異端者達のフォークソング

名南奈美

異端者達のフォークソング(前編)



 正直村は怒りに満ち、嘘つき村は悲しみに暮れる。



 僕と萩木(旧姓:浜枝)みみ子が撲殺島にあるカテーテル婦人の屋敷で新婚初夜を過ごしていた頃、僕らがそれまで住んでいた恋川のマンションがどうやら全焼したらしくて、お隣さんや大家さんもみんな亡くなったそうだ。

 ふむ、悲しいという訳ではないけれど、どことなく寂しい。去年、生まれ育った実家が売却され両親が「せっかくだし」と僕も両親も行ったことのない県に引っ越しちゃったときも同じ感覚だった。自分の人生においてそこそこの長さを占めた場所や建物を喪失することは寂しいものだ、と二十歳にして気がつく。

 起き抜けに火災の報せを受け、動きたがらないみみ子ちゃんに感想を求めてみたが、

「興味ない」

 だけで終わった。みみ子ちゃんは興味ないことは興味ないで終わらせる二十歳のピアニストで、僕はそんなみみ子ちゃんのことが大好きな二十歳のDTMerだった。

 それ以外の肩書きがない僕らは、いまは音楽で収入を得て暮らしている。メジャーレーベルと契約をしているとか、動画サイトや同人CDでブレイク中、という訳ではない。物好きなカテーテル婦人がパトロンになってくれているのだ。僕らはただカテーテル婦人の依頼に応えてカテーテル婦人の生活を彩るための音楽を作れば、それで生きていけるのだ。

 歯を磨いて髭を剃って髪を整えて、みみ子ちゃんのご飯を作って、「カテーテル婦人のところ行ってるね」と告げる。「んー」と手をひらひらするみみ子ちゃんが可愛くて、おでこにキスをする。みみ子ちゃんはお皿でも眺めてるみたいな平淡な表情をしていた。何か考えているのだろうか。

 部屋を出て長い廊下を歩き、カテーテル婦人の部屋のドアに辿り着く。ノックする。入室の許可を得る。失礼します、と言って入る。

 カテーテル婦人が真っ黒なワンピースを着て籐椅子に腰かけている。目が合うと、おはよう、と微笑まれる。

「おはようございます、カテーテル婦人」

「おはよう、荻木さん」

「萩木です。昨夜はありがとうございました」

「いえいえ、貴方の音楽はこのカテーテル婦人の生活を潤わせてくれていますから、お返しに貴方の生活の潤滑剤として行動するのは当然のことです」

 カテーテル婦人はそこで席を立ったかと思えば、傍の冷蔵庫から葡萄をひと房持ってきて水で軽くすすぎ、皿のうえに盛り付けて卓上に置いた。

「お座りなさい。本題に入りましょう」

「はい」

 籐椅子に腰かける。この座り心地にも慣れたな、と思う。

「貴方に新しく曲を作っていただきたいのです」

「どのような曲でしょう」

「フォークソングです」

「フォークソング?」僕は何かの聞き間違いかと思った。「フォークソングって、あの、民謡のような? 電子楽器を使わない音楽のことですか?」

「ええ。生楽器を打ち込みで代用することは許可しますが、リードシンセやスクラッチ、電子的なドラム音などは廃していただきたく」

「……今までいわゆるEDMばかりだったので少々驚いていますが、今までのような、踊るための楽曲ではないのでしょうか」

「はい」カテーテル婦人は頷いた。「今回、このカテーテル婦人は撲殺島の島歌を制作しようと試みています」

「島……歌。それは県歌や市歌のようなものでしょうか」

「ええ。その理解で問題ありません。作詞とメロディはこのカテーテル婦人が担当しますので、貴方は編曲をお願いします」

「詞とメロディはもう完成していますか」

「もちろん。お請けいただければデータを貴方のパソコンに送信しますよ」

「畏まりました。納期はいつごろで報酬はいくらですか」

「納期は二週間後」カテーテル婦人はピースサインをした。「報酬は前金と合わせて二十二万円です」

「請けます」即答してしまった。でもいつもより高いからしょうがない。「誠心誠意、全力を以て取り掛からせていただきます」

「その言葉を待っていました。ではこちら前金として十万円お渡しします」カテーテル婦人は茶封筒をこちらに差し出す。

 僕が恭しく受けとると、カテーテル婦人は言う。

「ああ、生楽器を打ち込みで代用してもいいとは言いましたが、ギターは生演奏がいいのでよろしくお願いいたします」

「え」

 それは――先に言ってほしい。



「ギター? なんだっけそれ、前のマンション住む前に売ってたやつ?」

「うん。何せ、からきし上手くならなかったからね」

 みみ子ちゃんの待っている部屋に戻り、依頼内容を伝えると、言語化によって状況の苦しさが明確になった。僕はギターを弾けないし持ってもいない。みみ子も同じだ。ピアノとギターは違う。姿勢からして違う。二週間練習すればそれなりになるだろうか。そもそもギターの調達は? 通販って撲殺島に届くまで一週間くらいかからなかったっけ?

