第三話 風呂先案内人

前回のあらすじ


薄い本に出てきそうな主人公二人が銭湯でまったりしていたら、薄い本に出てきそうなチャラ男が、別ジャンルの薄い本に出てきそうなオトコノコにわからせられるのだった。




 なんか勝手に敗北してすっかり意気消チンし、そそくさと去っていったチャラ男をよそに、ぶらんぶらんとしていたをタオルで隠しなおした若者は、何事もなかったかのようにゆっくり湯につかって心地よさそうに声を漏らした。

 それさえも「くふぅ……」と愛らしげな声であり、直前の光景とのギャップに脳がバグったものたちが困惑を隠せないまま散っていく。


 紙月と未来が、彼と軽くあいさつを交わし、名乗りを交わした。


「ふえぇ~……やあやあ、災難だったね!」

「ああいや、助かったよ。俺は紙月」

「僕は未来です。ありがとうございました」

「いいっていいって! オレのことはウーちゃんくんとでも呼ぶといいよ!」

「えっ、あの……ウーちゃんくんさん……」

「冗談だよ。そんなに困るなよ少年。オレはウラノ。ウラノでいいよ」


 こういうときうまくスルー出来ないのは未来の経験の足りなさだった。

 いや、こんな奴の対応に慣れる経験もどうかと思うが。


「でも、ふたりは観光客かな? 自衛も必要だよ?」

「助けてもらってなんだけど、あれくらいなら」

「違うちがーう。ことが起こってからじゃなくて、起こらないように。予防だね」


 湯の上に出ている顔だけ見れば、全く少女のようである。

 しかし肩も腰も、骨格はしっかりと男性のそれである。張りのある褐色の肌の下には、鍛えられたもの特有の筋肉もうかがえる。その愛嬌のある顔立ちと、しなやかな肉食獣のような肢体とのギャップが、奇妙にエキゾチックで蠱惑的でさえあった。

 その美少女風貌が、たしなめるように口にしたのが予防という言葉だった。


「あ、わかるよ? そりゃああいうヤカラの方が悪いってのは、そりゃそうだよ。オレだってそう思うね。きれいだから、美人だから、弱そうだからって理由で食い物にしようとするやつは最悪だ!」

「うん……そうだよね」

「でもさ、鶏が自分から厨房に入ってまな板の上に転がってたら、そりゃ鶏はシメられて当然だって思わないかい?」

「そうかもしれねえけど、それが人間となれば、話は違うだろ」

「無知でか弱い鶏を食い物にする料理人の方が悪いって? そりゃそうだろうね。でもいま、現在、そういう悪い環境があるんだよって時に、それを改善しないうちから無防備さらすのはちょっと危ないんじゃないかな」

「フムン」


 紙月と未来、現代日本人の考えとしては、無理やり迫ろうとするやつは悪者だ。

 ふたりは何も悪いことなどしておらず、普通の客と同じように、金を払い、マナーを守って入浴していただけなのだ。そこに自分本位な欲求を満たすためだけに絡んでくるやつなど、一方的な悪と言っていい。

 ただ普通に電車に乗っていただけで痴漢に遭った女性がいるとして、自衛がなっていないなどと批判などしたら現代日本では炎上ものだろう。


 しかし若者はそれはそれとして、現実はどうだろうかというのだった。

 ふたりの考え方は実にもっともな話で、そうであればいいなと思えるけれど、しかし実際にあの輩のような客もいるし、被害もある。

 紙月も以前から好色な視線などは感じていたし、手を出してこないだけでそのような輩は潜在的にいるのだと感知していたのだともいえる。というかたまに拉致られたり痴漢されたりの被害も実際にある。


 現実の治安は必ずしも完全な安全を保障しないし、むしろ悪意は当たり前のようにそこらにあふれているものだ。それに文句を言うのは大事なことだが、現実に存在している問題をそのままにして無防備でいるのはどうかなというのだ。

