第12話『マーマレード・プライド』
ある朝のこと。メリーの両親が出発してからまだ三日しか経っていない日の事だ。スペードル家の屋敷には来客があった。
使用人たちがざわめいており、いったい何者かと思い門のところまで行ったところ、女の子がひとり倒れていたのである。
彼女は私も知っている存在だ。
色鮮やかな蝶の羽を背中に生やし、いかにも派手好きな見た目の剣霊。名前は『バタフライ』。
ところどころ肌が一度融けて固まったように爛れており、何者かの攻撃を受けたのは明らかだった。
バタフライは駆けつけた私のことを見ると、肩で息をしながら声を絞り出す。
「はは……エヴァの嬢ちゃん。肩、貸してくれないかな」
体力を使い果たしていたみたいで、私は彼女を引きずって、父のところへ連れていった。
父は大いに驚く。魔剣討伐へ出発したのはたった三日前だと。
バタフライはゼスト・ディアモントの使う刺突剣だ。
商人の血筋だったディアモント家が騎士の家となるきっかけともいわれる古い剣霊で、その能力は『突発』。小さな一振りから竜巻を起こす力を持っている。
そんなバタフライがここまで追い詰められ、しかも他の人間はまったく帰還していない。
彼女がゼストたちを置いてひとり逃げ帰って来るはずもなく、時間もあまりに早すぎる。
メリー、グラファイト、アネクメネも呼んで、いったい何があったのか報告を聞くことにした。
「結論から話すよ。
私たちの隊は全滅した。セラファイトも、ゼストとピールも含めて」
彼女が告げたのは、受け入れ難い事実だ。バタフライひとりしか帰ってこなかったのはそういうことなのだろう。嘘だと思いたいが、バタフライの傷と悲痛な面持ちがすべてを物語っている。
「そんな……」
「セラ姉が? そんなまさか。剣霊を折るなんて芸当、そんな滅多にできるものじゃない」
「でも見たんだよ、この目で」
へし折られた剣霊は、実質死んだようなものだ。剣霊喰いのように完全なる破壊ではないが、それでも溶かして打ち直さなければ少女形態に戻ることもない。物言わぬ鉄の切れ端になるだけである。
グラファイトの姉はそうなってしまったらしい。敵は剣霊を破壊する力を持ち、またメリーの両親を同時に相手して殺せるほどの力を持っているということになる。
「『熔解』のメルトダウン、あいつはそう呼ばれてた。攻撃を受け止めたセラファイトが融けて、真っ二つにされたんだ」
メルトダウン。それが魔剣の名前であり、メリーの両親の仇。
聞かされたグラファイトは静かに拳を強く握り、アネクメネは不安げにみんなの顔を見ている。
でも、一番堪えているのはメリーに違いない。あれだけ憧れを語っていた両親が亡くなったと伝えられたのだ。私には想像できないくらいショックだろう。
「……嘘だ。お父様とお母様が負けるわけないもん。そんなの嘘だよ……ねえ!」
思わず立ち上がり、堪えきれなくなったのか、彼女は走っていってしまう。廊下からばたばたと足音が聞こえ、その最中で転んだのか痛そうな音が聞こえて、それでも少し後にはまた足音がした。
私も追いかけようとするけれど、グラファイトが止めた。
「少しそっとしておいてあげた方がいい。心の整理が必要だから」
「……グラファイトは大丈夫なの?」
「剣霊は悲しまない」
静かに放たれるグラファイトの言葉は、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
エヴァの父とバタフライはまだ話すことがたくさんあるそうで、私たちも部屋を後にする。グラファイトの寂しげな後ろ姿を見送って、私とアネクメネは二人で廊下を歩く。
「エヴァ。相手が魔剣だったとしても……その、守るから」
そう言ってくれると頼もしい。今の私たちで勝てる相手だとは到底思えないけれど、アネクメネも私を安心させたくて言ったのだろう。