「どうするの? 請けちゃったんでしょ」

「うん」

 自分のパソコンを開くと、もう共有ファイルにデモデータがアップロードされている。メロディだけのMIDIデータと、歌詞のテキストデータ。今更取り止めるとなると厄介だし、そういう話し合いは苦手なのだ。

 どうにかしないとならない。生演奏のギターが必要なのだ。僕は弾けないし買っても間に合わない。

 ……前金の十万円。もしかして、いつもよりも額が大きいのは、だからか? そこも計算して増やしてくれたのか? カテーテル婦人は。

 やれやれ。僕は後頭部を掻いて、棚から島の地図を抜き取った。

「どうするの?」

 みみ子ちゃんは言った。

「取り敢えず、あいつのとこに行こう」

 僕が答えると、みみ子ちゃんは、ああ、と頷いた。

「前に言ってた、《宇宙人》?」

「うん」



 撲殺島の《宇宙人》こと五月蝿優雅はもう三年は島民をやっていて、三年間で《宇宙人》と呼ばれるまでに目立った。というか悪目立ちをした。そもそも初手で住居を廃墟同然の塔、『やかまし塔』にしたところから既に変な奴だ。それから他人のペットを誘拐してオリジナルの芸を仕込んで返したり、書店で買った本を海外のマイナーな言語に翻訳して書店に売り付けようとしたり、島の暇人を集めて夜中にゲリラライブをしてカテーテル婦人にトンカチで殴られたりした……らしい。全てカテーテル婦人に聞いただけだ。

 でも、彼はゲリラライブをしたのだ。カテーテル婦人いわく五月蝿がボーカルで、他にベースとドラムとギターの役がいたらしい。熱狂している暇人も多かったそうだから、演奏はへっぽこではないはずだ。

 だから僕は《宇宙人》五月蝿優雅の住む『やかまし塔』の戸を叩く。ややあって、入塔許可が降りる。

 みみ子ちゃんは言う。「私は初対面なんだよねえ。興味なかったから」

「今は興味あるの?」

「なくはない」

 塔のエレベーター(真新しい。増築したのだろうか)で最上階まで到達すると、すぐ傍の階段を見下ろす、背の低い男が目に入る。

「ハロー、《宇宙人》」と僕が言うと、

「ハロー、《接続不能》」と五月蝿は言い、「階段で来いよ。ドロップキック、練習したんだぜ?」なんて言って残念がった。

「言いたいことはあるけれど、取り敢えず、《接続不能》って言うのは何かな」

「お前が名乗っている通り名だ」

「名乗ってねえよ」

「名乗っているって話をじわじわ蒔いてる途中。造語ではない辺りがより中二病っぽいだろ」

「なんで新婚早々ご近所さんに中二病扱いされなきゃならないんだ? 《宇宙人》式おもてなしか?」

「俺だって《宇宙人》なんてあだ名には困ってるんだ。島の子供が宇宙飛行士になる方法を教えてくれなんて言ってくるんだぜ。適当なこと吹き込む身にもなってくれ」

「適当なことを吹き込むなよ。《宇宙人》どころか人でなしじゃねえか」

「ねえ」みみ子ちゃんが不機嫌そうに言う。「興味ない」

 それでふたりとも黙る。本当に不機嫌そうな顔だったのだ。

 五月蝿は僕達を、客間らしき清潔な部屋に招き入れた。飲み物はとくに出さなかった。そりゃあそうか。

「で」五月蝿は僕の顔を見て言った。「用件は?」

「ギタリストの知人はいない? アコースティックギターが弾ける人間。いたら、紹介してほしい」

「いるとも」五月蝿はにっこりと笑んだ。「ぶっ飛んでるけどな」

「ぶっ飛んでたっていいよ。どうせそんなことだろうと思ってたし……」

「いや、記憶がな?」



 五月蝿優雅の知人女性に、幼少期からクラシックギターを触っていたという人間がいるのだが、最近の彼女はどうやらその幼少期の記憶も含めて全て忘れてしまっているらしい。

 どうして?

