なりすまし勇者の魔王城再建計画

植田メロン

prologue 呪われた女の子

 その日、鳥籠の中で飼っていた小鳥のロビンが死んだ。


 エリーザが五才になる愛娘の誕生日に与えたプレゼントだった。


 しかし、夜中にあまりにもうるさく鳴いたので、エリーザはその小鳥に密かに毒を盛って、娘のたった一人の大切なトモダチを毒殺したのだった。


 とうぜん、彼女の娘は大泣きした。ミニドレスが涙でずぶ濡れになるまで泣き続けた。城館の下女たちがなだめても、エリーザが励ましても、純真無垢な五才の娘は現実を受け入れることができないでいた。


「ロビンが起きてくれないの! 呼びかけても、目を覚まさないの! ママ、ロビンをたすけてあげて!」


 泣き続けている間、五才のいたいけな娘は、何度も小鳥の名前を口にしながら懇願した。"ごめんね"エリーザは心の中で娘に謝った。"でも、あと数日ほど経てば、この子もけろっと忘れるはずだわ。次のプレゼントはうるさくないものにしなくっちゃ……"


「泣かないで。悲しいけれど、その子はもう目を覚まさないのよ。また新しい友達を買ってきてあげるからね」


 エリーザはそういうと、娘の背中を優しくさすった。そして、使用人にいくつかの銀貨を握らせて、さっそく街に向かわせた。今度は猫を飼うように内内で頼んだのだった。それでも、彼女の娘の気は収まらなかった。折を見ては一日中、しつこく駄々をこねてきた。


「ロビンじゃなきゃいや! 新しいお友達なんて欲しくない」


 エリーザは舌打ちしたい気持ちを押さえ込んで、お気に入りのドレスの生地に鼻水を擦りつけて泣き続ける娘を強引に引き剥がした。


「でも、このまま放置していたら小鳥さんも可哀想よ。そうだわ!」彼女はわざとらしく手を打った。「いまから、庭園にロビンのお墓をつくってあげましょう。そうすれば、ロビンも向こうの世界で喜んでくれるはずよ。それに、あなたのパパのお墓のとなりに埋めてあげれば、きっと寂しくないと思うわ。パパも鳥が大好きだったから。きっと、向こうでも面倒を見てくれるでしょう。庭園で待ってるから、小鳥さんを連れて、すぐにいらっしゃい」


 エリーザはそういうと、死んだ小鳥に関心のなさそうな一瞥をくれてから、優雅な足取りで庭園に向かった。それから、自分の手を汚さないよう、シャベルは下女たちに持ってくるように命じる。"毒殺した夫のとなりに毒殺した鳥を埋めることになるなんて……。そういえば、生前の夫もあの小鳥のようにうるさくピーピー喚き立てたっけ"

 そんなことを考えながら、エリーザは廊下の壁に飾られた夫の肖像画に向かって、薄笑いを浮かべた。そして、何食わぬ顔で庭園へと向かった。




"ロビン……本当に死んじゃったの……?"

 女の子は泣き腫らした目を鳥籠に向けると、言われた通りに籠の中からロビンの亡骸を取り出して、両手にそっと置いて中庭へと向かった。目は閉じていたが、眠っているようだった。歩いていると、死んだ小鳥は掌でころころと転がったので、まるで寝返りをうっているようにも見えた。


 "いまにも起き出して、飛んでいきそうだわ。あなた、本当は眠っているだけなんでしょう?"


 女の子は、冷たい小羽を指先で優しく撫でながら囁いた。


 「起きて、ねぇ、起きて、起きてったら! あ……」


 女の子が走ってくると、中庭では、使用人たちがせっせとシャベルで土を掘り起こしていた。エリーザは、じっとその作業を眺めており、女の子が声を掛けるまで、その小鳥がことに気づかなかった。女の子は歓喜の声を上げて、母親のもとに駆け寄った。"やっぱり眠っていただけだった! この子ったら、とんだお寝坊さんね"