本当は私も怖い。メリーと両親の剣の稽古を見せてもらったことがあるが、彼らの戦い方は本物だった。その彼らが戦死するほどだ。怖くないわけがなかった。
剣霊喰いは普通の人間と同じように死ぬのだろうか。ライカンスロープの爪を受けた傷は痛くて、少なくとも斬られたら死ぬほどに痛いのはわかる。
今はお腹も減っていないし、できることなら魔剣なんかに関わりたくはなかった。
◇
メリーメオンはひとり部屋に閉じこもっていた。すぐにグラファイトも戻ってきたけれど、なにも言わずにベッドに転がって、話しかけてはこなかった。
メリーだってわかっている。バタフライがひとりで逃げ帰ってくるわけがないし、自分たちの仕事は死と隣り合わせなのだと両親から言い聞かされたことなんて何度もあるのだ。
でも、だからといって、両親が死んだなんて簡単には受け入れられなかった。
「お父様……お母様……」
いつかの魔剣退治のときに買ってきてくれたぬいぐるみを枕元から拾い上げて、ぎゅっと抱きしめた。
もうお姉さんなんだからいらないと言っていたのに、仕事があるたびに増えていったぬいぐるみ。もう、新しいものを持ってくる両親はいない。
「私が戦えたら、少しでも違ったのかな」
エコロケイトにやられた手首は治っている。でも、剣術は怪我をする前の感覚を取り戻すので精一杯だった。
メリーひとりがいたところで、きっとなにも違わない。父よりも強い剣霊強いにでもならなくちゃ、魔剣を退けるなんてできっこない。
自分の中でメリー自身が叫んでいる。私は弱い、でも強くならなくちゃいけないんだって。お父様とお母様のために、立派な騎士にならなくちゃ。
「ねえグラファイト、私──」
「メリー嬢、大変だ! 私を尾けてきた奴がいる……!」
飛び込んできたバタフライの指が窓を指す。正門の方向だ。メリーが目を向けたとき、ひとりの少女がまさに警備の者を蹴り飛ばして押し通ろうとしている。
蒼い長髪、燃え盛る炎の色をした瞳。肩まで露出された肌は誰かの返り血に汚れ、赤黒い血痕と素肌の白が奇妙なコントラストを描いている。
「あいつがメルトダウンだよ……逃げよう、今すぐ!」
バタフライはそう言ってメリーの手を取る。けれど、無意識のうちにそれを振り払い、メリーは駆け出していた。グラファイトがすぐに追いかけ、我に返ればもう庭に立っている。
「メリー……やっと追いついた。なにをしてる、今の私たちであいつに勝てるわけがない」
メリーを引っ張り戻そうとするグラファイトだが、彼女はそれには応えなかった。メルトダウンを真っ直ぐに見据え、膝を震わせながらも逃げようとはしなかった。
メルトダウンもまた、メリーの大きな瞳をじっと見つめ返している。
「そこの人間。お前が
「違うよ……私はメリーメオン。
ゼスト・ディアモントとピール・ディアモントの娘、剣霊使いだ」
「ディアモント。ああ、三日前に戦った相手の娘か。
あの二人はなかなか筋のいい騎士だった。メリーメオン、お前にも期待させてもらおうか」
もはや口に出さずとも、メリーに逃げる気は無いことをわかっている。掌より日本刀を引き抜いてみせ、メルトダウンは構えた。
「グラファイト」
短い呼び掛けとともに差し出される手。その手をグラファイトが取ったなら、次の瞬間にはメルトダウンとの剣戟が繰り広げられていることだろう。
グラファイトは躊躇った。
しかし、その瞬間にもメルトダウンは殺気を放っているのがわかる。ここで戦わずに背を向ければ、無抵抗に殺されるのだ。そのくらいなら。
小さな手と手が重なって、光とともに漆黒の剣が引き抜かれた。魔剣と剣霊使いが向き合い、構え、そして動き出す。
それから先に躊躇っている暇などない。
メルトダウンの初撃は袈裟斬りだった。その高速の一撃をどうにか跳んで避け、直後に襲ってくる返し刀を受け止める。重く、鋭いのが剣を通して伝わってくる攻撃だ。
