第十話 浴びるほどの酒よ
前回のあらすじ
密林の奥地で水浴びをする褐色男子と白色男子。
そのお供をするケモミミ男子。
男三人……………なにも起こらないな……。
南国情緒あふれる温室温泉を抜けるとそこは冬が抜けきらない帝都であった。
温泉のおかげで体はぽかぽかだが、時折吹く寒風に身を縮こまらせながら、串に刺した南国フルーツをかじっていると脳が混乱しそうである。うまい。うまいはうまいが、寒い中で食べるものではないのかもしれないという気持ちが三人の間で共有されるのであった。
「いくら風呂であったまっても、これじゃ湯冷めしちゃうかも」
「でもあったまったあとすぐにアイスとか冷たいもの食べると湯冷めしづらいっていう話もあるらしいぜ」
「へえ……それは試したことなかったな。でもまあ、夜が更けて寒くなってきたのも確かだ。ここは芯からあっためていこうじゃないか」
「フムン?」
ウラノが案内した先は、小ぢんまりとした雑居ビルのような建物だった。派手で大きな看板などはなく、知る人ぞ知るといった雰囲気である。
そして入り口から地下へと通じる階段が伸びていて、そこを下っていくのだからますます隠れ家的バーのような雰囲気が出てくる。
たどりついた先に掲げられた小さな看板には、こう書かれていた。
「バカヤロー……じゃない。バカナロー、か」
「そう、《
「お酒の……お風呂ってこと?」
「おっと、安心しなよ、今日は子供連れだってちゃんと覚えてるから」
扉を抜ければ、たちまちに広がるのは芳醇な香りである。それは葡萄の香りであり、麦の香りであり、あるいは果物の香りであり、そして酒の香りだった。
けれどあくまでもそれは香りだけで、酒精は含まないようである。
「わあ…………」
受付で子供連れであることを伝えると、奥の扉はあけないようにと伝えられた。そしてこんな時間にこんな場所に子連れで来るのは感心しないとしかつめらしいことを言われた上で、それはそれとしてせっかくなのでたっぷり楽しんでほしいと笑顔で三人は通された。
浴場は珍しいことに木製の壁で囲われていた。
いわばこの浴場は巨大な酒樽の中である、というテーマなのだろう。
そしてその巨大な酒樽の中には複数の浴槽が設けられており、特に目立つのは真っ赤なものであった。
「血の池風呂……っていうより、テーマ的に、もしかして
「その通り! 赤も白も、薔薇色もある! そしてあっちは
「本当にお酒のお風呂なんてあるんだ……!」
「酒精はほとんどないから、ミライも安心してね!」
そう、帝都の隠れ
ワイン風呂は赤、白、ロゼと揃っており、各種酒風呂がずらり。定期的に酒類の入れ替えもしており、珍しい酒風呂を楽しむこともできる。
酒風呂と言っても実際に浴槽になみなみと酒を満たしているわけではなく、湯を満たした浴槽に酒を加えているというもので、比率的に言えばアルコール度数はほとんど無視できる程度でしかない。
また《
いや、それでもにおいだけでダメ、アルコールアレルギーなんだよなと言う人にとってもうれしいことに、この風呂には風呂の神官だけでなく酒の神官も常駐していた。このダブル神官の合わせ技により、少なくともこの浴場内においては酒精が悪さをすることはないのでごあんしんだ。現実で真似しないように。
「はあ……だいぶコンプライアンス気を
「誰でも楽しめるってのが大事だからね! っていうのは建前で、開業当初にだいぶやらかしたらしくてね。行政指導はいったらしくて」
「生々しい話だね……でも営業停止にならないあたりゆるいのかも?」
なにしろ《
「ま、安心とは言ったけど、キミたち過敏症はないよね。
「ないない」
「僕もない、かな」
「できるだけ気を遣ってくれてるし、神官もいるけど、違和感あったらすぐに出るんだぜ。食べて大丈夫でも、肌に触れてると過敏症が出ることだってあるんだ」
それは目につくところに張られた注意書きにもしっかりと記されていることだった。
この世界は前時代的であったり未発達なところが多いが、それでも特に行政側には不思議とコンプラ意識が高めのことが多かった。あるいはそれは古代聖王国時代の高度な技術力と倫理観などによって築かれたものが受け継がれているのかもしれなかった。
