第68話:決勝戦、教え子 対 元教え子

 開始の合図の直後、ほぼ同時に武器を抜いた二人の初太刀が舞台の中央で衝突した。


 速さはほぼ同じだが、その剣の質は真逆。


 石板の表面を破砕する程の強い踏み込みから斜めに斬り下ろしたアンナ。


 一見緩やかに見える流れるような足さばきから斜めに斬り上げるリリィ。


 強大な魔力が込められたの斬撃の衝突が強い衝撃波を生み、舞台の周りを覆っている魔法障壁が激しく震える。


 二つの渾身の力を込めた一撃。


 反動で互いに開始地点よりも後方へと弾かれるように後ずさる。


 両者は同時に一瞬で立て直すと中央へと向かって跳び、また剣と剣を打ち合わせる。


 一撃一撃に燃え盛る炎のような情念が込められた重さがあるアンナの剛の剣。

 流れる水のようにあらゆる一撃を受け流し常に反撃の機会を伺うリリィの柔の剣。


 質は全く異なるが、二人の剣の実力は現時点ではほぼ互角であった。


 互角ということはすなわち、先に一撃を貰ってしまえばそれは敗北に直結する。


 それを本能的に理解している二人は有効打を紙一重のところで避け続ける。


 数千人にも及ぶ観客たちの目に映るのは、もはやその髪の色による残像だけ。


 目にも留まらぬ速さで斬り結ぶ二人の姿はまるで、赤と金のドレスを纏った貴婦人による優雅な舞踊のように人々を魅了する。

 来賓席にいる一部の貴族ですら立場を忘れて、下等な存在であるはずの二人の剣技に見惚れていた。


 そんな中で、特に異質な目を二人へと向けている者がいた。


 この大会にその名を冠する男、フェルド・ヴィルダネス。

 彼は悔しそうに歯ぎしりしているアリウスの隣で、他の誰よりも深く食い入るような視線で二人の戦いを見つめていた。


 様々な感情が込められた視線を向けられる中、二人の剣戟は更に苛烈さを増していく。


「強いな! 君は!」


 剣戟の最中、アンナがリリィへと語りかける。

 その胸中には目の前の戦い以外の雑念は消え去っていた。


 初めて出会う同年代の好敵手の存在はアンナに急速な成長を促す。

 一合、また一合と打ち合いが行われる度にその剣閃の速度は加速度的に増していく。


「君のような者もいるとは! ここまで来た甲斐があるというものだっ!」


 今はただ目の前の相手に勝利したい。

 純粋な一心を原動力にアンナは更に強く激しく剣をふるい続ける。


 対するリリィはまともに受ければ腕ごと持っていかれそうになる苛烈な一撃を、まるで流水の如き剣技でいなし続ける。

 その胸中にあるのはこの三ヶ月で更に醸造されて膨れ上がったフレイへの想いだけ。


 目の前にいる赤髪の女は、彼へと繋がる道を塞ぐ障害物程度にしか認識していていない。


「先生! 今! 貴方のもとにっ!!」


 勝てばフレイが今どこで何をしているのか分かるかもしれない。


 それだけだったはずの話は彼女が内に秘めた狂気によって、いつの間にか『勝てばフレイに会える。よくやったと言って抱きしめてもらえる。そして、額にキスをしてもらえる』という話にまで脳内で昇華されてしまっていた。