 悪いものは悪いし、さっきのやつが10:0で悪いとしても、じゃあ車が行きかう車道をふらっと歩き出したらそりゃかれても仕方がないと。地域の治安が悪いことを承知でセキュリティもない安アパートで鍵もかけずにいていいのかと。

 いや実際悪事を働くやつが悪いのはそれはそうなので。そいつが最悪なのと身を守る努力は別軸の問題というだけで。そういう悪事の起こらない社会は目指すべきだし、下種な悪党はみんなこの世から消えて欲しいとしても、いきすぎると最終的には人類は滅ぶべきとなるので、少しずつでもぶつかりながらでも前向きに変えていかなければならないのだ。

 このあたりは賛否の分かれるところであろうし、それをここで是非することはしない。しないでね?


「つまり、お顔がよろしいやつは安い風呂屋には来るなって?」

「言葉を選ばなきゃそうなるな」


 しないでね?


「キミたちが大金払って最高級の宿の風呂に入ってたっていうなら、なんかあったら文句も言えるけどさ。言っちゃ悪いけどこういう安くて古いところはヨット遊びクロザード目当ての客だって多いんだ。見えないとこでやつだっているんだぜ。いまのやつなんかは、割と紳士的だって言われるかもしれないんだ。かなり控えめで邪悪ではない方ってやつ」

「その、くろざーど?っていうのはなんですか?」


 話の細かいところまではよくわからないまでも、先ほどの輩のような奴の話なんだなとぼんやり理解している未来は、ひとまず気になった単語について聞いてみた。

 ウラノは笑顔で答えようとした後、くるくると視線と指を回して、紙月にささやいた。


「あーっと……シヅキ、彼っていくつだい?」

十一こども

「おっとぉ…………えーと、ミライ! ヨット遊びクロザードっていうのは、そうだな、悪い……そう! 悪い遊びをするお仲間を探してるような奴らさ! キミにはちょっと早いかな!」


 慎重に言葉を選ぶウラノの説明に神妙に頷いて、未来はちょっと紙月をつついた。


「えっちなやつ?」

「…………えっちなやつだな」


 そのくらいは、察した。現代日本のS学六年生はそれなりの知識を有しているし、それなりに授業で学んでいるし、それなりに授業外でも情報が手に入るし、それなりに考えも巡らせているものだ。他意はないがちょっと伏字にするだけで途端にいかがわしく感じられる。


「えっちか。初めて聞く言葉だけど、いい響きだね…………うん、まあ、浴場は自然に服も脱ぐし、そういうよくない遊びも少なくないんだ。特にこういう安くて監視がゆるいとこだとね」

「フムン……それ言ったら、ウラノだって見た目が見た目なんだし、俺のこと言えないんじゃないか?」

「ああ、オレはそういうえっちな遊びは大好きだからね!」

「えっ」

「えっ」

「あっ、待って待って待って。確かに好きだけど、でも人に迷惑はかけないよ! 他人に迷惑かけるようなのは、どんな遊びでも駄目だからね! えっちは楽しく健やかに! これ大事!」


 ちょっと距離を取りかけた二人に、ウラノは慌てて手を振った。

 その手首には簡素だがごつい腕輪がはまっている。アクセサリーの類というより、ほとんど手錠のような武骨さである。


「オレはそういう悪い遊び方はしないって!」

「お、おう、そうか」

「なにしろ男女も種族も問わないから普段は性欲が死ぬ腕輪してるくらいさ!」

「それそういう拘束具なんだな……」


 からからと笑うウラノの腕輪は、紙月が目を凝らすと確かに何かしらの魔法か、あるいは何らかの神の加護がかかっているようだった。かなり強めのが、しかも両手首にかっちりはまっていた。よく見れば両足首にもはまっていた。

 紙月はそっと見なかったふりをしてやりすごした。性欲が死ぬ輪を四つつけないといけないのはもう危険物でしかなかった。ある意味、最大限にしているわけだ。自分が襲う方のを。

