第36話:完成、それから
「で、出来た……」
完成したそれを前に危うく力尽きそうになるのを堪える。
窓の外に見える空は既に青白く染まり、朝の光が室内へと射し込んでいる。
「もうこんな時間か……」
結局、休日とその前日をほとんど使い切ってしまった。
途中でロゼが持ってきた食事を口にする程度の休憩は挟んだが、それ以外では一睡もする事なく製作し続けた。
一昨日はフィーアに言われて気がついたが、今は流石に自分でも分かるくらいに疲労困憊している。
だからと言ってゆっくりと休んでいる時間は無い。
ベッドに飛び込みたくなる誘惑を堪える。
完成したそれを持って、すぐにフェムの部屋を訪ねた。
扉をノックする。
既に起きていたのか、扉が開いてローブに包まれた少女が出てくる。
「おはよう、訓練の時間だぞ」
「……訓練?」
「そうだ、あの魔法を制御出来るようになりたいんだろ?」
フェムは少し逡巡するように俯いた後に、顔を上げて小さく頷いた。
「なら俺についてきてくれ」
少し躊躇しながらも俺の後についてきたフェムを屋敷裏の広場まで連れ出す。
広場には既にいつもの朝練の為に集まっている三人の姿があった。
「あれ、今日はフェムも一緒? もう大丈夫なの?」
俺たちがやってきた事に最初に気がついたのはサンだった。
「いや、大丈夫になるように今から特訓予定だ」
「特訓?」
続いてイスナが尋ねてくる。
イスナも今日から本格的に参加するつもりなのか、その身体はいつもの露出多めのドレスではなく身体を動かすのに適した服装になっている。
「フェムがあの魔法を制御出来るようになる為の特訓だ。それでイスナ、お前に頼みがある」
「頼み? 私に?」
「ああ、俺はしばらくフェムにかかりっきりになるからな。その間のサンとフィーアの魔法に関する指導を任せたいんだが、頼まれてくれるか?」
今からやるのは俺にとっても初めての事だ。
そのしばらくがどれだけかかるかは予想も出来ない。
試験までの期限は無限にあるわけではないので、その間もサンとフィーアの事を疎かにするわけにはいかない。
これまでそんな経験はないと思うが、イスナの実力なら基礎的な部分を教えるのは十分に出来ると判断した。
「私が、二人に? べ、別にそれは構わないけど……」
イスナは俺に頼りにされた事が嬉しいのか、僅かに表情をほころばせながら応じてくれる。
「でも……」
「でも?」
「……頼まれるのはいいけど、それなりに見返りがあってもいいわよね?」
今度は照れくさそうに髪の先端を指先で弄りながら聞かれる。
「見返り? 何か欲しい物でもあるのか?」
「ええ、もう一回首を締め――」
「それは却下だ」
全て言い切られる前に即断する。
一体何を言い出すのかと思ったら、照れくさそうにしながらとんでもない事を要求してくる。
「えー……」
「えー、じゃない。当たり前だろ」
イスナは不満げに口を尖らせているが、褒美に教え子の首を締める教師がどこにいる。
「だって、もう痕が薄くなってきたんだもの……」
あの時の痕はすっかりと消えてしまった首を擦りながらイスナが寂しそうに呟く。
俺としては自分の大きな過ちの痕なので消えてくれた方がありがたいのだが、イスナにとってはそうではないらしい。
これまで色々な事を学んできたが、乙女心というのだけは複雑すぎて未だに全く分からない。
「イスナ姉さんの首がどうかしたんですか?」
「なんでもないから気にするな」
純粋な目を向けて質問してくるフィーアに対してはぐらかして答える。
まさか俺がイスナの首を締めた結果、こうなってしまったとは口が裂けても言えない。
「せめてもう少しまともな事を要求してくれ……倫理的に……」
「まともな事って言われても……まともな事……」
そう言うとイスナは首を捻って深く考え込み始める。
考えてる。
めちゃくちゃ考えてる。
