第22話:母親
「ごめんくださーい……」
どれだけ呼んでもなかなか誰も来ないからなのか、その声のトーンが徐々に下がりつつある。
一体あれは誰なんだろうと離れた場所から観察していると……
「あっ! そこのおにいさ~ん! こっち来て~!」
気づかれた。
仕方がないので、少し早めに歩いて側まで近寄る。
「こんにちは~」
まず目に入ったのは、露出度が高めの衣装とそこから上半分程が露出した大きすぎる胸。
比較対象としてまず思い浮かんだのがイスナだが、この女性のそれはイスナの物よりも更に大きい。
「あの……どちら様でしょうか……?」
柵越しに女性に話しかける。
年齢は俺よりも少し上くらいだろうか。
胸部以外には鮮やかな緑色の髪の毛とその横から生えた山羊のように曲がった角が特徴的だ。
魔族と相対する事にもう慣れたのか、それを見ても動じなくなっている自分がいる。
「怪しい者じゃなくて~。ちょっと中に入りたいだけで~って……あら……貴方……」
謎の女性はその口調から受ける印象通りの少し垂れた細い目で、じっと俺を見つめてくる。
ぐっと俺に顔を近づけてきた女性から花の蜜のような甘い香りが漂ってくる。
その香りは鼻孔を通り抜け、まるで脳を直接溶かしてくるような感覚を与えてくる。
「もしかして……貴方が~。例の先生かしら?」
「え? は、はい……まあ……」
「あっ! やっぱりそうなんだ! うふふ、どんな人なのか心配だったけど。可愛くて美味しそうな先生ね~」
「お、おいしそう!?」
可愛いはともかく美味しそうってのは人を形容する言葉なのか?
「うふふ、かわいい~。ねぇ、ここを開けてもらえないかしら~?」
この女性は門を開けて欲しいらしい。
「そうは言われましてもね……」
悪い人では無さそうだが、だからといって俺の一存で知らない者を敷地内に入れるわけにはいかない。
「娘に会いに来ただけなのよ~。おねが~い」
「娘?」
改めてその姿を確認する。
緑色の髪の毛、頭の横から生えた角、そして圧倒的な双丘。
「もしかして……イスナの……?」
「ぴんぽーん、大正解! イスナちゃんのお母さんで~す」
イスナの母親を名乗った女性は片手の指を二本立てて、柵の向こうから俺に向かってそう主張してきた。
若い、色んな意味で。
あの年の娘がいるという事は最低でも俺より十歳は年上のはずだが、見た目は俺より少し上くらいにしか見えない。
魔族だからなのか、それともこの人が特別なのかは分からないが、とにかく見た目も性格も若い。
「ね~え~、おねが~い、入れて~」
まるで恋人に甘えるような声で懇願してくる。
確かに見た目はイスナと共通する部分が多いが、性格の方は全く似ていない。
「いや、それでもですね……」
イスナの母親というのがまだ本当かどうかは俺には分からない。
ここで勝手な判断を下して入れて何か問題があったら大事になる。
とりあえずロゼに判断を仰ぎに――
「あれー? 誰かと思ったらエシュル様じゃないですかー」
行こうと思った時、背後から声が聞こえた。
「あっ! リノちゃ~ん! お久しぶり~!」
女性が俺の肩越しに、背後から聞こえた声の主に向かって大きく手を振りながら返事をした。
「お久しぶりでーす……って、フレイ様もいるじゃないですか」
声の聞こえた方向に振り返ると、木製の箒を持ってこちらへと歩いてきているリノがいた。
「ああ、リノか……。いや、この人が中に入れてくれって言っててだな。入れてもいいもんなのかちょうどロゼに聞きに行こうと」
「ふむふむ、なるほどなるほど」
俺の前までやってきたリノが頭から生えた猫耳をピクピクと動かしながら言う。
「あらよっと!」
そして、扉の横に付いているレバーを押し下げた。
ギィという金属が軋む音が鳴り、門がゆっくりと開かれる。
「はぁ~、やっと入れた~。リノちゃん、ありがと~」
「いえいえ、お安い御用ですよー」
得意げに無い胸を張るリノ。
イスナの母親を名乗った女性が完全に敷地内に入った事を確認すると、再びレバーを操作して今度は門を閉じた。
「えーっと、それでは僭越ながらこのリノがご紹介させていただきます! こちらはエシュル様、ハザール様の奥方でイスナ様の御母上です! つまりVIP中のVIPです!」
「は~い、エシュルで~す。お手間をかけさせてしまってごめんなさいね」
「い、いえこちらこそ。何だか色々と申し訳ありませんでした!」
謎の女性改め、エシュルへと向かって頭を下げる。
どうやらイスナの母親というのは事実だったようだ。
となると今度は知らなかったとはいえ、雇い主の妻を門の外で立ち往生させてしまった事になる。
穏やかそうな人で助かったが、もしそうでなければ大問題になっていたかもしれない。
「それで、こちらはフレイ様です。噂の凄腕教師です」
「改めてはじめまして、この屋敷でご息女方の――」
「うん、よろしく~」
リノの妙な紹介に合わせて改めて挨拶をしている途中で遮られる。
見た目や口調のおっとりさに反して意外とせっかちな人なのかもしれない。
「それでエシュル様。今日は何のご用事で?」
「今日はねぇ、イスナちゃんの様子を見に来たの」
穏やかな屈託のない笑顔を浮かべながらそう言った。
失礼だが、やっぱりイスナとは似ているようで全く似ていない。
「ほほう。それはそれは……。では、私がイスナ様のところへ案内しましょうか」
「ううん、大丈夫。リノちゃんはお仕事の続きをしてて~」
「ほえ? でも、ここに来るのは初めてでは?」
「うん、はじめて」
「では、やはり案内が必要なのでは……?」
「だいじょ~ぶ、先生に案内してもらうから」
「え? お、俺?」
突然のご指名に素っ頓狂な声が漏れ出てしまう。
「はい、よろしくお願いします。うふふ」
イスナ母は顔に柔らかい笑みを浮かべながら俺の腕を取って、ギュっと抱きしめるように胸元へ押し付けてきた。
程よい弾力とふわふわとした柔らかさ、未知の感触が俺の腕を包み込む。
「ちょ、ちょっと! お、奥方様!?」
「も~……そんな畏まった呼び方じゃなくって、エシュルって呼んでもいいのよ」
「それではお気をつけて~」
俺が案内する事はもう決まってしまったのか、リノが手を振って俺たちを見送る所作をする。
「お、奥方様。とりあえず、その……う、腕を……」
「うふふ、照れちゃってかわいい~。それじゃあ行きましょ~」
「あの、腕を……」
彼女は俺の話を全く聞こうとせずに腕をがっちりと胸に抱え込んだまま、屋敷へと向かって歩き始めた。
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