第三話 インタビュー

前回のあらすじ


やってきましたブランフロ村。

しかし老人たちからはあまり歓迎されていないようで。






 吟遊詩人の歌うところでは、森の魔女と盾の騎士はいつも二人一組で冒険しているものと相場が決まっているが、実際のところ二人はいつもいつでもべったりというわけではなかった。


 紙月は未来の保護者を自任しているが、その方針はほとんど放任と言っていい。相方であると認めつつも、普段は未来を普通の子ども扱いするし、その子どもの未来が不当な扱いを受けたり、ひどいことを言われようものならばそれこそ「母猫のように」荒ぶるが、日中の多くの時間は別行動している。

 冒険屋の仕事ともなればそれはもちろん二人で行動するが、そうでないときの紙月は事務所で内職に励むか、ふらっと散歩に出ては若者たちの将来を歪ませたりと気ままなものだ。


 未来は未来で、朝からジョギングがてら先代スプロ男爵であるアルビトロ・ステパーノ氏の邸宅を訪い、昼まで稽古を見てもらう。その後は買い食いしたり適当に子供の相手をしたり、時には本屋をのぞいたりもする。事務所に帰っても、本を読んだり軽い柔軟や筋トレに励んだりと、大体のことは一人で済ませてしまうのだ。


 冬場はどうしても寒く、そして肉の薄い紙月は寒さに弱いので、暖炉の前に陣取って未来を湯たんぽにする姿が見られるが、それだって一日のうちのほんの少しだ。


 だから役割分担と称して別行動したところで未来は別にさみしくもなんともないのだが、それはそれとして全然知らない土地で全然知らない人たちにこれからインタビューしてこないといけないと思うと、あまり気楽でもなかった。

 紙月に子ども扱いされるとちょっとむくれる未来だが、こういう時ばかりは都合よく「僕、小学生なんだけどなあ」などとぼやいたりもするのだった。


 まあ不安と緊張ばかりかというとそうでもなく、こうして一人前っぽい仕事を任されると、ちゃんと相棒として見られているんだなと奮起もするのだから、そんな自分に安い男だなと自嘲したりもする。子供と言えば子供だし、ませているといえばませている、そんなお年頃なのだ。


 そんな落ち着かない気持ちのままで、未来は村長屋敷を再び訪れた。

 訪れたが、しかしさっそくどうしたらいいのか未来は立ち尽くした。

 あいさつに来たときは、まさしくあいさつという用件があって、その旨を伝えればよかった。

 しかし今度は、さっきのいまで早々に、しかも付き添いの子ども一人で舞い戻り、具体性もなくざっくりと「村の話」を聞こうというのである。


 村長という村のトップに話を聞きに行こうとするよりも、適当に村を歩いて暇そうな老人にでも聞いたほうがいいだろうか。いやでも暇そうな老人がそんな核心的な情報を持っていたりするだろうか。いやゲームだったらそりゃ村人全員に話しかけたりもするし、思わぬところから情報が出てきたりするけど。いや、でも、いや……。


 未来が雪道でぽつねんとフリーズしかけてきたころに、変化はあった。


「おや。君は芸術家のセンセイの……ひとりでどうかしましたか」


 腰をかがめて目線を合わせてきたのは、柔らかく白い飾り羽が雪に溶け込むような、柔和な天狗ウルカのカンドーであった。第一、第二、第三と別れるブランフロ村の、いちばん山奥にある第三村の村長である。

 西部の高慢で、猛禽の猛々しささえある天狗ウルカに慣れた未来にとって、子供の目線に合わせるカンドーはなんだか不思議に思えてならなかった。

 それによそ者嫌いだと聞いていたが、子どもの未来相手ではそれも出てこないらしい。


「あ……えっと、はじめまして、じゃなくて、えー……改めまして、未来って言います」

「フムン。ミライくんですね。センセイはどうしました」

「紙月は、えー…………創作意欲が抑えられなくなって飛び出しちゃって」

「はあ、芸術家というのはよくわかりませんね。君も大変だ」


 言い訳を何も用意していなかったので、とっさにかなり適当なことを言ってしまったが、カンドーはそれでもそれなりに納得したらしかった。カンドーが特別寛容なのか、それとも芸術家というのは世間的にもそういう奇行をしそうな人種だということなのだろうか。

 ごめん紙月、と未来は脳内でそっと謝った。そしてその直後には、考えてみれば普段から紙月はふらっと出歩くことがあるなと思い直した。たいていはどっかで飲んでるので、芸術家のほうがまだよかったかもしれない。


