第9話:長女の故郷
「うぅ……さっむぅ……」
動きやすさ重視の薄着に身を包んだサンが身を抱えるように震えている。
「サンちゃん、だから上着を着ないとって……」
「う、うぅ……動きにくいけど仕方ないかぁ……」
既にモコモコの分厚い上着に身を包んだフィーアから同じ上着を受け取るサン。
ここは魔族界にある標高2000mを超える山岳地帯。
その頂上付近にある竜人族の里――アンナの故郷を俺たちは訪れていた。
「わ、私はそんな可愛くないの絶対に着ないわよ! ううぅ……さむぅ……」
「何の拘りかは知らないけど、風邪をひいても知らないぞ……」
凍えながらもフィーアから差し出された上着を断固拒否しているイスナ。
いつもどおりの露出過多な服装は見ているだけで寒い。
一方でアンナとフェムは寒さに強いのか、普段通りの格好ながら平然と歩いている。
「ほぁ……あったかぁ……。でもさ、なんでいきなりアンナ姉の地元になんて来たの?」
「人間界で言うところの家庭訪問ってやつだ。ちょうど屋敷を離れたし、それならお前らの育った場所を巡ってみる良い機会だと思ってな。もちろん許可は得てるぞ」
当然の疑問をぶつけてきたサンに説明を行うが、それは理由の半分でしかない。
もう半分は今朝イスナが入手した父の情報に関係している。
三賢人ですら多くは知らなかったのか、それとも記憶域の防衛力が強かったのかは分からないが、彼から得られた情報はごく断片的なものだった。
その一つがこの竜人族の里で、今から十数年前に人間が何かをしていたという情報。
もしそれが父なら、その足跡を辿ることで何かが掴めるかもしれない。
そう考えて、屋敷に帰らずにここへと訪れた。
この子たちと二人のメイドしかいない屋敷とは違う、初めて接する魔族界の日常。
通りでは里の住人と思しき幾人もの竜人たちが、各々の生活を営んでいる。
荷物を運ぶ者。食材の下ごしらえをしている者。洗濯物を干している者。
子供たちは無邪気に走り回り、大人たちは微笑ましげにそれを眺めている。
姿形が少し違うだけで、その営みに人間の世界と大きな差はない。
ただ竜人族以外の種族を見るのが珍しいのか、俺たちには少しばかり奇異の目を向けられてはいる。
人間である俺には特に。
魔王の娘とその教育係という情報はある程度周知されているのだろうが、それでも珍しいものは珍しいようだ。
「ふ~ん、まあいいけど……にしても、竜人族の人たちってなんでこんな高いところに住んでるんだろ。寒いし他にも色々と不便じゃない?」
「それは
素朴な疑問を口にしたサンに対してアンナが答える。
「信心深いから高いところに住んでるの? どういうこと?」
「元々、ここには巫女のための寺院だけが建設されたんだ。より近い場所で天に座する竜神に祈りを捧げるための場所としてな。だが、寺院が完成するや否や、自分もその加護を授かりたいと信心深い者たちが次から次へと近隣に移住してきた結果としてこのような里の形になったらしい」
「へぇ~……私なら絶対こんな寒いところには来ないけどなぁ……」
「感覚が鋭敏なエルフと違って私たちは寒暖の変化に強いからな。単に鈍いだけとも言うが」
まるで教壇に立っているかのように竜人族の歴史を語るアンナ。
その姿を見て、やっぱり教師の仕事が向いていると思った。
「里が出来た経緯は俺も知らなかったな」
「これでも一応は当代巫女の娘だ。自分の起源でもある歴史は一通り教え込まれている。まあ私の場合は父上の血が濃かったからか祈祷よりも武術ばかりに熱中して、後を継ぐには至らなかったがな」
軽い自虐のつもりだったのかアンナが微かに笑う。
こっちに来て半年経っても知らないことはまだまだ沢山ある。
この子たちのことも、魔族のことも……。
「さあ、着いたぞ。あれが我が家だ」
先頭を進んでいたアンナが立ち止まり、視線の先を指差す。
そこにあったのはまさに先ほど話に聞いた通りの建物。
信心深い者たちがあやかりたい気持ちが心から理解出来る立派な寺院だった。
「竜神を祀る寺院だとは聞いてたけど、想像以上に立派な建物だな」
