第九話 地竜の卵

前回のあらすじ


マッド解説回。






「はい、というわけでこちらが地竜の卵でございます」

「そんな料理番組みたいに言われましても」

「実際美味しいんですかね。地竜って」

「…………亀っぽいし、臭みが強そうだよなあ」

「それって泥臭さのイメージなんじゃない?」

「かもしれん。どちらにしろ食う気にならんなあ」

「御二方は研究心に乏しいですねえ」

「研究者って新発見した生き物は食うって聞くけど……」

「少なくともユベルは研究した魔獣は一通り食べてますよ」

「研究員がおいしくいただきました。ご安心ください」

「なにも安心できない」


 案内された先は、中庭のように開けた場所だった。地面が掘りぬかれており、そこに埋められた大きな金属製の容器に、ごろんと地竜の卵が転がされている。そのサイズが二メートル近くあることを除けば、完全に鍋の中の卵にしか見えない。遠近感が狂いそうな光景だった。


「到着予定がもう少し先だったので急遽準備を整えています。ちょっとお待ちくださいね」

「ああ、いえ、なんかすみません」

「いえいえ、はやく実験できて私たちも楽しいですから!」


 健全な笑みではあるのだが、発言の内容はマッドでしかない。

 子供のように純真な笑みが、怖い。


「いやあ、しかし地竜の孵化なんて、本当に、帝国史に残る実験ですよ」

「竜種ってのは、そんなに難しいんですか。辺境じゃあ飛竜を飼育してるって聞きましたけど」

「あれは環境がいいですよね。飛竜がいくらでも湧いて出てきて、しかもその飛竜をおやつ代わりにできるような人たちがいて」

「つまり辺境が特殊なだけだと」

「そうですよ。普通は竜種っていうのは遭遇するのも稀なんです。地竜なんて、十何年かに一度観測される程度ですし」

「それでも十何年かに一度は出るんですね」

「人里、人の目のつく範囲にってことですね。帝国も広いですけれど、その分目の届かないところって多いですから」


 そう言われれば、町から町までは馬車で二日とかがざらであるし、森などは大きく迂回することもある。地竜がいくら巨大な怪獣だとしても、ド田舎の辺鄙な森の中を歩き回っている分には誰も気づかない訳である。


「今のところ帝都大学で捕捉しているのは二頭です。どちらも成体で、十二メートルと十五メートル。カトリーノとツァミーロと名付けられています。カトリーノは三年、ツァミーロは十二年追いかけられていますけど、どちらも産卵したことはありません」

「十二年も追いかけてるんですか?」

「専門の観測班がいるくらいですよ。彼らのおかげで、地竜は海か臥龍山脈に出くわすと少しずれて引き返すという行動が判明しました」


 危険ではないのかという問いかけに、十分に距離はとっていると前置きしたうえで、キャシィは笑った。


「というのは彼らの報告書の建前で、実際にはよじ登ってもほとんど無反応らしいですよ。うかつに鼻先に出ようものならパクリとやられかねないらしいですが、それ以外は外敵どころか障害とさえ思っていないんでしょうね。五年前にツァミーロが、火山の噴火を察知して殻にこもったことがあるくらいですよ。それだって結局遠すぎて影響ありませんでしたし」


 この二頭に関しては何年か先の進路予測までたっていて、重大な都市侵害を防ぐための早期進路変更さえ彼らの任務に入っているらしい。


「新規の地竜の発見報告なんてもうカトリーナ以来ですからね。それが幼体と卵だなんて、業界が大騒ぎでしたとも」

「お二人が討伐した幼体の遺体も、大学で回収して調べさせてもらったんですよ」

「何かわかりました?」

「馬鹿げた生き物だということくらいですね」


 かなり状態が悪かったため、そこまで詳しい調査はできなかったらしい。申し訳なくもあるが、しかし初見の敵に対してやりようは考えられなかったので仕方がない。

 それに、死骸に対してでさえ、相当に強化を施した斧でようやく首を切り落とせたほどの硬さだったのだ。まともにやりあっていればこちらが押し切られていたかもしれない。


 《選りすぐりの浪漫狂ニューロマンサー》というものは、ハマれば強いがそれ以外はピーキーすぎるのだ。


「ああ、でも、腸内細菌の帳簿が作れたのは大きな発見でした。未発見の微生物で盛沢山でしたよ」

「微生物の観察もしているんですか?」

「ええ。あとで顕微鏡覗きます?」


 そう言って示された機械は、紙月の知る顕微鏡よりもいくらかオカルティックな代物だった。つまり、検体の安置された箱の上に水晶玉が乗っていた。これを覗き込んで、魔力で倍率を変えるらしい。奇妙な道具だった。未来は早速興味深そうにのぞき込み、キャシィに使い方を習っていた。


