第九話 密林、湿度に満ちて

前回のあらすじ


足湯×居酒屋!

ざっかけない飯物と、お洒落なスイーツ。

最終的に魔女の尻は肥える。

あらすじをしろ!




「ふう、おいしかったね」

「……ミライ、キミよく食べたねえ」

「ほんと不思議だよな。どこに入ってるんだろうなあ」


 塊のパンに、山盛りの蒸し料理。

 それはウラノもそれなりに食べる予定での注文だったのだが、未来の食欲が思いのほかに強かったこともあり、追加注文までしてようやく腹が満ちたらしかった。

 それも、はち切れんばかりの満腹というわけではなく、程よい満腹感であるというのだから驚きである。

 別に食べなければ食べないで、普通の食事量でも苦しむことはないというのも不思議である。


「まあ、多分VIT高いのが、ため込める量も多いっていう風に解釈されてんじゃねえのかな」

「VIT……生命力バイタリティだっけ」


 ステータスの一つ、バイタリティ。VITと略して表記されるそれは、日本語では生命力などと翻訳される。ゲームではしばしば見かけるものだ。

 《エンズビル・オンライン》では、VITが上がると最大HPが増加するほか、防御力や、自動回復量、また状態異常への耐性などにも影響する、総じて耐久力にかかわるステータスだ。


 防御力に偏ったステータスの振り方をしている未来は、このVITが極めて高い。例えばの話だが、生身の未来の頭を鉄パイプで殴りつけたら鉄パイプの方が曲がってしまうだろうし、フルマラソンを補給なしで平然とこなし、毒にあたっても下手すると毒が抜けるまで耐えきってしまうかもしれない。

 単純に数値だけで考えるとそれくらいはあってもおかしくないのだ。

 実際には当人のイメージなどがかかわるようで、普通に風邪もひけば、空腹や疲労も人並みに感じるのだが。


「ま、まあ食べ過ぎてなければいいんだ。満腹でお風呂に入ると、血の巡りに良くないからね」

「ああ、それは聞くな。胃の方に行く血が、身体の方に持ってかれて消化に悪いとか」

「この様子じゃ心配なさそうで、逆に怖いけど……まあいいか」


 腹ごなしに少し歩いた先の風呂屋は、奇妙なつくりをしていた。

 周囲は人の背丈より高いくらいの石造りの壁に囲まれているのだが、それよりも上に行くと、全面ガラス張りになっている。壁から天井まで、すべてガラス張りなのだ。帝都ではガラス窓が一般的に使われているが、それでも帝国全体で言うとガラス産業はまだまだ高級路線だ。

 そのガラスがほぼ全面である。かなり透明度の高いうえに幅もある板ガラスが何枚も使われており、それだけで金がかかっていそうである。

 そしてそのガラスの向こうには、夜の暗がりの中でもうっそうと茂る木々が垣間見えるのである。


「…………僕、学校の授業でこういうとこきたことあるよ」

「あー、植物園とか、温室とかか? 確かにこんな感じだよなあ」

「お、キミたち温室を知ってるんだね。じゃあ話が早いや」


 なにしろ入り口横の看板も、大きく《帝都植物園》と現地語で書かれているのだから、ふたりは大いに戸惑った。

 しかし中に入ってみれば、受付自体は普通ではあった。植物にお湯をかけるなとか柵の中には入るなとかの簡単な注意を受けるくらいで、どんな注意だ?と首をかしげるくらいである。


 しかし浴場に立ち入ってみれば、注意も納得であった。

 というのも、ここの風呂は巨大な植物園のただなかにあるのだった。

 タイル張りの洗い場や浴槽が、ジャングルもかくやと言わんばかりの南国情緒あふれる木々や花々に囲まれているのだ。

 青々と茂る植物たちの多くは柵に囲われており触れることはできないが、一部は自然石を用いた浴槽と地続きになっていて、本当にジャングルのただなかで湯につかっているようなつくりの部分もあった。

 湯の色が褐色で、とろりと濁っているのもまた沼のようである。

 冬場だというのに蒸し暑さを感じるほどの湿度で、気分は探検隊か遭難者かといったところ。


「おわー…………なんじゃこら」

「なんかすごいね……裸でいるとちょっと不安になってくるな」

「はっはっは、安心しなよ、猛獣はいないからね。猛獣は」


 なんだその意味深な言い方は、と思っていたら、高く歌う笛のような音が響き渡る。それも一つではない。いくつもだ。

 見上げれば、枝の間をけばけばしくも鮮やかな色が飛び交っている。鳥だ。鮮やかな、鳥の羽の色だ。なんなら飛べないらしい丸っこい鳥が色を変えながらお湯にぷかぷか浮いていたりもする。


