第五話 空腹

前回のあらすじ


下準備をすべてうっちゃった紙月。

どこかの誰かさんと違って応用が利くのだ。










「姐さん、つくづくなんでもできますなあ」


 呆れたように、しかしまあこういう生き物なのだなと妙な納得をするムスコロに対して、事務所の所長であるシャルロは訝しげである。


「疑う訳じゃないけど、いや、正直半信半疑より疑い寄りなんだけど、本当にそんなにいろいろできるのかい?」

「ばっ、シャルロ、姐さんに対して」

「まあまあ、というかその反応、まるで猛獣扱いだから正直傷つく」

「へ、へえ、そんなつもりじゃあ」


 ムスコロは何しろ、自分自身の体で紙月の魔法を受けたことがあるし、《魔法の絨毯》で空を飛んだ経験もあれば、海賊船騒動の時にはかぶりつきの最前列で紙月の魔法が炸裂するのを目にしている。

 だから紙月の魔法もというものにすっかり恐れ入っており、疑うということがない。


 しかし、そもそも戦闘に耐えうる魔術師自体が数少ない帝国において、あれもできるこれもできる、それもとてつもない精度と威力で、などというのはおとぎ話どころか子供だましにもならない与太話と言われても、まあ仕方がないのである。

 その点で言えば酒場で疑ってかかった冒険屋たちや、シャルロの反応というのは至ってまっとうなのである。


 紙月もそのあたりはこの数か月でなんとなくわかってきたことであり、むしろある程度疑ってくれる人間の方が常識的だと感じるくらいだった。


 紙月が魔法を自在に操ることをすっかり自然な事と受け入れて、いっそすがすがしいほどにあっけらかんと人を冷房代わりに魔法をねだる《巨人の斧トポロ・デ・アルツロ冒険屋事務所》の面子の方がおかしいのである。


「そうさな。試しに見たい魔法を言ってくれよ」

「事務所を焼き払ったりしないだろうね」

「そのくらいの制御は出来てるよ」

「フムン」


 シャルロは少しあたりを見回して、部屋の照明に使っている角灯をテーブルに置いた。


「じゃあ、これに火を灯せるかい」

「いいとも」

「焼き焦がせというんじゃないよ」

「もちろん」


 軽い調子で言いながら、しかし油断のない目でシャルロが見守る前で、紙月は人差し指を立てた。


「《火球ファイア・ボール》」


 魔力を極端に抑えて《技能スキル》を使用すると、紙月の指先にぼっと小さな火球が灯った。単に巨大な火球を作るよりも、指先大の小さな火を灯す方が、余程神経を使った。

 しかしここしばらく魔法の制御を練習していた紙月にはもはや訳のないことだった。


 ついっと指先を灯芯に向けると、小さな火球は速やかに角灯に飛んでいき、火を灯した。


「ふーむ。素晴らしい制御だ。他の属性の魔法も使えると言ったね」

「何でも言ってみてくれ」


 では、と次にシャルロが示したのは、台所に置いてある大きな水瓶である。普段は水を汲み置いてあるのだろうが、今は中身が少ない。


「清浄な水を生み出せるかい」

「お安い御用だ」


 手をかざし、《水球アクア・ドロップ》を唱えれば、見る見るうちに水球が膨らんでいき、そして水瓶にドボンと落ちてこれを満たした。

 正直なところ、この水が大気中の水分を集めたものなのか、魔力を水に変換しているのか、それともどことも知れない謎の空間から引っ張り出してきているのか、紙月自身わかっていないのだが、これが飲用に耐えうる水だということは実験済みである。


 シャルロはこれを柄杓ですくって口にし、全く問題がないことを確かめた。


「これがあれば旅の途中の水を気にしなくていいな」

「まあ、砂漠でも使えるかどうかは試したことがないけどな」


 二つの属性をここまで器用に扱えるのは見事だとシャルロも素直に認めた。

 しかし今までのは言ってみれば単純な技で、地下水道に挑むにあたって必要な水上歩行の術や暗視の術などと言うのは全く別な技術だと主張した。

 これにはまったく紙月も頷くところである。


 そこでシャルロが持ち出してきたのは、汚れにまみれた衣服の山である。洗濯かごをそのまま持ってきたといった格好だった。


「ムスコロから聞いた話によれば、君は随分優れた浄化の術を使えるとのことだね」

「そうだとも」

「じゃあこの一山の汚れ着を、一度にすべて奇麗にすることもできるだろうね」

「やってやろう」


 ちょっと匂いもしてくる洗濯物の山に両手をかざして、紙月はちょっと腰を据えて《浄化ピュリファイ》を唱えた。すると清らかな水がどこかから湧き出てこれらの衣服を包み込み、しばらくの間じゃぶじゃぶと中空で踊り、そしてどこかへと流れ去っていった。

 残されたのは汚れどころか匂いまできれいさっぱり洗い流された衣服だけである。


「おお、すごい、まるで新品同様だ!」

「ふふん、それほどでも、あるかな」


 もちろん、この《浄化ピュリファイ》の水がどこから来て、汚れをどこへ持ち去っていくのかも、紙月は知らない。知らないがそう言うものだということにしている。


「やあ、全く見事だ。あとは何があったかな」

「シャルロ、そのくらいにしろ」

「ええ、いい機会だったのに」

「ふはははは、このくらい朝飯前よ」

「紙月って時々すっごく幸せな人だと思う」

「うん? そうか? そうかな」


 体よく水汲みと洗濯をさせられたことに気付かないのは、かなり幸せな方だと未来は思うのだった。それと同時にこの乗せられやすさはどこかで手綱を取ってやらないと危なそうだとも。


「よし、君に十分すぎる能力があることはよくわかった」

「そうだろうそうだろう」

「しかし、さすがに今日これから挑むというには、日が暮れてしまった。今日は一晩休んで、明日挑むのがいいと思う」


 そう言われて、二人は確かにそうだとたまった疲れを感じた。

 何しろ昨夜から今朝までほとんど徹夜だったし、朝はタマを引き取る引き取らないで揉めに揉め、それから昼は探偵事務所に入ってそのまま錬三の会社で長話と動き詰めで、その上ろくに食事をとっていないのだ。


 思い出してしまうと胃袋というものは途端に空腹を訴えだすもので、常軌を逸する腕前の二人としてもこれには逆らいかねた。


「ふふふ、私たちも晩飯をどうしようかと悩んでいたんだ」

「この事務所にゃろくな食い物がねえんですよ」

「ま、ま、ま、ここは親睦を深めるためにも、酒食を共にしようじゃないか」


 家事仕事をうまいこと片付けられたシャルロはご機嫌で、行きつけの酒場へ行こうと誘うのだった。










用語解説


・そう言うもの

 実は理屈抜きで物事を成し遂げる術は、魔術というより神官たちの扱う法術に近い。

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