第十話 戦闘なんですけど!?

前回のあらすじ

無理はしなくてもいいと言ってくれるノマラ。

釈然としない結弦。

そして。






 それは絶望が煮凝ったような形をしている。

 というのは、以前ダークソーンにぼろくそに刻まれてヒーラー受付所にやってきた魔法少女の言葉だった。


「人の嫌なこと、嫌がること、不安や不満、妬みや憎しみ、そう言ったものを鍋にぶち込んで煮凝らせて、最後に残った結晶みたいにどす黒いんだ」


 彼女は忌々しそうにそう形容した。

 ダークソーン。それは確かに忌々しい存在だ。人の心に巣食ってはその毒を吸い上げ、最後には弾けて種をばらまき、増殖していく邪悪な存在。


 でも何故だろうか。

 ダークソーンが描く幾何学的な模様を見る度に、結弦は奇妙な美しさを感じずにはいられないのだった。澱んだ沼の水を吸い上げた蓮が美しく咲くように、酷く、美しい花を咲かせようとしているように、そう感じられさえするのだった。


『ユヅル!』

「う、ん……大丈夫……!」


 いま、結弦はその美しい模様を見ていた。夜の闇よりもはるかに濃い漆黒の茨の描く模様を。


「ダークソーン……!」


 宿主は、閉まりかけて人気のなくなってきた施療所に飛び込んできた男だった。

 男は明らかに様子のおかしい、血走った目で結弦をにらみつけ、わめき散らした。

 施療所での治療は明らかにおかしいということ。邪法でも使っているのではないかということ。お前のせいでうちの施療院は貶められているということ。患者たちから比べられ、罵倒されること。

 その他、あることも、ないことも、男はまくしたててた。ユヅルを罵倒して、罵倒して、それでもまだ足りぬように、あたりのものに当たった。


 周囲の人々は男を止めようとしたが、とてつもない剣幕にそれもうまくいかず、手をこまねいているうちに、結弦がさっと立ち上がった。


「危ないですから、皆さん下がって」


 結弦が落ち着いていたのは、この数日で心が強くなったから、では勿論ない。

 ただ、慣れていたからだ。この光景に、慣れきっていたからだ。


「明らかに様子がおかしい……なんていったっけ」

『他者に対する暴力的な異常高揚状態、だっけ』

「そう、それっぽいね」


わめきたてる男に、結弦は杖をとった。この世界に来てから、触れることも随分減ったあの杖だ。それは、触れることも減る。

 なにしろそれは、武器なのだから。

 魔法少女の、武器なのだから。


「ホーリー・ピュリフィケーション!」


 慣れ親しんだ呪文とともに杖を振るえば、燦然とした光がどこからともなく降り注ぎ、男の体をくまなく照らしていく。


 変化は劇的だった。

 男はまるで灼熱の炎にあぶられたかのように身じろぎ、叫び、そして大きくのけぞりかえり――不意に弛緩する。どろりと崩れ落ちるように男の体は脱力し、その代わりに、その体からにじみ出るようにあふれ出るのは、黒い、茨。

 まるで体中の血を絞り上げたかのように、茨はずるずると男の体を中心に湧き出ては、幾何学的な模様を描いていく。


 周囲から悲鳴が聞こえた。


「茨の魔物だ!」


 そうだ。茨の魔物。そして、ダークソーン。

 そう呼ばれる魔物が、白昼の往来でその姿をさらしたのだった。


「こんな時間から現れるなんて……!」

『天敵の気配を察したのかもね』

「もしかしてそれって……!」

『勿論君だよ、魔法少女ユヅル!』


 成熟したダークソーンは膨れ、弾けて、種をばらまく。だからその前に退治しなくてはいけない。

 だが未成熟なダークソーンは、極めて凶暴だ。


「う、わっ、と!」

『気を付けてユヅル!』

「わかってる!」


 なけなしの身体強化を使い、結弦はダークソーンが繰り出す茨の打擲をかわしていく。その速さは、結弦でもなんとか見切れる速さだ。しかしその威力は生半ではない。回避した先で、施療所の小屋がギャリギャリと音を立てて刻まれる。

 高速で振るわれる茨は、まるで荒れ狂うチェーン・ソウだ。鋭い棘が、何もかもをずたずたに引き裂いていく。


 結弦は冷静に立ち回った。派手に動き回れば、相手をかく乱させられる。しかしその分茨は荒れ狂い、周囲の人々を無駄に傷つけることになるだろう。


「みんな、逃げて!」

「で、でも」

「いいから、アルコさんを呼んで!」


 ただ逃げろと言っても、結弦を置いて逃げるのは難しいのか。そう判断した結弦は、人々に役目を寄越す。はっきり名指しで呼んで頼んでやれば、さらに効果は出る。


 人々が離れていけば、後は、そう、魔法少女の仕事だ。


「すぅ……はぁ……」

『アルコが来るまで待ってもいいと思うけど』

「被害が広まる前に、抑え込まないと」


 いまはまだ、未成熟なものだ。

 しかし時間がたてば成熟し、此処では爆ぜてしまう可能性もある。あるいは浄化の光の効果が薄れ、宿主に引っ込んで逃げてしまうかもしれない。そうなれば、追うのはたやすいことではない。


 覚悟は数秒。


 結弦は杖を構えてダークソーンへと突っ込んでいく。

 荒れ狂う茨を杖で打ち据え、手でかいくぐり、傷つきながら肉薄する。傷ついても、すぐに治るのならば、それは傷なんかじゃない。ただ煩わしいだけの障害だ。ざりざりと鋭い棘も、この距離では満足に振るうこともできなしない。ならばそれはただの棘に過ぎない。


