第10話『ナイト・レイド』
アネクメネと出会ってから──彼女に早朝に起こされる生活が始まってから数日。
何日かすれば早起きが習慣になり、アネクメネ特製スープを飲んで目を覚ます生活にも慣れてきていた。
初日以降は普通の料理と同じく味のしないスープだが、飲みやすいのは事実である。相棒の好意はありがたくいただいて、本来の朝食の時間はティータイムになっている。
今日もそうして朝起きて、小鳥がさえずり、そよ風が葉を揺らす音を聞きながら、スープを胃に流し込む。どんより曇っていることだけが残念だが、気分のいい朝だ。学校もないのでまったくばたばたしていない。
ゆっくりと咀嚼していた最後のパンのかけらを飲み下し、食事は終了する。私は食器を台所へ戻し、空いた時間になにをしようかと思いつつ、ふと外を見た。
「あら、なにかしらあれ」
そこには、鎧を着込んだ人々がたくさん。どこかへ戦いに出るのだろうか。いつもならこの時間に自主練に励んでいるメリーとグラファイトが彼らの見送りに出ている。物珍しくて、私はしばらく見ていることにした。
「いってらっしゃいませ、お父様」
「あぁ、行ってくる。そうだ、帰りに街でぬいぐるみを買ってこようか」
「もう、私は剣霊使いなんだから! そういうのはいいんだもん!」
鎧姿の中には、彼女と親しげに話し、頭を撫でている者がいる。その背が高くてダンディに髭を生やしたおじさんは、私も知っている人物だ。
名前はゼスト・ディアモント。剣霊使いでありメリーの父親である。傍らには妻のピールと夫妻の使う剣霊たちも立っていた。
なるほど、道理でうちの庭なんかに鎧がたくさんいるわけだ。メリーの両親であるディアモント夫妻は、スペードル家領では最高クラスの騎士である。部下を引き連れて、何らかの任務に出るのだろう。
眺めていると、そのうち兵隊は出発していく。窓から私も手を振ると、馬車の中から気がついた者は手を振り返してくれたりした。
「あ、メリー帰ってきた。お見送りかしら?」
「うん。お父様とお母様、いっしょに仕事だって」
見送りを終えて走って帰ってきたメリー曰く、王様から頼まれた騎士の仕事なんだそう。あれだけしっかり武装しているんだから当然か。
「どんな仕事だって言ってた?」
「えっとね……『魔剣』退治だって」
魔剣。私が目覚めたばかりの時から出没すると噂されていたが、あれはエコロケイトひとりのことではなかったらしい。人に害をなす剣霊をまとめてそう呼んでいるのかもしれない。
さて、今度出没した魔剣が起こした事件はというと隣街の領主の殺害である。彼は中年の男性で、後ろめたい噂は多少あれど、執政に不満を持つ民は少なかったという人物だ。
魔剣はその館に正面から押し入り、護衛を切り伏せながら標的の元へと迫り、そして首をはねた。
殺されたのは領主を合わせて数名だけだが、重傷の人間も多数出ている。
「危ない仕事ね」
「でも大丈夫。あの二人なら負けない」
「うん、お父様とお母様なら大丈夫! なんたって、私の師匠で、強い騎士で、強い剣霊使いだもん!」
自分の話ではないのに胸をはってみせるメリー。彼女にとっては自慢の両親なのだ。
実際、メリーの剣の師匠であり、これまでに何度か魔剣討伐に赴きそれを成功させている人物だ。実力は確かなものである。
「あら。メリーはご両親のことが好きなのね」
「もちろん! 私の将来の夢は、お父様やお母様みたいな立派な剣霊使いになることなんだから!」
そう言って、メリーは聞かれてもいないのに両親のすごさについて語り始めた。
「えっとね、ピールお母様の相棒は『セラファイト』っていってね。なんとグラファイトのお姉ちゃん剣霊なんだよ!」
「鍛冶師が同じ。セラ姉は『鈍化』の剣霊で、私とはちょっと違う」
「あとあと、ゼストお父様の剣霊『バタフライ』は、ディアモント家発祥以来の由緒ある剣霊で──」
相棒の剣たちのことをはじめ、剣を教わる中で心に残った名言集、寝る前にベッドで語ってもらった冒険譚。