ただ大きな建造物であるという以上の威容。
人間界の神殿とはまた趣きが違う木造りの建造物は、長い歴史と人々の祈りによって育まれた神聖な荘厳さを有している。
里の人々によって日々手入れされているのか、悪い意味での古さはほとんど感じない。
ところどころに見られる竜神を象っているらしき意匠には丁寧に修繕された跡もあるが、凝視しないと分からないほどだ。
「だろう? 当代の母上だけでなく、竜人族の巫女は代々ここを生家としてきた。無論、私もだ」
誇らしげに語るアンナが再び歩を進める。
久しぶりに実家に戻ってくるのが嬉しいのか、いつもより足取りが軽やかだ。
そこから更に近づくと入口前にある横に広い階段の上に数人の竜人族が立っていた。
「祖母上!」
中央に立つ女性の姿を見たアンナが階段を駆け上がっていく。
どうやらあれがアンナの祖母らしい。
左右に立っている若い二人の竜人はその護衛のようだ。
当代の主であるセイスさんが夫の世話で留守にしている代わりに出迎えに来てくれたらしい。
「おぉ……アンナ、よく帰ってきましたね」
「はい、お久しぶりです。祖母上こそ、ご健勝そうでなによりです」
「ええ、まだまだ元気ですよ。それで、こちらが例の……?」
アンナに続いて階段を登ってきた俺へと視線が向けられる。
一目見ただけで分かる温和な性格の老婦人。
アンナの炎のように赤い髪はこの血筋から代々受け継がれてきたものらしい。
「お初にお目にかかります。ご令嬢の教育係を務めさせて頂いているフレイ・ガーネットと申します」
「それはそれは、ご丁寧に。娘からもとても素晴らしい先生だと聞いております」
「いえ、生徒が優秀なだけです」
俺が人間であることを気にするような素振りも見せずに頭が下げられる。
その柔らかい物腰を見て、アンナの母――セイスさんの母親なのがよく分かった。
そして、アンナは自分でも言ってた通りに性格的には父方の血を色濃く引いていることも。
俺に続いて階段を登ってきた他の子たちも既に面識はあったのか、順に挨拶を交わしていく。
「皆さん、お疲れでしょう。お部屋を用意しているのでお休みになってください」
そうして挨拶もほどほどに俺たちは各々の個室へと通された。
*****
用意された個室は人間界でも魔族界でもこれまでに見たことのない様式をしていた。
どう表現して良いのか分からない不思議な部屋だが、主に使用されている木材特有の温かみというのか意外と落ち着く。
特に織った藁を貼り付けて作ったような床材の上に直接座する形はなんとも新鮮だ。
そうして瞑想するようにぼーっとしていると、部屋の入口がコンコンと叩かれた。
「アンナか? 入っても大丈夫だぞ」
「よく分かったな」
目を少し見開いて驚きながらアンナが入ってくる。
「イスナやサンならノックなんてせずに入ってくるし、フィーアとフェムは旅の疲れで休んでるだろうからな」
「なるほど、言われてみれば簡単な推理だ」
そう言いながら、アンナが俺の対面に座る。
部屋の様式に馴染んだその淑やかな所作を見て、当然母方の血も引いてるよなと一人納得した。
「疲れているところ悪いんだが、実は君に見てもらいたい物があってな」
「見てもらいたいもの?」
「ああ、これなんだが……」
アンナが手に持っていた紙束を俺との間に並べていく。
そこには見たこともない奇妙な図形がいくつも並んでいた。
「……なんだこれ? 見たことのない模様だな?」
「これは竜人族に伝わる秘儀に纏わる古文書だ」
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今後の展開で書籍版の流れを踏襲するため、Web版の第一章に大幅な加筆を加えました。
特に試験以降部分には2万字近い加筆を行っているので是非もう一度読み直してみてください。
※2022/1/12以降に読んだ人は加筆後なので大丈夫です。
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