インサイダー婚約破棄

「な……婚約破棄だと? おれと別れるというのか?」


 彼の経営する会社の社長室。

 その中の、いちばん立派な椅子に腰を下ろしたまま、彼は絶句していました。


 そう、彼はこの会社の社長です。

 彼が一代で築きあげたこの会社は、従業員数も千人を超える規模となり、一部上場も果たしています。


 その彼の婚約者であるわたしは、今、婚約破棄を告げました。


「はい。別れてください」

「な、なぜだ? おれには原因がわからない」


 彼はあきらかに狼狽していました。

 タイミングがよすぎるーーそう思っていることでしょう。


「そう? よくある性格の不一致というやつではだめかしら?」

「それこそ納得がいかない。おれもきみも同類のはずだ。金が好きで、他人を金づるとしか思っていない」

「あら手ひどい」


 まあ、正解ですけど。


「わたし、お金持ちが好きですけど、他にも大切なことがあるのよ」

「身体の相性もよかった。きみとぼくは抜群だったはずだ」

「そうね。その点ではすこし惜しいわ。でも、そこは重要ではないの」


 わたしはじっと彼の目を見ます。

 充血して、とても疲れた目。

 もう数日はほとんど眠れていないのでしょう。


「あなた、死相が出てるわ」

「なにぃ? きみは、占いなんて信じるような女じゃなかっただろう」

「占いなんか信じてないけど、わたし、男の将来性が見えるの。あなた、もう将来がないんじゃなくって?」

「将来だと……」


 質問形式の言葉でしたが、わたしはもう確信しています。

 ここへはただ、一刻も早い別れを告げにきただけですから。


「じゃあね。わたしたちはもう婚約破棄したから、今この瞬間から、一切関係のない他人です」

「おい! きみはいったい何を知ってーー」

「あら、知らないかたから怒鳴られたら怖いわ。さようなら」


 わたしは社長室を出ました。

 彼は追ってこないでしょう。

 プライドがまだあるでしょうし、たくさんの従業員の目もあります。


 そう、従業員ーー


 わたしが廊下を歩いていると、遠くのほうに立っている男性と目が合いました。

 男は、わたしにスマホを軽く挙げて見せます。

 連絡する、というジェスチャーでしょう。


 わたしは社屋から外に出ると、すみやかにその男の連絡先を着信拒否しました。

 もう用済み。

 この会社とは、完全に無関係なわたしです。


「あとはニュースで答えあわせをするだけね。一週間もかからないかしら」


 この会社は、もうすぐ破滅します。

 利害関係のある国会議員に裏金を提供していたことが、明るみに出るのです。

 社長である彼は責任を問われ、更迭されることでしょう。


 先ほど着信拒否した男は、その内情を知る存在。

 経営陣がごっそり抜ければ、古株である彼の地位が上がると信じきっています。

 問題発覚後、この会社の上場維持は難しくなるというのに。

 沈みゆく船の中で地位を上げることに何の意味があるのか、わたしには理解できません。


 わたしはただ、将来性を見ていただけ。

 会社のトップは都合のいいことしか言わないから、どんな会社にも必ず存在する、野心家で事情通の人とも同時に付き合っていただけです。

 社長とだけ付き合うと、船の底に穴が空いていても教えてもらえないから、気をつけてくださいね。


 インサイダー法?

 いいえ、男女の駆け引きを取り締まる法律なんてありません。

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