私には聞き覚えのあるものばかりだったが、それを話すメリーはいつも本当に楽しそうで、ころころ変わる表情を見ているだけでも飽きない。私は自然と頬が綻んでいた。
「でも、それに比べて私は……」
しかし、ふと我に返ったように、メリーはため息をつく。私たちが声をかけるより前に、なんでもないと慌てて取り繕っていたものの、やはり落ち込んでいるままみたいだ。
「こうしちゃいられない、いくよグラファイト! 特訓の時間だよ!」
「わかった。でも、朝ごはんはいいの?」
「ふふん、朝飯前ってやつだよ!」
「メリー、それ、使い所間違ってると思う」
賑やかに食堂から出ていくメリーとグラファイト。どこか無理をしているようにも見えて、放っておけない。
「アニー、私たちも特訓しようか」
「……別に。あたしにはいらないわよ」
「いいから。メリーっていう先輩がいるんだから、さ」
彼女が先輩風を吹かせられるように、という気遣いもあるけれど、剣霊使いの教えを間接的ながら受けられるなら、十分いい機会だと思う。
そろそろメリーの傷も治るはずで、模擬戦なんかをやってみてもいいかもしれない。
私も席を立って、アネクメネの手を引いて、庭へと連れていった。
◇
「おい、リカーレンス」
剣霊でびびりで泣き虫の少女・リカーレンスは、突然怖い上司に声をかけられ震え上がった。
他人が怖くて山奥に隠れて住んでいるのに、リカーレンス史上三番目に怖い人が現れたのだ。
「ひっ、め、めめメルトダウンさん」
「少し付き合え」
リカーレンスお気に入りのオレンジのケープが引っ張られる。力が強い。抵抗すると破けてしまいそうだし、というかこっぴどく怒られてぼこぼこにされそうで、大人しく従った。
山から引きずり下ろされて、ふもとの草原に連れていかれる。いったい何をするつもりなのか。もしかして、ここをリカーレンスの墓場にするつもりではないか。
「あ、あの、メルトダウンさん」
「なんだ、うるさいな」
「ひっ! ごめんなさい!」
ふたりの間に沈黙が流れる。意外に風が強くて、草むらがさらさらと音を立て、今すぐにでも逃げ出したい。
「……おい、要件はなんだ」
「えっ、あ、その、なんで私をこんなところに連れてきたのかなって」
「さっき人間をひとり追っ払った。私を尾けてきてたからな。だからだ」
「え……?」
「大方私を討伐しに来た連中の偵察担当だろう。だから、ここで迎え撃つ」
リカーレンスは目を丸くして、その丸くなった目の端に涙を浮かべ、思わず叫んだ。
「討伐!? と、討伐ですよね、殺しに来るってことですよね!?」
「じゃなかったらなんなんだ」
「死んじゃうじゃないですか!?」
「馬鹿か。そうならないために迎え撃つんだ」
「あっ、そうなんですね……って、負けたら死んじゃわないですか!? い、嫌ですよそんなの」
「本当にうるさいなお前は……はぁ、あのクズとかチビよりマシか」
誰のことを指した悪口だろう。対象が自分でなくてよかった、とリカーレンスは少し安堵した。
その安堵もつかの間、草原の向こうから鎧の一軍ががちゃがちゃと音を立てながら歩いてくるのが聞こえて、背筋が凍った。
姿を見せたのは数十名の人間たちだ。先頭の男女はそれぞれ黒い長剣とカラフルな装飾の施されたレイピアを手にしている。あれは剣霊だ、間違いない。
「き、来ちゃいましたよ!? どどどどうしますか、土下座!? 降伏!?」
「迎え撃つって言ってるだろ。さっさと自分を引き抜け」
メルトダウンは自らの手のひらより赤熱する片刃の太刀を引き抜いた。そして目の前の騎士たちの方へ一歩出て、構える。
「お前が『魔剣』だな。国王様より討伐の令が下っている」
「人間が私をどう呼んでいるかなんてどうでもいい。そんなことよりも……お前たち、家族はいるか?」
「騎士が弱味を教えると思うか?」
レイピアを手にした男の答えに、メルトダウンが深いため息を吐き出した。リカーレンスはいつ彼女が激昂するかとびくびくしている。
「たまにいるんだ、お前のような人間。私の忠告を聞かない奴が」
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