第四話 歯

前回のあらすじ


ムスコロのメジャーキャラクター入りの裏話であった。










 未来がいたたまれない気持ちで洗濯物を干し終えたころ、事務所への戸が開いて、のっそりと紙月が顔を出した。髪は寝癖がひどく、顔はまだ半分寝入っていて、寝間着だけは気を遣いたいと主張した絹製の上等な寝間着に、野暮ったいはんてんを羽織ったままだった。


「うう……おはようさん」

「おはようごぜえやす」

「おはよう、紙月」


 紙月は寝ぼけた様子でポンプに取り付き、呼び水を注いでからポンプをこいだ。だばだばとあふれる水を桶に受け止めて、これを頭からひっかぶるのが紙月の朝だった。


「うぉおおお、つめたっ!」

「冷たいならやらなきゃいいのに」

「これくらいやらんと目が覚めん」


 そうしてまた水をくんで、顔を洗い、《突風ブロウ・ウインド》を調整してドライヤー代わりに髪を乾かす紙月。肩口を超えてそろそろ胸元まで届きそうな髪を手馴れた様子で結い上げた。貝殻のようにきらきらと虹色に輝くバレッタはゲーム内アイテムだ。髪が伸びてきた最近は便利に使っているようだった。


 改めて水を汲んで、二人は並んで歯を磨き始めた。

 歯磨きに使う歯ブラシもゲーム内アイテムで、《妖精の歯ブラシ》という。《歯》や《牙》といったドロップアイテムがゲーム内通貨に変換されて手に入るというユニークなアイテムだったが、この世界ではその効果はまだ試していない。


 だって獣などから《歯》や《牙》をドロップさせるというのはつまり、倒した後強引に引っこ抜くくらいしか方法がない。いくら殺生に慣れてきたとはいえ、さすがにやりたくない。それで手に入るのが現状使い道のないゲーム内通貨となると、割に合わない。


 そんな曰く付きの歯ブラシで歯を磨いていると、ムスコロが興味深そうに眺めていることに気付いた。


「どうひたの?」

「いやあ、ハイカラなもんを使ってるなと思いやして」


 どういうことかと聞けば、未来たちが使っているようないわゆる歯ブラシ、つまり棒の先に毛をはやした形のものは帝都では流行っているものの、まだまだ地方には出回っていないとのことだった。


 では西部ではどんなものを使っているのかと聞けば、ムスコロも歯を磨くからと道具を見せてくれた。

 房楊枝と言って、木の棒の先端の繊維をほぐして柔らかくし、房状にしたものだった。これで歯を磨くのだという。また人によっては、同じような木の棒に布を巻いたものを使うものもいるのだという。


「房楊枝屋は見かけやすが、歯刷子屋はスプロの町じゃあ見かけやせんなあ」


 そう言えば雑貨屋などでも並んでいるのを見たことがない。

 紙月としては、造りはそう難しいものでもないと思うのだが、やはり職人仕事なのだろうか。それとも文化というものは早々簡単には塗り替えられるものではないということだろうか。


 ムスコロなどは興味深そうに見てくるし、売れば流行ると思うのだが。


 ともあれ三人は三様に歯を磨いた。


 歯の磨き方ひとつとっても、人となりが現れるというか、磨き方はそれぞれである。


 紙月は全体をなぞるように、しゃーこしゃーこと広い範囲をゆっくりと、何度も磨く。そうして全体を磨き終えると、細かな歯の隙間などを払うようにして磨いていく。


 未来はそれとは違って、一本一本丁寧に磨く。数えながら磨くようにしているので、歯ブラシを動かす手はあっちこっち動くし、押し広げられた唇の端から涎があふれるので、ちょくちょく拭う。


 房楊枝を使うのでまるっきり違うと言えば違うムスコロはと言えば、この男は良く口をゆすぐ。そうして舌先で歯の磨き具合を確認し、また磨き、ゆすぎ、磨きを繰り返す。


 そうしているうちに他の冒険屋も起き出してきて、顔を洗い、歯を磨く。無精者の多い冒険屋たちではあるが、たいてい朝は歯を磨く。多少いい加減であろうと歯は磨く。

 というのも、歯医者などと言う立派な職業がないので、虫歯でもできた日には削り取って悪化させるか、引っこ抜くほかないからだ。どちらにしろ、大量出血や骨折の可能性も有り、命がけである。

 それがあるから、みな多少いい加減でも歯を磨く。


 現代社会に比べれば虫歯になりにくい食生活であるから、これでよほどのことがない限り、虫歯にはならない。


「そういやあ」


 歯を磨き終え、口をゆすいで、紙月がふと思い出したように言った。


「未来って、乳歯全部抜けたのか?」

「んー、何本か残ってたはず」

「どれ」


 同じく磨き終えた未来が大きく口を開け、紙月がのぞき込んだ。

 奇麗な歯並びで、色合いも健康的な象牙色だ。


「どれだ?」

「こえお……こえやっあかあ」


 血色のいい舌先で指示される歯を他と見比べてみたが、極端に小さいということもなく、よくわからない。


「ふーむ。抜けそうになったら気をつけろよ。歯医者なんかないんだから」

「そうだね。紙月は親知らず全部生えたの?」

「一本だけだな。そん時は抜歯した」

「それこそ気を付けないとだよね……」


 虫歯もそうであるが、親知らずも医療が整っていない場合、時によっては死に至ることもある。生半の敵が相手では怪我も恐れない二人にしても、そう言ったどうしようもないことには恐れが走るのだった。


 そんな二人のじゃれあいを眺めながら、ムスコロは不思議そうに顎を撫でるのだった。


「兄さんも、これでまだ子供なんですなあ」


 末恐ろしいことだと、誰ともなくつぶやくのだった。










用語解説


・虹色に輝くバレッタ

 ゲーム内アイテム。正式名称 《にじのバレッタ》。

 高難度ダンジョンで稀に手に入る《虹色の貝殻》を加工して作られるアイテムの一つ。

 全てのステータス以上に対して耐性を与え、魔法能力に上昇効果を与える。

『美しい……なんて美しい輝きなんだ………あとはこれを持ち帰ることさえできたら良かったものを』


・房楊枝

 木の棒の先端の繊維をほぐして柔らかくし、房状にしたものだった。

 歯磨きに用いる。

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