第十話 昼飯
前回のあらすじ
衛藤未来の貴重な拒絶シーンであった。
頼む、お願いだ、後生だからというクリスの必死の頼みを知ったことかと振り払って、未来は
そりゃあ、確かに紙月は奇麗だし素敵だしとても頼りになる。でもだからと言ってそれが大衆に手を振るアイドルのような存在になってほしいという訳では全然ないのだ。
ひっそりと隠者のように過ごして欲しいという訳でもないが、殊更目立ってほしくもない。
今更だとは思うし、自分勝手な独占欲だというのも理解はしていたが、理解と納得は別物だった。
未来はどんなに背伸びしても子供だったし、自分が子供であるということを独占欲の理由にすることにまったく遠慮がなかった。
そうだ。自分は子供だ。だから紙月を独り占めしたい。それの何が悪い、と。
そのこざかしい考え方は全く子供であるとは言い切れないものだったが、かといって大人でもない、曖昧な時期のものだった。
良くも悪くもたくましく成長しつつある未来少年は、それはともかくとして腹が減るのは仕方のないことだった。
大人だろうと子供だろうと腹は減る。
ましてや育ちざかりのお子様である。そんなに食べるの、というくらい食べる。
特にこのゲームキャラクターの体は、以前より物を食うようになったという風に感じていた。
超常の力を扱うがゆえに燃費がよろしくないのか、それとも獣人という種族がもとより大食いなのか、はたまた様々なストレスから解放された新しい世界で欲望に溺れ始めているのか。
まあそのあたりは未来にとってはどうでもいいことである。
大事なのは今腹が減っているということだ。
事務所に戻れば厨房に何かしらの材料はあるが、それを調理するには厨房がいささか子供向けではない。わざわざ自分の食事の準備のために他人に手伝ってもらうのも気が引ける。
ではどこかの店に入って食べるかというと、これは難しかった。何しろ未来は成人前の子供である。身なりこそ上等なものだが、いくらなんでも子供が一人で店に入って食事をとるというのは無理がある。
親御さんはどうしたのから始まる問答が煩わしくて仕方がない。
そうなると、まあいつもの手段しかないか。
未来は馴染みの小道を進んで、市へ向かった。
スプロのような小さな町でも、市は毎日のように開かれる。
近隣の村々から売り買いに来る者もいるし、旅商人が品々を広げることもあるし、しっかりした店舗を持つほどの余裕のない者たちが露店を出すこともある。
そしてそう言った賑わいの中には、人々の胃袋を商売相手にする店も並ぶ。
何かを焼く香ばしい匂い、煮込み鍋から立ち上るかぐわしい湯気、秋に入ってよくよく熟れた果物をその場で切り分けてくれる店もあった。
どんなに気が滅入ったものでも露店巡りをすれば胃袋の方から起き出してくるというほど、屋台飯は魅力にあふれていた。
地方によっても特色はあふれ、例えば南部の市ではやはり魚介を出す店が多く、中にはなんと刺し身を出す店もあった。
未来も紙月も喜んでいただこうとしたけれど、ハキロとムスコロのいわゆる常識人枠がこぞって腹を下すと恐れおののいたので、あんまり可哀そうなのでやめたのだった。
刺し身が普通に並ぶ南部でも好き嫌いはあるというから、魚介と言えば川魚といった程度の西部人には衝撃が大きすぎたのだ。
帝都では冷凍車を活用した輸送によって新鮮な魚介が食べられる店もあったので、今度こそはと挑戦しようと思ったのだが、あまりの高価さに、さすがに気がなえてやめた。
それなりに小金持ちである《
西部の市にはさすがに魚介は並ばない。川魚も珍しいくらいだ。だから干し魚や開きを炙ったものなどはある種の珍味として、そこそこの値ではあるものの売れ行きは良い。
紙月もたまに酒の肴に食べるが、何しろハイエルフというものは胃袋が小さくてそんなにものを食べられないので、いつも一尾丸々は食べ切れず、残りは未来に回ってくる。
未来としてはさほどうまいとも思わないし、小骨が面倒だし、最終的には面倒になって、獣人の顎と歯の強さに物を言わせてバリバリとやってしまうような類のものだ。それでも食べないと言わないのは、もったいない精神と、男の子心だ。
さて、今日はどうしたものか。
最近栄養のバランスも気になるし野菜の類が欲しいところだが、野菜は、実際、高い。
未来の感覚で十分な量をとろうとすると、どうしてもお高くなる。
では肉が安いと言えば別にそう安い訳でもない。専門の精肉店常にある程度家畜の数を揃えてあるから在庫に困りはしないが、一度さばいてしまえば熟成させる部屋もいるし、熟成を過ぎれば腐っていく一方だ。生き物は、高いのだ。