 「ママ、見て。小鳥さん起きたよ!」


 女の子は嬉しそうに両手をかかげて、目を覚ました小鳥をエリーザの前にみせつけた。振り返って、彼女の母親は見たことのない生物を見るかのような顔でぎょっとした。そして、喜びよりも恐怖が混ざった表情を浮かべて、そのピーピーと元気に鳴く小鳥から後ずさった。しばらく、何かを言いかけようと口をパクパクしていたので、女の子は念押しにもう一声つけ加えた。


「あのね、わたしが起きてってお願いしたら、本当に起きてくれたの! すごいでしょう?」

 

 女の子は胸を張ってたずねた。しかし、返事はもらえなかった。小鳥のロビンは女の子の手の中で小羽を広げると、パタパタと飛び上がり、女の子の右肩に乗った。そして、彼女と同じように、視線を母親の方に向けた。


「……そんな、ありえないわ。確かに死んでいたはず! 体温は……」


 母親がおそるおそる手を伸ばして、その小鳥に触れる。すると、悲鳴をあげて目を見開いた。女の子は、それを歓喜の叫びだと受け取った。


「温かいわ……本当に生き返ったの?」


 彼女の母親は、声を上擦らせて、また後ずさりした。


「ほらね? ロビンは死んでなかったんだよ! わたしが起きてってお願いしたら、ちゃんと起きてくれたんだから! きっと、わたしがお願いすれば、ほかの眠っている子も、この子と同じように起きてくれるはずよ! みんな眠っているだけなんだもん!」


 女の子は満面の笑みを浮かべて、小鳥を撫でてみせた。それでも、彼女の母親は笑顔にならなかった。




 "信じられない。殺したはずなのに、生き返るなんて……"エリーザは先ほどの出来事を、白昼夢でも見たかのように想起した。

 使用人たちが、エリーザと同様に娘に向けて奇妙な視線を送りながら、夕食の支度をするため屋敷へ戻っていくなか、彼女の娘は小鳥と一緒に元気よく庭園を駆け回っていた。エリーザは、娘が無邪気に走る様子を半ば心配そうに、半ば畏怖の目で見つめていた。やがて、彼女の娘は泥だらけになりながら、なにかを閃いたように、こちらに戻ってきた。


「ねぇ、ママ。いいこと思いついたの!」


エリーザは、娘が次に発する言葉は、自分が絶対に望まない言葉だと確信しながら身構えた。


「ロビンと同じようにパパも起こしてあげようよ! わたしなら、きっとパパも起こしてあげられるかもしれない!」


 ドレスを泥で茶色に汚した娘の言葉は、エリーザの神経を逆なでした。

 彼女は息を詰まらせて、衝動的に娘の頬を思いきり張り飛ばした。娘は地面にどうと倒れ伏して、何が起こったのかわからずに呆然としていた。生き返った忌々しい小鳥が、周囲で娘の身を護るようにバサバサと飛び回った。


「馬鹿なことを言わないで! いい? あなたのパパは死んだのよ! 目を覚ますことは絶対にあってはならないの! 今度同じことを言ってみなさい……さもないと……」


 "さもないと、私は娘まで殺すの?"エリーザは自問した。"自分の幸せを邪魔するものは、すべて排除してきた。しかし、娘は……? 私が死ぬ思いで出産したこの子は……そんなに簡単に見限っていいの? まだ子供じゃない。そうよ、こんなの幼児の戯言……。あの小鳥が生き返ったのも、私の勘違いだったんだわ。きっと、毒が足りなくて、半死半生の状態だったのよ。それで、運よく蘇生した。ただ、それだけのことよ。なにも恐れる心配はない。何を恐れているのかしら? 私は……"


 エリーザがあれこれ熟慮していると、娘が起き上がって、唇についた泥と血をドレスの袖で拭った。そして、殊勝な態度で「ママ、ごめんなさい」と謝った。エリーザはしいて作り笑いを浮かべた。


「ママこそ、ごめんなさい。引っ叩くつもりはなかったの。本当にごめんなさい。あなたは私のかけがえのない宝物よ……」


 エリーザは娘の体を優しく抱きしめた。"多少、ドレスに泥がついても仕方ない。彼女の信頼を取り戻すことが先決だわ" 彼女の周囲で、ロビンがうるさく鳴き立てながら、バサバサと羽ばたいた。エリーザは顔をしかめながら、その小鳥をにらみつけた。


