第十七章 ア・ビリーヴィング・ハート・イズ・ユア・マジック
第一話 もやもやはするけれど
前回のあらすじ
山奥の寒村に燻る不穏の気配。
調査に訪れた《
罪なき民を虐げる悪鬼羅刹が悪魔の儀式。
世界を閉ざさんとする恐るべき氷の大魔法。
しかし森の魔女の祈りが天に届いてか、盾の騎士の忠義の守りか、邪法遣いは己が魔法をその身に返され、臥竜山脈の向こうへと叩き落されたのであった。
ありがとう森の魔女。ありがとう盾の騎士。
ありがとう、《
世界に春が戻ったのである。
(諸説あり)
いよいよ聖王国がくびきを解かれ、北大陸の死の吹雪を伴ってやってきたのだ、などという
いやなんかえらい冷え込んだけど森の魔女がなんやかんやしてどうにかなったらしいぜ、なんだよなんやかんやって、わからんけど森の魔女だしな、まあ森の魔女様様だな、などと気の抜けた会話が酒場で流れもしたとか、しないとか。
帝都郊外のアリアケ商会社屋にもその噂は流れていた。
建て増しを繰り返しながらもかろうじて商会風の顔を保った非常に大きな建造物であり、その裏にはさらに混沌とした、パッチワークめいて乱立しては接続された工場群が立ち並ぶ騒々しくも賑やかな一角であったが、それもこの厳冬のさなかではどこかひっそりとしているようにも感じられた。
──帝国広報の述べるところではこうである。
──空読みに
「なんのこっちゃ……」
つまるところは、今年の冬は
という感じである。
アリアケ商会の奥も奥、商会長の個人工房にて、紙月は帝都日報なる大衆新聞をそのように読み解いた。
暖かな火の燃える炉の前で、紙月はがさがさとした荒い紙質の新聞を読み終えたところだった。
どこか性別を超越したところのある美貌が、物憂げにため息をつく様子はなんともアンニュイで、寒さに肩をすくめる様さえ蠱惑的であった。
この女にしか見えない成人女装ハイエルフ男性は、自分の外見評価を理解した上で演技過剰気味にふるまっている節があった。
暇に飽かせて一面から順にすべての記事をじっくりと読んでみたが、大体はこの寒さへの注意喚起であり、他には何とかいう貴族が炊き出しをしているとか、どこそこの紹介で画期的な暖房具が発売されたとか、ありふれた記事ではあった。
「本当になんにも書いてないんだな」
なんにも。そう。紙月の欲しい情報はそこにはなかった。
そこに、ブランフロ村のことは一行も書かれてはいなかった。
帝国北部、
紙月と未来はつい先日その村を訪れていた。
その結果は完全なる勝利などとはとても言えず、最悪の事態は免れたものの、巻き込まれたブランフロ村は大きく被害を受け、今後は変化を余儀なくされることだろう。
けれど、この小さな村の大きな事件は、帝都日報にも、そして他のどんな報道機関にも載っていない。載せられることなどない。そもそもが、知らされることもない。
「あの村では『なにもなかった』。そういうことになっとる。記事になるとしても、精々が雪崩の被害があって、エージゲ子爵が資材を
紙月の腑に落ちないといった声にこたえたのは、重厚なデスクに向かって書き物をしていた老商人レンゾーであった。
酒樽の
彼は紙月たちと同じくこの世界に転生してきたプレイヤー。生産職のドワーフという特性を活かして、この帝国で大きな商会を育て上げ、政治にも食い込むようになった巨魁。
そして、紙月たちにブランフロ村の調査を依頼した当人でもあった。
「ううん……あのままでよかったのかな。僕たち、何かできたんじゃないかな。アイテムだって、何か使えたかもしれないし」
炉の近くで膝を抱えて座り込んでいた少年、未来はぽつりと
未来は恐るべき冬の魔法を前に、できるだけのことをした。彼にできる全てを発揮して、大雪崩の被害を最小限に抑え込んだ。
けれど、それでも、村への被害は小さいものではなかった。雪崩の被害も、そして復興支援という名の外部からの干渉も。
「酷なことを言うようじゃがな、お前さんたちにできることはなんにもなかっただろうよ」
「そうなのかな……だって僕らは、プレイヤーなんだよ? 魔法で火もおこせるし、ごはんだって出せるのに……」
未来は紙月にすがるような目を向けた。未来の知る紙月なら、どんなときでも、無茶だって思えることでも、胸を張って挑んでくれるはずだ。
けれど紙月は難しい顔をするばかりだった。
気持ちは同じだと、その横顔から察せられた。