「い、インコ? オウム? どっちだっけ……?」

「それだけでもなさそうだな、おい」

「糞を落としてくるときもあるから、気を付けなよ。神官が浄化してくれるけどね」

「浄化してくれても嫌だな、そりゃ」


 その風呂の神官というのは、獣人ナワルの神官だった。それもなんとワニの獣人である。

 ワニそのものである頭部だけが、褐色の湯から覗いているのは、もはや完全に沼の主である。

 しかもぽっかり空けた口には、小鳥が飛んできて歯の掃除までしているではないか。

 あまりにもはまり役過ぎて、客も一瞬見過ごしては、ぎょっとして二度見するのが定番の流れだという。まあ、事前警告なしで南国情緒の中にワニがいたら普通にビビる。


 原色の赤や黄色、オレンジ、緑といった鮮やかな羽色の鳥たちは、浴場中に散らばっているようだった。あちこちで心地よさそうに歌い、飛び回り、そして中には人間の声音を真似する者もいるようだった。

 イイユダナとか、バーカバーカだとか、タスケテクレコッチダだとか、自然に覚えたのか、おもしろがった客が覚えこませたのか、美しい鳴き声に交じって妙な声も聞こえてくるものだ。


「なかなか面白い趣向だろう?」

「ああ、驚いたぜ、こりゃ」

「キミたちも言ってた、温室栽培っていうのかな。南国の果樹とか、冬場でも夏の作物をとか、そういうの目的で、何とかいうお貴族様が温泉の熱を利用した温室を作ったのが始めらしいよ。要は冬でもキュウリが食べたいお貴族様のわがままってわけだ」


 紙月たちの前世では、イギリスのキューカンバー・サンドイッチがこの手の話では有名である。イギリスの気候ではキュウリの栽培が難しく、それゆえ貴族が食べる高級なものだった、と大雑把に言えばそのようなエピソードがある。

 帝都においてもそれは似たようなもので、帝都周りの気候は冷涼でキュウリその他一部の作物の栽培には向かず、温室栽培でようやく食べられるというわけだ。


「まあでも、氷精晶グラツィクリスタロとか、街道の整備とか、農業技術の発展とか、要は帝都でも割と新鮮な作物が手に入るようになって、温室は費用対効果がいまいちらしくってね」

「そう言えば、僕たち普通に色々食べられたよね」

「海の魚だって、割高とはいえ帝都で普通に食えるもんなあ」

「もとはお貴族様のだし、営利目的ってわけでもなかったんだけど、温泉使ってるだろ? 密林に囲まれた南国風情の温泉ってことでちょっと社交界で噂になったみたいでね」


 一時期はお貴族様の間でプチ流行バズったらしいが、そもそも貴族なら自分で同じのを建てるわけで。そして南国ブームも南大陸発見からしばらくすればさめてくるもので。結局、ここの持ち主が飽きたころ、民間に払い下げられて、いまのような温泉兼温室栽培所になったのだそうだった。


 とろみのある褐色の湯につかりながらそんなうんちくを聞いていると、なるほどまるでジャングルの真ん中のような体験ができるこの温泉は、さすがに実際に南大陸までは気軽に行けない貴族たちにとってはかなり刺激的な娯楽だったのだろう。


「そして貴族ならぬ平民にも、南国ってのは結構あこがれだよね。南部もちょっと近い感じだから、オレはそこまでだけど……天狗ウルカなんかも、結構好きで来るみたいだよ。鳥はあったかいとこが好きなのかな……おっと、失礼」


 ウラノの軽口に、天狗ウルカの客からじろりと一瞥があった。天狗ウルカ土蜘蛛ロンガクルルロを虫けら扱いするし、人族をサル扱いすることがしばしばあるが、自分たちが鳥扱いされるのはお気に召さないのだ。


「めっちゃ好き。週五で通ってる。年間券持ってるよ」


 違った。目つきが鋭いだけの風呂好きの天狗ウルカだった。しかも陽気だった。


 実は、多種族混交都市である帝都においては、単語ではなくその単語を用いたニュアンスによって差別かどうかが判断される。

 つまり発言が好意的かどうかという文脈が重視されるため、ウラノの発言もあくまでここの風呂を心地よく楽しんでいる様を場内の鳥類と並べての発言であり、悪意はないという判断になる。それでも一応気遣いは必要だが。


 《帝都植物園》は、名前の公式っぽさとは裏腹に貴族の手を離れている。そのため今では客の関心が離れないようにいろいろと努力をしているようで、例えばある湯には大ぶりの柑橘だとか、不思議にとげとげした鮮やかな色の南国果実だとかが浮かべられている。効果はわからないが、なんとなく気分は弾む。

 また例えば別の湯では、驚くほど大きな花が浮かんでいたり、驚くべきことに浴槽から生えているすさまじい生命力の花もある。


 褐色の肌に白い髪と異国情緒あふれるウラノは、なんだかワイルドでエキゾチックな南国のお姫様/王子様のような雰囲気である。天然岩の上に腰かけて、栗色の髪をまとめ直しながら体を冷ましている紙月などは森の奥の秘境で人知れず生きる妖精のようでもある。