 そんな事は当然知る由もなく、フレイは二人の戦いを真剣な眼差しで見守っている。


 アンナの横薙ぎの一閃をリリィが身を屈めて避ける。

 一拍遅れて動いた彼女の長い髪の先端を切り落とし、金色の髪がはらはらと宙を舞い散る。


 それを気にすることもなく放たれたリリィの返しの一太刀。

 地を這う軌道から縦に振り上げられた剣閃をアンナは身体を反らして避けるが、刃の先端が頬を掠め、白い肌に一筋の血が流れる。


 赤と金。剛と柔。そして純と不純。


 目的のために精神が肉体を凌駕した二人の戦いは時間が経つにつれても衰えることなく、更に激しさを増していく。


 開始から十分程の時間が経過しても、二人の戦いから目を離す者は誰もいなかった。

 観客たちは皆、決着の瞬間を決して見逃さないようにと瞬きすらも忘れて凝視している。


 そして均衡が破られる時はあっさりと訪れた。


 それは観客たちが期待していた光景ではなかった。

 リリィの狂気がアンナの勝利への渇望を僅かに上回った。


 舞台上で、金が赤を飲み込み始める。


 最初はほんの僅かだった差は次第に誰の目から見ても分かる程の明確な差へと広がっていく。


「くっ……! まだまだぁッ!」


 自身を奮起させるべく、アンナが咆哮する。

 しかし、一度奪われた主導権を取り合えすには至らない。


 狂気を纏った剣によって残存の勢いも削がれていく。


 リリィの剣閃がこれまでは届いていなかったアンナの身体を捉え始める。

 赤い衣服は瞬く間にボロボロになり、身体にはいくつもの切り傷が刻まれていく。


 観客の目にも平民の希望であった赤の少女が勢いを喪失していく様が分かり、徐々に悲観的な声も上がり始める。


 そして――


 カランカランと無慈悲な音を立てながら、長剣が石板の上へと落ちた。


「くっ……これほどか……」


 舞台の端で片膝をつくアンナ、その手には何も握られていない。


「終わりです。先生を返してください。私の先生を……私に……」


 アンナの側へと近寄ったリリィが見下ろしながら頭に剣を突きつける。


「ははっ……イカれてるな……その想いも……強さも……。この試合は私の完敗だ……」

「貴方の話はどうでもいいので早く先生の居場所を教えてください。先生はどこにいるんですか?」


 リリィはその剣先を更に突きつけて、アンナへと問いかける。


 勝敗は決してしまった。

 その光景を前にした観客たちの誰もがそう思った時、アンナがゆっくりと口を開いた。


「だがな……勝負はこれからだ! まさか、ただの人間相手にこれを使うことになるとはなっ!」


 直後、場内に満ちている魔素がアンナの右手へと向かって一気に流れ込み始める。


 猛烈な奔流が舞台を取り囲む魔法障壁を破壊する。

 奔流の中心にいるアンナから生まれた熱波が観客席をも包み込んでいく。


「くっ……! 無駄な足掻きを!」


 近くにいるだけで燃えそうになる魔力の奔流を受けてリリィが大きく距離を取った。


 膝をついていたアンナがゆっくりと立ち上がる。

 ボロボロになった身体にはまだ魔素が流れ込み続けている。


「無駄かどうかは……身を以て確かめてみるんだな!」


 アンナが持つ心的形象によって取り込まれた魔素に属性が付与されていく。


 それは彼女の右手の内で収斂され、形を成し、燃え盛る業火の剣となった。


「竜神の剣を受けてみるがいい!」


 周囲の空気を燃やし尽くし、石で出来た舞台を溶かす超高温の剣。


 最後の切り札であるそれを構えて、アンナは再び好敵手と認めた者と向かい合う。


 対するリリィも目の前にいる赤髪の女を一人の敵として、自分の愛を妨げる最後の障壁であると認めて向き合う。


 魔力の奔流に襲われた会場では混乱の渦が巻き起こり、我先にと逃げ惑う者たちでごった返していた。


 アンナが握る剣は試合では禁止されているはずの攻撃魔法。

 だが、今やそれを止める審判すらも逃げ出している。


 二人の勝負を止める者はいない。


「か、かかか! 閣下! あ、あちらからお逃げ下さい! な、ななな、何が起こってるんだ!?」


 アリウスが真っ先にフェルドを安全な場所へと誘導しようとする。

 しかし、フェルドはその顔に醜悪な薄笑いを浮かべながら舞台上の二人を凝視している。


 その笑みが意味しているのは、在野に埋もれていた若き才能をいち早く見つけられた幸運に対する歓喜であった。


「か、閣下!? は、ははは、早くお逃げ下さい!」

「う、うむ……そうだな……」


 どんな手を使ってでもこの二人を手中に収めてやる。


 フェルドはそう考えながらアリウスに先導されて、会場の外へと退避していった。


 そして会場には三人だけが残された。


 その内の二人は決着を予感しながら、激しい戦いが繰り広げられてボロボロになった石板の対角線上で向かい合う。


 もう一人、フレイは既にこの戦いの勝者がどちらになるのかは分かっていた。

 分かった上で最後まで見届けることに意味があると考え、ただじっと二人の戦いを見守っている。


「いくぞっ!」

「来なさい! この泥棒猫!」


 炎の剣を構えたアンナが地面を蹴ってリリィへと飛びかかる。

 強い踏み込みで砕かれた石板の破片が剣に触れ、一瞬で蒸発する。


「はぁああああアアアッ!!」


 アンナが最上端から真っ直ぐに振り下ろす。

 リリィはそれを真横にした剣で受け止めた。


 二人の剣が十字の形で交錯する。


 高密度の炎そのものであるアンナの剣が、受け止めたリリィの剣を防護魔法ごと溶かしていく。


 それは本来であれば、防御することも敵わない必殺の剣……のはずだった。


「だから、言いましたよね……無駄だって……」


 炎の剣が溶けかけているリリィの剣を通して、その身体へと吸収されていく。