「子どもの遊ぶようなところもありませんし、君も一人では退屈でしょう。寒いですから、おあがりなさい」

「いいんですか?」

「子どもが遠慮するものじゃあないですよ。私も暇なんですから、じじいの暇つぶしにちょっと付き合ってくださいな」


 柔らかく微笑む性別不詳の美人は、どうやら男性でしかもなかなかに高齢であるらしかった。

 天狗ウルカは本当に、外見から詳細のうかがえない人種である。


 三棟ある村長屋敷の、左端の一棟が、カンドーとその家族が住まう棟であるという。

 客間や応接室などといった来客用の部屋を素通りし、カンドーは暖炉で心地よく暖められた居間に未来をあっさり通してしまった。そこでは揺り椅子に揺られて、美しい天狗ウルカがひとりまどろんでいた。

 カンドーがずりおちた毛布をかけなおしてやる姿に、奥さんだろうかと何となく見ていると、彼は少し照れ臭そうに笑った。


「父です。最近は年のせいか寝てばかりでね」

「えっ」


 未来にからすれば兄弟くらいにしか見えない父親から少し離れたところに椅子とローテーブルを構えて、カンドーはやさしく未来に勧めた。素朴な木製のそれらは、あめ色に年経ていた。


 未来がおずおずと腰を下ろすと、暖炉にかけていた大きなやかんから白湯を注いでくれた。どうやらこのやかんは常にかけっぱなしで、その蒸気で湿度を保っているらしかった。

 白湯を受け取ると、木のカップ越しのぬくもりに指先がじんわりと温まるのを感じた。思ったよりも、指先は冷え切っていたらしい。


「ありがとうございます」

「君は礼儀正しい子だね。村の子供も、もう少しかしこいといいのですが」


 どうこたえるのが正解かわからず、未来はあいまいにほほ笑んだ。


 暇をしていたというカンドーの言は正直なところだったらしく、この若々しい老人は未来にあれこれ尋ねた。どこから来たのか。芸術家のセンセイとの関係は。この村はどうだろうか。もごもごと口ごもりながらも、きちんと筋道を立ててしゃべろうとする未来に、カンドーは感心したようだった。


 インタビューに来たはずが、自分のことばかり喋ってしまった。未来はなにかいいきっかけになるようなものはないだろうかと苦し紛れに室内を見回す。暖炉の明かりに照らされた薄暗い室内。静かな寝息を立てるカンドーの若く美しい父親。湯気を上げるやかん。木彫りの熊木菟ウルソストリゴ。なにか、なにかないか。


「あれ……?」

「うん? どうしました」

「これ……絵ですか?」

「ああ、暖炉の火だけでは、見づらいかな」


 薄明りのなか、壁になにか模様が、と気づいて目を凝らしてみれば、壁一面に大きな油絵がかけられているようだった。

 カンドーがろうそくに火をともして掲げてみれば、その全体像がぼんやりと浮かび上がってくる。

 全体的に広がる緑色は、葉っぱの色だ。鮮やかな緑の葉が、絵の全体を占めている。

 その合間合間に、農業従事者たちと思われる姿が見え隠れし、何かしら世話をしているらしかった。


「これは……?」

葡萄ヴィンベーロ畑だよ。第三村で、私たちが育てているんです」

葡萄ヴィンベーロ? 雪国でも、育つんですか?」

「育てたんですよ。頑張ってね」


 カンドーの声には、確かな自負がこもっていた。

 葡萄ヴィンベーロは、地球で言えばぶどうのことだ。もともとブランフロ村のあたりにも、野ぶどうや山ぶどうは自生していたらしい。

 第三村はそういった果実などの山の恵みを管理し採取していたのだが、山ぶどうが自然に生えているのだから、葡萄ヴィンベーロ作りだってできなくはなかろうとカンドーの父が果樹栽培を始めたのだそうだった。


 最初は失敗ばかりだったが、高価な農学書を買い求めたり、何年もよく観察を重ねることで、カンドーの代にはある程度安定して収穫できるようになり、葡萄酒ヴィーノの醸造も手掛けるようになったのだった。


「この絵もね、悪趣味だとか成金だとか言われましたが、父が画家を呼んで描かせたんです。ほら、ここで偉そうにしてるのが父です」

「あ、じゃあ隣はカンドーさん?」

「ええ、このころはまだ若いですね」


 未来には違いがわからないが、絵はそれなりに年季が入っているらしいことを思うと、カンドーが若いころに描かれたのは確からしい。


「これは夏ごろですね。ごらんなさい、緑のひもがあちこちに結ばれているでしょう。葡萄守ヴィンガルディストを真似てるんです」

「ヴィン……?」

「蛇です。ほら、このあたり……この緑の蛇です。葡萄ヴィンベーロをつまみますが、それ以上に害鳥や害獣を食べてくれるんです」

「果物を食べる蛇がいるんですか……!?」

「ええ、ええ、たまにしれっとやってきてね、卵でも飲むように一粒パクっとくわえて飲み込んでいくんです。こちらでは間引きをしていますね。葡萄ヴィンベーロ棚が低いので、みんな腰をかがめてもぐりこんで、つぼみや粒を間引くんです。そうすると、栄養が少ない果実に集まってよく育つんです」

