第八話 言葉の神殿

前回のあらすじ

冒険屋事務所に辿り着いた二人を出迎えたのは、いかにもなおかみさんであった。






 無事冒険屋事務所に辿り着き、早速冒険屋になる、というわけにはいかなかった。

 というのも、じゃあさっそくこれに名前を、と言われて取り出された契約書が読めず、書けなかったからである。


「なんだい、あんたら文字ができないのかい」

「いやあ、森から出てきたもんで」

「なんだそりゃ。でも文字が読めなきゃ困るね。書けない分には適当な文字でいいんだけど、読めないと、後で揉めるからって組合で止められてるのさ」


 もっともな話である。

 とはいえ急に文字を覚えるというとも難しいなと顔を見合わせていると、アドゾはパンと手を叩いた。


「よし、よし、じゃあ紹介状書いたげるから先に神殿に行っといで」

「神殿?」

「このまま大通りを左に歩いて行って、突き当りに神殿があるから、そっちで覚えてくるといい」


 そう言って放り出されてしまったが、さすがに途方に暮れる二人である。


「神殿、ねえ。教会とか神殿とかが読み書き教えてくれるってのはそれっぽいけど」

「どれくらいかかるかなあ」

「一年で済むと思うか?」


 それまで路銀をどうしようと思いながら取り敢えず向かってみると、なるほど立派な建物の並ぶ通りに出る。

 道行く人に聞けば、このあたりの建物はみな神殿で、それぞれに神様を祀っているという。

 二人が行くように言われたのは言葉の神エスペラントの神殿である。

 道行く人はみな神殿に足を運ぶだけあって人が良く、聞けばこれこれこう行ってと親切に道を教えてもらえた。


「はいはい、迷える人よ、今日はどうしました」


 顔を出してみれば受付のようなものがあり、声をかければなんだか神父なんだか牧師なんだか医者なんだかよくわからないことを言われる。


「読み書きを覚えて来いと言われまして」

「はいはい。どなたかの紹介?」

「あ、はい。これ紹介状です」

「あー、アドゾのところの。お金はあります?」

「いや、全く」


 結局小鬼オグレートの分の報酬は事務所で換金してもらおうと思っていたのだが、そのまえに放り出されたのである。


「いいですいいですよ。組合に通しておきますので。それでどうしましょうか。読みだけなら二十分くらい。読み書きなら三十分くらいですかね」

「えっ」

「えっ」

「そんなに早いんですか」

「朝早いからまだ空いてますしね」


 どういう理屈なのか。

 しかし三十分で読み書きができるようになるならばと申し込んでみれば、早速奥の小部屋へと連れていかれる。

 椅子に座らされて、じゃあこれをと渡されたのは、いくらか厚めの冊子である。だいぶくたびれていて、ありがたい聖書という感じでもない。見れば棚には在庫がたっぷりあるし、何なら値札も見えた。


「ここでじっくり読んでいってくださいな。終わったら棚に戻して、声かけてお帰りください」

「はあ」

「じゃあごゆっくり」

「えっ」


 本当にそのまま、受付の人は去っていった。

 説法などもない。


 冊子の表紙を見てみたが、何やら見覚えのない言葉が書いてあるらしいのだけれど、まるで読めない。かろうじてアルファベットかなとは思うのだが、癖の強い筆記体で読めやしない。


 なんなのかと思いながら冊子を開いてみたが、そこにはさらさらと筆記体で何か書かれていて、内容はと言えばまるで読めない。読めるわけがない。読めるわけがないのだが、何となく目が吸い寄せられて、気づけばぱらりぱらりとページをめくっている。


 読めないままぱらぱらとめくっていくと、読めないのだが何となくわかったような気がしてくる。ときどき何かにつまずいた時はページを戻るのだが、そのページを読み直して戻ってみると、やっぱり何だか分かったような気がする。


 ドレスと甲冑が並んで本にのめりこんでいる様はなんだか異様であるが、二人はまるで気にした様子もなく没頭しているし、時折通りがかる人も、その格好には小首をかしげるが、やっていること自体には何も疑問を抱かないらしく、自然に通り過ぎていってしまう。


 十分かそこらして一度頭から最後まで読んでしまい、もう一度頭から開くと、今度は先程よりもわかったような気がする。先程までは名詞なんだか動詞なんだかそれすらもわからなかったのだが、今度はそのあたりの関係というものが読めてくる。いや、相変わらず読めているわけではないのだが、それでも何となく全体の輪郭というか雰囲気のようなものがわかってくるような気がする。