三人は湯が混ざらないように丁寧にかけ湯を繰り返して、それぞれの酒風呂を楽しんでいった。
月替わりの
未来は
その紙月の隣に、ウラノはゆっくりと滑り込んだ。
「やあ、シヅキ、どうだい」
「おう、なかなかいいな。これで一杯飲めればなあ……」
「追加料金で飲めるよ。奥の部屋だけね」
「フムン、気にはなるがな」
何しろ酒好きの酒問屋の経営である。行政指導は入ったが、年齢確認と追加料金で酒精解禁の奥の間にはいれることになっている。その奥の間のせいで営業形態のあれそれで料金が上がっているが。そこではかなりのアルコール度の酒風呂と、種々とりどりの酒類が楽しめるという。
しかし紙月はやめておいた。
ウラノも《
酒の楽しみは飲んでみなけれわからないが、飲まない楽しみもまた飲んでは楽しめないものなのだ。
「それでキミ、ミライとはどうなんだい」
「どうってなんだよ」
「親子ってわけじゃないんだろう? 兄弟でもないみたいだ」
「ああ、まあ……友達っていうか、相棒っつうか」
「それだけ?」
「なんだよ、妙に突っかかるじゃないか」
「突っかかるわけじゃないけどさ、そのうち曖昧にもできなくなるぜって忠告さ」
からかうでもなく、むしろいっそ気遣うような目を向けられて、紙月はひるんだ。
そうだ。ひるんだ。それは胸の
「今度の誕生日で十二歳なんだってね。成人まであと二年だ」
「……うちのほうじゃ成人は十八だぜ」
「ここは帝国だよ。それに十四と十八じゃ四年延びるだけだぜ、シヅキ」
「うぐぐ」
「それに、子供だからって扱いは、子供ほどしんどいものだ」
「わかっちゃいるよ。わかっちゃ……いるとは思ってる」
紙月は別に鈍感なわけではない。天然でもない。むしろ人の顔色を窺い、周囲の空気を読み、自分の立ち位置を決めてきたようなところがある。一番になれなくとも、少なくとも最悪の気分を味わわない程度の立ち位置にはなれるように。
だから、紙月はわかっている。
知っている。
気づいている。
未来が自分を見るまなざしの熱量やその意味を。
友愛や親愛のあいだに見え隠れする熾火のような熱量の、その意味を。
それを子供だからと片付けることが未来をどれだけ傷つけるかもわかっている。
それでも、まだ子供だからと保留に逃げることしかできない自分の臆病さもわかっている。
「未来だって、きちんと自分で考えて、自分で歩ける。でも、まだ十二歳だ。わかんないことだって、勘違いすることだってあるだろ」
「十四歳の時も、十八歳の時も同じようなことを言ってるキミが目に浮かぶようだけどね」
「
「何歳だって変わらないだろ。子供だって、大人だって狂うものさ」
「でも勘違いかもしれないだろ。俺はあいつにとって頼りの大人だし、故郷からの連れ立ちだ。それで、それで、俺はこんなナリだ。勘違いしてるのかもしれないだろ」
「勘違いでもいいじゃないか。勘違いでも、いまミライが君に向けてる気持ちは本物だろ?」
「うううううう…………」
「それに、オレの見る限りシヅキだって憎からず思ってるんだろ?」
「うううううううううう…………」
言葉にもならずうなるばかりで、笹穂耳の先まで真っ赤に染めて、紙月は湯に鼻先まで沈んだ。
紙月には自分の気持ちがわからない。未来の気持ちを察するようには、自分の気持ちを察してとることができない。
それでも、紙月は未来のまなざしに嫌悪を覚えないし、むしろ心地よくさえ思う。面映ゆく、くすぐったく、それでも漠然と嬉しさを覚えさえする。
それこそが答えだともいえるし、あるいはだからこそわからないともいえる。
だってこの気持ちが、
「純真だねえ……」
ウラノが肩をすくめると、紙月はゆっくりと湯から顔を出しつつ、もじもじと言い出した。
「か、勘違いだったら困るだろ」
「はじめてなんてそんなものだろ」
「俺を一番に扱ってくれるのはあいつだけなんだから、勘違いじゃ困る……」
「……うん?」
ウラノは訳知り顔で頷きかけて、小首をかしげた。