「立って作業できるように、棚は高くしないんですか?」

「いい質問です」


 最初は、葡萄ヴィンベーロ棚は高く作っていたそうだ。しかし雪が積もってくると、重みで棚が壊れてしまう。葡萄ヴィンベーロの木も折れてしまう。毎日雪を払ってやった木も、なんと寒さのあまり凍ってダメになってしまう。

 ところが翌年、春になってみると雪の下から無事に生きている葡萄ヴィンベーロの木が見つかった。それは植え付けが悪くて、斜めに低く伸びてしまったものだった。

 カンドーの父がそれに気づいて、ブドウの木を斜めに植えてみることにした。棚も低い位置に作ることにした。それでも雪が積もると棚は壊れてしまったが、雪の下にすっぽり埋まってしまった木は、雪解けになれば緑の葉を出してくるのである。


「雪に埋まっちゃったほうが元気だったんですか?」

「ええ。雪国で育っていないと不思議に思うかもしれませんがね、雪の中はあったかいんですよ」

「ええ……? あっ、越冬野菜みたいなことですか?」

「君は賢いですね」


 以前、未来は雪の下に埋めておいた野菜を温泉宿で食べさせてもらったことがあった。これは保存がきくだけでなく、野菜が寒さに耐えようと糖度を高めるため、甘くておいしい。その時に知ったのだが、雪は意外にも熱を通さないようにできていて、外が氷点下の恐ろしい寒さであっても、雪の中は氷の温度よりも低くなることがないのだという。


 葡萄ヴィンベーロの木もそのようにして、雪の下で越冬するのだという。いまでは棚も冬になれば解体して外してしまい、木を地面に寝かせて雪の下に眠らせるのだという。

 その作業は一苦労だが、しかし寒さは悪いことばかりでなく、収穫の時期を少しずらすと面白い葡萄酒ヴィーノもできるという。


「まだ安定はしていないんですがね。冬に入って、雪が本格化する前に、うまく冷え込むと、葡萄ヴィンベーロが凍るんです。凍ると水分が抜けて、甘みが残る。この葡萄ヴィンベーロを収穫して酒にすると、驚くほど甘くおいしい葡萄酒ヴィーノができるんです。水分が抜けただけ、とれる量は減りますがね」


 氷葡萄酒グラツィヴィーノと彼が呼ぶそれは、毎年小さな樽に一つ作れるかどうかという量しか取れないのだという。しかしこれがもっと安定してつくれるようになれば名産になると、カンドーは葡萄ヴィンベーロ畑の改良を続けているのだという。


 カンドーは葡萄ヴィンベーロ畑について大いに語り、それから、君はまだ子供だから飲ませられないのが残念だと言って、葡萄酒ヴィーノのかわりに干し葡萄ヴィンベーロを土産にくれた。

 驚くほど濃厚でねっとりとした甘さがして、アルコールは含まれていないはずなのに、たくさん食べると酔ってしまいそうだった。


「うん? なんだい、さっきのおちびじゃないか」

「おやナガーソ。また葡萄酒ヴィーノですか。医者が飲みすぎじゃ笑えませんよ」

「医者だから飲むんだよ。酒は百薬の長だ」

「飲んだくれてないで、たまには医者のセンセイらしくなさい」


 このおばちゃんも暇してますから付き合ってあげてください、などとのたまって、カンドーは未来を押し出した。

 ああん、とガラの悪い声を上げるナガーソに、カンドーはどこ吹く風でしれっとしたものだ。見た目は逆なのだが、カンドーからすればナガーソはまだ小娘なのかもしれない。


 隣の棟、つまり村長屋敷の三棟のうち真ん中の棟に、ナガーソは居を構えていた。

 渡り廊下を抜けてついていくと、なんだかナガーソの棟では不思議な香りに切り替わった。カンドーの棟はどこか甘いような葡萄ヴィンベーロのにおいがしたものだが、こちらはなんというか、すっとした清涼感のある香りや、ピリリとした香り、アルコール臭いにおいもする。

