あらお嬢様、婚約破棄ですか?(笑)
「婚約を破棄するだなんて、あなた、いったい何があったの?」
扉の外から、奥様のお怒りの声が聞こえてきます。
感情に任せて扉を叩くようなことはありませんが、ノックの音はいつもより鋭く感じられました。
でも、お嬢様は扉を開けません。
使用人のわたしのまえで、まるでわたしなどいないかのように、はしたなくヒステリックに答えます。
「ママには関係ない話でしょ!? あいつとはもう終わったの。話題にも出さないで」
「関係ないわけないでしょ。ちょっと、ここ開けなさい!」
「今、着替えてるからあとにして」
着替えているから。
お嬢様はそう言って、奥様を遠ざけられました。
まるでご自分でなさっているような言い方ですけど、着替えさせているのはわたしです。
まあ、使用人にさせていることはご自分でなさっていることと同じなのでしょうね。
いつものことなので、慣れています。
「ったく、あんな浮気者と婚約させられてたあたしの身にもなれって話よ」
お嬢様は独りごとをおっしゃいました。
わたしが聞いていますが、独りごとです。
これもいつものこと。
わたしは黙って、お嬢様の身支度を続けます。
顔をお拭きして、髪をとかして。
「それにしてもあいつ、あそこまで頑なに浮気を認めないなんて、ほんと信じられないわね。動かぬ証拠があるっていうのに」
お嬢様は、婚約者――いえ、元・婚約者のことを思い出してご立腹です。
「あたしがこの目ではっきり見たんだから。あいつの家から知らない女と腕を組んで出てくるところを。まるで恋人だったわ。まったく、どこに言い逃れの余地があるのかしら」
お嬢様は、使用人にさせたことと、ご自身でなさったことの区別をつけません。
わたしにさせたことは、お嬢様のなさったことと同じ。
手紙の封を開けて差し上げても、ご自分で「開けた」と認識されますし。
靴をお履かせしても、ご自分で「履いた」と認識されるのです。
上流階級の方々の感覚では、それが普通のこと。
なので、わたしがちょっとした気まぐれで「見た」とお伝えしたことも、ご自分で「見た」ことになるのです。
わたしの感覚では、とても愉快なこと。
自分の目で見たものを疑うのは難しいように、使用人が見たものを疑うことはありません。
わたし、嘘も冗談も言える、人間なのですけど。
まあ、でも――
そのくらいで破棄されてしまうような婚約なら、どのみち長くはなかったのではないでしょうか。
使用人のわたしがそう思うので、きっとお嬢様も「思う」に違いありません。
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