第二話 洗い物
前回のあらすじ
性的な展開ではない。
ベッドの下の段で紙月がぐっすりと寝入っているのを確認して、未来は手早く服を着替えた。下腹部にやや違和感があるが、仕方がない。
さて紙月が寝ている間に洗濯に行こうとして、ふと未来は気付いた。下着と寝間着だけ洗濯するというのも、妙だ。怪しい。
となれば、と未来は洗濯もののたまった洗濯かごを持ち上げた。
木を隠すなら森の中である。
冷えてきて水も冷たいからと、なんだかんだ後回しにしてしまった洗濯物を、この際一気に片付けてしまおう。
それぞれがそれぞれの洗濯物を洗うというもの効率が悪いので基本的に脱いだ服はこの洗濯かごに放り込んである。紙月はゲーム内装備ばかりでこちらの世界の服をあまり持っていないが。
一応それとなく未来が提案したために下着はそれぞれで洗うことにしているが。
小さな未来の体には洗濯かごはいささか大きかったけれど、だからと言ってことあるごとに鎧姿に変わっていたのでは面倒だし、何より成長に悪い気もするので、この程度のことでは鎧を着たりはしない。
よいしょよいしょと洗濯かごを抱えて歩く廊下は、秋らしく涼しい。涼しいというより、肌寒い。少し厚着をしてきてよかった。
まだ朝早いからか、事務所には人の姿はうかがえず、かろうじて部屋の中で起き出したような気配や物音がうかがえる程度だった。
いつもと起きる時間が少し違うだけで、事務所はなんだかまるで別の建物のように空気が変わってしまっていた。紙月ならばこういった空気を現す素晴らしい言葉を知っているのかもしれなかったが、未来に思い当たる言葉はせいぜいが、静かだとか、ひんやりとしているとか、その程度だった。
その静かでひんやりしている廊下を渡り、中庭への扉を開くと、まさしく秋の空気がひゅうと吹き込んで、むき出しの頬を凍えさせた。
事務所の中庭は広く、井戸が掘られており、洗濯場になっていた。
この井戸は手押しポンプがついており、紙月も未来もなんだか昔の井戸みたいと思ったものだが、実際には手押しポンプがつくられ始めたのは錬三が製造を開始してからで、流通はここ十年程度の間らしい。
このポンプがちょっと未来には高すぎるので、鎧を着こまなくてはと思っていたのだが、意外なことに先客があった。この寒いのに、じゃぶじゃぶと大盥と洗濯板でで洗濯をしているムスコロである。
「おっ、おはようございます、兄さん」
「うん、おはよう。早いんだねえ」
「農家の生まれだからですかねえ、昔から朝ははええんで」
「僕は、たまたま」
「盥使いやすかい」
「うん、一緒に使わせて」
先に鎧を着て、呼び水を注いだポンプから水を出して、桶に移し、鎧を脱いで、やれやれ、顔を洗うだけで忙しい。
パシャパシャと顔を洗ってさっぱりしたところで、未来もインベントリから洗濯板を取り出して、大盥のそばに腰をかがめて、洗濯を始める。
最初こそ手洗いの洗濯というものに慣れずに奮闘したものだったが、今では随分と見れるようになったと思う。それでも手が小さいから、大変なことは確かだが。鎧姿になれば手の大きさはどうにかなるが、今度は感触がいまいちわからず、力加減が難しい。痛し痒しだ。
紙月の部屋着や自分の部屋着に隠すように汚れた下着を洗ってみたが、ムスコロは黙っていれば渋い顔でふむんとうなり、そして何事もなかったかのように自分の洗濯に戻った。
ああ、察したんだな、ということを未来の方でも察してしまい、気恥ずかしいは気恥ずかしいが、しかしそう言うものだとして何も言わないでいてくれる気づかいに感謝ばかりであった。
紙月の場合、下手に気づかいして事態を悪化させる結末が目に見えているのだ。気持ちは嬉しいが、絶対に未来の傷口をこれでもかとえぐる羽目になる。
「いつも洗濯はムスコロさんがするの?」
「俺が気づいてやることが多いですな。それに俺の方が、うまい」
パーティで共同生活する場合、家事などを当番制にするか、完全に分担するか、それはパーティごとに結構異なる。ムスコロのパーティがあいまいに分担しているように、《
紙月が担当する時は面倒くさがって《
部屋の掃除は二人ともそれなりに奇麗好きだから手が空いた時にしているが、お互いの領域には手を出さないことにしている。二人で同じ部屋を使っているとはいえ、最低限のプライバシーというものは守られるべきだということで二人の合意があった。
食事に関しては、二人ともやればできるのだが、紙月の場合は面倒くさがりなのと、未来の場合は厨房に立つには身長が足りないのとで、結局総菜を買ったり、店に食べに行くことが多い。
「冒険屋は旅先で飯作ることも多いですから……お二人は関係ありませんでしたな」
なにしろ未来と紙月には満たされるまで食事の出てくる《食神のテーブルクロス》があるから、旅の最中でも食事に困らない。とはいえいつ使えなくなるかもわからないし、やや危機感を抱いてはいる。
ムスコロのパーティメンバーは最低限のものは作れるそうで、ムスコロ自身などは事務所でも料理がうまい方であるそうだ。
「何しろ自分の好きなもんを好きな味付けで好きなだけ作れやすぜ」
とは言うが、それはできる人間の言うことであって、あまり参考にはならない。
二人がそんなことを、まさしく井戸端会議よろしくお喋りしながら手を動かしているうちに、あれだけ山のように思えた洗濯物もすっかり片付いてしまった。何事も手を動かしていれば終わるし、逆に手を付けなければ終わらないのだ。
独りだったら絶対に手が遅かっただろうことを思うと、助かった心地である。
洗濯物を一枚一枚よく絞っては、中庭に張り巡らされた洗濯紐にかけていく作業には、未来はいささか小さい。なのでここは遠慮なく鎧を着こむ。洗濯ばさみを扱うくらいの力加減は、できる。
「兄さんは小さくも大きくもなれるから、便利ですなあ」
「一長一短だけどね」
こうして黙々と洗濯物を干していく姿は、いささか顔がいかめしいくらいで、素朴な男である。最近は髭や髪も整え、身だしなみも割合にしっかりとしてきている。
こうしてみると、初対面の時のひどいありさまが全く別人のようでさえある。
「ムスコロさんはさあ」
「へえ」
「最初なんであんなだったの?」
曖昧な質問だったが、ムスコロは的確に意図を汲んだらしい。
「いや、あれは、その、全く面目ねえ」
「いや、怒ってるんじゃなくてさ。今と全然違うからどうしてだろうって」
未来の何気ないという質問に、ムスコロは一度顔を拭って、それから気恥ずかしげに頭をかいた。
「実はあんときは、荒れてまして」
用語解説
・手押しポンプ
「手」でハンドル部分を「押し」下げて、井戸などの水を吸い上げるポンプのこと。
アニメ映画のワンシーンで描かれ「トトロの井戸ポンプ」などとも呼ばれる。
・洗濯板
手洗いでの洗濯に用いられる板状の道具。
表面に波状に溝が彫られており、これに洗濯物をこすりつけて洗った。
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