 気になった未来が鼻を引くつかせると、でそれに気づいたナガーソは鼻で笑った。


「薬臭いだろう。子どもにはちょいと嫌な臭いかもね」

「不思議なにおいはします……でも嫌いじゃない、かも」

「へえ?」


 ずいぶんむかし、と言っても未来の年齢だから数年前のことだが、祖父母の家にいったときのことを、ふと思い出した。畳にしみ込んだ線香のにおいや、タンスの防虫剤のにおい、蒸し暑い風にまじる蚊取り線香、縁側でかいだ土のにおいと、木々のにおい……。

 においと記憶は不思議なものだ。ナガーソの家に染み付いた多種多様な薬草の香りは、全然違うものであるはずなのに、その中にほんの一筋、未来のふところの深いところで眠っていた思い出を、不思議に思い起こさせる香りがあった。


 ナガーソの居間は、カンドーのそれと比べると手狭だった。

 いや、間取りで言えば同じようなものなのだろうが、とにかく物があって雑然としていて、狭く感じるのだった。壁には棚が据えられ、たくさんの引き出しや、瓶詰の薬草や鉱物が並んでいた。天井からも様々なものがつるされていて、丈の長い草や花が干されていたり、不思議植物が根を張る鉢がぶら下がっていたりもした。

 まるで魔女の家みたいだ、と未来はなんとなく思った。古いおとぎ話の中の、橙色の火に照らされた物語の魔女の家。


 その家の主であるナガーソは、まさしく物語の魔女のごとく、暖炉にかけた鍋をおたまで軽くかき混ぜていた。そして中に入ったなにやら赤い液体を木のカップに注いで、未来に渡してくる。

 なんだろうとおずおず受け取ってみれば、ふわりと立ち上るのは、ぴりりとしたスパイスの香りに、甘いブドウの香り。


温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノだよ。酒精はもう抜けてるから、気にせずお飲み」


 ホットワインだ。以前、未来もお祭りの時に飲んだことがあった。

 適当なところに座れ、と言われて、未来は何とか椅子を発掘して腰を下ろした。

 火傷しないようにさましながら口をつけた温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノは、以前飲んだものと比べて、驚くほど複雑で不思議な香りがした。そして煮詰まったためか、驚くほど甘い。

 未来が目をしばたたかせると、ナガーソはちょっと笑った。


「子どもにゃちょいと刺激的かもね」

「前に飲んだのよりすごく香りがよくて……なにが入ってるんですか?」

「さあ、なんだったか……そこらのものを、思い付きで入れたからね。まあ体に悪いもんは入ってないよ」


 ちょっと不安になるようなことをしれっとのたまって、ナガーソは積み上げた本にどっかりと腰を下ろした。


「妻がいたころは、あいつがいつも丁寧にいれてくれたもんだがね。自分一人だと適当なものさ」


 土蜘蛛ロンガクルルロは性的二形が著しい。往々にして女性は大きく力強く、男性は小柄で繊細だ。

 彼女らの社会では男性の配偶者はもっぱら妻と呼ばれ、家のことを受け持つのが土蜘蛛ロンガクルルロ流だ。土蜘蛛ロンガクルルロ男性も手仕事を好むけれど、結婚すると女性は過保護になり、あまり手を怪我するようなことはさせないようにするらしい。

 ナガーソは妻を思ってか、寂しげに息をついた。


「あいつ、寒いからって東部に旅行に行っててな」

「あ、お元気なんですね」

「元気も元気だよ。あたしより元気だ。帳面何冊かレシピで埋めるまでは帰ってこないだろうね」


 ナガーソの妻は料理が好きで、いろんな地方の料理を覚えてきては、ナガーソに食わせて記録を残しているのだという。薬膳が多いのを見るに、実験体にされてるんじゃなかろうかとナガーソはぼやいた。


「それでなんだい。芸術家のセンセイは子どものお前をほっぽって遊びにいったのかい」

「遊びにってわけじゃないですけど……僕は一人でも大丈夫なので」

「子どもがさかしいことを言うんじゃないよ。そりゃ間抜けより賢いほうがいいけどね、あんまり賢すぎても生意気だけさ」

「ええと、ごめんなさい?」

「フン」


 ナガーソにしてみると、未来はどうも生意気らしかった。

 未来にしてみてもまあ、小学校でよくほかの児童に生意気とは言われたので、わからないでもない話ではあった。あんまり子どもらしくない子どもなんだろうなとは。そういうこまっしゃくれた態度がまた生意気なのだろうが、もはやこれ性分であった。