「なっ!? 何を!?」


 消失していく自らの切り札を見て、アンナが驚嘆の声を上げる。



**********



 リリィ・ハーシェルはルクス学院の歴史において、最高峰の天才であると誰もが口を揃えて言う。


 剣の腕においても、魔法の腕においても、比肩しうる者は同年代には誰一人としていない天才。


 もし高貴な生まれであれば、次代の『勇者』として扱われたであろうと。


 しかし、彼女が持つ本当の天賦の才を知っているものはほとんどいない。

 それはフレイだけが知っている彼女が持つ唯一無二の特性。


 他者によって構築された魔法を大気中にある無属性の魔素と同じように認識し、自分のものとして取り込める能力。


 それこそが彼女が天から授かった才能だった。



**********


 アンナが握る炎の剣が吸収され、それと全く同じものがリリィの左手に発現されていく。


「先生……今、参りますね……」

「ははっ……本当にイカれてる……」


 ありえない出来事を目の当たりにしたアンナが乾いた笑いを漏らす。


 直後、リリィが炎の剣を振り上げた。


 その奔流に為す術もなく、アンナは後方へと吹き飛ばされる。


 彼女の身体がボロ布のように宙を舞い、そのまま場外の地面へと叩きつけられようとした瞬間――


「よっ……! 危ない危ない……」


 落下地点に滑り込んできたフレイがその身体を抱き止めた。


「フレ……い……?」


 途切れそうな意識を辛うじて繋いでいるアンナがフレイへと向かって力なく呟く。


「ギリギリまで無茶をさせて悪かったな」

「負けて……しまった……」

「でもよく戦った。おつかれ、後の事は任せろ」

「誰ですか貴方は! 邪魔をしないでください! 私はそれに聞くこ……と……、え? まさか……」


 アンナから情報を聞き出そうと場外まで追ってきたリリィとフレイの視線が交錯する。


 変装したフレイに普段の面影は全くない。

 だが、リリィはその姿を見て言葉を詰まらせた。


 一方でフレイも元教え子の姿を間近で見て、また一段と強くなったなと声をかけたい衝動を抱く。


 それでも、全てを有耶無耶にして脱出する好機は逃せないと無言を貫いた。


 彼は傷ついたアンナの身体を背負って会場の外へと向かって走り出した。


「ま、待って下さい!」


 リリィがその背中を追いかけようとする。

 だが、アンナとの戦闘で大きく消耗した身体は既に限界を超えていた。


 駆け出そうとした足がもつれて、リリィはその場に前のめりに倒れる。


「先生! 待ってください! 先生!」


 倒れながらも愛する人の背中へと向かって手を伸ばし続けるリリィ。

 しかし、彼女の想いは届くことなく、その背中はすぐにどこかへと消えていった。



**********



「待てい! 貴様ら!」


 フレイたちが会場の出口に到達しようとした時、彼の行く手を阻むように一人の男が現れた。


「この不埒者ども! 閣下の閣下による閣下のための神聖な大会をめちゃくちゃにしておいて、一体どこに行こうとしているのかね!?」


 派手な金髪をなびかせながら現れたアリウスが二人へと向かってキザな所作と共に剣を突きつける。


「はぁ……お前って本当に空気が読めないな……」

「お、お前? 貴様のような怪しい輩にそう呼ばれる故はない! 大人しく成敗されろ!」


 その顔に若干の汗を浮かべるアリウスの心中にあるのは名誉挽回の四文字。


 ここで大会を台無しにした二人を捕らえれば、マイアの担当教官としての失態を返上することが出来るかもしれない。

 そう考えて二人の前に立ちはだかった。


「怪我したくないなら、さっさと退いた方が身のためだぞ?」

「……ん? その声……、いや気のせいか……奴がこんなところにいるわけがないからな……とにかくだ! 大会をめちゃくちゃにしてくれた報いを! その身体に受けさせてやろうではないか!」

「はぁ……無駄な手間かけさせやがって……。アンナ、少し待っててくれ」


 フレイがアンナの身体を降ろして、近くにあった壁にもたれさせる。


「行くぞ! 慮外者め!」


 アリウスが堂に入った構えから、フレイへと向かって飛びかかる。

 その剣から放たれるのは教え子兼婚約者と同じ、風の魔力を纏わせた高速の一閃。


「……遅いっての」


 フレイは悠然とその剣閃をくぐり抜け、懐に潜り込んだ。


「それに馬鹿の一つ覚えだ。一応は教師なら、もう少し新しいことも考えろ」

「こ、この動きはっ! ぐはぁっ!」


 アリウスの腹部に掌底が突き刺さった。

 その一撃によって、アリウスは準決勝での弟子と同じように纏った魔法の制御を失う。


「ぬがっ! ぶべっ! あぶしっ!」


 そのまま暴走した風の魔力によって何度も地面を跳ねながらどこかへと吹き飛んでいった。


「よっ……っと、少し待たせたな」


 邪魔者を軽くあしらったフレイが再びアンナの身体を背負う。


 そして、また会場の外へと向かって走り出した。


 闘技場で何かが起こったらしいと混乱状態の街中を容易に抜け、二人は乗ってきた飛竜の待機場所へと到着した。


「フレイ……」


 飛竜の背に仰向けに寝かされ、目を腕で覆っているアンナが力なく呟く。


「……どうした? どこか痛むのか?」

「私は……私は……」


 感情の篭もった震える声でゆっくりと言葉を紡いでいくアンナ。


「……悔しい」

「それが言えるなら、お前は大丈夫だよ」


 短くはっきりと自分の感情を口にしたアンナに対してフレイが応える。

 二人はそれぞれが得たものを胸に、魔族の領域へと帰っていった。

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