第九話 鉄暖炉

前回のあらすじ


お猿との入浴を楽しんだ二人。

入浴中の飲酒は危険なので控えよう。






 温泉から上がり、床暖房があるとはいえそれでも肌寒い廊下をできるだけ急いで、通された部屋はよくよく暖められていた。

 ひんやりした廊下から戸をくぐると、途端にもわっと感じられるくらいのぬくもりが浴びせかけられて、一瞬不意を打たれたような気持ちであった。


 通された部屋はベッドが二台並び、衣装ダンスが一つ、それに化粧台があるといった程度の、造りとしては小ぢんまりとしたものだったが、熱を逃がさぬがっしりとした造りもあって、この雪国にあっても暖かい室内を実現していた。


 そして紙月が驚いたのは、鋳物の薪ストーブが部屋に置かれていたことである。煙突が天井に伸び、手工事なのだろう、少し粗さの目立つ石膏仕事で、先端が恐らく外まで伸びていた。


「ほう。ストーブがあるとはな」

「そう言えば、初めて見るね」


 この世界はこの世界なりに、時に元の世界よりも発達しているのではないかと思えるような道具もちらほらと見受けられたが、それでも基本的には中近代くらいの文明程度と紙月は思っていた。

 この頃の欧州と言えば暖炉がもっぱらで、ストーブというものは割と近代になってからの発明であった。


「ああ、お客さん、鉄暖炉ストーヴォをご存じだか」


 案内してくれたおかみが言うには、帝都から発信され始めている暖房器具で、暖炉より小さいが暖炉より暖かく、煙突さえ通せればこうして部屋にも置けるので、便利であるという。

 これはイェティオが稼いだうちから一台ずつ購入しては送ってくれたもので、上等の部屋には皆設置してあるという。


「薪代がかさむと思ったけんど、暖炉より安上がりでねえ、火精晶ファヰロクリスタロ仕込みで、火もよく持つんですだ」


 どうやらただの鋳物ではないようだが、見た目からではちょっと判断がつかない。

 判断はつかないが、とにかく暖かいのはありがたいことである。

 精霊と親しいハイエルフの目を持つ紙月ならばある程度見通せるものもあっただろうが、正直ぬくもりに負けてそれどころではない


 冬場にこんなにも暖かい宿はまずうちくらいだというのが、《根雪の枕亭》のささやかな自慢だった。

 大抵の宿は大広間や要所にこそ暖炉はあるが、各部屋に設置型の暖房器具を置くことなど難しく、《根雪の枕亭》でも以前は、行火ヴァルミギロ湯湯婆ヴァルマクヴヨといったちょっとした暖房器具で耐えてもらっていたという。


 これらは要するに懐に抱えたり足元に置いたりして暖を取るもののようで、朝までまあ温もっていればいい方で、とてもぬくぬくと過ごせるようなものではなかったという。


 おかみが去って、二人はもそもそと寝間着に着替えたが、いくらストーブで温まっているとはいえ、雪国の寒さにはなれていない二人である。

 上からいくつも厚着をして、それでようやく落ち着いたくらいで、ストーブから離れると、やはり、肌寒い。


 ひんやりと冷たいベッドにもぐりこんだが、これが温まるまでの間が、辛い。

 未来などは、獣人種の特徴なのか、生命力バイタリティに極振りしているためか、もともとの体温が高めなので、それほど辛くはない。


 しかしハイエルフの紙月は、どうにもそのように強靭にできていないのである。

 もとよりステータスは魔法能力にばかり振っているから、耐久力たるや濡れた障子紙とそう変わらない。

 レベル九十九という高みにあるから何とかやっていけているが、これでレベル帯が他の冒険屋と同じだったら、子供に体当たりされても悶絶するレベルである。

 《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》などと呼ばれる面子は、ステータス的にもプレイヤーのメンタル的にも、どこかしらそう言う欠点を抱え込んでいるものである。