けれど紙月には、未来には見えないものが見えていて、気づいていないことにも気付いているのだろう。
「確かに俺たちなら、村の人たちを温めて、食事を配ることだってできる。でもずっとはできない。未来、お前、あの村にずっと住めるか? いつまでもあの村にいてやれるか?」
「それは……でも、春になるまでなら」
「村長も言ってたろ。俺たちがあの村にいる理由はなかったんだ」
もともと二人は身分を隠してブランフロ村に行ったのだ。
ただの旅人が、まさしく魔法のような手段で村を救うことなどありえない。
森の魔女と盾の騎士ならばそれができるかもしれないが、その二人が雪深い真冬の寒村を訪ねる理由などない。
もし理由があるとすれば、そこでなにかがあったということになってしまう。
「名の知れぬような零細冒険屋ならいざ知らず、地竜退治でデビューした大型新人じゃぞ。お前さんたちが何かしてやれば、必ず疑うものが出るじゃろう。表向き、あの村では『なにもなかった』んじゃ。裏向きとて、聖王国のテロ事件じゃ。明かせば村は疑われる」
「そうなっちまったら、アンドレオさんが全部背負っていったことも無駄になるし、工作員をかくまってた村って言われるかもしれない」
「そんな……」
それに、村ではすでに領主たるエージゲ子爵の復興支援がはじまっている。
そこに手を出すのは、たとえ善意からであっても、子爵の顔に泥を塗ることになる。
子爵とブランフロの村の関係は、絶対的な主従関係ではなかった。
税を納め、その代わりに庇護を与えるという契約的関係、つまり封建制度による上下関係であり、子爵が村をまったく自由にできるわけではなかった。
子爵はあくまでも必要な時にかかわるだけであり、それ以外は村の自由だった。村が自由であるための、封建関係であった。
村長は自治権をもつ独立領主なのだった。村が主と仰ぐのは村長であり、子爵ではなかった。ボスのボスはボスではないのだ。
けれど、ブランフロ村は今回の事件で自力では再起できないほどの被害を被った。あるいはできなくもなかっただろうが、その時は乗り越えても、今後が続かなかっただろう。
支援だけを求めて、それに報いないなどということはできない。単に気持ちや道徳の話ではない。契約的にも、それはできない。
もしもそのような不義理を働けば、それは約束を守らず義理も果たさぬ、道理の外の存在ということになる。そうなれば、子爵もまた村に対して義理を果たす必要がなくなるということである。
盗賊や魔獣だけにとどまらず、他の領主が村を奪いに来ても子爵は庇護する理由がなくなる。それどころか、子爵自身が村を武力でもって簒奪しても文句は言えない。
隠し持っていた
そしてそれだからこそ、子爵の支援の下で今後も発展していける、ともいえる。
「良くも悪くもというか、今後は
「うーん……でも、たくさん出回ったらみんな安く買おうとするんじゃないの? そうしたらまた売り渋るんじゃないかな」
「短期的ならそれでも儲けは出るかもしれんがな。売り物が少なければ買い手が増えんじゃろ」
「逆に買い手が増えれば、安くても儲けが出るってことだな。みんなが欲しがれば、買い手の方で値を上げてくれるわけだ」
しかし流通量が増えれば、単純にそれらの器具の数が増やせる。そして利用者が増えれば改善改良されさらに広まる。その中で別の使い方なども見いだされていくだろう。
人は一度便利になってしまえば、そこから元の不便な生活には戻れない。消費は加速度的に増えていくだろう。
「帝国は新しい技術……いや、逆じゃな。古代の技術が広まるのを恐れておった。つまり、聖王国の技術じゃな。悪い時代へと戻ってはいかんと。じゃから遺跡は管理され、遺物は秘匿されとる。印刷機でさえ利用が許されたのは最近じゃ。それも一部の新聞社なんかだけでのう」
しかしレンゾーと彼の興したアリアケ商会によって帝国民による技術の振興が進み、帝国政府の技術への不信は少しずつ解かれつつある。
なにより聖王国の活動が活発になっていることが危機感をあおり、対応するためにも発展が必要だった。古代聖王国の残滓を恐れるだけでなく、活用することで迎え撃たねばならないと。
「あの村は伝統を失い、穏やかな景色も振興と発展で塗り替えられていくかもしれん。開拓民としての誇りや意地は顧みられなくなり、虐げられてきたものたちの思いも埋め立てられていくじゃろう。あるいはそれは耐えられない苦痛かもしれん。それでも……それでも、飢えと寒さは、確実に減っていくじゃろうな」
