第三話 死後至る所

前回のあらすじ

ついに再会した、ゲーム時代の友人。

しかしその人物は二か月も前に死亡しているはずで……。






「ほーん、四か月か。やはり時間はずれとるようじゃな」

「四か月と二十年じゃ大違いだよね」

「くるみ……オデットにも聞いたんじゃが、どうも時間は必ずしも同じようには流れておらんようだの」

「オデットさんも来てるの?」

「おお、最近は忙しく飛び回っとるがの」


 暢気に語らっている二人に、しかし動揺したのが紙月である。


「いや、だって、ええ……!?」

「なんじゃい。お前さんSFとか読まんの? 時間のずれ位あってもおかしくないじゃろ」

「そういうことじゃ……だって、あ、あんた、死んで……!?」

「……なんじゃい、お前さん、覚えとらんのか?」

「覚えるって、なにを」

「死んだから、こうして異世界に転生したんじゃろうが」


 至極さっぱりとした錬三の物言いに、瞬間、紙月の脳内は完全に化石したと言ってよかった。


「覚えとらんようじゃのう」


 豊かな白髭をしごいて、錬三はゆっくりと言葉を選んでいるようだった。

 それさえもなんだか紙月には、薄紙一枚通したようにどこか現実離れした物事のように思えた。


「そうさな。わしの話をしようか。わしからすれば二十年前。お前さんからすれば四か月前か。わしは、死んだ」

「死んだ」

「お前さんも自分でそう言っただろうが。ニュースじゃほれ、何と言うとった」

「なん、だっけ、そう、心臓がどうのって……それで、家事代行サービスの人が」

「は、心筋梗塞かなんかじゃろうな。で、雇っとった家政婦のおばちゃんに見つかったわけだ」


 フムンと一つ頷いて、錬三は何とも言えぬように口を曲げた。


「そろそろお迎えかもしれんなあとは、まあ前々から思っとった。何しろわし、そん時でもう九十二歳じゃったからな。百歳まであと八年とはいえ、まあそれまでには死ぬじゃろと思っとった」

「長生きだったんだね」

「そうしようと思って長生きしたわけじゃあなかったんじゃが、まあ、あっちを手掛けて、こっちを手助けして、あいつに助言して、こいつに指示出して、なんてやっとるうちは、なかなか死ぬに死ねんでな。

 だが最近は、といってもわしにとっちゃ二十年も前だが、会社もわしなしでやっていけるようになっておったし、早めに身辺整理も済ませたし、毎日ゲームやっちゃ適当に判子捺すだけのいい生活じゃったわい。

 それでなあ、それで、まあ、なんだ。

 そろそろいいかな、と思っとった時に、具合よくおっ死んだじゃろうなあ」

「具合よく、って」

「ゲームできんくなったら死に時じゃと思っとったけど、ゴーレム用のキュー・コードが思い出せなくなってな、これはあかんと思ってふて寝した晩じゃったから。ちと寝苦しいような思いもしたが、気づけば死んどったから、タイミングも死に方も、まあ具合よかったと言ってよかろ」


 あっけらかんと言ってのける錬三が、紙月にはなんだか全く別の生き物か何かのように思えて、不気味を通り越して心底不思議だった。だがそれこそ当然の話だった。相手は大企業の会長になるまで上り詰めた人物で、何十年と年の離れた相手で、更にはこの異世界で二十年もドワーフとして生きてきたのだ。

 それはもう、紙月とは全く別の価値観を持った、全く別の生き物と言ってよかった。そこには紙月の知らない人生哲学があるのだった。


「ふと気づくと、わしは妙な夢を見た。夢だったのか、現実だったのか、正直な話今でもよくわからん。わからんが、それは確かにあったことなんじゃと思う」


 話は死後に進んだ。あるいは、死のただなかへと。


「そこには上も下もなく、右も左もなく、前も後ろもなかった。光もなく、闇もなく、明るくも、暗くもなかった。寒くも暖かくもない。何にもない真っ白な闇の中に、肉体も何もかもそぎ落とされた、わしという一つの点がぽつんと浮いておるような心地だった。それはどこまでも美しくて、そして恐ろしい光景だったように思う」


 錬三は傍らの煙管を手に取り、手馴れた様子で煙草を詰めると、指先をかざして小さく何事か唱えた。すると小さく火がともり、錬三は何度かこれをふかした。

 言葉をまとめ、何よりもその不可解な体験に対する自分自身の考えをまとめるように、ゆっくりと何度か紫煙が吐き出された。


「真っ白な闇のどこかから、あるいは向こうから、またあるいはそれ自体が、わしに語りかけた。

 『ようこそここへ』 とな」


 それはしわがれ、酒焼けしたドワーフの声に過ぎなかった。だがそのたった一言に奇妙な魔力でも込められていたかのように、その言葉は紙月たちの耳朶を恐ろしくも冷たい響きを持って打つのだった。