 さすがにこれはまずいと思って、魔法の鍛錬ついでにちょっとした身体トレーニングも続けている紙月であるが、何しろ元の体がハイエルフのものである。

 《エンズビル・オンライン》の設定において、ハイエルフは魔法に関して最高峰の適性を持つが、身体能力はからっきしなのである。

 それが反映されたかのように、紙月の体は強化なしで動き回ればすぐに筋肉痛になったし、日差しにあたれば赤く焼けたし、いまも脂肪が薄すぎて寒さにまるで耐えられていないのである。


 ゲームとしてプレイしているときは、精々攻撃を食らったら怖いなという程度のもので、それも死ななければ安いという程度のものでしかなかった。

 しかしこうして実際にそのハイエルフの体になってみると、いくらなんでもこの体で冒険者プレイヤーやるのは無理だろう、とゲーム内バランスに突っ込みを入れざるを得ない。

 いま紙月が冒険屋をやっていられるのは、未来という優れた前衛があり、あんまり動かなくても魔法でどうにかできるという環境に依存しているに過ぎないのだ。


 最初の内こそ、元の体の頃に意識が引きずられて、無理をしたり、日差しにも平気で肌をさらしたりしたものだが、いまとなってはとても考えられない愚行である。無理をしてもいいことなど何一つなく、むしろ被害が増えるだけなのだ。


 まして自分には、未来という頼れる相棒がいるのである。


 そう思いたつや、紙月はベッドから抜け出した。


「ん……紙月、どうしたの」

「寒い」

「そりゃあ、寒いけど」

「ので、俺、一緒、寝る、いいか」

「なぜ片言」

「寒い」


 未来は少しのあいだ、ストーブの火に照らされた紙月の青白い顔を眺めて、仕方なしに頷いた。

 普段であれば照れや恥ずかしさ、ある種の緊張などが未来をためらわせただろうだが、ぶっちゃけた話、がちがちと奥歯を鳴らしそうに身を縮こまらせるいまの紙月の姿には魅力よりも憐憫しか感じなかったのである。


 分厚い布団にもぐりこんでくるや、熱を求めて紙月は未来をかき抱いたが、そのしぐさには色気も減ったくれもない。ひたすらに必死である。それがまた未来には憐れだった。


「うう……ごめんな。この年で一緒に寝るなんて、恥ずかしいだろ」

「いいよ。僕も寒かったし」


 それに、恥ずかしいというよりは、未来が紙月を見るような目では、紙月は未来を見てくれていないんだなあという、余りにも当たり前な事実が、ちょっと情けなかったのである。


 それでも寒かったし、お互いに暖を求めていたのは事実で、雪国の一室はすぐに静かな寝息に沈むのだった。






用語解説


鉄暖炉ストーヴォ

 恐らく錬三が製造を始めたもの。

 いわゆる薪ストーブだが、鉄に火精晶ファヰロクリスタロを練りこんでいたり、我々の世界のストーブとは造りが違うようだ。

 暖炉よりも熱効率が良く、帝都を中心に売れ行きは良いという。


行火ヴァルミギロ(varmigilo)

 あんか。金属または陶器製の容器の中に、豆炭や火精晶ファヰロクリスタロを仕込んだもの。

 布などで巻いて抱いたり足元に置いたりして暖を取る暖房器具の一種。


湯湯婆ヴァルマクヴヨ(varmakvujo)

 ゆたんぽ。金属や陶器製の容器に熱湯を注ぎ、布などで巻いて暖を取る暖房器具の一種。

 体温と熱均衡を起こし、翌朝でもぬるい状態なので、顔を洗ったりに用いることもあったという。


・死ななければ安い

 元来「いつでも死が見えているのだから、生きているだけで儲けものとしよう」という意味合いであったが、今では「まだ死んではいないのだから、生きている限りは逆転のチャンスがきっとある」というポジティブな意味合いも持つという。

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