「さあ、もうすぐ日が暮れるわ。部屋に戻りましょうか」


 夕焼けで城館が血のように真っ赤に染まり、天井のオレンジがブルーベリーに侵食されつつある空の下で、エリーザは娘をそっと立ち上がらせた。それから縦横無尽に元気よく飛び回る小鳥を流し目に見やる。"また毒を仕込めばいい。今度は確実に殺すわ" エリーザは娘の手を引いて、居室に向かおうとした。しかし、娘は立ち止って、動こうとしなかった。


 無理やり引っ張ろうか逡巡したとき、ふと、彼女の娘は言った。


「ねえ、ママ。パパのお墓にロビンがとまっちゃった」


 振り返ると、亡き夫の立派な石墓の上に、あの小鳥がちょこんととまっていた。

 エリーザは憎々しげに大股で墓の前にやってきた。そして、小鳥を捕まえよう手を伸ばしたが、うまくかわされてしまい、結局、娘の肩にその小鳥はとまったのだった。


「なによこの鳥……わたしを愚弄しているの?」


 エリーザは、腹立ちまぎれにおもわず言ってしまった。

 すると、娘はきょとんとした顔で首を傾げた。


「ママ、愚弄ってどういう意味?」


「知らなくていいのよ。さっさと戻りましょう。日が暮れないうちにね。夜は冷え込むから」


「もしかして、ママ、怒ってる?」


「怒ってないわ。いいから行くわよ。さあ、はやく!」


 エリーザが引っ張っても、娘は梃子でも動かなかった。そして、あろうことかエリーザの手を振り払い、逃げるようにして、亡き夫の墓にしがみついた。


「ママ、パパが死んでからずっとイライラしてる……。どうしてそんなに怖い顔をしてるの? ママがずっと怒ってるのは、わたしのせい?」


「違う! いいからこっちへ来なさい。さもないと……」


 エリーザは夕闇のなかを、スカートを持ち上げてずかずかと進んだ。あまりにも強く地面を蹴ったので、庭園にある亡き夫の墓に土飛沫が飛んだほどだった。そのなかに、石ころも混ざっていたらしく、その石礫がまともに娘の顔面に直撃した。


「痛い……。ママ、痛いよ! 怒らないで……!」


「うるさい! どうして、わたしの言うとおりにしないの! あんたを見てると、あのバカ男を思い出して、いらいらすんのよ! ほら、もたもたせずにさっさと百戻るの!」


 エリーザは有無を言わさず、娘の腕をぐいと引っ張った。それでも、娘は夫の墓にしがみついて離れなかった。あまりにも強く引っ張ったので、娘の高価なドレスがびりっと破れた。それでますますエリーザは苛立った。


「このバカ娘、少し痛い目を見ないとわからないようね……!」


「やめて、ママ! パパ、たすけて、起きて! お願い、ママを止めて!」


 ついにエリーザが手を振り上げたとき、地面がぼこっと盛り上がった。正確には、夫の遺体が埋められている墓の下の辺りの土だけが膨らんだのだった。エリーザは呆気に取られて手を振り上げたまま制止した。なぜなら、地面から皮膚のない節くれだった手が突き出したいたから。それは土と泥にまみれて、土気色をしていたが、表面の泥土が剥げ落ちると、無骨な乳白色に変わった。


「あ……」


 エリーザは一瞬だけ呼吸の仕方を忘れてしまった。そして、次に叫ぶべき言葉も忘れてしまった。

 ただ娘だけが、しきりにパパと連呼して、その皮膚と肉がこそげ落ちた手を握りしめた。そして、闇雲にそれを引っ張った。地面の硬い天井を押しのけて、起き上がったは、さらさらと砂を落としながら、歯をカタカタいわせながら、こちらに空虚な二つの眼窩を向けた。


「見て、パパが起きたよ! ママ、聞いてる?」


 娘は白骨化した夫の手を握ったまま、嬉しそうに言った。小鳥のロビンも、嬉しそうに周囲を飛び回っていた。エリーザはあまりの恐怖に腰を抜かして、その場で失禁した。高価なドレスが汚れても、このときばかりは、彼女はさほど気に掛けなかった。ドレスよりも命のほうが大事だったから。