「じゃ、久しぶりに泥仕合と行きましょうか!」

『つくづく魔法少女じゃないなあ』


 ざくざくと肌を傷つける茨を抱きしめて、結弦は宿主の男性に触れる。まだ暖かい。まだ呼吸をしている。この男性は、まだ生きている。

 それが確認できれば、結弦にできるのは一つだけ。触れれば触れるだけ肌を傷つける、割れたガラスのように鋭い茨をひっつかみ、結弦は一本一本を宿主から引き抜いていく。その度に茨はあばれ、結弦を傷つける。


「あっ、ぐ、ううう、ぐ、あああっ!」

『ユヅル、痛覚を切って!』

「そんな、器用な事、また今度言って!」


 そうだ。

 結弦は器用なことなどできはしない。

 ちょっとした身体強化と回復魔法。そのふたつだけ。

 あとは、持ち前の我慢強さだけだ。


「や……やめてくれ……」

「っ! 大丈夫ですか!」


 茨と格闘するうちに、宿主の男性が目を覚ます。茨が引き抜かれるたびに、その表情は苦しみに歪むようだった。


「いま、いま助けますから!」

「やめ、やめてくれ……あんた、そんなに、傷ついて……」

「それが、わたしの、仕事ですから!」

「わしは、儂は随分あんたに酷いこと言ったじゃないか……あれは嘘なんかじゃあない……魔物に囚われて、言ってはいかんことを言ったかもしれん……でもあれは………みんな、みんな、儂の思った通りなんだ……」

「……知ってます! ダークソーンは、人の心の毒を引き出す。でもそれは、植え付けるわけじゃないんです」

「ならわかるだろう……わしは、醜いやつだ……わしは、酷いやつなんだ……わしは……」


「それでも!」


 結弦は茨を引き抜く。茨は結弦を傷つける。それは血まみれの乱闘だ。泥仕合だ。

 だがそれでも、結弦はそれを止めようとはしない。


「それはみんな同じなんです! みんなみんな同じなんです! こんな、こんなくだらないことで、台無しにされていい訳がないんです!」

「あんた……あんたは……」

「こんな、こんなことで……!」


「あんたぁ……いいひとだなあ……」


 それが男の最期の言葉だった。

 くったりと弛緩し、脱力した体には、もはや先程まで存在していた熱が、ない。

 表情はまるでぽかんとしたように虚空を見つめ、何の力もない。

 ダークソーンに心の毒を全て引き出され、空っぽにされてしまったのだ。


 人はみな、心に毒を持っている。不満や不安、妬みや憎しみ。ふざけるなという怒りや、立ち上がろうとする熱意。誰かを見返してやろうとする意志。驚かせてやろうというささやかな毒。そう言った、毒があるからこそ成り立っていた全てが、いまはもう、この男の中からは失われてしまったのだ。


『君たちの世界では、ユーストレスレス症候群と言ったね』


 誰かを傷つけるかもしれない心の毒。しかし、それはなくてはならない薬でもあるのだ。

 ダークソーンはそのすべてを引き抜いてしまう。そして引き抜かれた毒は種となって散らばり、また人々の心から毒を吸いだしてしまうのだ。熱意や、生気と言った、なくてはならない毒まで。


「あ、ああ、あああああああああああツ!!」


 それらがすべて失われてしまったむくろを抱きしめて、結弦は叫んだ。まただ。またも届かなかった。いつだって結弦は遅すぎた。


「ユヅル! 大丈夫か!」


 駆けつけるアルコの声が聞こえた。

 結弦が振り向くと同時、ダークソーンもまた増援を知ったのだろう、激しく身をよじって結弦の体をずたずたに引き裂きながら、それは腕の中から抜け出して、飛び上がってしまう。


「あっ!」

「ちっ、待て!」


 アルコがすぐさま弓を構えたが、ダークソーンは人混みへと飛び込み、ずたずたに引き裂きながら逃げ去ってしまう。さしもの『無駄なし』の弓も、こうも障害が多ければ射掛けるのをためらった。

 やがてダークソーンはすっかりと姿を消してしまった。恐らくはまた、誰かの心の闇に隠れてしまったのだろう。こうなれば見つけるのは、ことだ。


「ユヅル! 大丈夫か!」

「大丈夫です……ダークソーンは、奴は……?」

「茨の魔物なら、すまない、逃がしてしまった」

「……追いかけないと! 早く!」

「馬鹿言え、君はそんなにも傷ついているんだぞ!?」

「この程度……!」

「それに見ろ! 人々だって……!」

「く、ううう、くううううううううッ!」


 異世界におけるダークソーンとの第一戦は、物の見事な敗戦と相成ったのだった。






用語解説


・他者に対する暴力的な異常高揚状態

 ダークソーンに憑りつかれた人間は、心の毒をため込むようになる。それが破裂寸前になると、暴力行動を伴う高揚状態に陥る。


・ホーリー・ピュリフィケーション

 聖なる浄化を意味する。魔法少女たちの間で何となく流通している呪文で、別にこれでなくても発動する。

 正常な人に使うことで心に防壁を張って一時的にダークソーンの侵入を防ぐほか、すでにダークソーンに憑りつかれている人間に使うことで、ダークソーンを引きずり出すことができる。


・ユーストレスレス症候群

 人は誰でも心に毒を抱えている。言い換えればそれはストレスであったり、悪意であったり。

 それらをすべて抜き取られた人間は、生きる気力さえも失ってしまう。


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