すでに相手の熔解の力は発動している。グラファイトは炭素の鎧を出現させて切り離し、メリーは刀を受け流し、メルトダウンの刃とは最低限の接触で懐に飛び込んでいく。
間に合わないとみたメルトダウンは刀を手放し消滅させ、脇腹からもう一度引き抜く。同時に居合を浴びせられ、咄嗟に硬化で対処するメリーだが、一枚では耐えきれない。鎧が砕け、斬撃の衝撃により後方へ飛ばされた。
追いかけるメルトダウン。体勢の整えられないメリーへの追撃として選ばれたのは突きだ。幾重にも重ねて炭素の壁を展開し、それでも貫かれて肩の肉が持っていかれる。
「ぁぐ……ッ!」
左肩の肉が削り取られ、焼け付くように痛んだ。否、本当に焼けているのだ。そのせいで痛覚と温覚と冷覚が混乱して、わけがわからなくなる。
だがそんな想像を絶する痛みの中で、メリーは大地を踏みしめ、踏ん張ってみせた。自分を吹き飛ばしていた勢いを殺し、痛みを堪え、その場でメルトダウンを迎え撃つ。
反撃の逆袈裟斬りが敵の腋に突き刺さる。肩甲骨に食い止められ切断へは至らないが、片腕は封じられた。
それによってメルトダウンがバランスを崩し、隙を見せる。またとない好機に、メリーは逆方向へ回転、遠心力を乗せた斬撃を叩き込む。
あと少しのところで察知され刀により受け止められ、すぐさまバックステップで退避する。
次の瞬間、三日月型の青白い光がメリーのすぐ横を通り抜けていった。一拍遅れて痛みがやってくる。耳が削がれたのだと、落ちていく自分の耳を見て理解した。
今のは斬撃を飛ばす技か。あと数センチだけでもズレていれば、眼球まで抉られていた。想定と激痛が連れてくる恐怖を押し殺し、メルトダウンを見据える。
「……今ので終わりか?」
斬られた腋から血を流しながら、メルトダウンは片手で構えた。メリーもまたグラファイトの切っ先を彼女へと向ける。
一瞬の攻防だが、それは集中力も体力も大きく費やす戦いだ。このまま戦えば、先に限界を迎えるのはメリーに違いない。勝負を決めるなら急がないと。
直後、張り詰めた戦場に似合わない、涙まじりの声が聴こえて、メルトダウンの視線もそちらへ向いた。
それは、緑色のふわふわとしたウェーブロングの女の子だ。メルトダウンへと駆け寄りその傷を見るや否や、絶叫してあたふたしている。
「め、めめめメルトダウンさんっ!? その傷っ、えっ、し、死んで……」
「剣霊がこのくらいで死ぬわけがないだろうが」
「あ、生きてますよねっ、そうですよね、でもお医者さまを呼ばないと、呼ばないと……に、逃げましょう、メルトダウンさん!」
「お前、自分が何しに来たかわかってるのか」
「でも死んじゃ嫌ですから……! こっち、来てください!」
「っ……やめろ、切れてる方の腕を引っ張るな、傷が広がる」
緊張感のない少女は血を滴らせるメルトダウンを引きずって、メリーをただの一度も視界に映さず、走り去っていってしまう。
あの少女の走力はそう速くはない。追いかけて切りかかるのは簡単だ。
それに魔剣は、メルトダウンはここで倒さなくてはならない。
「……あれ?」
なのに、安堵してしまったメリーはもう動けなかった。気が抜けて、膝に力が入らなくなって、その場に倒れる。思考がもうぼやけている。自らの脈拍と、耳があった場所から届く、痛みと熱さと冷たさの混じりあった感覚だけが嫌に明瞭だった。
「メリー……ねえ、メリー! 大丈夫!?」
誰かが駆け寄ってくる。声からして、エヴァとアネクメネだろうか。
私は大丈夫だと声を出したかったけれど、なんだかひどく疲れてしまって、声が出なかった。
代わりに涙が頬を伝う。メルトダウンと戦って、自分は何をしたかったのだろう。
答えはわからないまま、メリーは気を失ったのだった。
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