第8話:三賢人
「それで、私は何をすればいいの!?」
翌朝、勢いよく部屋の扉を開けてきたイスナが開口一番に尋ねてきた。
昨夜あれだけ大泣きしたにも拘らず、その目には涙の痕跡も残っていない。
「それじゃあ、お茶でも淹れてくれ」
「はーい!」
備え付けの道具へと駆け寄り、慣れた手付きでお茶を淹れていくイスナ。
そうして、あっという間に香り高い琥珀色の液体の入ったカップが机の上に置かれる
「美味い……じゃあ、後は屋敷に帰るまで自分の部屋で休んでろ」
「はーい……って、そうじゃないでしょ! 例の人に関する情報を調べるために私を使ってくれるって言ったじゃないの!」
なんとか誤魔化せそうだと思ったが、すんでのところで見破られてしまう。
「使って使って使って! 貴方に命令されて道具みたいに使われたいの!」
子供のように駄々をこねはじめる。
今この瞬間、疑いようもなくサン以下の精神年齢になった。
「そんなこと言われたってな……」
「もしかして教え子を利用するなんて教育者としての道理に悖る~なんてまだ思ってたりするわけ?」
机の対面から身を乗り出し、ジッと訝しげな目で見られる。
「それは思わない方がどうにかしてるだろ」
昨日は事態を収めるために止む無くああいう形を取った。
しかし、理由次第では魔族と敵対する可能性もあることに魔王の娘を引き入れていいのかと改めて思うのは当然だ。
「目的のために人間の理に背いて魔王の娘の教育係になってる時点でどうにかしてるでしょ」
「そ、それはそうだけど……」
痛いところを突かれた。
「それに私が自分から協力したいって言ってるんだからいいじゃない。それともフレイ先生は生徒の自主性を軽んじるのかしら?」
「……分かったよ。だったら適当な資料でも調べてくれ。ここには当然資料庫的な場所もあるんだろ? 流石に俺がそんな場所をうろついてると変に思われるからな」
「ふむ、資料ね……それなら、ちょうど良いのが居たような……。確かこの時間なら多分……」
天上を軽く見上げながら意味深な口ぶりで独りごちるイスナ。
「よし、じゃあ早速行ってくるわね!」
「お、おい! ちょっと待……あいつ、何をするつもりだ……」
その背に向かって制止の手を伸ばすが、一手早く颯爽と部屋から出て行った。
資料が『ある』ではなく『居る』という妙な言い回しに不穏な気配を感じる。
心配なので後をつけていくことにした。
自惚れかもしれないが、俺のためという大義名分があれば何でもやりそうで怖い。
「あっ、やっぱりいたいた……」
廊下を歩いていたイスナが誰かを見つけてしめしめと囁く。
その視線の先にいたのはハーフリングと呼ばれる魔族の老人だった。
小さな身体に対して長い白ヒゲを揺らしながら赤い絨毯の上をトコトコと歩いている。
「おい、何しようとしてるんだ? あれは誰なんだ?」
「元老院の三賢者って呼ばれてる人の一人よ。あの人なら多分何か知ってるに違いないわ」
「元老院って……いきなりそんな大物に突っ込んだりしたら……」
元老院。話を聞く限りでは魔王に次ぐ重鎮の集まりだと考えていい。
人間の俺が秘匿された情報を探っているのが知られれば、理由次第では大事になりかねない。
「大丈夫大丈夫。あの人たちって意外と私たちに甘いのよ」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……調べるにしても、もっと慎重に――」
「まあ見てて……おじいちゃ~~ん!」
手をブンブン振りながら、満面の笑みでイスナが老人へと駆け寄っていく。
事が事だけに細心な注意の下で進めようとしていたはずが、いきなり賽は投げられてしまった。
こうなってしまっては黙って見守るしかない。
「おや、イスナ様。どうなされましたかな?」
駆け寄ってくるイスナに気づいた老人が振り返る。
事情を知っている俺からすれば愛想が良すぎて怪しいが、今のところ向こうが怪しんでる気配はない。
「あのね……実は私、おじいちゃんに聞きたいことがあるの……」
俺に迫って来る時にしか聞いたことがない甘えるような声でイスナが仕掛ける。
いや、声だけじゃない。
両腕でギュっと左右から挟んで、ただでさえ大きな胸を強調している。
もちろん屈んで相手の目線の高さにしっかりと合わせることも忘れていない。
予想通り、イスナにとっては正攻法ともいうべき色仕掛けによる先制攻撃。
しかし向こうも名の知れた老臣だ。
自分よりも遥か若輩の娘による色仕掛けなんて通じ――
「お、ほほぉ……そ、そうですか……なら、この爺に何でも聞いてくだされ……おほぉ……」
完全にスケベジジィの顔になってる。
いいのか三賢人。いいのか魔族界。
「ほんとに? 何でも聞いていいの?」
「無論。魔族界に知らぬことなしの三賢人筆頭と呼ばれるわしに何でも聞いてくだされ」
鼻の下を伸ばしながらほっほっほと自慢気に笑う老人。
三俗人の間違いじゃないのかと考えながら動向を見守る。
心の門という名の第一関門は突破したようだが、重要なのはここからだ。
果たして、父に関する情報を持っているのか……。
「えっと、実はね……お父様と昔関係してたある人について聞きたいんだけど」
「ほう、何という名の人物ですかな?」
「名前は……アルフ……アルフ・ディメント」
「なっ!? イスナ様、どこでその名――」
「はい、今連想したことはそのまま頭に浮かべておきなさい」
その名を聞いて驚いた老人が警戒を強める前に、イスナが人差し指をシワだらけの額に置いた。
触れ合った部分が蛍火のような仄かな光を放つ。
直後、まるで時間が停止したかのように老人の動きだけが止まる。
「ふむふむ……なるほどなるほど……」
イスナは額に指を置いたまま、興味深そうに何度も頷いている。
「はい、それじゃあ今起きたことは全部忘れるように。特に、彼以外に色目を使っちゃったことは……ね!」
指を置いてからおおよそ十秒後、今度は突き放すように指が外された。
「は、はれ? い、イスナ様? さっきわしをお呼びになられましたか?」
後方に数歩後ずさりながら老人が再び動き出す。
先刻のやり取りに関する記憶は全て消えたのか、見せかけた警戒心も霧散している。
他の誰かが通りかかる前に完遂された電光石火の早技だった。
「え? 私は今通りかかっただけよ。気のせいじゃないの? あんまり変なこと言ってると、ボケたのかと思われて元老院から除名されちゃうわよ」
さっきとは打って変わって反抗期の孫のような冷たい態度。
しかも事情を知らない者が見れば白々しさの欠片もない完璧な演技だった。
「そ、そうでしたか……はて、誰かに呼び止められたような気がするような……しないような……うむぅ……」
首を傾げながら小さな歩幅でトコトコと廊下の向こう側へ歩いて行く老人。
対してイスナはスキップするような大きな歩幅で軽快に戻ってくる。
「ふふ~ん、情報ゲット!」
戻ってきたイスナが、向かった時よりも数段上の笑みで言う。
「本当か?」
「もちろん! ねっ? 私を使って良かったでしょ?」
「いや、それは……その……まあな……」
渋々ながら肯定する。
本人の望みとはいえ教え子を巻き込んで本当に良かったのかとまだ苦悩はある。
だが、自分一人では手詰まりだと考えていた状況はイスナによって瞬く間に解決された。
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