 父親譲りの緑色の髪を振り乱して、娘は亡き夫のあばら骨に抱き着いた。"娘はこいつをパパだと思っているのだ" エリーザは確信した。"なぜなら、娘が生まれる前に夫は死んでしまっていたから"


 それがわかると、エリーザは耐えがたい恐怖にかられた。"この憐れな娘は、この怪物をパパだと思い込んでいる。そして、生前の夫とは別人であるこの怪物の誕生を心から喜んでいる" その骸骨はよろよろと起き上がると、娘を護る父親のように進み出た。そして、腰が抜けて身動きが取れないエリーザに向かって、一歩、また一歩とぎこちない足取りで迫ってきた。


「だれかぁ、だれかきてぇぇぇ!」


 エリーザは金切り声をあげて使用人を呼んだ。そして、武器を持ちあわせた門番や警備兵たちに聞こえるように、何度も何度もたすけを呼び続けた。駆けつけた男たちが総出でアンデットをバラバラに打ち砕いている間、警備兵に抱きかかえられた娘は半狂乱に泣き叫んでいた。


 それから日が沈んだころに、蘇った亡き夫は、庭園の隅に再び埋葬された。土を掘り返して復活できないよう、エリーザは鋼鉄の棺桶に閉じ込めるよう命じた。そして、二度と父子が接触しないように、娘を子供部屋の中に軟禁した。

 その晩、娘には鳥籠から逃げたのだと嘘をついて、エリーザは小鳥のロビンを警備兵に始末させた。


 エリーザが泣きじゃくる娘をなだめすかしてから、子供部屋の扉を閉めようとしたとき、娘は虚ろな表情でこちらを見つめていた。エリーザは、悪魔憑きの娘――城館の家令がそう呼んでいるのを聞いた――を嫌悪の目で睨み返すと、壊れるほど強く扉を閉めた。


 それから一週間後、娘はあっけらかんと元気を取り戻していた。あの日の出来事などすっかり忘れてしまったようだった。"感情で生きている五歳児の娘だ" エリーザは思い定めた。"何事もなかったかのように、このまま時間の力で忘れさせよう。死者を復活させる呪われた力が、自身にあることを悟られないように……"


 やがて、呪われた女の子のうわさが広まぬうちに、エリーザは事件の全貌を知っている使用人を、一人残らず解雇してどこか遠くの町へと追いやるよう手配した。そして、信頼のおける者だけに緘口令を敷き、娘を箱入りにして、外部の者に存在を気取られないように、育て続けることにした。


"これで、しばらくは平穏無事に暮らせるはず……"しかし、彼女が意中で発したその言葉は虚しく思えた。"もう二度と、死んだ者に我が人生を脅かされてたまるものですか!"

 真夜中、化粧台の前に座りながら、エリーザはうつむき気味に唇を噛んだ。死人が生き返ったあの日のことは忘れるよう、彼女は努力した。しかし、娘の顔を見るたびに、あのときの悪夢がよみがえった。

 それから、エリーザは娘のことが怖くなって、なるべく近づかないようにした。しかし、彼女の娘はいつも必ず忘れたころに現れた。神出鬼没に……どこからともなく……。


「ママ、起きてる? 眠れないから一緒に寝よう?」


 エリーザはぎょっとして顔を上げた。鏡台には娘が目を擦りながら、こちらを見つめている姿が映っていた。その豊かな緑色の髪のせいで、エリーザは一瞬、あの男がまたぞろ墓場から蘇ったような……そんな錯覚にとらわれた。死者の幻影がちらつくせいで、彼女は娘の顔をまともに直視することができなかった。しかし、勇を鼓して、彼女は鏡越しに自分の娘の顔を見た。その娘の顔は、何者でもない者に見えた。

 震えた声で、エリーザは鏡に映った娘であるはずの女の子に向かって、涙を含ませた声でたずねた。


「ねぇ……あなたは、いったい何者なの……?」

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