかしな方向に……

 単に、どすムラサキに腫れ上がっているから曲がって見えるだけで、折れているのは目の錯覚だ……よ、ね?


 何? 何が起きている? どういう事?


 僕は、キョロキョロと辺りを観察する。

 薄暗い、まるで石の牢屋のような部屋からは、血生臭さとカビ臭さの混ざったような臭いが漂う。


 ま真正面には鉄格子。

 壁付近の天井からは何やらフックのような物がいくつか……

 さらに、室内には拷問器具みたいな、大がかりな機材がゴロゴロ。

 人間の血液か、それとも何かの液体か……よく分からないもので汚れている。


 えっ? ココ、何処?


 僕の記憶が確かなら……今日は、平日、月曜日。

 出張で名古屋に行く予定だったはずだ。

 ただ、わずかに……否、正確に言うなら豪快に、寝坊してしまって……


 下っ端OLの僕は、あの始発電車に乗り遅れる訳にはいかないのだ!

 だって、次の電車だと約束の時間に間に合わないんだもん!!


 ふおぉぉぉぉぉっ!!!

 奇声を上げ、ケツがちぎれ飛ぶ勢いでチャリのペダルをぶん回した事は確かだ。


 超えろ! 破れ!! 音速の壁ッ!!! 

 発車時刻は6:00! まだあと5分の猶予があるっ!!


 そのままの速度で、駅前の交差点に突入した所までは、確実に記憶がある。


 あれ?


 そのあと、僕、電車に乗ったっけ?

 ふと、目覚める前にナニカが壊れたような音が頭の奥から響いてきた記憶が蘇る。

 脳の奥で、こう、ごきゃっ、と。


 究極の加速。駅前の交差点。衝撃。宙を舞う浮遊感。

 そして、聞いてはいけない残響。


 うっ……頭が……


 そこまで思い出して、背筋に寒いモノが走り抜けた。

 そう、僕、長野 令ながの れいは……死んだ。


 自分が死んだ可能性まで思い至った瞬間、僕、ごく普通の日本人『長野 令ながの れい』の記憶とは違う、別人の記憶が脳内に流れ込んできた。

 まるで、生まれ変わった別の人生をなぞるみたいな。


「…ッぐ!」


 痛たたたたたっ……!

 他人の記憶や知識が流れ込んで来る瞬間って、脳内がボコボコ沸騰するみたいな感覚だとは知らなかったよ!


 しかも、その記憶が酷ぇ!!!


 今の僕、こと、奴隷№021番。

 どうやらこの子、『黒小鳥ブラックロビン族』とか言う小鳥に変身できる種族出身らしい。


 ちょっと、待って!? 

 何、その「変身できる種族」って!?

 ……と、言う、まっとうな僕のツッコミが追い付かない内にガンガン情報がなだれ込んでくる。


 そして、恐らく僕は、戦争だか、夜盗の襲撃だか……

 その手の不測の事態に巻き込まれたっぽい。

 突然、村に押し入って来た暴漢共に捕らえられ、ここに居るようだ。

 たぶん、両親は殺されている。


 自分の事なのに「らしい」とか「たぶん」とか、イマイチ頼りないのは、情報が細切こまぎれなせいだ。


 「みんな、逃げろ」と怒鳴る大人の悲鳴に似た叫び声……

 クローゼットっぽい所に隠れている所を、妙に大きな人に無理矢理引きずり出されて恐怖にちびっている瞬間……

 上半身は夜盗の影で見えていないんだけど、血を流し倒れている女性に向かって「おかあさん!」と叫んだ、喉と胸の鋭い痛み……

 拷問を受けては泣き叫んで許しを請う情景……


 そんな映像が、順不同でボコボコ蘇って来た訳ですよ。


 自分の事であるはずなのに、案外冷静なのは、自分自身と『記憶』とに距離感があるせいなのかな?