「あたしの息子も生意気でねえ。いまはもっぱらあいつが村の往診をしてるんだがね、あれやこれや言うことなすこと鼻につくもんさ」

「息子さんもお医者さんなんですね」

「息子もあたしも、あたしの親も医者さ。代々医者だよ。あのバカ息子は、帝都大学に通わせてやったんだがね、それを鼻にかけてんのさ。あいつのお勉強してきたようなことなんざ、あたしらが実地で学んできたことにも及ばないよ。そりゃ地方だから配達も遅れはするがね、医学誌だってあたしゃ購読してるんだから」

「でも、大学出てるってことは、すっごく優秀なんですね。僕のまわりはあんまりそういう人いなくって」

「ああん? まあ、そりゃあね。医者の息子なんだから、そりゃ優秀は優秀さ。現役の医者に教わって、それでダメだったらいよいよ使い物にもならんだろうさ」

「それに、帝都で学んだのに、村に帰ってきて、家を継ごうなんてすごい。僕んとこは、みんな実家には帰りたくないっていうんです。帝都って、いろんなものもあるし、便利でしょう。それでも息子さん、村に帰ってきたんですね」


 医者の家の長子と、農家の三子四子が食い詰めた冒険屋などでは、そもそも比較にもならないのだが、未来はしれっとごっちゃにしてしまった。まず家を継ぐとか実家に戻るとかそういう考え方が、未来にとってはあまり実感の持てない世界なのだ。

 それでも、不便な地元に戻ろうというのは郷土愛があるのだなというのはわかる。帝都のような便利でなんでもある街を一度経験すると、西部の小さな町であるスプロなどはいかにも田舎で不便に感じる。それどころか、未来はもっと快適で便利な日本で生まれ育ったのだ。その落差はたまに苦痛だ。


 ナガーソはもごもごと何やら言葉を口の中で転がしてから、温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノでそれを飲み下した。


「まあ。そう、まあ、なんだい」

「はい」

「…………自慢の息子ではあるがね」


 ぼそりとつぶやいて、ふく、とナガーソの鼻の穴が膨らんだ。


「まあ、うるさく言っては来るがね、あたしも年だ。往診だってしんどいし、家でおとなしくしてろってのは、わかる話さ。生意気って感じるのも、あたしが老いぼれたってことだろうしね」

「息子さんのこと、かわいいんですね」

「わかったようなこと言うんじゃないよ。……ただまあねえ、もうすこし、子どもでいてほしかったもんだよ」


 ナガーソは少し寂しそうに言って、ごまかすように温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノを勢いよく飲みほした。

 それから、長い四つ腕でがさごそと棚をあさり、ガラスの小瓶をよこしてきた。

 中にはきらきらと緑色にきらめく飴玉がつまっていた。口止め料なのかなんなのか。

 一つつまんで口に放ると、漢方のような不思議な香りと味わいがした。


「うまいか」

「……体によさそうな味はします」


 ナガーソは膝を叩くと、息子と同じことを言うとゲラゲラと笑った。

 そうしてひとしきり笑った後、あたしも暇じゃないから、じいさまに遊んでもらえと、ナガーソは未来を最後の棟に押しやった。


 村長屋敷の最後の棟。

 あいさつに来た時に通された棟であり、ブランフロ村全体の村長であるワドーの住まいだった。


「なんだ小僧。ガキの遊び場じゃあないぞ」

「子ども相手に何です。せっかく遊びに来てくれたんですよ」


 いわおのような顔をますます渋くさせてうなった村長ワドーをたしなめたのは、よく肥えた老女中だった。未来がおずおずと顔を出したところに、まあまあまあまあかわいいお客さんが、と有無を言わさず引っ張ってきた、なんとも押しの強い人である。


 居間の暖炉の火にあたりながら、しげしげと紙月の魔術彫刻を眺めていたこの老人は、事前に聞いていたよそ者嫌いという村人の特徴を大いに代表するようであった。露骨に邪険にされて、むしろ未来はちょっとほっとしたくらいであった。


 老女中は全くかけらほども気にした風もなく、未来に椅子を用意して、すこしくたっとしたクッションもくれた。それに程よく温かい白湯に蜜を垂らしてよこしてくれた。そのすべては鼻歌でも歌いだしそうなほどにこやかであり、不機嫌そうなワドーと何から何まで対照的である。


 なんだかんだ子ども相手にはいろいろと甘かったカンドーとナガーソとは違い、ワドーは未来にちらとも視線をよこさず、手元の魔術彫刻をじっくりと検めていた。


 素材は水精晶アクヴォクリスタロだ。ある種の魔力を注ぐか、少量の水を呼び水として与えてやると、産出地に応じた性質の水を生み出すものだ。これであれば、『せせらぎ』として売られているもので、程よく冷たく、わずかに甘い小川の水がこぼれる。