「あいつが勘違いでも、俺はいまさら勘違いでしたなんて受け入れられない…………未来はこれからいろんな出会いもあるんだし、他の気持ちを見つけるかもしれないだろ…………でも俺はそんなの無理だ。絶対無理だ。一度俺のだってなったら手放す自信がない…………わかるだろ?」
「えーっと…………ちょっと想像と違うの来たな」
「絶対って確証がない限り俺はダメなんだ……絶対独占欲が出るって知ってる。マジで。そういうの教育に良くないだろ。な? いまなら俺はまだ、未来が別の相手に別の気持ちを向けても大丈夫だ。耐えられる。多分。おそらく。きっと。わかってるつよがりだってのは。かなりへこむと思う。そうか、お幸せになって笑顔で言えると思うぜ。家族ぐるみで付き合いとかすると思う。俺は演技が得意なんだ。でもへこむな。かなり。十年くらいは引きずると思う。十年で済むかな。ハイエルフは寿命がないらしいから、下手すると何十年か何世紀か引きずるかもしれねえ。未来が死んだ後俺が生きてるとしての話だけど……あいつの子供とか孫とか抱いてくれって言われたら俺は笑顔で対応できると思うか? 俺は今んとこ大丈夫だと思うけど正直いま想像してかなり吐きそうになったから自信がないんだよな。あいつの嫁をどんな気持ちで見ればいいんだ俺は。いやでもまああいつが俺を一番に扱ってくれる限りは嫁とか子供とかいても大丈夫かもしれねえ。だって二番じゃないんだもんな。あいつらが二番で俺は一番だもんな。でもこれって未来みたいなピュアな感じじゃ絶対ないだろ。なんかダメな独占欲じゃねえか。未来は自由にのびのびと生きるべきだしそうじゃないといけないだろ。俺が自分の感情もわかんないのに無責任にあいつに応えちまったら、俺はあいつの人生を完ッ璧にダメにする。間違いない。俺はそういうやつなんだよ。最近特にそう思うね。少なくともあいつが死んだあとあいつの子供とかに手を出さないかって言われたら俺は自信がないしそういうやつがまともな人間の顔して子供の純真な気持ちに触れるのはダメだろ。
だからうかつなことはできないんだ、わかるだろ?」
「…………じゅ、純真、かなあ……?」
もじもじと指を突き合わせながら、答えに困る魔女の呪文が垂れ流されるのであった。
用語解説
・《
知る人ぞ知る酒飲みと風呂好きの聖地。酒風呂のみを扱う公衆浴場。
奥の間では高アルコール度数の酒風呂と飲酒が楽しめるが、この奥の間のせいで営業形態が公衆浴場とは認められず税金と料金が高い。
風呂の神官と酒の神官をダブルで雇っているのも高額の理由の一つ。
ただし、美容や健康にもよく、売店では珍しい地酒も購入でき、割とリピーターは多いようである。
・
蒸留酒に薬草や果実を加えて香りを移し、砂糖や香料、着色料を加えた混成酒。
もとは薬用であったが、やがて風味や味わいを重視したものが作られるようになっていった。
・酒の神官
現地でもよく誤解されがちだが、ここでいう酒の神官とは「酒(を飲む方)の神」の神官であり、「酒(を作る方)の神」の神官ではない。
つまり呑兵衛の神を信仰する呑兵衛の神官なのである。
よって、その加護では酒を造れないし法的にも許されないが、酔っても酒の味がわかる加護やアルコール中毒にならない加護やアルコール過敏症が発症しない加護などが得られる。
その信仰から、職務中に飲酒しても許される数少ない神官として知られる。
ただし当然ながら常時酩酊状態であるこの神官を雇う職場は少ない。
・過敏症
ここではアレルギーなどのこと。
アレルギーは先天性だけでなく、後天的にも獲得する。
また肌から摂取する場合、口から摂取する場合に比べてアレルギーが発症しやすいとされる。
現実でも石鹸に含まれていた加水分解小麦が原因で小麦アレルギーを発症する事例があった。加水分解小麦自体は化粧品などにもよく使われるものであり、規格改定後の現在市販されているものは基本的には安全性が高いのではないかと思われる。知らんけど。
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