 「おかあさん!」と叫んだ記憶はあるけど、その「おかあさん」自身の顔とか、エピソードが出てこない、みたいな。


 そのせいで、僕が思い浮かぶ「母親の顔」は純日本人のオカンの方が強い。

 こたつに入り、チョコモナカアイスを齧りながらダイエット特番をガン見し、「明日から運動しなきゃ!」と、のたまう平和なオバハンの顔ですよ。

 決して、血だまりに倒れ伏すようなヴァイオレンス成分は存在しない。


 だから、一気に溢れた情報は「ホラーゲームの予告編」でも見せられたような感覚に近かった。


 とは言え「恐怖」と言う強い「感情」が背中の奥にべったりこびりつき、徐々に僕の全身を小さく震わせはじめている。

 だから、この記憶を単に「ホラームービー」と切り捨てる事はできない。


 ……このままだと、僕は死ぬ。

 いや、殺される。

 確実に。


 僕、『長野 令ながの れい』の「知識」と№021番の「記憶」から推察するに、一連の仕打ちは「奴隷」に対するものではない。


 本来の奴隷とは、あくまでも純粋な労働力。

 何かしら、主人に奉仕する事を求められるのが「奴隷」なのだ。


 だが、捕らえられてからと言うもの、一切仕事を求められていない。

 記憶に有るのは、理由も分からず、ただひたすら、嬲られ続ける……と言う、本当に胸糞の悪くなるものばかりなのだ。


 ただ、その中で拷問官共が、笑いながらほざいていた単語。

 それは、「獣人は実験素材」とか、「壊れたら処分」とか、「死んでからでも良い」とか……そんな言葉の数々。


 これらから推察するに、僕の扱いは「奴隷に対するもの」と言うより、「廃人化を前提とした非人道的な実験素材モルモットに対するもの」なのだろう。

 つまり、死亡ありきなのだ。


 カムバック・基本的人権!! 生存権ッ!!


 でも、それが通用しない世界、と言う事は、何よりもこの傷痕が物語っている。

 何とかしてココから逃げ出さないと命が危ない。


 とりあえず、現状を把握しないと!


 記憶の中に逃走ルートの手がかりが無いか思い出そうと、じっと自分の手を見つめた時だった。

 唐突に、自分の手から半透明な光る文字が現れた。


 ほわっ!? 何か出た!?


 【鑑定】

 名前:№021 性別:女性

 特性:【変身:黒小鳥ブラックロビン族】…黒い小鳥に変身できる力。

 祝福:【鑑定】…目にしたものの概要がわかる力。


 何だこれ?

 思わずキョロキョロ周りを見回すと、見慣れない大型器具の所でふと、目が留まる。

 これは何? と、思ったとたんに、例の半透明な文字が現れた。


 【鑑定】

 名前:稲妻の磔台

 効果:雷の魔力を流し、対象者の魂を砕く程の苦痛を与える拷問用の魔道具。


 ザ・物騒ッ!!!


 怖ぇよ!?

 しかも、何? 良く見れば、この器具と僕、首輪で繋がれてるんですけど!?


 だけど、ちょっと分かったぞ。

 この【鑑定】と言う力、どうやら僕が見たモノの中で「知りたい」と思った物・人に対する情報を入手できる能力みたいだ。


 ふふふ。

 彼を知り、己を知れば百戦危うからず!


 かなり絶望的な現状の中で、唯一テンションの上がる情報ですよ。

 でも、何でそんな能力があるんだろう?


 その疑問に記憶が答える。

 脳裏に浮かんだのは、若草色の髪をしたお兄さんの笑顔だった。


「【祝福】は、神様と御柱みはしら様の約束で、この地……『精霊樹の丘』に生まれた者に与えられる魔法の力だからね。どんなものを貰えるか分からないんだよ。」


 そう言って僕の頭をやさしく撫でるお兄さん。


「同じ黒小鳥ブラックロビン族でも、貰えない人も居るんだし。お前が【祝福】を貰えただけで、お父さんは良かったと思うよ。」


 もとい、お父さん。

 ……なのか?

 若いなー。 17,8歳の高校生くらいにしか見えないぞ。まさか10代前半で子供は作らないだろうから、凄い童顔なのか?

 しかも、線が細くてめっちゃ色白で、ぱっちり大きな深い緑色の優し気な瞳……えらく美少女顔のお父さんだよな~。

 髪の色が若草色とか言うファンタジー全開なカラーリングなのに逆に似合っている。


「そうか~、でも、【鑑定】か~。じゃ、お父さんとおそろいだな。」


 どうやら、僕が自分の【祝福】に不満をぶつけた時に慰めてくれている記憶だろう。

 僕だけに向けられる優しいまなざしと「おそろい」の言葉に、むずかゆい感じで頬を緩ませた思い出がまざまざと蘇る。


「確かに【鑑定】は、自分自身が強くなれる能力じゃないけど、使い方次第では誰にだって負けないんだぞ? 時に情報は剣より強い武器になるんだからね。」


 そう言ってほほ笑んだ父親このひとはもう、この世にいない。

 

 ……ちっ。

 こっちの身体に残っていた唯一の穏やかな記憶だというのに、妙に目に沁みやがる。


 僕は、自動的に眼球から溢れてきた汁を拭うと、さっさと頭を切り替える。

 今は感傷に浸っている余裕はない。

 重要なのは現状の打破だ。


 それを成し遂げられる希望。

 たった今、僕自身を【鑑定】した時に表記されていたもう一つの能力。


 『変身』。


 僕が見上げる先には、通気口とも呼べる小さな窓。

 この石造りの牢、正面は鉄格子なんだけど、その奥……

 廊下側の壁は、大きな岩盤でも削ったような造りをしていて、その天井付近に小さな通気口が空いているんだよね。

 そこから広がるは、10センチ四方の青空。


 ふ、ふ、ふ。

 自然と口角が吊り上がる。

 バカめ! 鳥に変身できる人間を窓のある所に閉じ込めるとはね!

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