 それは結局生水なのでは、と小学校で習った「川の水は飲んではいけません」という程度の知識を思い出しもしたが、水精晶アクヴォクリスタロが生み出すのはあくまで水だけだという。ミネラルは含むが、寄生虫などの生き物は含まない。都合がいいというか、なんというか。


 この素材自体は、実はたいしたものではない。石売りが雑に箱に詰めて売って回るような、質のよろしくない安物と言っていい。たくさん採れるとか、たいして水が出ないとか、形が悪いとか、理由は様々だ。


 しかし、加工技術は尋常ではない。それは外側が磨かれていることだけでなく、という事実である。

 レーザー彫刻というものを知識としては知っている未来でさえすごいことをしているなと漠然と思うほどなのである。長年氷精晶グラツィクリスタロを扱い、村長として様々に見聞きしてきたワドーでさえ、こんな珍妙な品は見たことがない。土蜘蛛ロンガクルルロの細工物でさえ、石の内側に加工したものなどありはしない。


「なんだこの変態技術は」

「変態技術」

「お前んとこのセンセイは、頭がおかしいのか」

「そんなにはおかしくないです」

「そんなには」


 ワドーは魔術彫刻を、カップの白湯に軽く浸して持ち上げた。

 未来にはそれがどういう原理で理屈なのかよくわかっていないのだが、水に触れた水精晶アクヴォクリスタロは染み出すようにさらさらと水を吐き出す。そういうものなのだ。

 水の中で産出されるらしいのだが、なぜかその水中では水を吐き出さない。自然現象の余剰エネルギーが結晶化したものとか何とかいう代物であり、周囲にそのエネルギーが満ちている環境では外圧が強いために水を吐かない、んだと思う、多分、そんな感じじゃねえかなあ、と紙月もふわっとした理解だった。

 ともあれ、水に触れて反応し、水を吐きだしたということは、これは偽物ではなくちゃんと水精晶アクヴォクリスタロだということの証明でもある。


 めつすがめつその様子を眺めて、指で触れて水の味も見て、ワドーは黙り込んだ。黙り込んで、水の止まった魔術彫刻を雑に卓に放った。漏れ出たため息は、あきらめか、困惑か、それとも老体にはこたえる珍妙な物体に対応する疲労か。


「えっと……」

「話すことはない」


 ぴしゃり、と音がしそうだった。

 ワドーは目も合わせない。


「お前んとこのセンセイが、氷精晶グラツィクリスタロが欲しいというんなら、村の備蓄を融通してもいい。だが売り物になるようなもんは、子爵に売っちまっている。山も荒させん」


 だからあきらめろ、さっさと帰れ。ワドーは巌のような顔でそれだけ一方的に告げた。

 これがよそ者嫌いというやつだろうか、と未来は少し考えた。

 カンドーやナガーソは、いろいろと喋ってくれたが、あれは紙月の目論見通り子どもの未来が相手だったからだろう。それに、話す内容も大したものではなかった。差しさわりのないことばかりだった。

 果たしてワドーのかたくなさは、単なるよそ者嫌いだろうか。よそ者を嫌うにも理由があるだろうから、単なるなどと矮小化していいものでもなかろうが、しかし感情的なものばかりが理由なのだろうか。


 あるいは秘密を隠しているがために、その露見を恐れているのではないか……などということを未来は軽く考えて、それからぺいっと明後日のほうへ投げ捨てた。

 未来にはそういうのはわからない。誰かの秘密を暴いたり、気持ちを察したりというのはどちらかと言えば紙月のほうが得意だ。未来からすると、まである。


 かたくなに隠していることを探ろうとしたところで、一層深いところに隠しなおされるだけだ。

 なので未来のスタンスはいままでと同様、興味のあることを素直に聞くことだけである。


氷精晶グラツィクリスタロってどんなのですか?」

「あア? お前、知らないで探しに来たのか」

「探してるのは紙月で、僕はまだ見たことないです」

「ものを知らんガキだな」


 ワドーは未来の顔をまじまじと見つめて、それからのっそりと立ち上がった。棚に飾ってあった水晶のようなものを手に取り、無造作に未来に押し付けてくる。

 両手で受け取ったそれは、大人のこぶしより一回りくらい大きく、ずっしりとした重さがあった。少し白みがかったガラスのような色合いで、肌にひんやりと感じられた。


「思ったより冷たくないんですね」

「本当にものを知らんな」


 ワドーはあきれたように言って、がさついた声で教えてくれた。

 氷精晶グラツィクリスタロは、氷とは言うが実際には冬の寒さをため込んだ冷気の結晶だ。水精晶アクヴォクリスタロが水を生むように、氷精晶グラツィクリスタロは冷気を吐き出す。