干し肉となればもっとぐっと安くなるが、長期保存を前提にした塩加減であるから、勿論、さほどうまいものではない。
では何が安いかと言えば穀類やイモ類だ。
この辺りは主食とされているだけあって、安い。
屋台にも、パン、クレープのようなものなどがよく並ぶ。
未来はとりあえず一抱えほどあるパンを一つ買った。普通なら家族で食べる量だろうが、最近の未来はこれでようやく落ち着くくらいだ。
たまに揚げ物の屋台もあるが、西部ではあまり食用油が潤沢ではないらしく、古い油を何度も使っているから、あまりおいしくはない。
ある程度誤魔化しの利く煮込み類は安いが、水分でごまかされている部分が多々ある。
そうなってくると後は串焼きの屋台が、強い。
炭火で焼いた香ばしい香りがまず凶悪だし、トロっとしたタレをかけてさらにあぶると犯罪的な香りがする。
思わずふらふらっと適当な屋台に向かいかけるが、未来にはお気に入りの店がある。
一見したところ他とあまり変わらず、店主もやる気がなさそうなのだが、ここが他よりいくらか安いくせに、味は格段にうまいのだった。
「おじさん、いつもの」
「やあ坊ちゃん。タレ? 塩?」
「半々で」
「よしきた」
串焼きにもいろいろあるが、ここは年経て卵も産めなくなった
老鶏は滋味はあるが硬い。
硬い、はずなのだが、ここの店の肉は不思議と硬くなく、ジューシーだ。
焼いているところはほかの店と変わらないから、仕込みが何か違うのだとは思うが、未来にはわからない。紙月がもしかしてと尋ねたところ、ニヤッと笑顔でおまけしてもらっていたから、紙月は多分知っているのだろう。
また、軟骨とくず肉を細かく刻んで煉り合せた
串に刺してうまいだけでなく、寒くなってきた最近は、鍋でくず野菜とことこと煮込んで暖かい汁ものとしても出している。
未来も気に入ってちょくちょく足を運ぶので、店主の方でも気に入って、「盾の騎士お気に入りの
名乗った覚えはないのだが、わかるものであるらしい。
焼きあがった大皿一杯の
紙月に言わせれば、どこかの店の隠居あたりが趣味でやってるから、あれで潰れないんだとのことである。
立ち食いもあまりはばかられることのない文化圏ではあるが、広場には一応テーブルとイスも用意してあって、大荷物の未来はいつもこの一角で食事を摂ることにしている。
最初こそ子供が一人で、それも随分な大荷物を抱えているものだから何事かと見るものもあったし、その大荷物を砂山でも切り崩すかのようにぱくぱくと平らげていくのには驚くものもあったが、今ではたまに見かける名物として微笑ましく見られている。
勿論、子供一人で物騒だと声をかけるものもあったし、金持ちの子とみてちょっかいを出そうとしたものもあったが、いまはもうあまりない。
というのも、どう見ても堅気ではない風体のムスコロが、通りかかった拍子に下にも置かない扱いをして見せたり、同じように昼飯を食べようとしていた《
自分はなにしろ鎧姿とこの姿で極端に違うから気楽なものだけれど、紙月はもう少し変装でもすればいいのにと未来は常々思っていたが、なかなか難しい問題だった。
腕力でどうとでもできる未来と違って、紙月の場合は装備を剥ぐと弱体化がひどいのである。
未来が守って上げられれば良いが、必ずしも未来がどうこうできる問題ばかりではない。
世の中ままならないと思いながら
串と皿をまとめてちらっとあたりを眺めると、人混みから目ざとく小さな子供が寄ってくる。
未来は皿に小銭をおいて、子供に渡してやった。子供は受け取った皿に硬貨のきらめきを見ると、歯の抜けた口でにかっと笑って、頭を下げて走り去っていった。
串や皿は洗えば再利用できる。とはいえわざわざ店に戻るのも客としては面倒だし、回収しに行くのは店も面倒だ。そこで、ああいう子供たちが回収して店に運んでいくと小銭を駄賃として貰えるという、小遣い稼ぎがある。
小遣い稼ぎと言っても、貧乏人の子供や物乞いの子供にとっては重要な稼ぎの一つだ。
最初こそ戸惑ったものだったが、ムスコロに諭された。
兄さんみたいな人はああいうものを
すっかり納得したわけではないが、少なくとも自分にできることとそうでないことが世の中にはあって、これはそうでないことなのだということだけはわかった。
すっかり腹も満たされて、かえって昼寝でもしたい気分だったが、未来は大きくため息をついてまた秘密基地へと向かった。
あの物乞いの子供たちが、そのまま将来盗賊などに落ちぶれたり、のたれ死ぬ可能性というものを思えば、まだ
用語解説
・トゥクネ
あの盾の騎士様御用達の名物料理。
煮てもよし、焼いてもよし。
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