第22話:恩人

 翌日から訓練の帰り道に彼女の様子を確認するのが俺の新たな日課となった。


 彼女も他の子供たちと遊ぶ時間を削って魔法の練習へと時間を割いていたようだったが、間違った練習方法では一向に成長の兆しは見られない。


 やっぱり時間の無駄だ。


 楽しいことなら他にもあるのに、どうしてわざわざ辛いことに執心するのか。


 さっさと諦めればいいのに。


 無意味な努力を続ける彼女を見ては心の中でそう思い続けた。


 そうしている間に勝負開始からあっという間に三日が経過した。


 相変わらずその修業という名の奇行に成果はなく、俺の勝利は確定的なものだった。


 これであのうっとおしい女に関わられなくて済む。


 そう思っていたはずだったのに……


『お前、辛くないのか?』


 勝負開始から五日目、苦戦している彼女にまた自分から話しかけてしまった。


『何よ、いきなり。今、練習してるんだから話しかけないでよ』

『叫びながら手を突き出すのが何の練習なんだ?』


 自分の方も見もしないナルの背に向かって俺は更に嫌味を紡ぐ。


『う~……ほんとにしつこいわね! なんなの!? こっちから話しかけたらうるさいって言うくせに!』


 堪えきれなくなったナルが振り向いて言い返してくる。


 それは反論の余地もない正論だったが、俺は無駄な行動を繰り返す彼女がただ無性にムカついて仕方がなかった。


『善意から言ってやってるんだよ。才能ないんだから、時間を無駄にせずさっさと諦めて教室で他の連中と一緒に遊んでりゃいいだろ』

『ぜ、ぜんい……? よくわかんないけど、余計なお世話よ! こっちは好きでやってるんだから!』


 再び、ナルはふいと俺に背を向けて一人で無為な訓練に戻る。


『好きで……? だから、何の成果が得られなくてもいいって?』

『そうよ。自分でやるって決めたことだからやってるだけ』

『だからって人には向き不向き。出来ることと出来ないことがあるだろ』

『何度も言うけどやってみないとそんなの分かんないじゃない。意地悪ばっかり言うなら、さっさとどっかに行ってよ』


 再び背を向けて教本を片手に訓練を再開するナル。


 そこで俺は気がついた。


 どうして彼女を見ていると無性に腹立たしい気持ちになるのか。


 なんてことはなく、俺はただ彼女と自分を重ねていただけだった。


 魔法の才能が微塵もないのに、それでも練習を続ける彼女と。


 両親の死の真相を明らかにしたいと思いながらも、心のどこかでは無謀だと考えていた自分とを。


 だから俺は一つ、試してみようと思った。


『……いきなり詠唱だけしても魔法が出るわけないだろ。最初は魔素の存在を認識するところから始めるんだよ』


 彼女の背に向かってそう言う。


 それはかつて、もっと幼い自分が同じ様に隠れて魔法の訓練をしていた時に父が教えてくれた言葉だった。


『それ、どういうこと?』


 少し驚いたように、ナルが振り返って俺に言う。


『だから、魔法ってのは大気中にある魔素を利用して――』

『そうじゃないわよ! なんでいきなりそんなこと言うのって話! だって、勝負中でしょ!?』

『別に……ただ圧勝してもつまらないだろ。俺が助言した上で、それでも出来なかったって方がより勝ちが明確になるだろ』

『やっぱり、いけすかないやつ……それで、まその認識ってどういうことなの?』


 口をつんと尖らせながらもナルは役に立たない教本を置いて、素直に助言を求めてきた。


 きっと、あの時点で俺はもう勝負に負けていたんだろう。


 その日から俺は自分の訓練帰りに彼女へと助言を送るようになった。


『だから、そうじゃないって言ってるだろ。下手くそ』

『ルーンは文字だけど単に読むんじゃなくて頭でイメージするもんなんだよ。バカ』

『やっぱり才能はないけど……今のはまあ少しだけ良かったんじゃないか』


 相変わらず嫌味混じりではあったが、かつて父が自分に教えてくれた言葉を少しずつ彼女に伝えていった。


 それでもやはりナルに魔法の才能はなかったのか、なかなか上手くはいかなかった。


 時にはうんざりして教えるのをやめようかと思う出来事も重ねながら、三歩進んで二か四歩下がるような日々を過ごしていた。