「あいつは……焼津って言うんだけど、焼津にはひとり娘がいたんだよ。ずっと品行方正に育てて、なんでも仕込んで、それはそれは素敵なお嬢さんに仕立て上げた。恋川の制作会社で働きたいってんで、島から送り出したんだ。で、つい最近出戻ってきた。それから記憶を失ったんだよ」

 五月蝿の話がそこで終わった。僕は訊く。

「その娘に何かがあって、そのショックで?」

「さあな。だが、確実なのは、焼津が記憶がなくなってから、焼津の娘の姿もなくなっているってことだ」

「え」

 つまり……記憶喪失と、失踪?

「本当に、もう誰も焼津の娘の姿を見ていないんだ。島の人間みんな、誰も」

「……ねえ、他にギタリストの知人は?」

「いねえよ。島内にもいないぜ、だってこの島にはまだ楽器屋がないからな。あるのはカテーテル婦人が拵えたダンスクラブくらいのもので、ライブだって、島内に三人しかいない、楽器を持ってる住民を頑張って集めたんだ。散らばってたから本当に大変だったんだ」

「そうなると……その焼津さんに記憶を取り戻してもらうしかないけれど……どうしよう」

「自分で考えろ。俺はもうライブをやりたいと思っていないから、このままでも不都合はないんだ」

 五月蝿はそう言って、座っていたソファに寝転がる。初対面の人間と二回目の人間の前でどうしてそこまでリラックスできるのだろう。

 とにかく、どうしよう。記憶喪失ってどうやったら治るんだ? 頭でも殴ればいいのか? 記憶が戻るような威力のパンチは持ち合わせていないけれども。それとも記憶を甦らせる薬を……いやいや。もっと現実的に考えよう。

 記憶を甦らせたい訳じゃない。僕はギターを弾いてほしいのだ。

「五月蝿」僕は言う。「焼津さんの家の場所を教えてくれる?」

「あ? ちょっと待ってろ」

 五月蝿はかったるそうにソファから起き上がると、島内の地図を持ってきてくれる。そして床に落ちていた青いマジックペンを拾い上げると、だいぶ大雑把なバツ印を付けて、

「ここ」

 と言った。それ以上は望めなさそうだった。

 まあ、最低限の情報を得ただけでもよしとするか。

 会釈を交わし、出ていこうとしたところで、五月蝿は僕を呼び止める。そういえばよ、と。

「そういえばお前、なんだってギタリストを募集してるんだ?」

「ああ、カテーテル婦人からの依頼のためだよ」

「……聞くんじゃなかった。俺はあの女の手下に手を貸したってことかよ。二度と来るな」

 ふむ。

 寂しいけれど、カテーテル婦人と五月蝿だからしょうがないか。



「焼津さん? もちろん、このカテーテル婦人は把握していますよ」

 カテーテル婦人はそう言うと、棚からファイルをひとつ抜いてテーブルに置いた。そこには女の人の横顔に『焼津珠』と添えられていた。やいづたま。経歴がずらずらと載っている――経歴の末尾には、ごく最近の日付で「記憶を喪失?」とあった。

「焼津珠さんは娘の椎夏さんを出産してすぐ夫を亡くし、それから紆余曲折あって撲殺島に流れ着きました。以降、子育てをしながら撲殺島の開拓に貢献し、島民の集まりでギターを弾いていました。このカテーテル婦人も、彼女が記憶を失っていなければ、荻木さんに紹介したうえでフォークの制作を依頼していたことでしょう」