古くからの伝統と誇り。
よりよい生活と発展。
どちらが良いという話ではないのだろうと紙月は思う。
どちらも何よりも大事なのだろうとそう思う。
すくなくとも、部外者がおいそれと決めつけられるようなことではない。
都合のよいときだけ手を差し伸べるような、そんな救いを拒絶する者もいるだろう。
飢えと寒さで子らが苦しむくらいならばと、甘んじて受け入れる者もいるだろう。
だがそれを決めるのは当人たちなのだ。
それを決めていいのは、当人たちだけなのだ。
などと分かったようなことを考えつつも、やっぱりもやもやはするので、紙月は新聞をぐしゃぐしゃにしながらうなった。
「わしまだ読んどらんのじゃけど」
「商会長なら自分の金で買えよ」
などと言いながらも新聞を軽く伸ばしなおしてやってから寄越せば、代わりに返ってきたのは上等な封筒である。しかもいかにもといった立派な印章の
つまり、封筒の閉じ口を熱した蝋で閉じて判子のように紋章が押し付けられているのだ。
横から覗き込んだ未来が、ファンタジーっぽい、とつぶやく。確かに中世ファンタジー感はある。
「なんだよこれ」
「招待状じゃよ。どうせお前さんたち、西部に戻っても仕事もないじゃろ。かといって帝都観光を楽しむにも気が重かろう」
「まあそれはそうなんだけどね」
「俺たちどこ行っても暇人扱いされるな」
ぼやきながら封蝋の印章を検めてみると、三つの塔を背景に杖と星をあしらった、
紙月と未来も、冒険屋パーティ《
「なんかどっかで見たことがあるな……」
「あったっけ?」
「お前さんたちは前にも顔を出したことがあったからのう。どこかで見たのかもしれんな」
「ええい、焦らすなよ」
こらえきれずに紙月が封筒を開いてみると、そこには見知らぬ名前と、そこそこ見知った組織名が見えた。
「帝都大学魔術科……?」
それは、以前依頼を請けた帝都の博士ユベルとキャシィの所属する組織であった。
「お前さんは《
「確かに、どっかで魔法を学んどかなきゃなーとは思ってたけど」
「帝都大学は帝国中の知識が集まる。魔術科も様々な魔法・魔術を集めて研究しとる。お前さんたちの魔法にも興味を持ったようでな。わしもこの世界の技術が発展していくのは望むところ。というわけで仲介させてもらったぞい」
「うーん、このいいように使われてる感」
「まあまあ、せっかくの機会だしさ」
「それもそうっちゃあ、そうなんだけど」
レンゾーはわかっておると言わんばかりにうなずいて、にやりと笑った。
「お前さんたち。退屈しとるじゃろ?」
「それ別に決まり文句にしてほしくはねえんだけどなあ」
用語解説
・アリアケ商会
レンゾーが起業した商会。行商人と用心棒程度の小規模から徐々に拡大し、現在では帝都郊外に社屋と工場を持つほか、各地に支社を持つ大企業。
商会長であるレンゾーは元老院に席を持ち、国政に口を挟める立場にいるが、健全な経済発展のため意見役程度におさまっている。
・帝国広報
帝国政府の広報誌。また各所掲示板などにも掲示されるほか、大手新聞紙などにも枠を持つ。
・帝都日報
帝都に本社を置く新聞社。大衆受けのいい記事や生活に根差した記事をメインにしており、安っぽくはあるが都民の購読数は最多。
・封建関係
帝国の政治・社会体制はなかなかに面倒もとい複雑である。
皇帝をトップとして緩やかな主従関係を結ぶ封建制度ということになるが、皇帝は元老院を通した議会政治を行っており、その決定も憲法に定められた範囲を出ない。
憲法に反さず皇帝に逆らわない限りにおいて各領主は各領地において王である。皇帝は土地と権利を保障し、領主たちは軍事力や税を返す。そしてその各領主の下にいる小領主たちもまたこの構図を繰り返している。
中には野心的であったり反抗的である領主もいるが、それでも皇帝に従い、敬うのは、帝都ひいては中央とやりあうと損ばかりで得がないからである。ぶっちゃけ聖王国の相手とかそんな面倒な仕事したくないんでという押し付けである。
大雑把なパワーバランスは「小領主≦大領主≦元老院≒皇帝<憲法<帝都の暴力」。
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