 普段読書など全然しないというのに、不思議と集中力が途切れない。そして読むということにもう疑問が起きない。


 また十分ほどしてもう一度頭から読み始めると、今度はきちんと文として読めてくる。文という文に輪郭が感じられ、その構成がすんなりと頭に入ってくる。つっかかることがなくなり、するりするりと文の内容が読み解けてくる。わかったような気がするのではない。読めるのである。ぐいぐい読める。


 そしてまた十分ほどしてすっかり読み終えると、ようやく顔を上げることができた。

 そうして目をぱちくりさせていると、瞼の裏に文字がちらつくような気さえする。


 先に読み終えた未来が自分の読んでいた本の表紙を向けてくるので、紙月は咄嗟にそれを読み上げた。


「馬鹿でもわかる算術基礎」


 そのようにして、二人は文字を読めるようになっていた。


 ことこうなると、書けるということには全くの疑念もわかなくなってきた。

 試し書き用にとインクとペン、紙を持ってきてくれたのだが、使い方の慣れないこれらの道具にもあっさりと手は馴染み、自然と簡単な文章を書けるようになっていた。


「はい、大丈夫みたいですね」

「すごいな、これは」

「子どもなんかにやらせると、手が覚えないんで字が汚くなるんですけど、大人だとまあ、時間もないですし仕方ないですからね。綺麗な字を維持したかったら毎日練習でもしてください」

「これ、忘れたりはしないんですか?」

「使わない言葉なんかは忘れてきますよ。それは誰でも一緒。試験の一夜漬けには向きませんよ」


 ともあれ、これで一応言葉は覚えたわけである。


「異世界すごいね」

「異世界というか、神様がいるんだな」

「あ、そう言えば」


 言葉の神エスペラントと言ったか。

 何となく聞き覚えがあるようなないような響きだが、ともあれこれで言葉を覚えられた。


「これでしりとりができるな」

「違うでしょ」

「そうだったそうだった。早速事務所に戻るか」


 事務所に戻ってみると、受付では年の若い男が待ち構えていた。


「お、あんたらが新入りだね。おかみさん、奥で待ってるよ」


 言われて奥の応接室とやらに顔を出すと、ソファとローテーブルの応接セットに契約書を並べてアドゾが待ち構えていた。


「や、おかえり。さっさと書いてもらおうか」


 なるほど、神殿の効果というものは全く疑われることのないものであるらしかった。


 二人は早速席に着き、未来がペンを手に取りかけたが、紙月がそれを止めた。


「契約書はきちんと読まないとな」


 とはいえ簡単なもので、冒険屋はその進退を自由に決められる、つまり辞めるのは自由ということや、依頼料からは組合費や仲介料といったものが天引きされること、寮を使用する場合の取り決めなどが書いてあるもので、裏をかくような文章はない。


「ん、わかった。寮は使わせてもらいたい。二人で一部屋、空いてますか?」

「空いてるよ。規約はまたもうちょっと細かくなるけど、簡単に言や、物を壊すな、汚すな、売るな、くらいさ。門限はない。飯もない。ただ設備は使っていい。基本自己責任」

「便所は?」

「一階に共用がある」

「風呂は?」

「神殿通りに風呂の神殿がある。なんなら割引券が受付にあるよ」

「わかった」

「サインしていい?」

「よさそうだ」


 二人がサインをすると、アドゾはにっかりと笑って。二人の肩を叩いた。


「よし、よし、今日からよろしく頼むよ。とはいえ、まだ見習いだからね。ちょいと実力を見せてもらおう」

「実力?」

「コメンツォの推薦状には二人で小鬼オグレート二十五体を倒したとあったね」

「あ、これ、証明です」

「ふん……焼けてるが、確かに二十五だ」


 アドゾは手金庫から銅貨の入った袋を取り出して、几帳面に数えてから寄越した。


「二百……五十、枚。ちょうどだね」

「確かに」

「まあ数は揃えてきたけど、所詮小鬼オグレートだからね。もうちょっと実力のわかると相手で試験したい」

「試験次第で昇給?」

「そこまでじゃないよ。でもいい依頼はやれるかもしれないね」


 まだ日も高いので、早速その日のうちに出かけることとなった。







用語解説


・言葉の神エスペラント

 かつて隣人たちがみな言葉も通じず相争っていた時代に現れ、交易共通語リンガフランカなるひとつなぎの言語を授けて、争うだけでなく分かり合う道を与えたとされる。


・風呂の神殿

 風呂の神マルメドゥーゾ(Mal-Meduzo)を崇拝する神殿。

 入浴することが祈祷の形であるという一風変わった神殿で、非常に洗練された浴場を公衆に有料で開いている。

 衛生目的で帝国政府が補助金を出しているので、今一番伸びている神殿ともいわれる。


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