 内心の自由は守られるべきという建前があるにしても、ウラノの場合は何しろが立ってしまうと一瞬で周囲にばれてしまうだろうから、下手をするとこれがないと日常生活にも苦労するのかもしれない。


「うーん……しかし、そう言われてみれば、俺たちも油断し過ぎてたかもしれんな」

「スリとか野盗とか普通にいるんだもんね……そりゃ治安もよくないよね」

「しっかし、そうなると帝都観光も不安が残るな。俺らじゃ安全なガイドの見わけもつかねえぞ」

「せっかく帰る前に観光してきたかったのにね」


 帝都は帝国最大の都市であり、技術的にも文化的にも最も発展しているといっていい。

 人口もその密度も他の都市とは比べ物にならず、種族も職業もその多様性はすさまじいものである。

 そして悲しいことに、その広大さと多様さに対して、治安を守る衛兵や行政は手が回らないというのが実情であった。とはいえこれを責めるのは難しい。監視カメラを始めとした技術が発展した現代社会においてでさえ、都市部の治安というものは必ずしも完全とはいかない。

 治安がいいとされる日本においてさえ、犯罪は無くならないのだ。高度な監視社会でもなく、文化も慣習も違う多種族がひとところに入り乱れる帝都においてはそれはもはや必然と言ってもいいよどみではあった。


 これもまた、改善すべきではあっても現状ではまだそうできていない、社会の限界なのであった。


 さて、そんなふたりの嘆きを耳にして待ったをかけたウラノであった。


「うん? 君たち帝都まで来て、観光もしないで帰るつもりかい?」

「悩み中、ですね。せっかくだから観光したいんだけど、僕も紙月も帝都のことはよく知らなくて」

「それに寒いからな……」


 一番切実な理由をぼやく紙月に、未来も肩を落とす。

 観光はしたいが、それは紙月と二人で回りたいのだ。寒さで凍える紙月を連れて楽しめるとも思えない。それならいっそ、暖炉の前でくっついてる方がまだいいのかもしれない。

 どうせいつでも来れるといえば来れるのだし、夏ごろにまた来た方が観光もしやすいんじゃなかろうかという考えもある。


 なんて諦めかけていると、じゃあ、とウラノが明るい声で提案した。


「じゃあせっかくだからオレが案内してあげよっか!」

「え、観光案内できるのか?」

「いいともいいとも! オレもよそ者だけど、ここしばらくは帝都で遊んでたから、結構いいとこ知ってるんだ! あ、えっちじゃないやつね! 安心して! シヅキは大人だしえっちな方教えてもいいけど」

「えっちなのはいらんいらん」

「じゃあ健全なほうね! えっちなのが健全じゃないっていうのもオレはどうかと思うけど!」

「でも……悪いですよ」

「悪いことなんかないさ! この前誕生日で、いろいろもらったから懐も機嫌もいい具合でね! いわば幸せのおすそわけさ!」


 気持ちよく笑うウラノの提案に、ふたりもなんだか心惹かれ始めていた。

 腰が重いだけで、ふたりともきっかけがあれば物事を楽しむだけの素養はあるのだ。

 年頃も近そうなウラノの誘いは、ちょうどよいきっかけと言えた。

 散々治安の悪さや悪い遊びについて注意された直後なので、そのあたりもっと警戒しろよと言うのは減点すべきところかもしれないが。


「助かるよ。じゃあお願いしていいか?」

「もっちろん! じゃあ早速出ようか!」

「え、もう!? でもまだ入ったばっかりだし」

「もうちょい温まってからでも……」

「いーんだよ! なにしろ今日の観光案内はね……」


 ウラノは思わせぶりにためをつくって、にっかりと笑った。


「帝都風呂巡りと行こうじゃないか!」






用語解説


・ウラノ(Urano)

 白髪碧眼褐色肌の中性的な美少年。

 [検閲済ቻソቻソ!!]がすこぶる大きい。

 趣味はえっちな遊びだが、普段は性欲が死ぬ輪を四つ装備して節度を守っている。

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