「面白いことに今回気付いたんですが、地竜の腸内細菌と石食いシュトノマンジャントの腸内細菌には一部同種のものが発見されまして、つまり、金属や鉱石類を消化分解して栄養とする類のやつなんですけど、いやー、いったいどこでこんな微生物が住み着いたんでしょうかね。案外石食いシュトノマンジャントと地竜って近縁種なのかもしれませんねえ」

「勘弁してくださいよ。地竜が鼠算式に増えたらたまったもんじゃない」

「あはは。まあ言っても毛獣と甲獣ですしねえ」


 これはこの異世界の言い方で、おおむね哺乳類と爬虫類、特に甲羅のある亀などの区別と言っていい。おおむねというのは、異世界ファンタジーらしく、どうも元の世界通りの分類に従うという訳にはなかなかいかないからだった。


「紙月紙月、すごいよ」

「おう、どうだった」

「思ったよりうじゃうじゃいた」

「そっかー……俺そう言うの苦手だから遠慮するわ」

「えー、仕方ないなあ」


 仕方がないのだった。

 虫でもなんでも、細かいものがうじゃうじゃしているのはあまり得意ではないのだ、紙月は。反射的に焼き払ってしまっても責任はとれない。


「んー、では男の子の喜びそうなもので、骨格図とか」

「あー、まあ、うじゃってる微生物よりは」

「骨だ!」


 正確には縮尺模型らしく、テーブルに乗る程度のサイズに縮められた地竜の骨格が正確に再現されているという。こうしてみると、リクガメやゾウガメか何かのようにも見えた。あるいは、どうにもとげとげとした全体から言って、ワニガメか。


「こうして見ると典型的な甲獣なんですよね。ただ骨の強度は尋常ではなくて、そもそも皮と肉引っぺがすところからして相当難航しました」

「そう言えば俺達も首落とすの苦労したもんなあ……どうやったんです?」

「破壊系の魔法得意な人たち総出でなんとか。結構仲悪い人とかもいたんですけど、最終的には垣根を乗り越えて握手する程の難事でした」

「帝都の魔術師でもそこまで大変なのか……」

「で、ある程度解体できたら後はもう最低限の検体とって、酸性粘菌くんで骨の周りの肉溶かして骨取り出しました」

「酸性……なんですって?」

「酸性粘菌くんです。魔法生物としてはよくある方で、見た目涼しげな透き通った粘菌なんですけど、肉食で、酸性の体液でじわじわと溶かしては食べる子です」

「スライムだ……」

「スライムだな……」


 見ますか、と言われたがこれ紙月は遠慮しておいた。余り気持ちの良い代物ではなさそうだ。

 一方で未来は嬉々として見に行き、そのあたり男の子だなあと紙月は思うのだった。そして不意に自分の性別を思い出してへこむのであった。最近女装に慣れ過ぎてちょっと危うい瞬間があるのだ。女子トイレに入りそうになる時とか。男子トイレに入れば入ったでそれはそれで絵面がひどいのだが。


「紙月すごいよー!」

「おう、どうだー」

「思ったより食欲旺盛」

「あんまり聞きたくなかったなそれは」






用語解説


・カトリ―ノとツァミーロ(Katrino, Camillo)

 地竜。それぞれ十二メートルと十五メートル。

 いわゆる地竜という生き物の典型的なイメージは彼らによるものである。


・腸内細菌と顕微鏡

 この世界ではすでに微生物レベルの小さな生き物の世界にまで見識が及んでいるようである。

 とはいえその知識の多くはいまは亡き旧聖王国時代に培われた知識・技術であるらしく、帝国における技術発展は遅々として進んでいないようだが。


・酸性粘菌

 強酸性の体液を分泌して対象の肉を奇麗に溶かして食べてしまう肉食性の魔法生物。人工物。

 肉は食べるけど骨は食べない、といった風な調整ができ、魔力での操作も楽なため、実験にもよく用いられる。

 不法投棄ダメ。絶対。


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