 そうして勝負のことも半ば忘れて二週間が過ぎようとした時――


『すぅ……火よイグニ!』


 大きく息を吸い込んでから詠唱と共に突き出された手のひら。


 そこからほんの少し、時間にして一秒にも満たない間ではあるが小さな火が出た。


 突然の成功に、俺もナルも時間が止まったかのように固まる。


『で、出た……? 今、火が出た……?』

『あ、ああ……出たな……』


 互いに信じられない成功に口と目を開いて喫驚する。


 そして、更に続いた数秒の沈黙の後に……


『やった! やった! 出来た! ほんとにできちゃった!』


 ナルは俺の両手を取って、その場で歓喜に飛び跳ねはじめた。


 直前の熱反応によるものか、あるいは興奮によるものか強く握られた手がとても熱かったのを今もよく覚えている。


『……まあ、枯れ葉も燃やせないようなしょぼい火だったけどな』


 照れくささから俺は素直に喜ばずに厭味ったらしくそう言った。


 しかし、内心では同じように飛び跳ねるくらい興奮していた。


『でも出来た! 魔法! 魔法だぁ!』


 こんな初歩的な魔法でよくそこまで喜べるなと言いかけたのを飲み込む。


『じゃあ、勝負は俺の負けだな』


 彼女はただ魔法の発現に成功したわけじゃない。


 俺が絶対に無理だと思った試練を乗り越えたんだからと降参を宣言する。


 敗北を受け入れたにも拘わらず、とても清々しい気分だった。


 もちろん彼女にそれが出来たからと言って、自分も同じように出来るとは限らない。


 事がそう単純ではないことは幼い俺でも当然分かっていた。


 けれど、自分を重ねていた彼女の成功は俺の迷いを全て断ち切ってくれた。


『……勝負?』


 飛び跳ねていたナルがその動きを止めてキョトンと首を傾げる。


『俺とお前の勝負だよ。期限内にお前が魔法を使えるようになるかどうかって……』

『あー……そういえばそんな話をしてたような……してなかったような……』


 とぼけているわけではなく、本当に忘れていたように彼女は言った。


『してたようなって……お前からふっかけてきたんだろ』

『う~ん、そうね……だったら引き分け! いや、二人の勝利ってことで!』


 握られていた手が更にギュっと強く握り込まれる。


 高い体温と興奮で汗ばんだ手のひらの感触が生々しく伝わってくる。


『……はあ?』

『だって、あなたが教えてくれなくて私一人じゃ絶対に出来なかったし! 私たち二人だから出来たんだもん!』

『それはまあ……そうだな。お前、才能無いし』


 尚も自分から嫌われにいくかのように意地悪を言う俺だったが、今思えばただの照れ隠しだ。


 色々な意味で、異性とあれだけ深く接触するのは始めてだった。


『そんな才能のない私にも魔法を使えるように出来るなんてやっぱりすごい! すごいすごいすごい!』

『お、おい……もういいだろ、早く離せよ……』


 両手をギュッと握り込んだまま、今度は踊るように飛び跳ね始める。


『あなたって先生とかに向いてるんじゃない!? うん、きっと向いてる!』

『せ、先生……?』

『そう! 学校で勉強とか魔法とかを教える先生! だって、教えるのすっごく上手かったもん! ちょっと口が悪いのは直した方がいいと思うけど』


 にひひっと小憎らしい笑みを浮かべるナル。


 後に俺が教師という道を選んだのは、様々な要因を加味した上での選択だ。


 けれど、きっかけがあの時に貰った言葉だったのは間違いない。


 あの瞬間、俺にとって彼女は『うっとおしい女』から『恩人』へと変わった。


『ねぇ、先生! 次はもっとすごい魔法を教えてよ! ボカーンって爆発するのとか! 変身したりするようなやつ!』

『お前には無理』

『無理なことなんてないって今さっき分かったところでしょ! あっ、でもその前にお腹すいたから先にご飯食べに行こ!』

『あっ、おい……引っ張るなって……』


 ナルに手を引っ張られて二人で院内へと走って行く。


 こうして俺は両親の死以降、始めて心の平穏を獲得した。

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