第六話 新世界に至る
前回のあらすじ
愛とは。
頭痛がした。
頭の中をかき回すような頭痛がした。
そしてそれとともに、紙月の脳裏に神の姿が思い出された。
神は五月の日差しに似ていた。
柔らかく、透明で、どこまでも無関心に降り注ぐ、光の雨。
お前には二つの選択肢がある。
神は言った。
一つはこのまま魂を輪廻に預け、永劫回帰に身を任せるか。
一つはお前の魂を我が手に預け、箱庭世界に身を投じるか。
二つに一つだ。
ただ死ぬか。
新たな生か。
選べ、古槍紙月。
「
お前の友は箱庭へと旅立った。
今世での憂いを嘆き、来世に希望を託し、我が箱庭を遊び場と選んだ。
神の言葉は、紙月にはよくわからなかった。
ただ相方が助かったのだということだけは何となくわかった。
少なくとも生きているという意味では。
紙月は尋ねた。
死ぬとどうなるのかと。
神は答えた。
紙月は尋ねた。
生まれ変わればどうなるのかと。
神は答えた。
結論はすぐに出るようなものではなかった。
悩むことが多かったからではない。
まず何を悩めばいいのかわからないほどに、紙月は空っぽだったからだった。
古槍紙月にとって、世界とはどこか書き割りじみていた。
薄っぺらで、現実感に乏しく、どこまでも無価値で無責任だった。
そしてそれは紙月自身が薄っぺらで地に足がついていない、無価値で無責任な存在だからということもわかっていた。
昔から大抵のことはできた。
絵を描くこと。文章を書くこと。走ること。踊ること。歌うこと。
でもどれも一等賞を取ったことはなかった。
誰かの真似をすることはできた。でも誰かになることはできなかった。
誰かの模倣をすることはできた。でも自分になることはできなかった。
いつだって紙月は二番目か三番目だった。
才能がないわけではなかった。でも届かなかった。
努力はしているつもりだった。でも届かなかった。
才能があって努力もして、それでも目には見えない何かが、一番と紙月との間に横たわっていた。
資格魔と言われるくらいにいろいろな資格を取った。
役に立ちそうなものも、役に立たなさそうなものも。
きっと何かになれるだろうと、きっと誰かになれるだろうと、ひたすらにあがいた結果は、しかし届かなかった。
どんな資格も、どんな免許も、取るのに苦労なんてしなかった。
けれど、それを一番になるまで磨き上げることはできなかった。
アクセサリのようにじゃらりと連ねた資格の類が、鎖のように酷く重たかった。
誰かの代わりにはなれた。でも誰かになることはできなかった。
誰かの替わりにはなれた。でも自分になることはできなかった。
紙月は予備だった。どこまで行ってもこの世界の予備だった。
紙月でなければならないことなどこの世には一つもなくて。
紙月でなければいけないことなどこの世にはなにもなくて。
紙月がいなければならない意味なんて、この世界にはなかった。
家に帰れば、家族でさえそうだった。
病死した父の代わりは母が十全に務めた。
子の役割は三人の姉たちが十分に務めた。
紙月はあまりだった。務めなどなかった。
姉たちはみな器用だった。
みな器用に生き、器用にふるまい、器用に楽しんでさえいた。
紙月が人の真似をして、人の模倣をして、ようやくたどり着く場所に、姉たちは自然体でいた。
大学に入って、演劇をしてみるようになって、紙月は自分の致命的な欠陥に気付いた。
どんな役でも演じられた。
どんな人でも演じられた。
どんな役目でもこなした。
どんな人間でもこなした。
でも、それだけだった。
「君には芯がない」
そう言ったのは誰だっただろうか。
思い出すこともできないほど、ささやかな言葉だった。
けれどそのささやかな言葉が、紙月の胸に今も深く刺さって取り除けないでいた。
君には芯がない。
ああ、そうだ。その通りだ。
古槍紙月には自分というものがなかった。
がむしゃらに自分というものを探して、いくつもの仮面をかぶって、それで結局仮面の内側がつかめないままで彷徨う亡者だった。
この世が舞台ならば、書き割りの世界ならば、紙月はただ役者という役割を演じられた。
だがこの世界は夢ではない。夢と同じものでできているふりをしても、むくろをさらすことは避けられない。
からっぽで中身のない、寒々しいむくろをさらすことは。
ゲームの世界では紙月は一息吐けた。
なぜならばゲームの世界ではだれもが役者だったからだ。
誰もがそれぞれのキャラクターという仮面をかぶり、誰もがそれぞれのキャラクターを演じていた。
そこにひとり、中身のない仮面が紛れ込んだところで、誰も気づかず、誰も触れたりなんかしない。
《エンズビル・オンライン》は紙月にとって救いだった。
METOはその救いの象徴だった。
他の誰でもない、ペイパームーンを求めてついてきてくれるたった一人の相棒。
しかし今やその夢さえ終わる。終わる。終わる。
死がもはや目前まで迫っていた。
避けようのない死が迫っていた。
だが死ぬことと生きていないことと何が違うだろうか。
いままでのいつわりしかない人生と何が違うだろうか。
そう思い至った時、紙月は決めていた。
「俺は……そうだった……俺が、選んだんだ」
夢と始まり夢と終わるのならば、せめて実のある夢を見ていたいと。
「選んだのは、俺だ」
それが、古槍紙月の異界転生譚だった。
用語解説
・異界転生譚
それは彼の物語である。
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