忌籠り乙女のケガレ落とし

「いごもり様、それでは失礼いたします」


 わたしと外界を分かつ冷たい鉄格子から、老婆が離れていきました。

 食事を置いていったのです。


 ここは洞窟の奥にある、暗い牢屋。

 わたしが生まれてすぐに入れられた、忌籠りの部屋です。


 わたしは、いごもり様と呼ばれています。

 清らかな身のまま成人して巫女となるため、忌籠りと呼ばれる風習によって、完全に隔離されて育ちました。


 正確なところはわかりませんが、もう16年以上は経っているのではないでしょうか。

 このあいだ着物が入らなくなったときに、「もう大人用の着物でいい」と言われたので、そろそろ成人も近いのかもしれません。


 何もない部屋で、ただ運ばれてくる精進料理を食べるだけの生活。

 わたしにとってはこれが普通で、日常でした。


 でもーー


「よ、元気そうだな」


 男が周りを気にしながら入ってきました。

 洞窟の外で、見張りをするのがこの男の役割のはずです。


「あなた、またお役目を放棄しているのですか?」

「放棄? そんなことしてないさ。こうやってきみを見張っているし、外から誰かが入ってくればすぐにわかる。夜中だから誰も来やしないけど」

「じゃあなぜ、そんなに人目を気にしているのです?」


 男は少年のようなはにかんだ笑顔を見せ、


「まあ、婆様たちに見つかったら怒られるからな。おれがきみと話をしただけで、ケガレだとか言われるのは目に見えてる」

「そこまでして会いにくる意味は?」

「だってきみ、つまらないだろう?」


 当然のことのように言われました。

 わたしは即座に否定します。


「つまらないというのはわたしにはありません。ここにいることがお役目で、わたしの生まれた意味だから」

「そうかな。おれがさっき入ってきたとき、すぐに目が合った気がしたんだけど。待っててくれたと思うのはおれの自意識過剰かな?」

「あれは……あなたが来る日だと思ったから……」


 わたしは男が夜中の当番となる日を、食事の回数で把握していました。

 指折り数え、さっきも「今日は来る日」と思っていたことは否定できません。


 わたしは、男が話す外界の話を楽しみにしていました。


「じゃあ今日も、まずは外の話をしようか」

「ええ、聞かせてください」


 外で起こる物事は、この部屋での出来事とはまるで違います。

 壁の石がころりと落ちたり、天井のしずくがぽとりと垂れてくるのは、出来事ですらないのかもしれません。

 外には多くの人間がいて、互いに関わりを持ち、ときに憎み、ときに愛しあっているということでした。


「愛……。愛のことも、また教えてください」

「ああ、わかってる」


 わたしは男と、鉄格子の隙間から唇を合わせました。

 頬に当たる格子はひんやりと冷たいけれど、触れあっている唇と指からは熱い体温が伝わってきます。


 わたしは、この男と触れるときだけ、鉄格子の存在を忘れることができました。


 合わせるのは、唇だけではありません。

 わたしは愛を教わりました。


「また来るよ」


 つかの間のぬくもりを残し、男は去っていきました。


***


 男が、来なくなりました。


 来るはずの日が何度も過ぎ、代わりに、食事に変化が見られるようになりました。


「これは……? 植物でなくていいの?」

「はい、いごもり様。これはケガレ落としの薬でございますゆえ。残さずお食べになってくだされ」


 ケガレ落としの薬。

 それは肉の燻製のようでした。


「わたしはケガレてしまったのですか?」

「いいえ、これを食べ終われば問題ありません。この忌籠りの部屋にいたのは、ひとりの人間だったことになりますゆえ。ささ、食後にはこれも」

「これは粉……?」


 体調を崩したときに飲む粉薬のようでした。


「骨を煎じたものです。肉と骨、すべてを身に還したときに、いごもり様のケガレ落としは完了となります」


 肉と骨。


 わたしはすべてを理解し、涙を流しました。

 ケガレ落としによって、男がこの世に存在した事実は消え、わたしは最初からひとりだったことになるのです。


 でも、わたしは燻製を拒みません。

 毎日出されるそれを、涙を流しながらも残さず食べました。


 だって、栄養が必要だから。

 精進料理だけでは「愛」が育たないかもしれないから。


「これはわたしの一部だから、ケガレではないわ。絶対にケガレだなんて言わせない」


 膨らみはじめた腹部を撫でながら、わたしは強く決意していました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る