うんうんと唸りながら、俺に却下されずに且つ、自分の欲求を適度に満たす事は何かと考えているのがはっきりと分かる。
「じゃあ……抱っこ……」
「抱っこ?」
「うん、お父様がお母様にしてるみたいに……」
イスナは顔を赤らめながら、恥ずかしそうに小さな声でそう言った。
魔王がエシュルさんにしている様にと言われても、どんな風にしているのかは想像出来ないが……。
「まあ、そのくらいなら……」
「ほんとに!? じゃあ頼まれてあげるわ!」
了承してやると、一転してその顔がぱーっと明るいものへと変わる。
普段は姉妹の中だと比較的に大人びている印象があったが、そんな事でここまで喜ぶとはまだまだ可愛らしいところもあるな。
「じゃあ頼んだぞ」
「ええ、任せて。サン! フィーア! 行くわよ!」
イスナは振り返ると、後ろで変貌した姉を奇妙な目で見ていた二人を連れていつもの場所へと歩いていった。
「よし、それじゃあ俺たちもやるか」
後ろで黙って事の成り行きを眺めていたフェムにそう告げると、彼女は小さく頷いた。
万が一、また暴走した際に被害が及ばないようにする為にイスナたちとは真逆の位置へと移動する。
そこで二日かけて作った魔道具を準備する。
「それ……何……?」
腕にそれを装着していると、フェムが不思議なものを見るような口調で尋ねてくる。
「ん? ああ、これはいわゆる杖ってやつだ」
「……杖?」
説明に対してフェムは更に戸惑いの色を濃くする。
それも当然、俺が杖と呼んだ物はどこからどう見てもただの篭手なのだから。
「人間の世界では魔法を制御する道具を総じてそう呼ぶんだ。見た目に関係なくな」
そう呼ばれるようになった経緯は不明だが、よくある木で出来た棒状の物から果ては俺が今使っている篭手型の物まで何でもそう呼ばれる。
腕にそれを装着し終えて、手を軽く動かす。
性能と早さ重視で仕上げたせいか、見た目はちょっと無骨だが問題はなさそうだ。
「よし! 準備はいいか?」
フェムに向かい合って聞く。
「準備って言われても……私……自分で……」
「ああ、それは分かってる」
この子がまだ独力であの魔法を発現出来ないのは分かっている。
先日のあれはあくまで何かがキッカケでそれが暴走した結果だ。
今から行うのはそれを独力で発現し、更に制御出来るようにするための特訓だ。
今の段階でやれと言われてすんなりと出来る物ではない。
しかし、それを発現させる為の鍵になる事象は概ね想像がつく。
フェムの立っている場所へと更に一歩近づくと、恐れからかその身体が僅かに震えている事が分かる。
少し可哀想になってくるが、あれを制御出来るようにならなければ今度はもっと大事になるかもしれない。
「深呼吸だ」
俺の言葉に従って、フェムが大きく息を吸って吐いてを繰り返す。
フェムの身体の震えが止まったタイミングを見計らって、その頭部を包む布に手をかける。
心を鬼にして、それを一気に剥ぎ取る。
「……ふぇ?」
先端が切り揃えられた銀色の髪とまだ幼さの残る顔が再び俺に前に現れる。
「え? ……え?」
突然の事に困惑するフェムと視線が合う。
少々強引だが、この子の為にも今はこうするしかなかった。
僅かに透けたその白い肌が、真っ赤に染まっていく。
同時に、あの時聞いた耳鳴りのような甲高い音が聞こえてくる。
魔素が収斂される時に生まれる大気の流れを伴い、俺とフェムのちょうど中間地点に再びあの漆黒の球体が現れる。
あの時と変わらない、身の毛もよだつほどの純然たる力の塊。
だが今回は腰を抜かしている暇はない。
大きく息を吸って、篭手を装着した腕をそれに向かって突き出す。
そのまま握りつぶす程の渾身の力を込めて大気の渦の中心点になっているそれを掴んだ。
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