 水精晶アクヴォクリスタロが普段は安定していて、呼び水を与えられたときにはじめて水を生み出すように、氷精晶グラツィクリスタロもまた雪や氷の冷気に触れたときに反応するのだ。

 そしてまた、水精晶アクヴォクリスタロが自然の水の中に沈んでいるときは安定していて水を生み出さないように、氷精晶グラツィクリスタロも冬の寒さの中でさらに冷気を吐き出すことは、普通はない。


 氷精晶グラツィクリスタロを用いた氷室や冷蔵庫は、断熱密閉した容器の中に氷精晶グラツィクリスタロを詰め、雪や氷、またすでに冷気を発している氷精晶グラツィクリスタロを加えたり、また魔力を加えて励起状態にするのだという。

 冷気を吐き続けて、だんだんと弱まってきたら、新しい氷精晶グラツィクリスタロを詰める。すると、弱い冷気に感応して、氷精晶グラツィクリスタロはまた冷気を吐き出す。このように安定して冷えるのだとか。


水精晶アクヴォクリスタロが水の中で採れるなら、氷精晶グラツィクリスタロは雪に埋まってるんですか?」

「雪の下やら、氷柱つららやら、よく冷えた洞窟の中やら、いろいろだ。万年雪の下に、でかい鉱床が眠っていることもある」

「見た目は氷みたいなのに、区別できるんですか?」

「色味が違う」

「僕、市場とかで見たことないんですけど、たくさん採れるんですか?」

「たくさんもたくさんだ。俺らは子爵に卸しているが、子爵はそれを帝国中に売りさばいとる」


 氷精晶グラツィクリスタロが採れるのはブランフロ村だけでなく、相当量が毎年取引されているが、そもそもそれを使用する冷蔵庫や冷房器具は一般家庭に普及していないので、未来が見たことがないのも道理である。

 店舗の大型冷蔵庫や、冷蔵車持ちの運送業、貴族の邸宅でもなければ見られないだろう。


 未来がまじまじと氷精晶グラツィクリスタロを眺めていると、老女中が焼き菓子を持ってきてくれた。飾り気のない円いクッキーで、表面もどこか、ごつごつとしている。

 礼を言ってかじってみれば、少しぼそぼそとしていて、口の中の水分を遠慮なしにもっていく。


「うまいか」

「えー、と」

「うまいわけがあるかこんなもん」

「えぇ……」


 ワドーはクッキーをつまんでバリバリと咀嚼し、渋い顔で飲み下した。

 未来は遠慮して口には出さなかったが、実際、手放しでおいしいといえるものではなかった。

 バターなどの油脂をあまり使っていないのか口当たりは悪いし、砂糖なども乏しいのか甘みも弱い。栗のような香りが、するような、しないような気はする。無心でぼりぼりかじっていると、わずかながら苦みも感じられる。焦げた苦さではない。素材由来の苦みだ。


馬栗ヒポカシュターノだ。甘みもない。渋みやえぐみがひどく、毒さえある」

「毒!?」

「これは毒も渋も抜いてある。二か月、三か月とかけてようやくな。ひどく手間がかかる割に、うまくもない。都会もんの小僧にはわからんだろうな、こんなもんを食う俺らのことは」


 いわば救荒作なのだ、馬栗ヒポカシュターノとは。

 本来主食とする作物の実りが悪い時に、かさましとして食いつなぐための、一時しのぎの食糧。

 だがブランフロ村では、それが常態化していた。作物の実りが悪いなどというのは、いつものことだった。


「傾斜のきつい山間の村だ。いまあるささやかな段々畑を整地するのにさえ、何代もかかった。寒さや雪に耐える作物を品種改良するのに、さらにかかった。こんなくそまずい馬栗ヒポカシュターノさえ、わざわざ植林して増やさにゃならんかった」


 そしてそれらはすべて、誰の助けもなく、何の後ろ盾もない無力な人々から始まった。

 流浪の民だった始祖は、長い旅の果てに一筋の川の流れに頼って村を起こした。百人ばかりの雑多な人々は、冬の寒さに凍え、雪崩に押し流され、飢えにあえぎ、獣と争い、病に倒れ、それでも生き抜いて開拓を続け、ここまでやってきた。