「声はまるで長年の友に対するように気やすい調子じゃった。しかしわしにはすぐに分かった。それは友としてわしを尊重しているからこその優しい響きなのではなかった。わしという存在を吹けば飛ぶようなたやすい存在として扱う易しい響きじゃった」


 声はこのように語りかけたのだという。


 いま、君の肉体は死を迎え、その魂は零れ落ちようとしている。

 その魂を、私が卵の白身と黄身を選り分けるように、繊細に受け止めてやっているのだ。

 おっと、君はあまり料理をしなかったな。この喩えはわかりづらいかな。

 ではもう少しわかりやすく言おう。


 いま、


 ああ、、有明錬三。

 私は君を害するものではなく、また試すものでもない。

 或いは君を愛するものでもなく、また育むものでもない。


 私は君に選択を与える。


 一つはこのまま死を受け入れ、その魂を流転のままに任せる。

 そうすれば君の魂は、海の波に漂泊するように無限の時を彷徨い、激烈な化学薬品に浸したように漂白されることだろう。

 いまのは海の漂泊と薬の漂白をかけたジョークなんだ。

 わかってくれ。私はただ君を安心させ、心穏やかに選択してほしいだけなんだ。


 


 さあ、安らかならぬ君にもう一つの選択を示そう。


 そうだ。もう一つは、今の死を受け入れ、私が与える次の生を生きることだ。

 私にはどのような肉体も生み出すことができる。どのような振る舞いをさせることもできる。

 しかし魂だけは創造することを許されていない。

 そう、ただ魂だけは。それだけは侵すことの許されない領域なのだ。


 君が望むのならば私は死を、そしてまた或いは新たな生を与えよう。


 私は何も強制しない。選ぶのは君だ、有明錬三。

 ここには時間の流れなどあってないに等しい。

 ゆっくりと考えるがえっもういいのかい。

 別に急がなくても私は一向にかまわないのだが。


「わしはこのふざけた存在に新たな生を願った。死は怖くなかった。とうに死ぬ準備はできとった。だが、いざ先があるとなれば、やりたいこと、やり直したいこともあった。そいつはわしにゲームで慣れ親しんだ体を寄越した。そいつ自身のゲームの駒であるからと、そしてまた早死にされても面白くないからとな」


 ふん、と鼻先から煙を吐き出して、錬三はその不気味な神の名を唱えた。


「境界の神プルプラ。それが奴のこの世界での名じゃよ」

「境界の……神」


 頭痛が。

 酷い頭痛が紙月の頭の中をかき回していた。


「未来……」

「……うん」

「お前は……お前は、知っていたのか? いや……覚えていたのか?」


 すがるような問いかけに、鎧の向こうから静かに声は応えた。


「うん。僕は全部――覚えてたよ」






用語解説


・オデット

本名:形代かたしろくるみ。

ゲーム内ではピクシー種の《歌姫プリマドンナ》。

ギルド《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》の賑やかしで、高いコミュニケーション能力でギルドメンバーを集めた立役者。

 現在はアイドルグループ「超皇帝」の片割れとして帝国各地を飛び回っている。


・ゴーレム

 《エンズビル・オンライン》内にて、《錬金術師アルケミスト》系統と、高位の《鍛冶屋ブラックスミス》が使役することができたMob。

 決められた行動を入力しておくことで、半自動で動くことができた。

 アイテムと時間さえ費やせば人が居住できるほど巨大なものや、前線での戦闘に使用可能なものなども制作できた。その労力に見合うかどうかは別の話だが。


・キュー・コード

 ゴーレムに指示を出すための合図。


・境界の神プルプラ(Purpura)

 山や川などの土地の境、また男や女、右や左など、あらゆる境界をつかさどる神。北東の辺境領に信者が多い。

 顔のない神。千の姿を持つもの。神々の主犯。八百万の愉快犯。

 非常に多芸な神で、また面白きを何よりも優先するという気質から、神話ではトリックスターのような役割を負うことが多い。何かあったら裏にプルプラがいることにしてしまえというくらい、神話に名前が登場する。

 縁結びの神としても崇められる他、他種族を結び付けた言葉の神はプルプラが姿を変えたものであるなど他の神々とのつながりが議論されることもある。

 過酷な環境と敵対的な魔獣などのために死亡率が高い辺境では、性別に関係なく子孫を残せるよう、プルプラの力で同性同士での子作りや男性の出産などが良く行われている。


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