 それと比べると自分はなんだかなあ、と未来はちょっと思った。卑下するわけではないけれど、ふたりのような格好良さとかきれいさとかそういうものはないなあ、と思うのだ。

 獣人であるとはいえ、まだ子供。森の人狼とか名乗れるなら格好いいかもしれないが、まだ子犬もいいところかなと。


 なお、そんな未来がしっぽを絞っている姿は、なにやら紙月のキュンとするポイントに深々と突き刺さったようであったが、それが未来にとってうれしいかどうかは微妙である。


 そうしてそれぞれに南国情緒を楽しんでいると、なんとワニの頭に猫が乗っている。

 違った。ワニ頭の風呂の神官の頭に、猫が乗っかり、半身浴のように下半身を湯につけているのである。


「猫までいるんだ……」

「猫って普通は風呂とか嫌がるんじゃなかったか?」

「普通はね。ヤグアーロ……あの猫は、あったかいからっていつの間にか入り込んだ子らしくてね。仔猫のころからワニ神官に世話されて、すっかり温泉に慣れちゃったんだってさ」


 ワニ頭の神官の上に寝そべり、温泉を満喫するベンガル猫ヤグアーロ。なんとも呑気な姿は、この風呂屋の売りの一つであるらしい。

 なおヤグアーロとは現地語でジャガーを意味する言葉である。そしてジャガーは時にワニも獲物にする。ワニ神官は強面ながら、猫には勝てないとうそぶくのだとか。


 大都市帝都のど真ん中で、南国の植物と温泉が一緒に味わえる《帝都植物園》では、お土産に温室で育てている果実や作物も販売しているらしい。

 ひと玉で1五角貨クヴィナンする贈答用高級南国フルーツは売り切れ御免の大人気商品であるとか。

 もちろん、三人はせっかくなので買って、そしてその場で美味しく頂いた。味は、実際に現地で買って確かめていただきたい。






用語解説


・温室

 ガラスはまだまだ高級路線とは言え、十分に量産可能なレベルであり、貴族や公共施設ではしばしば大きく透明度の高い板ガラスをたくさん用いることはステータスの一種となっている。

 温室はまさしくガラスをたくさん使えるステータス誇示にぴったりの施設で、南国ブームもあって実はそれなりの数の温室がある。あほほど沸いた温泉で熱源もクリア。

 ただし、結局ガラスの清掃や補修などの維持費は馬鹿にならず、温室栽培は商業化するには割高のようだ。おまけに南国ブームも落ち着いたので放置されたり、レンズ化して火災の原因になったりと問題もあるようだ。


・《帝都植物園》(La Vintraĝardeno de La Imperia Ĉefurbo)

 現地語を直訳すれば「帝都の冬の庭」とでもなるだろうか。

 貴族が建設した趣味の温室が民間に払い下げられ、入浴施設兼温室農場として生まれ変わった。

 ワニ神官は貴族運営時代からの古株で、ジャングル風呂につかる姿がはまり役過ぎて貴族が馬鹿笑いして雇用した。いまもたまに見に来て馬鹿笑いして帰っていく。ベンガル猫を頭にのせた姿は、高価な寫眞機フォティーロを持参して撮影して馬鹿笑いして帰っていった。


・飛べないらしい丸っこい鳥

 現地名祭鸚鵡フェスタ・パパゴ。オマツリオウム。

 南大陸の孤島で発見された新種の飛べない鳥類。

 天敵がいなかったようで警戒心に乏しく、人にも無防備に近づく。

 その性質から絶滅を危惧され、現地には動植物の持ち込みが禁止され、狩猟も厳禁。

 保護と繁殖目的で一部が帝国に持ち帰られたが、思いのほか増えてしまった。

 繁殖期には特殊な発光細胞と羽毛の微細構造によって約1680万色に発光しながらダンスする。

 繁殖期でなくても気分が高揚すると発光しながらダンスする。


・インコ/オウム

 サイズにかかわりなく、冠羽があるのがオウムで、ないのがインコ。

 現地でもそれは同じようだ。


・ワニ神官

 ワニの頭をした獣人ナワルの風呂の神官。

 舌と喉の構造上、言語会話は苦手。

 温厚でフルーツ主体のベジタリアン。

 なお立ち上がると屈強な筋肉質のボディをしており、顔との合わせ技でたいていの迷惑客は黙る。


・ヤグアーロ(Jaguaro)

 現地語でジャガーを意味する名前を付けられたベンガル猫(っぽい模様の猫)。

 水を嫌がらず泳ぎも得意だが、定位置はワニ神官の頭の上。

 ぺちぺち叩いて移動する際の足に使うこともある。

 野生の本能を忘れ去っているのか鳥を狩ったりすることもないが、自分の可愛さは自覚しており、営業には貢献している。

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