 何も持たず、何者でなかった人々が、この地を我が家と定めて、一つ屋根の下で今日までやってきた。


「子爵家なんぞは、あとからやってきた新参者のよそ者にすぎん。氷精晶グラツィクリスタロに目を付けた利にさといやつばらだが、役には立つのでつるんでいるだけだ」


 その自負たるや、いかほどのものであろうか。

 思えば、未来には甘い対応をしてくれたカンドーも、ナガーソも、どちらも村に対しての感情は強いものがあった。

 カンドーは難しい土地で育て上げた葡萄ヴィンベーロ畑を誇り、ナガーソは最新の医術を学びながらも村から出ようとはしない。


 だからこそのよそ者嫌いなのか、と未来は思った。

 金は欲しい。強い作物も欲しい。便利な道具も欲しい。使える知識も欲しい。娯楽となる人や物も欲しい。

 だがそれらは、あくまでも必要だからだ。この村に必要だからだ。村を守り、存続させていくのに、どうしても必要だから、仕方ないから。

 あくまでも、この村がすべてなのだ。村のためだからなのだ。

 しかし、それ以上は、、と。

 自ら血と汗とをもって開拓してきた村が、よそ者に介入されたり、よその事情に左右されたり、そういうのはのだ、と。


 けれどその意地も世代を経るごとに薄まり、若者たちは都会にあこがれ、村への執着も弱まりつつある。

 そのことがさらに老人たちをかたくなにさせているのかもしれなかった。


「っていう感じだと思うけど、あんまり役立つ情報でもない、かな」


 肝心の氷精晶グラツィクリスタロの事情に関しては触れることもできないままだった。

 干し葡萄ヴィンベーロに飴玉に馬栗ヒポカシュターノのクッキーとたくさんのお土産を抱えて出てきた未来だったが、荷物とは裏腹に得られた情報はわずかだ。


 まあでも、僕はそういうスキル持ちじゃないんだし、と誰にともなく言い訳しながら歩いていると、閑静な村には似つかわしくないにぎやかな声が聞こえてくる。

 姿も見ないうちから、未来はなんとなく察して、なんとなく生ぬるい目つきになるのであった。






用語解説


・アルビトロ・ステパーノ


葡萄守ヴィンガルディスト(Vingardisto)

 ブドウモリ。鮮やかな緑色の体色をした蛇。

 葡萄ヴィンベーロの木周辺を住処としてよく見られる。

 季節になると葡萄ヴィンベーロを食べるが、少量で満足する。

 熟すまでの間は、葡萄ヴィンベーロの木にやってくる害鳥や害獣、また害虫も捕食するため、葡萄ヴィンベーロ農家には重宝される。

 果実が熟すと害獣退治はあまりしてくれないが、代わりにこの蛇を模したひもなどを吊るしておくと被害が減る。

 葡萄ヴィンベーロの香りに引き寄せられるとされ、葡萄酒ヴィーノなどを栓が開いた状態で近くに置いておくと、もぐりこんで中で泥酔して溺死してしまうという。

 昔話などにも、葡萄酒ヴィーノに酔っぱらって捕まった悪蛇が、葡萄ヴィンベーロの番人をするから許してくれと乞うた話が残っている。

 なお、葡萄ヴィンベーロを腹に詰めた葡萄守ヴィンガルディスト葡萄酒ヴィーノに沈め、皮をはいで串にさして焼く料理が伝わっていたりもする。


氷葡萄酒グラツィヴィーノ

 アイスワイン。

 樹上で氷結した果実を利用した葡萄酒ヴィーノ

 水分が少ないため量は取れないが、糖分が凝縮しており非常に甘く濃厚。

 自然に発生する条件が厳しいこともあり、希少で高価。


・あまり手を怪我するようなことはさせないようにする

 土蜘蛛ロンガクルルロ男性の指先は、詳細は省くが生殖器官としての機能を有しており、お大事なのである。



馬栗ヒポカシュターノ(hipokaŝtano)

 ウマグリ。

 渋み、えぐみが非常に強く、毒性さえある。

 栗のような香りがややするものの、甘みはほぼない。

 しかし水にさらしたり灰と煮たりと非常に時間と手間をかけて渋抜きすると一応食べられる。

 きっちり渋抜きすると香りもなくなるが、香りを残すと渋くて苦いという困ったちゃん。

 保存は聞くし、一応でんぷん質はあるので、かさましとして救荒作物にされる。

 ブランフロ村では雪崩対処もかねて多く植林しており、今もちゃんと収穫して保存食としている。

 よその土地でも、税として麦などをごっそり取っていっても、馬栗ヒポカシュターノだけは悪辣な領主も奪わない、奪ってはならないとされ、不作の折に馬栗ヒポカシュターノまでも取り上げようとした領主の首が柱につるされたという馬栗ヒポカシュターノ一揆の話は各地に残る。

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