「萩木です。あの、焼津珠さんは椎夏さんに色んなことを仕込んでいたと聞きますが、間違いありませんか」

「ええ、そのようでした。字の書き方や礼儀作法に始まり、身体の動かしかた、化粧の塗りかた、絵の描きかた、歌の唄いかた、楽器の弾きかたなんかも」

 楽器の弾きかた。

 よし、と僕は思う。焼津椎夏は母からギターの弾きかたを教えてもらっている。ならば、行方不明の彼女を見つけ出せば、ギタリストになってくれるかもしれない。

「ありがとうございます、カテーテル婦人。ちょっと椎夏さんを捜してきます」

「あら、そうですか。でしたらこちらを持っていってください」

 カテーテル婦人が差し出してくれたのは島内の地図。五月蝿の地図とはうってかわって、丁寧に印がついている。

 丁寧に。

 ひとつひとつ丁寧に、しっかりと塗り潰し、印して――そうしてゆっくりと真っ赤に染め上げられたのであろう島内地図。

「赤く塗られているところは、既に三度、捜索した場所です」

 マジっすか。



「えー絶望じゃない? 諦める?」自室に戻って地図を見せるとみみ子ちゃんが言う。「頑張れるの? ここから」

「頑張るしかないし、どうにかするしかないね。焼津珠さんに記憶を取り戻させるか焼津椎夏さんを捜し出すか。同じくらいの難易度に思える」

「んー……ねえ、焼津さんは今もギターを持っているのかって確かめたっけ」

「え?」

「だって弾きかた解らないんでしょ。だったら、邪魔だとかで捨てちゃったかも。思い入れも忘れてるんだろうし」

 背筋が凍る。もしもそうだったらこの島にはもうギターがない。記憶が戻ろうと椎夏さんが戻ろうと意味がないじゃないか。

「焼津さんの家に行こう。行って、確認してくる」

「そうだね、行こう」

 もうすっかり夕暮れになってしまったが、僕達は再び屋敷を出て、五月蝿の地図を見ながら焼津さんの家を捜した。やっと戸を叩けたときには、既に夜のとばりが落ちていた。

 焼津さんはがらりと戸を開けて、

「どちらさま?」

 と言った。ぽかんとした表情だった。中年のぽかんとした表情を、僕は久しぶりに見た気がする。少し太った中年女性。でもどことなく若々しさがあって、これはギターを弾いてもおかしくないな、と思った。

「やあ、すみません。初めまして。カテーテル婦人に雇われた音楽家です。この度は焼津さんにギターを弾いていただきたく馳せ参じました」

「あらー……そうですか」焼津さんは困った顔で言う。「ごめんなさい。あたし、生憎、記憶がおかしくて。ギターをすっかり忘れてしまってるんですよ。どこを触ればいいかも解らなくて」

「はい、存じております」僕はなるべく恭しく頷く。「使っていたとおぼしきギターは、廃棄などされましたか?」

「いいえ。なんだか捨ててはいけない気がして、押入れに」

「ありがとうございます。これからも捨てないでいただけますか?」

「ああ、はい、それは、大丈夫です」

「ありがとうございます。今晩はこれにて失礼させていただきます」

 礼を交わして、僕とみみ子ちゃんは焼津さんの家の玄関を離れた。

 島にひとつだけのコンビニエンスストアに立ち寄り、カフェオレをふたつ買った。暗い夜のベンチに並んで座って飲んだ。曇り空で月は見えなかった。みみ子ちゃんの冷たい手をぎゅっと握ってみるけれど、握り返してはこなかった。体温に興味がない子なのだ、そもそも。

 屋敷に戻るとカテーテル婦人はもう就寝しているようだった。まだよい子も寝ないような時間だったけれど、たくさん寝るタイプだからしょうがない。僕達も今日のところは休むしかなさそうだ。

 パソコンでカテーテル婦人からのMIDIデータを元にトラックを打ち込んでいると、みみ子ちゃんが覗き込んでくる。ピアノを弾いてもらう。楽器構成としてはスチール弦ギターとピアノとベースとパーカッションにする予定で、ベースとパーカッションは打ち込みで済ませる。だからあとはギターだけなのに。

「焼津さんは諦めてさ」みみ子ちゃんは言う。「ネットでギター弾いてくれる人を募集したらいいんじゃない?」

「忘れたの、みみ子ちゃん。僕達はSNSや掲示板を禁止されているじゃないか」

「ああ……そうだね」

 僕達はカテーテル婦人の屋敷で養ってもらうにあたって、いくつかの条件を受け入れた。そのなかのひとつに、そうした『ネット上での他人との繋がりの禁止』というのも含まれている――「インターネットの人間ほど、くだらなくてマイナスな人種はいません。インターネットそのものが、ロクなものではありませんから」とのこと。カテーテル婦人の経歴を知っている僕達からしたらそれは否定しづらいものだし、ネットでの交流をせずに悠々自適に暮らせるのなら、メリットの方が大きい。

 でもまさか、それがこんなところで足を引っ張るとは。

「じゃあ焼津さんを追うしかないんだね」

「うん。大変だけど、付き合ってほしい」

「それは言うまでもないよ」みみ子ちゃんは笑って言う。「だって私かカテーテル婦人がいないと、君はまともじゃないんだから」

 部屋の冷蔵庫とキッチンで晩御飯を作る。食べる。浴場に一緒に行く。洗って温まる。部屋の電気を消してベッドに入る。閨事。おやすみなさい。

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